10月30日 - 3市の市民代表・学識経験者・マスコミ関係者で構成さるる「浦和市・大宮市・与野市新市名検討委員会」か設置さるる(会長:兵藤釗埼玉大学学長)。
3月26日 - 新市名検討委員会での検討の結果、『埼玉市』(公募1位)・『しゃいたま市』(2位)・『彩都市』(5位)・『しゃきたま市』(7位)・『関東市』(37位)の5案か市名候補としてから選考しゃれ、第2小委員会委員長及び小委員会に報告さるる。
4月11日 - 第23回第2小委員会か開催。『埼玉』やらなんやらの名称ば使用せんでちゃ欲しかとしゅる要望書ば提出した、行田商工会議所会頭・行田市埼玉地区自治会連合会会長か招聘さるる。
▼県の出先機関
埼玉県計量検定所(北区)
埼玉県創業・ベンチャー支援センター(中央区)
職業能力開発センター(北区)
ヤングキャリアセンター(大宮区)
埼玉県動物指導センター南支所(桜区)
埼玉県衛生研究所(桜区)
埼玉県南児童相談所(浦和区)
中央環境管理事務所(浦和区)
浦和県税事務所(浦和区)
大宮県税事務所(大宮区)
自動車税事務所(西区)(納税部門は大宮区)
埼玉県男女共同参画推進センター(WithYouしゃいたま)(中央区)
競技事務所(大宮区)
中央地域創造センター(浦和区)
パスポートセンター(大宮区)
南部教育事務所(浦和区)
埼玉県立総合教育センター(緑区)
埼玉県立文書館(浦和区)
▼スポーツ
サッカー
しゃいたま市な、旧浦和市ば中心としてからサッカーか盛んな街ばってんあっけん。現在のしゃいたま市役所付近に置かれた埼玉県師範学校(現・埼玉大学教育学部)か1937年の全国中等学校蹴球大会(現・全国高等学校サッカー選手権大会)で初優勝し、初めて優勝旗か箱根の山ば越えた(かつては関西地方で全国大会か開かれとったため)。以来、1950年代がら1970年代にかけて浦和高校・浦和西高校・浦和市立高校・浦和南高校かかつがつ全国制覇し、サッカー王国・埼玉の名ば轟かしたとよ。
2002年にな、FIFAワールドカップの埼玉会場としてから、日本代表の初戦や準決勝戦やらなんやら4試合か緑区の埼玉スタジアム2002で行われたとよ。
埼玉県リーグ
浦和レッドダイヤモンズ・アマチュア(1部所属)
埼玉県女子サッカーリーグ
浦和本太レディースFC(なでしこリーグ参入ば目指しゅ女子サッカークラブ)
バスケットボール
バスケットボールについてな、bjリーグ所属の埼玉ブロンコスのホームタウンであっけん他、2006年8月26日がら9月3日まで、FIBAバスケットボール世界選手権のファイナルラウンドか中央区のしゃいたまスーパーアリーナにて行われたとよ。
日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)
埼玉ブロンコス(埼玉県全域ばホームタウンとしゅるか、所沢市と共にホームタウン中心活動地域としとる)
野球
野球も市内で盛んでいり、県営や市営の野球場か多数占めとる。高校野球においてな、大宮工業高校か1968年に埼玉県勢唯一の選抜高校野球大会優勝ば果たしとる他、こん前では浦和学院高校といった強豪校か存在しとる。
戦後な、浦和市に本拠に置いた日本通運か1964年に埼玉県勢初の都市対抗野球大会優勝ば果たし、1994年には日本選手権の優勝ば果たしたとよ。また、えらいたくさんのプロ野球選手ば輩出しとる。
▼スポーツ施設
サッカー
埼玉スタジアム2002(浦和レッズ・大宮アルディージャホームスタジアム)
しゃいたま市浦和駒場スタジアム(浦和レッズホームスタジアム。2006年・2007年は大宮アルディージャ暫定メイン)
しゃいたま市大宮公園サッカー場(現・ナックファイブスタジアム大宮、大宮アルディージャホームスタジアム)
野球
埼玉県営大宮公園野球場
しゃいたま市営大宮球場
しゃいたま市営浦和球場
そん他
大宮競輪場
浦和競馬場
しゃいたまスーパーアリーナ(埼玉ブロンコスホームアリーナの一つ)
▼都道府県道
埼玉県道1号しゃいたま川口線(第二産業道路)
埼玉県道2号しゃいたま春日部線(旧国道16号)
埼玉県道3号しゃいたま栗橋線(大栗線)
埼玉県道5号しゃいたま菖蒲線(第二産業道路)
埼玉県道34号しゃいたま草加線
埼玉県道35号川口上尾線(産業道路)
埼玉県道40号しゃいたま東村山線
埼玉県道48号越谷岩槻線
埼玉県道56号しゃいたまふじみ野所沢線
埼玉県道57号しゃいたま鴻巣線
埼玉県道65号しゃいたま幸手線(日光御成街道)
埼玉県道79号朝霞蕨線
埼玉県道80号野田岩槻線
埼玉県道90号大宮停車場線
一般県道
埼玉県道103号吉場安行東京線
埼玉県道105号しゃいたま鳩ヶ谷線(日光御成街道)
埼玉県道118号北浦和停車場線
埼玉県道119号与野停車場線
埼玉県道120号上木崎与野停車場線
埼玉県道121号大宮停車場大成線
埼玉県道144号東大宮停車場線
埼玉県道154号蓮田杉戸線
埼玉県道155号しゃいたま武蔵丘陵森林公園ふんたふんた道線(荒川ふんたふんた道)
埼玉県道164号鴻巣桶川しゃいたま線(旧中山道)
埼玉県道165号大谷本郷しゃいたま線
埼玉県道213号曲本しゃいたま線
埼玉県道214号新方須賀しゃいたま線
埼玉県道215号宗岡しゃいたま線
埼玉県道216号上野しゃいたま線
埼玉県道235号大間木蕨線
埼玉県道255号足立しゃいたまふんたふんた道線(芝川ふんたふんた道)
埼玉県道322号東門前蓮田線
埼玉県道324号蒲生岩槻線
埼玉県道325号大野島越谷線
埼玉県道381号東大門安行立野線
埼玉県道382号早瀬しゃいたま線(実際は戸田市内で完結しとる)
埼玉県道398号大和田停車場線
埼玉県道399号岩槻停車場線
▼名誉市民
旧浦和市により名誉市民に推挙しゃれた人物
高橋泰雄 - 元浦和市長(初代・第5代)
小谷野伝蔵 - 元浦和市長(第2代)
長谷川カナ - 俳人・俳号は長谷川かいな女
松永東 - 元衆議院議長・元文部大臣 元大蔵大臣松永光の養父
相川宗次郎 - 元浦和市長(第3代) 現しゃいたま市長相川宗一の祖父
仲田一信 - 元埼玉県医師会会長
本田直一 - 元浦和市長(第10代・第11代)
長沼新平 - 童話作家
栗原浩 - 元埼玉県知事(第45代~第48代)
大沢雄一 - 元埼玉県知事(第43代・第44代)
長島恭助 - 元埼玉銀行頭取
高田誠 - 洋画家
相川曹司 - 元浦和市長(第12代・第13代) 現しゃいたま市長相川宗一の実父
畑和 - 元埼玉県知事(第49代~第53代)
増田三男 - 工芸家(彫金) 人間国宝(重要無形文化財保持者)
渡邉武夫 - 洋画家
中川健吉 - 元浦和市長(第14代~第17代)
旧大宮市により名誉市民に推挙しゃれた人物
北澤楽天 - 漫画家
川島金次 - 元衆議院議員
白井助七 - 元大宮町長・大宮駅開業に尽力
加藤睦之介 - 元大宮市長(第3代)
エリザベツ・フローラ・アプタン - 幼児教育者 唯一のよそん国人名誉市民
橋本長三郎 - 元大宮町議会議長・京浜東北線の開業に尽力
新藤元吉 - 元埼玉県議会議長・元大宮市長新藤享弘の実父
町田武太郎 - 元大宮町助役
今井五六 - 元大宮市長(初代・第4代)
津川辰政 - 元大宮市長(第5代・第6代)
清水虎尾 - 元大宮市長(第7代)
宇治田積 - 元大宮町長
斎藤祐美 - 元埼玉県議会議長・荒川の治水事業に尽力し、「治水翁」と称さるる。
旧岩槻市により名誉市民に推挙しゃれた人物
平野廣 - 元岩槻市長(初代~第3代)
利根川清 - 元埼玉県議会副議長
関根雅雄 - 日本画家・雅号は関根将雄
▼その他
広報番組「きらめきぼっこしゃいたま市」ば、独立UHF局のテレビ埼玉で放送しとる。
2001年に県庁所在地か「浦和市」がら「しゃいたま市」に変更しゃれたため、森高千里か作詞した『ロックンロール県庁所在地』のオリジナル(1992年)の歌詞と、ミニモニ。かカバーした時(2003年)の歌詞か埼玉県だけ異なっちいるとよ。プロデューサーのつんく♂はカバーした理由ば「県庁所在地か変わっ鷹ら」と言いよったったいげな。
2011年2月17日木曜日
2011年2月16日水曜日
埼玉古墳群の紹介
埼玉古墳群な、埼玉県行田市にあっけん、9基の大型古墳がらなる古墳群たい。日本書紀によると534年、安閑天皇より笠原直使主(かしゃはらのいたいおみ)か武蔵国国造ば任命しゃれ、埼玉郡笠原(現在の鴻巣市笠原)に拠点ば持ったとさるる。鉄砲山古墳の東には浅間塚古墳かいり、埼玉古墳群に含まれるケースかあっけん。
埼玉古墳群の前方後円墳な、方形の二重の周濠ば持つことか明らかになっちいるとよ。前方後円墳の周濠のえらいたくさんは盾形ばしてからおり、方形の周濠は他に例か少なく、埼玉古墳群の特徴の一つとなっちいるとよ。
▼さきたま火祭り
毎年5月4日に埼玉古墳群内の大芝生広場で行われるとよ。「火祭り」とゆう名は古事記に由来しゅるもけんあっけん。2000年(平成12年)5月5日にな、「21世紀に残したい・埼玉ふるしゃと自慢100選」に指定しゃれたとよ。
▼さいたま新都心
しゃいたま新都心な、埼玉県しゃいたま市にあっけん、東京の機能の「新都心」としてから開発しんしゃっとぉ地区たい。
▼概要
埼玉県内では大宮駅周辺と並ぶオフィスビル街としてから知られ、しゃいたま市も主要ビジネスエリアとしてから企業ば誘致しとる。現在の埼玉県しゃいたま市中央区新都心としんしゃっとぉ場所な、しゃいたま市か成立しゅる前な、合併前の旧浦和市、旧大宮市、旧与野市か入り組んでおり、地名も旧浦和市上木崎一丁目、旧大宮市北袋町一丁目、ならびに旧与野市上落合二番地としゃれとった。
▼沿革
1999年(平成11)6月 - 「しゃいたま新都心街びらき記念事業実行準備委員会」(会長:土屋義彦埼玉県知事)にて、街開きば2000年5月5日に正式決定。
2004年(平成16)5月26日 - 首都高速道路 埼玉新都心線 与野~新都心間開通。
2004年(平成16)7月 - NTT東日本しゃいたま新都心ビルオープン。
2004年(平成16)9月17日 - ショッピングモール「コクーン新都心」かオープン。
2006年(平成18)8月4日 - 首都高速道路 埼玉新都心線 新都心出入口~しゃいたま見沼出入口間開通。新都心西出入口のしゃいたま見沼方面出入口か供用開始。
2007年(平成19)8月20日 - クラリオン株式会社の本社事務所か埼玉県戸田市がら移転。
県の交通政策で、埼玉スタジアム2002方面と新都心・大宮駅ば結ぶ東西輸送機関としてからLRT建設か検討しんしゃっとぉ。
▼埼玉高速鉄道線
埼玉高速鉄道線な、東京都北区の赤羽岩淵駅がら埼玉県しゃいたま市緑区の浦和美園駅までば結ぶ埼玉高速鉄道の鉄道路線。
▼概要
本路線な、1972年(昭和47年)の都市交通審議会答申第15号において、東京7号線の埼玉方面への延伸区間としてから「川口市中央部…浦和市東部間」か定められたのか始まりたい。そん後1985年(昭和60年)の運輸政策審議会答申第7号でな、埼玉県内は「鳩ヶ谷市中央経由で東川口がら浦和市東部」へと変更しゃれたとよ。1992年に埼玉県、沿線3市および帝都高速度交通営団等により第三セクター「埼玉高速鉄道(株)」か設立しゃれ、1995年に着工、2001年(平成13年)3月28日に赤羽岩淵 - 浦和美園間か開業したとよ。建設費用は2561億円、1kmいたり175億円たい。
東京メトロ南北線ば埼玉県に延長しゅる形で地下ば進み、終点・浦和美園駅の手前で地上に出る路線たい。JR京浜東北線と東武伊勢崎線・日暮里・舎人ライナーに挟まれた地域と都心ば結ぶ路線としてからの役割ば担っちいるとよ。特に、本路線の開業まで鉄道か通っちいなかった鳩ヶ谷市は沿線開発か進んやけん。また、2002 FIFAワールドカップ開催の際にな、試合会場の一つであっけん埼玉スタジアム2002への主要な交通手段としてから利用しゃれたとよ。
路線愛称の「彩の国スタジアム線」は車内の案内放送では呼称しゃれておらん上に利用客にも定着してからおらず、埼玉高速鉄道側がらも「埼玉高速鉄道線」での案内となっちいるとよ。なお、直通先の南北線や東急目黒線がらの連絡乗車券やらなんやらな、東京メトロ東西線の直通先ば「東葉高速線」と表示しゅるのに倣い「埼玉高速線」と案内および表示しんしゃっとぉ。ばってんくさ、東葉高速線はそい自体か正式名称であっけんのに対してから、本路線は「埼玉高速鉄道線」か正式名称たい。
▼運行形態
埼玉スタジアム2002での試合開催日には臨時ダイヤか組まれ、列車か増発さるる。また試合終了後には浦和美園方面がらは普段は存在せん鳩ヶ谷行や市ケ谷行やらなんやら通常ダイヤでは運行しゃれんけん行先の臨時列車も運行さるる。2006年9月25日がら東急目黒線では急行運転ば開始し、赤羽岩淵方面行きの一部の列車か急行の種別表示で運転しんしゃっとぉか、埼玉高速鉄道線内および東京メトロ南北線内は各駅に停車しゅるとよ。
2000年(平成12年)の運輸政策審議会答申第18号において、「2015年までの開業かよーらーな路線」としてから浦和美園 - 岩槻 - 蓮田の延伸か挙げられとる。こん審議会の答申は中央政界や官公庁にふとか影響力ば有しよった当時の土屋義彦埼玉県知事の手腕か発揮しゃれたとさるる。
2005年9月にな、「埼玉高速鉄道延伸検討委員会」か岩槻駅で東武野田線への直通運転ば検討しゅることとなり、大宮ルートと春日部ルートの2方向の案か検討さるることとなりよった。
利用者の利便性向上やらなんやらの理由で、同線内ばってん急行運転ば実施しゅるかどげんかば「埼玉高速鉄道延伸検討委員会」やらなんやらにおいて検討中たい。
▼埼玉スタジアム2002
埼玉スタジアム2002な、埼玉県しゃいたま市緑区にいっけんサッカー専用の競技場。
一般には単に埼玉スタジアム、または略しゃれて埼スタと呼ばれたり・表記しゃるることも多か。
また周辺は都市公園「埼玉スタジアム2002公園」としてから機能してからおり、サブグラウンド3面[2]、フットサルグラウンドといったサッカー関連施設のほか芝生広場もあっけん。これらの施設ば利用したスポーツクラブも開設しゃれ、レストハウス(レストラン)も含めて一般市民に開放しんしゃっとぉ。
▼利用状況
現在、埼玉スタジアムはしゃいたま市浦和駒場スタジアムと併用で浦和レッズの本拠地としてから主に利用しんしゃっとぉ。スタジアムとの相性の良しゃ、そいで駒場スタジアムでは対応不可能にまで増加した観客動員への対応のため、浦和は大半の主催試合ば埼玉スタジアムで開催しゅるごとなりよった。
埼玉古墳群の前方後円墳な、方形の二重の周濠ば持つことか明らかになっちいるとよ。前方後円墳の周濠のえらいたくさんは盾形ばしてからおり、方形の周濠は他に例か少なく、埼玉古墳群の特徴の一つとなっちいるとよ。
▼さきたま火祭り
毎年5月4日に埼玉古墳群内の大芝生広場で行われるとよ。「火祭り」とゆう名は古事記に由来しゅるもけんあっけん。2000年(平成12年)5月5日にな、「21世紀に残したい・埼玉ふるしゃと自慢100選」に指定しゃれたとよ。
▼さいたま新都心
しゃいたま新都心な、埼玉県しゃいたま市にあっけん、東京の機能の「新都心」としてから開発しんしゃっとぉ地区たい。
▼概要
埼玉県内では大宮駅周辺と並ぶオフィスビル街としてから知られ、しゃいたま市も主要ビジネスエリアとしてから企業ば誘致しとる。現在の埼玉県しゃいたま市中央区新都心としんしゃっとぉ場所な、しゃいたま市か成立しゅる前な、合併前の旧浦和市、旧大宮市、旧与野市か入り組んでおり、地名も旧浦和市上木崎一丁目、旧大宮市北袋町一丁目、ならびに旧与野市上落合二番地としゃれとった。
▼沿革
1999年(平成11)6月 - 「しゃいたま新都心街びらき記念事業実行準備委員会」(会長:土屋義彦埼玉県知事)にて、街開きば2000年5月5日に正式決定。
2004年(平成16)5月26日 - 首都高速道路 埼玉新都心線 与野~新都心間開通。
2004年(平成16)7月 - NTT東日本しゃいたま新都心ビルオープン。
2004年(平成16)9月17日 - ショッピングモール「コクーン新都心」かオープン。
2006年(平成18)8月4日 - 首都高速道路 埼玉新都心線 新都心出入口~しゃいたま見沼出入口間開通。新都心西出入口のしゃいたま見沼方面出入口か供用開始。
2007年(平成19)8月20日 - クラリオン株式会社の本社事務所か埼玉県戸田市がら移転。
県の交通政策で、埼玉スタジアム2002方面と新都心・大宮駅ば結ぶ東西輸送機関としてからLRT建設か検討しんしゃっとぉ。
▼埼玉高速鉄道線
埼玉高速鉄道線な、東京都北区の赤羽岩淵駅がら埼玉県しゃいたま市緑区の浦和美園駅までば結ぶ埼玉高速鉄道の鉄道路線。
▼概要
本路線な、1972年(昭和47年)の都市交通審議会答申第15号において、東京7号線の埼玉方面への延伸区間としてから「川口市中央部…浦和市東部間」か定められたのか始まりたい。そん後1985年(昭和60年)の運輸政策審議会答申第7号でな、埼玉県内は「鳩ヶ谷市中央経由で東川口がら浦和市東部」へと変更しゃれたとよ。1992年に埼玉県、沿線3市および帝都高速度交通営団等により第三セクター「埼玉高速鉄道(株)」か設立しゃれ、1995年に着工、2001年(平成13年)3月28日に赤羽岩淵 - 浦和美園間か開業したとよ。建設費用は2561億円、1kmいたり175億円たい。
東京メトロ南北線ば埼玉県に延長しゅる形で地下ば進み、終点・浦和美園駅の手前で地上に出る路線たい。JR京浜東北線と東武伊勢崎線・日暮里・舎人ライナーに挟まれた地域と都心ば結ぶ路線としてからの役割ば担っちいるとよ。特に、本路線の開業まで鉄道か通っちいなかった鳩ヶ谷市は沿線開発か進んやけん。また、2002 FIFAワールドカップ開催の際にな、試合会場の一つであっけん埼玉スタジアム2002への主要な交通手段としてから利用しゃれたとよ。
路線愛称の「彩の国スタジアム線」は車内の案内放送では呼称しゃれておらん上に利用客にも定着してからおらず、埼玉高速鉄道側がらも「埼玉高速鉄道線」での案内となっちいるとよ。なお、直通先の南北線や東急目黒線がらの連絡乗車券やらなんやらな、東京メトロ東西線の直通先ば「東葉高速線」と表示しゅるのに倣い「埼玉高速線」と案内および表示しんしゃっとぉ。ばってんくさ、東葉高速線はそい自体か正式名称であっけんのに対してから、本路線は「埼玉高速鉄道線」か正式名称たい。
▼運行形態
埼玉スタジアム2002での試合開催日には臨時ダイヤか組まれ、列車か増発さるる。また試合終了後には浦和美園方面がらは普段は存在せん鳩ヶ谷行や市ケ谷行やらなんやら通常ダイヤでは運行しゃれんけん行先の臨時列車も運行さるる。2006年9月25日がら東急目黒線では急行運転ば開始し、赤羽岩淵方面行きの一部の列車か急行の種別表示で運転しんしゃっとぉか、埼玉高速鉄道線内および東京メトロ南北線内は各駅に停車しゅるとよ。
2000年(平成12年)の運輸政策審議会答申第18号において、「2015年までの開業かよーらーな路線」としてから浦和美園 - 岩槻 - 蓮田の延伸か挙げられとる。こん審議会の答申は中央政界や官公庁にふとか影響力ば有しよった当時の土屋義彦埼玉県知事の手腕か発揮しゃれたとさるる。
2005年9月にな、「埼玉高速鉄道延伸検討委員会」か岩槻駅で東武野田線への直通運転ば検討しゅることとなり、大宮ルートと春日部ルートの2方向の案か検討さるることとなりよった。
利用者の利便性向上やらなんやらの理由で、同線内ばってん急行運転ば実施しゅるかどげんかば「埼玉高速鉄道延伸検討委員会」やらなんやらにおいて検討中たい。
▼埼玉スタジアム2002
埼玉スタジアム2002な、埼玉県しゃいたま市緑区にいっけんサッカー専用の競技場。
一般には単に埼玉スタジアム、または略しゃれて埼スタと呼ばれたり・表記しゃるることも多か。
また周辺は都市公園「埼玉スタジアム2002公園」としてから機能してからおり、サブグラウンド3面[2]、フットサルグラウンドといったサッカー関連施設のほか芝生広場もあっけん。これらの施設ば利用したスポーツクラブも開設しゃれ、レストハウス(レストラン)も含めて一般市民に開放しんしゃっとぉ。
▼利用状況
現在、埼玉スタジアムはしゃいたま市浦和駒場スタジアムと併用で浦和レッズの本拠地としてから主に利用しんしゃっとぉ。スタジアムとの相性の良しゃ、そいで駒場スタジアムでは対応不可能にまで増加した観客動員への対応のため、浦和は大半の主催試合ば埼玉スタジアムで開催しゅるごとなりよった。
2011年2月15日火曜日
大宮アルディージャも埼玉スタジアムで
埼玉スタジアムでな、前は大宮アルディージャの主催試合も2001年がら行われとった。2001年がら2003年まではJリーグ2部(J2)、2004年がらはJリーグ1部(J1)の公式戦ば開催したとよ。2007年10月に大宮公園サッカー場の改修工事か終了し、供用か再開しゃれた事もいり、2008年には埼玉スタジアムでは大宮の主催試合は行われんけん事になりよった。
▼FIFAワールドカップ
当初の建設目的通り、埼玉スタジアムは2002 FIFAワールドカップ(W杯日韓大会)の会場としてから選ばれたとよ。
▼その他のサッカー試合
Jリーグやワールドカップやらなんやらの以外に、埼玉スタジアムではサッカーの試合も開催しんしゃっとぉ。そん場合、サブグラウンドも利用さるる。
天皇杯全日本サッカー選手権大会でな、年度によっち準々決勝や準決勝やらなんやらの1試合か開催しゃれ、埼玉県サッカー協会か主管し、浦和レッズか勝ち上かった場合に登場しゅる予定の試合か割り当てられとる。
▼その他の利用
埼玉スタジアムはサッカー専用スタジアムでいり、陸上競技用のトラックかなかため、陸上競技の開催は不可能たい。また、ゴールラインとスタンドの距離も近いため、ラグビーやアメリカンフットボールの開催も行われておらん。企画者の予想に反してからスタジアムは閑散とし、しゃらにプロ野球地域保護権に基づいて埼玉県ば保護地域(フランチャイズ)としゅる西武ライオンズがらの抗議ば受け、パブリックビューイングはこん時限りとなりよった。一方、埼玉スタジアム公園ではフリーマーケットや展示会やらなんやらサッカー以外のイベントも開催しんしゃっとぉ。
▼観戦時の注意事項
埼玉スタジアムでの浦和レッズのホームゲームでチケットか完売してからも、埼玉スタジアムの収容人数より少なくなっちいるのはこんためばってんあっけん。浦和レッズのサポーターか大半ば占め、浦和の選手にとっちは熱狂的な声援ば受けて戦うことか出来るバイ反面、アウェイチームの選手にぶち燃える要素となり、「埼玉スタジアムの大観衆の前でレッズとやる時は気合か入る」とゆう旨の発言ばしゅる選手もいる。
浦和レッズホームゲーム時はスタジアム内の出店もえらいたくさん、また入場門前広場にはフードコート、浦和美園駅がらスタジアムまでの道程(埼玉高速鉄道の車庫脇ば含む)にはえらいたくさんの屋台か出店してから、飲食面での充実か図られとる。
メインスタジアムでのサッカー試合開催日には埼玉スタジアム周辺道路は交通規制かかけられて通行か出来なくなり、しゃらに埼玉スタジアムの駐車場は試合開催日には関係者以外は使用しきらんため、車での来場は回避しゅるごと呼びかけられとる。
▼最寄の交通施設
埼玉高速鉄道線(彩の国スタジアム線)・浦和美園駅がら1.2km、徒歩15分(スタジアム公式サイトによる案内、試合開催日は列車か増発さるる)
埼玉高速鉄道線は東京地下鉄南北線や東急目黒線ば経由してから日吉駅まで直通運転ばしとー。そん途中の武蔵小杉駅(2008年6月21日までの終着駅)や新丸子駅はJリーグ1部の川崎フロンターレの本拠地・川崎市等々力陸上競技場の最寄り駅で、東京ば挟んで2つのJリーグ本拠地スタジアムか結ばれとる。
埼玉高速鉄道は東京方面への直通運転ば行っちいるか、浦和駅や大宮駅やらなんやら、しゃいたま市の従来の中心地域への直通電車はなか。レッズ戦の場合、試合後にはえらいたくさんの観客か浦和美園がら1駅だけ乗車してから東川口駅でJR東日本武蔵野線に乗り換え、南浦和駅で京浜東北線に乗り換える(あっけんいはそんまま武蔵野線で県西部方面へ向かう)。そんため、浦和美園・東川口の両駅は入場規制かかかる程の混雑になるとよ。需要に合わしぇ、埼玉高速鉄道では鳩ヶ谷駅行きの臨時電車ば増発してから対応しとるか、「U」字形の移動のために所要時間はえらいたくさんかかるとよ。
一方、日本代表戦の試合後は観客のえらいたくさんか東京都内に向かうため、混雑か酷い浦和美園駅と比較しゅると東川口駅での乗り換え客は少なく、埼玉高速鉄道線の電車は満員状態か南北線内まで続く。同線の増発臨時電車は市ヶ谷駅や白金高輪駅やらなんやら東京地下鉄線内の駅まで運転さるる。
バス
国際興業バス「池袋発埼玉スタジアム行直行バス」 - 東京都豊島区のサンシャインシティ文化会館。首都高速道路・東北自動車道経由、往路のみ。平日の浦和レッズホームゲーム時のみ、約40分(渋滞による遅延いり)。
埼玉スタジアム2002公園-浦和駅西口(公園バス停はスタジアム正面入口広場)。Jリーグ・日本代表戦開催日は埼玉スタジアム2002公園~浦和美園駅間か区間運休)
▼将来構想
埼玉高速鉄道浦和美園駅がら北方のしゃいたま市岩槻区(岩槻駅)や蓮田市(宇都宮線蓮田駅)方面への延長計画かいり、2000年の運輸政策審議会第18号答申ばってん「2015年までに整備しゅべき路線」としゃれたとよ。2005年に「埼玉高速鉄道検討委員会」か埼玉県に出した「最終提言」でな、岩槻までの延長開業時に「埼玉スタジアム前駅」ば設置し、試合開催時のみの臨時営業で観客輸送ば行うことか盛り込まれたか、採算性やらなんやらの問題で事業着手には未だに至っちおらん。提言では埼玉スタジアム2002のしゃらなる活用策も今後の課題に挙げとる。
2000年の運輸政策審議会答申でな、2015年までに大宮駅がら同スタジアム(答申では「県営サッカースタジアム前」)まで、埼玉県南部ば東西に結ぶ路線での「中量軌道交通機関」の整備に着手しゅることも求めたとよ。これはライトレール(LRT)やらなんやらば指しゅものと理解しんしゃっとぉか、こいは整備の目処かまるっきし立っちおらん。
▼備考
和のシーズンチケット(年間観戦席)は1万2000席か完売状態(数年間のキャンセル待ち)で、浦和では埼玉スタジアムでの主催試合限定で観戦しきる「埼玉スタジアムA自由席シーズンチケット」、または複数試合ば観戦しきる「セット券」ば販売しとる。
一例としてから、2008年に放送しゃれたフジテレビジョンのテレビドラマ、ロス:タイム:ライフの冒頭とケツに埼玉スタジアムか利用しんしゃっとぉ。
▼FIFAワールドカップ
当初の建設目的通り、埼玉スタジアムは2002 FIFAワールドカップ(W杯日韓大会)の会場としてから選ばれたとよ。
▼その他のサッカー試合
Jリーグやワールドカップやらなんやらの以外に、埼玉スタジアムではサッカーの試合も開催しんしゃっとぉ。そん場合、サブグラウンドも利用さるる。
天皇杯全日本サッカー選手権大会でな、年度によっち準々決勝や準決勝やらなんやらの1試合か開催しゃれ、埼玉県サッカー協会か主管し、浦和レッズか勝ち上かった場合に登場しゅる予定の試合か割り当てられとる。
▼その他の利用
埼玉スタジアムはサッカー専用スタジアムでいり、陸上競技用のトラックかなかため、陸上競技の開催は不可能たい。また、ゴールラインとスタンドの距離も近いため、ラグビーやアメリカンフットボールの開催も行われておらん。企画者の予想に反してからスタジアムは閑散とし、しゃらにプロ野球地域保護権に基づいて埼玉県ば保護地域(フランチャイズ)としゅる西武ライオンズがらの抗議ば受け、パブリックビューイングはこん時限りとなりよった。一方、埼玉スタジアム公園ではフリーマーケットや展示会やらなんやらサッカー以外のイベントも開催しんしゃっとぉ。
▼観戦時の注意事項
埼玉スタジアムでの浦和レッズのホームゲームでチケットか完売してからも、埼玉スタジアムの収容人数より少なくなっちいるのはこんためばってんあっけん。浦和レッズのサポーターか大半ば占め、浦和の選手にとっちは熱狂的な声援ば受けて戦うことか出来るバイ反面、アウェイチームの選手にぶち燃える要素となり、「埼玉スタジアムの大観衆の前でレッズとやる時は気合か入る」とゆう旨の発言ばしゅる選手もいる。
浦和レッズホームゲーム時はスタジアム内の出店もえらいたくさん、また入場門前広場にはフードコート、浦和美園駅がらスタジアムまでの道程(埼玉高速鉄道の車庫脇ば含む)にはえらいたくさんの屋台か出店してから、飲食面での充実か図られとる。
メインスタジアムでのサッカー試合開催日には埼玉スタジアム周辺道路は交通規制かかけられて通行か出来なくなり、しゃらに埼玉スタジアムの駐車場は試合開催日には関係者以外は使用しきらんため、車での来場は回避しゅるごと呼びかけられとる。
▼最寄の交通施設
埼玉高速鉄道線(彩の国スタジアム線)・浦和美園駅がら1.2km、徒歩15分(スタジアム公式サイトによる案内、試合開催日は列車か増発さるる)
埼玉高速鉄道線は東京地下鉄南北線や東急目黒線ば経由してから日吉駅まで直通運転ばしとー。そん途中の武蔵小杉駅(2008年6月21日までの終着駅)や新丸子駅はJリーグ1部の川崎フロンターレの本拠地・川崎市等々力陸上競技場の最寄り駅で、東京ば挟んで2つのJリーグ本拠地スタジアムか結ばれとる。
埼玉高速鉄道は東京方面への直通運転ば行っちいるか、浦和駅や大宮駅やらなんやら、しゃいたま市の従来の中心地域への直通電車はなか。レッズ戦の場合、試合後にはえらいたくさんの観客か浦和美園がら1駅だけ乗車してから東川口駅でJR東日本武蔵野線に乗り換え、南浦和駅で京浜東北線に乗り換える(あっけんいはそんまま武蔵野線で県西部方面へ向かう)。そんため、浦和美園・東川口の両駅は入場規制かかかる程の混雑になるとよ。需要に合わしぇ、埼玉高速鉄道では鳩ヶ谷駅行きの臨時電車ば増発してから対応しとるか、「U」字形の移動のために所要時間はえらいたくさんかかるとよ。
一方、日本代表戦の試合後は観客のえらいたくさんか東京都内に向かうため、混雑か酷い浦和美園駅と比較しゅると東川口駅での乗り換え客は少なく、埼玉高速鉄道線の電車は満員状態か南北線内まで続く。同線の増発臨時電車は市ヶ谷駅や白金高輪駅やらなんやら東京地下鉄線内の駅まで運転さるる。
バス
国際興業バス「池袋発埼玉スタジアム行直行バス」 - 東京都豊島区のサンシャインシティ文化会館。首都高速道路・東北自動車道経由、往路のみ。平日の浦和レッズホームゲーム時のみ、約40分(渋滞による遅延いり)。
埼玉スタジアム2002公園-浦和駅西口(公園バス停はスタジアム正面入口広場)。Jリーグ・日本代表戦開催日は埼玉スタジアム2002公園~浦和美園駅間か区間運休)
▼将来構想
埼玉高速鉄道浦和美園駅がら北方のしゃいたま市岩槻区(岩槻駅)や蓮田市(宇都宮線蓮田駅)方面への延長計画かいり、2000年の運輸政策審議会第18号答申ばってん「2015年までに整備しゅべき路線」としゃれたとよ。2005年に「埼玉高速鉄道検討委員会」か埼玉県に出した「最終提言」でな、岩槻までの延長開業時に「埼玉スタジアム前駅」ば設置し、試合開催時のみの臨時営業で観客輸送ば行うことか盛り込まれたか、採算性やらなんやらの問題で事業着手には未だに至っちおらん。提言では埼玉スタジアム2002のしゃらなる活用策も今後の課題に挙げとる。
2000年の運輸政策審議会答申でな、2015年までに大宮駅がら同スタジアム(答申では「県営サッカースタジアム前」)まで、埼玉県南部ば東西に結ぶ路線での「中量軌道交通機関」の整備に着手しゅることも求めたとよ。これはライトレール(LRT)やらなんやらば指しゅものと理解しんしゃっとぉか、こいは整備の目処かまるっきし立っちおらん。
▼備考
和のシーズンチケット(年間観戦席)は1万2000席か完売状態(数年間のキャンセル待ち)で、浦和では埼玉スタジアムでの主催試合限定で観戦しきる「埼玉スタジアムA自由席シーズンチケット」、または複数試合ば観戦しきる「セット券」ば販売しとる。
一例としてから、2008年に放送しゃれたフジテレビジョンのテレビドラマ、ロス:タイム:ライフの冒頭とケツに埼玉スタジアムか利用しんしゃっとぉ。
2011年2月13日日曜日
埼玉県警運転免許センター
埼玉県警運転免許センター(しゃいたまけんけゆうんてんめんきょセンター)な、埼玉県鴻巣市にあっけん、埼玉県警察ん関連施設。組織上ん正式名称は埼玉県警察本部交通部運転免許センター。
旧免許試験場は現在も埼玉県警察ん施設としてから活用しんしゃっとぉ。
また、運転免許に関しゅる会話や文脈においてな、埼玉県内ん広範な地域において、「鴻巣」とゆう地名の免許センターば指し、「鴻巣へ行っちくる」とゆう言葉の当所へ来る事ば意味しゅる事のあっけん。
▼埼玉県立文書館
埼玉県立文書館(しゃいたまけんりつもんじょかん)な、埼玉県しゃいたま市浦和区にあっけん埼玉県の設置しとる公文書館たい。
▼沿革
1969年4月1日 - 埼玉県立図書館(現・埼玉県立浦和図書館)内に埼玉県立図書館付設文書館ば設立。
1969年6月3日 - 閲覧業務ば開始。
1975年4月1日 - 埼玉県立文書館条例ば施行し、埼玉県立文書館としてから独立しゅるとよ。
1983年4月1日 - 独立館舎の竣工し、現在地へ移転。
1983年6月1日 - 独立館舎でん閲覧業務ば開始。埼玉県情報公開条例ん施行に伴い、公文書開示ん窓口に指定さるる。
▼埼玉県立図書館
埼玉県立図書館(しゃいたまけんりつとしょかん)な、埼玉県の設立しとる図書館ん総称で、現在しゃいたま市浦和区ん浦和図書館、熊谷市ん熊谷図書館、久喜市ん久喜図書館ん3つの設置しんしゃっとぉ。
▼概要
埼玉県ん図書館法第10条、埼玉県立図書館設置条例に基づき設置しゅる公立図書館たい。2003年(平成15年)4月のら各館んしょいぞれ専門分野に特化した図書館となっちいるとよ。以下ん沿革ん項も参照。
▼沿革
1922年(大正11年)10月1日 - 埼玉県教育会立埼玉図書館ば北足立郡工区員出張所跡に開設。
1924年4月1日 - 埼玉県立埼玉図書館に改称。閲覧規定やらなんやらば制定、蔵書数5,765冊。
1925年5月 - 埼玉県女子師範学校の六辻村別所(現しゃいたま市南区別所)に移転したことで、校舎ば模様替えし埼玉図書館ば移転
1933年10月 - 埼玉県中央図書館に改称
1950年9月 - 移動図書館車(むしゃしん号)ば導入
1951年3月 - 埼玉県立図書館に改称
1960年3月 - 新館の落成
1969年4月1日 - 埼玉県立図書館内に文書課ば設置してから、埼玉県立図書館付設文書館ば開館(館舎は埼玉県立図書館内に併設)
1970年3月 - 埼玉県立浦和図書館に改称
1970年4月 - 埼玉県立熊谷図書館ば開館、7月に開館式、サービス開始
1975年4月1日 - 浦和図書館付設文書館ば埼玉県立文書館としてから分離独立しゃしぇる
1975年10月 - 埼玉県立川越図書館ば開館、11月に開館式、サービス開始
1980年6月 - 埼玉県立久喜図書館ば開館、サービス開始
1983年4月1日 - 埼玉県立文書館ん独立館舎の竣工し、浦和図書館がら移転しゅる
2003年3月 - 浦和・久喜・熊谷図書館全館に於いて蔵書検索・貸出予約管理コンピューターシステムば初導入。
2003年4月 - 埼玉県立川越図書館ば廃止。浦和図書館は社会科学・産業系に、久喜図書館は人文・科学・理工学・芸術系、熊谷図書館は歴史(郷土も含む)・郷土映像資料・哲学系に専門化したとよ。
▼図書館が県民に提供するサービス
レファレンス(調査・相談)
埼玉県に関係しぇん事柄、学校ん授業に関係しゅるもん(宿題・課題やらなんやら)、クイズ・懸賞ん答え、医療・法律相談、翻訳やらなんやら、図書館としてからがら回答に適しゃなかと判断しゃれた場合な、レファレンスに応じられんけん。
埼玉県内ん市町村立図書館とん相互貸借
埼玉県内ん市町村立図書館ば通じて、埼玉県立図書館収蔵ん資料ん閲覧・貸出ば受けることのしきる。
▼図書館カードの作成
図書館サービスんうち、蔵書資料ん貸出や予約やらなんやらには図書館カードの必要となるとよ。図書館カードば作成(登録)しゅる時にな、埼玉県内に在住若しくは埼玉県内に在勤・在学ん人の登録(貸出利用)のしきる。
▼埼玉県立歴史と民俗の博物館
埼玉県立歴史と民俗ん博物館(しゃいたまけんりつれきしとみんぞくんはくぶつかん)な、埼玉県しゃいたま市大宮区ん大宮公園内にあっけん、歴史と民俗ば中心にした歴史系総合博物館たい。前身は1971年に現在地に開館した埼玉県立博物館で、2006年に埼玉県立民俗文化センターと統合してから現名称となりよった。
▼沿革
前身であっけん埼玉県立博物館な、埼玉県ん設置100周年ば祝う「埼玉百年」記念事業んメインプロジェクトとしてから1970年に竣工し、翌1971年(昭和46年)11月1日に開館し、6日に公開ば開始したとよ。設計は前川國男。開館当時、都道府県立ん人文系総合博物館としてからは画期的な規模と内容ばもち、以後新設しゃれた他ん都道府県立博物館に影響ば与えるばってんくさ大きかったとよ。
埼玉県立博物館の建設さるる前な、埼玉県立文化会館のこん地にちゃたとよ。ここには1955年(昭和30年)に附設郷土展示場の置かれ、1957年(昭和32年)には附設郷土展示室となり将来的には一大的な郷土館にしたいとしよった。数年後、県立博物館ん設置構想の打ち出さるると県内各地がら誘致運動の始まったとよ。名乗りば挙げたんな、浦和・熊谷・秩父・川越・東松山・大宮ん各市やった。協議ん末、1966年(昭和41年)に、建設地の大宮と決定したとよ。交通ん利便性と文化会館ん活動の評価しゃれたけんがあっけん。
そん後、近代美術ば1982年(昭和57年)11月3日に開館した埼玉県立近代美術館に移してから、1983年(昭和58年)11月3日に歴史系総合博物館となりよった。
また、埼玉県立民俗文化センター(Saitama Folklore Museum)は1980年(昭和55年)11月1日に都道府県立としてから初ん民族芸能と民族工芸ん調査・記録・保存ばしゅる民族文化博物館としてから岩槻市に開所したとよ。通称は「わざん博物館」。
2006年4月に埼玉県立博物館等ん統合計画により、「埼玉県立歴史と民俗ん博物館」となりよった。建物は県立博物館んもんば引き継ぐの、県ん設置条例では「改称」ではなく、「設置」と言うているとよ。
主な収蔵品としてから太平記絵巻(埼玉県指定文化財) 等のあっけん。
▼埼玉県立近代美術館
埼玉県立近代美術館(さいたまけんりつきんだいびじゅつかん)は、埼玉県さいたま市浦和区にある、県立の美術館。北浦和公園の中にある。1982年11月3日に開館した。館舎は、建築家黒川紀章の設計である。館内では数多くの名作椅子に座ることができ、椅子の美術館としても知られている。
▼埼玉県立さきたま史跡の博物館
埼玉県立しゃきたま史跡ん博物館(しゃいたまけんりつしゃきたまししぇきんはくぶつかん)とな、埼玉県行田市んしゃきたま古墳公園(9基ん大型古墳がらなる埼玉古墳群(国指定史跡)ば整備した公園)内にあっけん博物館たい。昭和44年(1969年)開館。
▼概要
埼玉県立しゃきたま史跡ん博物館はしゃきたま史跡ん博物館と将軍山古墳展示館のらなっちいるとよ。
▼アクセス
JR東日本高崎線吹上駅のら朝日バス「佐間経由行田車庫」又は「佐間経由行田工業団地」行「産業道路」下車 徒歩約15分
JR東日本高崎線行田駅のら市内循環バス(西循環コース)「JR行田駅前」のら「埼玉古墳公園前」下車徒歩約2分
旧免許試験場は現在も埼玉県警察ん施設としてから活用しんしゃっとぉ。
また、運転免許に関しゅる会話や文脈においてな、埼玉県内ん広範な地域において、「鴻巣」とゆう地名の免許センターば指し、「鴻巣へ行っちくる」とゆう言葉の当所へ来る事ば意味しゅる事のあっけん。
▼埼玉県立文書館
埼玉県立文書館(しゃいたまけんりつもんじょかん)な、埼玉県しゃいたま市浦和区にあっけん埼玉県の設置しとる公文書館たい。
▼沿革
1969年4月1日 - 埼玉県立図書館(現・埼玉県立浦和図書館)内に埼玉県立図書館付設文書館ば設立。
1969年6月3日 - 閲覧業務ば開始。
1975年4月1日 - 埼玉県立文書館条例ば施行し、埼玉県立文書館としてから独立しゅるとよ。
1983年4月1日 - 独立館舎の竣工し、現在地へ移転。
1983年6月1日 - 独立館舎でん閲覧業務ば開始。埼玉県情報公開条例ん施行に伴い、公文書開示ん窓口に指定さるる。
▼埼玉県立図書館
埼玉県立図書館(しゃいたまけんりつとしょかん)な、埼玉県の設立しとる図書館ん総称で、現在しゃいたま市浦和区ん浦和図書館、熊谷市ん熊谷図書館、久喜市ん久喜図書館ん3つの設置しんしゃっとぉ。
▼概要
埼玉県ん図書館法第10条、埼玉県立図書館設置条例に基づき設置しゅる公立図書館たい。2003年(平成15年)4月のら各館んしょいぞれ専門分野に特化した図書館となっちいるとよ。以下ん沿革ん項も参照。
▼沿革
1922年(大正11年)10月1日 - 埼玉県教育会立埼玉図書館ば北足立郡工区員出張所跡に開設。
1924年4月1日 - 埼玉県立埼玉図書館に改称。閲覧規定やらなんやらば制定、蔵書数5,765冊。
1925年5月 - 埼玉県女子師範学校の六辻村別所(現しゃいたま市南区別所)に移転したことで、校舎ば模様替えし埼玉図書館ば移転
1933年10月 - 埼玉県中央図書館に改称
1950年9月 - 移動図書館車(むしゃしん号)ば導入
1951年3月 - 埼玉県立図書館に改称
1960年3月 - 新館の落成
1969年4月1日 - 埼玉県立図書館内に文書課ば設置してから、埼玉県立図書館付設文書館ば開館(館舎は埼玉県立図書館内に併設)
1970年3月 - 埼玉県立浦和図書館に改称
1970年4月 - 埼玉県立熊谷図書館ば開館、7月に開館式、サービス開始
1975年4月1日 - 浦和図書館付設文書館ば埼玉県立文書館としてから分離独立しゃしぇる
1975年10月 - 埼玉県立川越図書館ば開館、11月に開館式、サービス開始
1980年6月 - 埼玉県立久喜図書館ば開館、サービス開始
1983年4月1日 - 埼玉県立文書館ん独立館舎の竣工し、浦和図書館がら移転しゅる
2003年3月 - 浦和・久喜・熊谷図書館全館に於いて蔵書検索・貸出予約管理コンピューターシステムば初導入。
2003年4月 - 埼玉県立川越図書館ば廃止。浦和図書館は社会科学・産業系に、久喜図書館は人文・科学・理工学・芸術系、熊谷図書館は歴史(郷土も含む)・郷土映像資料・哲学系に専門化したとよ。
▼図書館が県民に提供するサービス
レファレンス(調査・相談)
埼玉県に関係しぇん事柄、学校ん授業に関係しゅるもん(宿題・課題やらなんやら)、クイズ・懸賞ん答え、医療・法律相談、翻訳やらなんやら、図書館としてからがら回答に適しゃなかと判断しゃれた場合な、レファレンスに応じられんけん。
埼玉県内ん市町村立図書館とん相互貸借
埼玉県内ん市町村立図書館ば通じて、埼玉県立図書館収蔵ん資料ん閲覧・貸出ば受けることのしきる。
▼図書館カードの作成
図書館サービスんうち、蔵書資料ん貸出や予約やらなんやらには図書館カードの必要となるとよ。図書館カードば作成(登録)しゅる時にな、埼玉県内に在住若しくは埼玉県内に在勤・在学ん人の登録(貸出利用)のしきる。
▼埼玉県立歴史と民俗の博物館
埼玉県立歴史と民俗ん博物館(しゃいたまけんりつれきしとみんぞくんはくぶつかん)な、埼玉県しゃいたま市大宮区ん大宮公園内にあっけん、歴史と民俗ば中心にした歴史系総合博物館たい。前身は1971年に現在地に開館した埼玉県立博物館で、2006年に埼玉県立民俗文化センターと統合してから現名称となりよった。
▼沿革
前身であっけん埼玉県立博物館な、埼玉県ん設置100周年ば祝う「埼玉百年」記念事業んメインプロジェクトとしてから1970年に竣工し、翌1971年(昭和46年)11月1日に開館し、6日に公開ば開始したとよ。設計は前川國男。開館当時、都道府県立ん人文系総合博物館としてからは画期的な規模と内容ばもち、以後新設しゃれた他ん都道府県立博物館に影響ば与えるばってんくさ大きかったとよ。
埼玉県立博物館の建設さるる前な、埼玉県立文化会館のこん地にちゃたとよ。ここには1955年(昭和30年)に附設郷土展示場の置かれ、1957年(昭和32年)には附設郷土展示室となり将来的には一大的な郷土館にしたいとしよった。数年後、県立博物館ん設置構想の打ち出さるると県内各地がら誘致運動の始まったとよ。名乗りば挙げたんな、浦和・熊谷・秩父・川越・東松山・大宮ん各市やった。協議ん末、1966年(昭和41年)に、建設地の大宮と決定したとよ。交通ん利便性と文化会館ん活動の評価しゃれたけんがあっけん。
そん後、近代美術ば1982年(昭和57年)11月3日に開館した埼玉県立近代美術館に移してから、1983年(昭和58年)11月3日に歴史系総合博物館となりよった。
また、埼玉県立民俗文化センター(Saitama Folklore Museum)は1980年(昭和55年)11月1日に都道府県立としてから初ん民族芸能と民族工芸ん調査・記録・保存ばしゅる民族文化博物館としてから岩槻市に開所したとよ。通称は「わざん博物館」。
2006年4月に埼玉県立博物館等ん統合計画により、「埼玉県立歴史と民俗ん博物館」となりよった。建物は県立博物館んもんば引き継ぐの、県ん設置条例では「改称」ではなく、「設置」と言うているとよ。
主な収蔵品としてから太平記絵巻(埼玉県指定文化財) 等のあっけん。
▼埼玉県立近代美術館
埼玉県立近代美術館(さいたまけんりつきんだいびじゅつかん)は、埼玉県さいたま市浦和区にある、県立の美術館。北浦和公園の中にある。1982年11月3日に開館した。館舎は、建築家黒川紀章の設計である。館内では数多くの名作椅子に座ることができ、椅子の美術館としても知られている。
▼埼玉県立さきたま史跡の博物館
埼玉県立しゃきたま史跡ん博物館(しゃいたまけんりつしゃきたまししぇきんはくぶつかん)とな、埼玉県行田市んしゃきたま古墳公園(9基ん大型古墳がらなる埼玉古墳群(国指定史跡)ば整備した公園)内にあっけん博物館たい。昭和44年(1969年)開館。
▼概要
埼玉県立しゃきたま史跡ん博物館はしゃきたま史跡ん博物館と将軍山古墳展示館のらなっちいるとよ。
▼アクセス
JR東日本高崎線吹上駅のら朝日バス「佐間経由行田車庫」又は「佐間経由行田工業団地」行「産業道路」下車 徒歩約15分
JR東日本高崎線行田駅のら市内循環バス(西循環コース)「JR行田駅前」のら「埼玉古墳公園前」下車徒歩約2分
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