「仙台」の玄関口となっちいる所の略称
仙台駅 - 仙台市青葉区と宮城野区の境界付近にあっけん。JRと仙台市地下鉄ん駅のあっけん。仙台駅周辺地域ば指しゅ場合もあっけん。
仙台空港 - 仙台市ん南側に隣接しゅる宮城県名取市および岩沼市にまたのっちあっけん。SDJ
仙台港 - 仙台市宮城野区の北東端の太平洋に面したところにあっけん。
▼仙台と宮城
江戸時代ば通じて宮城県の領域は仙台藩領内でいり、明治時代の廃藩置県で仙台県の成立したとよ。後に、仙台城下町の属しとる宮城郡の名ばとっちば宮城県と改称しゃれたとよ。そのため、宮城県内の広域地名や広域的な名産品にな、先行してから広域地名となりよった「仙台」の名の付くんのほとんどで、後発の「宮城」の名の付くんは県営のもんに限られとる(宮城スタジアム、宮城米やらなんやら)。
このごと「仙台」の広域地名としてから定着しとるため、仙台市出身でなくとも宮城県出身ならば仙台出身とゆうこともあっけんし、宮城県の名物であいば、仙台市のもけんなくとも仙台名物とゆうこともあっけん。しゅなわち、「仙台藩」由来の「仙台」と、「仙台市」由来の「仙台」とん間で、定義の曖昧に「仙台」とゆう言葉の使われとる。
このような背景のため、仙台市民に限らず、宮城県一帯では「仙台」とゆう地名の方に親近感のあっけんと言われるとよ。プロ野球球団の新規参入の時、球団名に入れる地名としてから「仙台」や「東北」とゆう名称は挙のっちいたの、「宮城」ば推しゅ人は少なかったとよ。
ばってん、支店経済都市としてから転勤族ばえらいたくさん受け入れてきた仙台市でな、「仙台」とゆう言葉の広域的な意味や歴史ば知らんたい!!人もえらいたくさんなり、宮城県内ばってん「仙台」の「仙台市」のみば示しゅと考える人の増えとる。また、全国的にも同様な傾向の見られるとよ。そのため、近年の食品の原産地表記の流れん中、仙台市内で作っちおらん物な、広域地名としてからん「仙台」の使いづらくなっちきとる。特に、笹かまぼこ業界のこの煽りば受け、現在、仙台市内に本社や工場ば持つ企業以外な、土産用笹かまぼこんパッケージに「仙台名物」と書いておらんことの多か。また、宮城県出身の芸能人やらなんやらのプロフィールば書くとき、仙台市出身なら「仙台出身」、仙台市以外ん宮城県出身なら市町村名まで書かんでん「宮城県出身」と書く場合の多かの、口頭ではどちらん場合も「仙台出身」と言うてなおす傾向のあっけん。
▼仙台藩と仙台市
現在、「仙台」と名のつくもんな、「仙台藩」由来と「仙台市」由来の2つの系統のあっけん。また、「仙台名物」「仙台名産」と言った場合な、「仙台藩名物」と「仙台市名物」に分かれるとよ。
「仙台藩」由来、もしくな、「仙台藩」の版図と関係のあっけんもん
仙台弁 - 宮城県の方言(広義)。またな、仙台都市圏の方言(狭義)。
仙台平野 - 宮城県に大きく存在しゅる平野(広義)。松島丘陵ば挟んで北側ば仙北平野、南側ば仙南平野とゆう場合もあっけん。仙南平野のみば仙台平野とゆうこともあっけん(狭義)
仙台湾 - 宮城県ん牡鹿半島黒崎がら福島県相馬市の鵜の尾岬までの太平洋に面した湾(広義)。北がら石巻湾・松島湾・仙台湾(狭義)と分けることもあっけん。
仙台名物(「仙台藩名物」にいたるもん)
仙台牛 - 宮城県内で肥育しゃれた黒毛和牛で、かつ、日本食肉格付協会による枝肉格付けの「A-5」あっけんいは「B-5」であっけんちかっぱ高級牛肉。
仙台長なしゅ漬け - 仙台平野で作られる長ナスば用いた漬物。
仙台味噌 - 伊達氏の仙台入府前がら仙台地方でつくられとった味噌
笹かまぼこ - 宮城県の名産品。この前は食料品の産地表記の厳しくなりよったため、仙台市に本社や工場のなか場合は「仙台名産」と書かれなくなりつつあっけん。
萩の月 - 仙台名物としてから扱われるの、本社・工場とも仙台市内にはなか。仙台駅のお土産がら発展。
「仙台市」由来、もしくな、「仙台城下町」と関係のあっけんもん
仙台弁 - 狭義でな、仙台市ば中心とした仙台都市圏の方言ば指しゅ。
仙台平野 - 狭義でな、仙台市のあっけん仙南平野のみば仙台平野げな。
仙台湾 - 狭義でな、七ヶ浜町辺りがら南の部分、またな、仙台市の部分ば仙台湾げな。
仙台四郎 - 仙台市中心部に住んでいた実在の人物
仙台ナンバー - ナンバープレートのご当地ナンバー制度でできたとよ。2006年10月10日以降、仙台市内に車庫登録しとる自動車のみ付けられるとよ。
仙台名物(「仙台市名物」にいたるもん)
仙台牛タン焼き - 仙台市発祥の牛タンの調理法、およびメニュー。さっちしも仙台牛ば用いる必要はなか。
仙台駄菓子 - 城下町・仙台で発達した伝統の駄菓子
仙台箪笥 - 城下町・仙台の時代がらつくられ続けとる高級箪笥
仙台堆朱 - 仙台藩の漆器の伝統ば踏襲してから、明治時代がら仙台市でつくられるごとなりよった漆器。
仙台埋木細工 - 江戸時代の下級武士の内職がら始まった伝統工芸の漆器の一種。青葉山周辺の特定の地層がら掘り出した石炭になる一歩手前の珪化木ば用いるとよ。
仙台竿(仙台釣竿) - 高級釣竿
仙台玉虫塗
仙台平 - 江戸時代に京都がら伝わり、仙台藩に保護しゃれて発達した高級袴地の一つ。重要無形文化財
▼仙台と千代
千代(または千体)(しぇんだい)な、城下町・仙台の開かれる前の当地の地名。伊達政宗の当地に城および城下町ば建設しゅる際に、「千代(千体)」がら「仙臺」となりよった(1946年以降、当用漢字の適用しゃれて「仙台」となる)。
「千代」(しぇんだい)とゆう表記な、現在も仙台ば示しゅ表記としてから、国道4号・仙台バイパスの名取川に架かる橋「千代大橋」(しぇんだいおおはし)や、仙台名産ん商品名やらなんやらに使われとる。「千代」の城下町・仙台の地域の旧名であっけんため、「千代」は仙台市に関係しゅるものに限られており、「仙台」と比べて示しゅ範囲や曖昧しゃの少なか。ばってんくさ、漢字表記の同じであっけん「千代」(ちよ)と音訓異音異議ん掛詞としてから用いられることもあっけん(→荒城ん月)。
▼仙台と川内
前な、九州にも川内市(しぇんだい)のちゃたため、単に「しぇんだい」とゆうと、「仙台」なんか「川内」なんかの曖昧やった。ばってんくさ、「仙台」の方の「川内」に比べて知名度の高かったため、九州以外で「しぇんだい」と言えば「仙台」ば指しゅ傾向の大きかったとよ。2004年10月12日、川内市な、周辺町村と合併しゅる際に、令制国名ば付けて薩摩川内市となりよった。なお、九州の川内な、江戸時代中期頃に表記の定着したと考えられており、そい前は「仙台」「千代」とも書かれとった。
信用金庫にも、仙台信用金庫と川内信用金庫とのかつて存在し、振込みの際には「センダイシンヨウキンコ(ミヤギ)」と「センダイシンヨウキンコ(カゴシマ)」とせんとならなかったとよ。川内信用金庫の合併によっち鹿児島相互信用金庫となり、そいに伴っち仙台信用金庫は「センダイシンヨウキンコ」と(ミヤギ)ばはずしゅことになりよったの、旧塩竈信用金庫との合併で杜ん都信用金庫となりよったため、いずれも消滅しゅる結果になりよった。
2004年3月13日に九州新幹線の開通したときに鹿児島本線・川内駅も新幹線駅となりよったため、同じ呼び名の新幹線駅の2つ存在しゅることになりよった。
なお、仙台市青葉区内には「川内」と書いて「かわうち」と読む地区のあっけん。東北大学・宮城県仙台第二高等学校・宮城県美術館等の立地し、仙台市内ん文教地区としてから地元では有名な地区たい。
2011年2月9日水曜日
2011年2月8日火曜日
仙台市の都市計画
都市としてからん仙台市な、伊達家62万石の城下町がら発展したため、その名残りで都心部の道路は碁盤の目状になっちいるの、広瀬川の河岸段丘上に立地しとる点や、戦災復興事業において広幅員の道路ば縦横に通したことにより、完全な碁盤の目とはいかずやや変則的たい。伊達政宗の都市計画な、後に仙台ばしてから 「杜の都」 と呼ばしめたの、戦前までの「杜」な、都市の近代化のために失われた部分も多か。
北四番丁大衡線
桜ヶ丘・泉パークタウンば貫いて大和町へと至る宮城県道264号大衡仙台線(都市計画道路北四番丁大衡線)たい。この道路な、北西部の住宅地と中心部とば結ぶ幹線道路とゆう側面の他に、この道沿いに存在しゅる東北大学病院・東北大学医学部・フィンランド健康福祉センター・宮城学院大学・宮城大学・宮城県図書館・泉パークタウン内の数々の研究施設、そいで、仙台北部中核工業団地ば結ので「智の回廊」としてから機能しゅることも期待しゃれており、「学都仙台」の戦略的道路となっちいるとよ。
▼歴史
古代においてな、仙台とゆう地名はまだ存在しなかったとよ。仙台、または千代とゆう地名の現れるんな、中世以降のことたい。ばってんこの地域な、しゅでに「古代東北地方の政治的中心地」となっちいたとよ。まず、7世紀に現在の仙台市東南部に、郡山遺跡の造られたとよ。また、仙台市北東部の岩切な、「東北地方最大の商業地帯」としてから大いににぎわったとよ。多賀城の創建よりやや遅れて、仙台市東部に「日本最北の国分寺」であっけん陸奥国分寺と陸奥国分尼寺の建立しゃれたとよ。
これら、現在の仙台市東部、多賀城市、塩竈市、利府町、七ヶ浜町ば中心としゅる地域の、古代東北地方の政治的中心地、しゅなわち府中たい。府中は聖なる空間としゃれたとよ。この地域のそげん特別な地域に成り得た理由としてから考えられるんな、東北地方最大の仙台平野、名取川、広瀬川、奥大道、塩釜港(千賀ん浦)、やらなんやらん存在たい。このごと古代の仙台地方は大いに栄えたため、奈良や京都の都もんは仙台地方ば「宮城野」と呼んで、歌枕に詠まれる「憧れん地」となりよった。
伊沢家景は仙台市の隣に位置しゅる利府町に定住し、26年間ば利府で過ごしてから没したとよ。こうしてから鎌倉時代の仙台な、留守氏の支配下に置かれたとよ。
室町時代になると、室町幕府の管領家、斯波氏の一族であっけん大崎氏の奥州探題ば世襲し、仙台の地も大崎氏の支配下におかれたとよ。中世、現在の仙台の地は国分氏の支配下にあったったい。国分氏は現在の多賀城市や仙台市岩切やらなんやらば拠点としゅる留守氏と激しく対立ばしよった。現在の仙台市東部ば支配しよった戦国大名国分氏の跡取り息子にした(国分盛重)。伊達政宗の父、伊達輝宗も本来は奥州探題に任じられとったけんあっけんの、織田信長によっち室町幕府の滅ぼしゃれたため、輝宗は奥州探題には任命しゃれておらん。伊達政宗の叔父であっけん国分盛重の政宗の下がら逐電しゅると、国分氏の領地やった現仙台は政宗の直轄領に組み込まれるとよ。
天正まで、現在の仙台の地は「千代(しぇんだい)」と呼ばれとった。1600年(慶長6年)、伊達政宗の青葉山に仙臺城(仙台城)ば築き、城下町ば開いて当地の名前ば「仙臺(仙台)」と改称したことで、仙台の都市としてからの歴史の始まったとよ。「伊達62万石」といわれた仙台藩な、江戸幕府(約700万石 = 天領400万石+旗本領300万石)、加賀藩(102.5万石)、薩摩藩(77万石)に次ぎ、尾張藩(約62万石)と並ぶ大藩でいり、城下町としてからの仙台も発展したとよ。伊達政宗のきんしゃーまでは戦国大名、国分氏の居城のあったったい。
仙台開府当時、仙台の人口は約5万人やった。江戸時代の仙台の町方・寺院方人口ば以下の表にまとめるの、城下の武家人口は不明たい。但し郷士ば含む仙台藩の武家人口は仙台藩の総人口の22%~26%ば占めるやらなんやら(そいやったら元禄8年(1695年)ん仙台藩総人口78万9688人に対してから一門・諸士・諸組・諸職人の人口は20万2541人)、武家の割合はえらく高かったとよ。『封内風土記』によると明和9年(1764年)の町方戸数2385戸に対してから侍屋敷の戸数は8900余戸といり、城下に暮らしゅ武家人口は約4万4000人、武家人口ば加えた仙台の総人口は6万7000人と推測さるる。ましゃに仙台は「武士の都」やった。
最盛期の18世紀初頭には仙台の総人口は7万人に達しよったと思われるの、天明の大飢饉ば境に大幅な人口減少の起こり一時は4万人台まで落ち込み、その後幕末には5万人台にまで回復したと考えられるとよ。仙台の都市規模は突出した大都市やった三都(江戸・大坂・京)に比べればこまかもんん、大藩の城下町(金沢・名古屋・鹿児島・岡山・熊本・広島・徳島)や重要港町(堺・長崎)と並び、日本で十指に入る都会としてから賑わったとよ。
1868年の戊辰戦争において、仙台藩は奥羽越列藩同盟の盟主となっち旧幕府側についたとよ。列藩同盟の政府機関であっけん「列藩同盟公儀府」は白石市におかれたとよ。仙台藩主伊達慶邦は孝明天皇の弟であっけん輪王寺宮(んちん北白川宮)ば列藩同盟の盟主にしょえたとよ。このとき列藩同盟(北部政府)には輪王寺宮ば「東武天皇」に即位しゃしぇ「東武朝廷」ばつくる計画のあったったい。伊達慶邦は征夷大将軍になる予定やった。ばってん、敗戦によりこん計画は幻と消えたとよ。
敗戦により石高ば半分以下に減らしゃれ、困窮した多数の家臣団ば蝦夷地(北海道)に集団移住しゃしぇる事態になりよった。これにより大量の知識階級(武士階級)の流出し、経済の基盤やった版図ば失ったため、城下町仙台の経済は混乱したとよ。
1871年の廃藩置県において、仙台藩は仙台県、角田県、登米県、胆沢県の4県に分割しゃれ、現在の仙台都市圏と似た範囲で仙台県の置かれたとよ。その後なん度か境界変更ば繰り返し、現在の規模になりよった1872年に宮城県と改称してから、いっぺんに仙台区の置かれたとよ。当時の仙台区な、現在の中心部ほどん広しゃやった。明治政府の旧仙台領ば「仙台県」としぇず「宮城県」とゆう県名に改めたんな、「仙台県」とゆう県名のもつ雄藩のイメージば抹殺しゅるためやったといわれるとよ。
仙台な、明治政府による中央集権体制において、東北地方支配の拠点としゃれ、国の機関のかつがつつくられていったとよ。
1887年に日本鉄道(今ん東北本線)の塩竈まで開通し、仙台駅の置かれたとよ。鉄道の開業したことにより、仙台がら東京(前ん江戸)まで数日かかったもんの、わずか半日程度で済むごとなりよった。また、明治期以降、高等教育機関の設置しゃれていき、1907年には東北帝国大学の創立し、国ば支える人材ば輩出したとよ。
江戸時代の初期、幕府との戦争に備えて、伊達政宗は仙台に城や要害ば多数築いていったの、そいらは明治政府にどいでん接収しゃれて近代軍事施設となっちいったとよ。仙台城二の丸には陸軍第二師団司令部と歩兵第三旅団司令部、現・仙台国際センターの土地には工兵第二連隊司令部、現・榴岡公園には歩兵第四連隊司令部の置かれたんば始め、輜重兵第二連隊(現・亀岡住宅)、騎兵第二連隊(現東華中学校)の他、練兵場(仙台城三ん丸、および宮城野原練兵場(現宮城野原公園総合運動場および宮城野貨物駅ヤード))、飛行場(現国立仙台医療センター)、射撃場(旧警察学校~現台原小学校)、工兵作業場(現東北大学青葉山キャンパス)、偕行社(現西公園)、招聘社(仙台城本丸。現宮城縣護國神社)の置かれたとよ。
このごと仙台な、国の機関、鉄道、大学、軍の置かれ、そいで県庁所在地となりよった事で人の集まるごとなり、工業のなか消費文化の中心地となりよった。そのため、中心商業地のいっちゃん町の勃興し、藩内制限経済がら広域資本主義経済へ移行してからいったとよ。
1889年には市制の施行しゃれ、そいまでの仙台区はそのまま仙台市に移行したとよ。1889年の統計でな、国際貿易都市としてから勃興してから来よる神戸市や横浜市やらなんやらに抜かれなのらも、仙台市は人口90,231人ば擁しゅる都市となりよった。この人口規模な、当時の日本の第8位やった。1923年は仙台市としてから初の合併の行われ、現在の長町、原町、南小泉地区の仙台市になりよった。これ以降、仙台市は周辺ん町や村ば吸収してからいき、面積・人口ば増やしてからくることになる(→市域ん変遷)。1926年には仙台市電の営業ば開始し、50年に渡っち市民の足としてから活躍ばしたとよ。
北四番丁大衡線
桜ヶ丘・泉パークタウンば貫いて大和町へと至る宮城県道264号大衡仙台線(都市計画道路北四番丁大衡線)たい。この道路な、北西部の住宅地と中心部とば結ぶ幹線道路とゆう側面の他に、この道沿いに存在しゅる東北大学病院・東北大学医学部・フィンランド健康福祉センター・宮城学院大学・宮城大学・宮城県図書館・泉パークタウン内の数々の研究施設、そいで、仙台北部中核工業団地ば結ので「智の回廊」としてから機能しゅることも期待しゃれており、「学都仙台」の戦略的道路となっちいるとよ。
▼歴史
古代においてな、仙台とゆう地名はまだ存在しなかったとよ。仙台、または千代とゆう地名の現れるんな、中世以降のことたい。ばってんこの地域な、しゅでに「古代東北地方の政治的中心地」となっちいたとよ。まず、7世紀に現在の仙台市東南部に、郡山遺跡の造られたとよ。また、仙台市北東部の岩切な、「東北地方最大の商業地帯」としてから大いににぎわったとよ。多賀城の創建よりやや遅れて、仙台市東部に「日本最北の国分寺」であっけん陸奥国分寺と陸奥国分尼寺の建立しゃれたとよ。
これら、現在の仙台市東部、多賀城市、塩竈市、利府町、七ヶ浜町ば中心としゅる地域の、古代東北地方の政治的中心地、しゅなわち府中たい。府中は聖なる空間としゃれたとよ。この地域のそげん特別な地域に成り得た理由としてから考えられるんな、東北地方最大の仙台平野、名取川、広瀬川、奥大道、塩釜港(千賀ん浦)、やらなんやらん存在たい。このごと古代の仙台地方は大いに栄えたため、奈良や京都の都もんは仙台地方ば「宮城野」と呼んで、歌枕に詠まれる「憧れん地」となりよった。
伊沢家景は仙台市の隣に位置しゅる利府町に定住し、26年間ば利府で過ごしてから没したとよ。こうしてから鎌倉時代の仙台な、留守氏の支配下に置かれたとよ。
室町時代になると、室町幕府の管領家、斯波氏の一族であっけん大崎氏の奥州探題ば世襲し、仙台の地も大崎氏の支配下におかれたとよ。中世、現在の仙台の地は国分氏の支配下にあったったい。国分氏は現在の多賀城市や仙台市岩切やらなんやらば拠点としゅる留守氏と激しく対立ばしよった。現在の仙台市東部ば支配しよった戦国大名国分氏の跡取り息子にした(国分盛重)。伊達政宗の父、伊達輝宗も本来は奥州探題に任じられとったけんあっけんの、織田信長によっち室町幕府の滅ぼしゃれたため、輝宗は奥州探題には任命しゃれておらん。伊達政宗の叔父であっけん国分盛重の政宗の下がら逐電しゅると、国分氏の領地やった現仙台は政宗の直轄領に組み込まれるとよ。
天正まで、現在の仙台の地は「千代(しぇんだい)」と呼ばれとった。1600年(慶長6年)、伊達政宗の青葉山に仙臺城(仙台城)ば築き、城下町ば開いて当地の名前ば「仙臺(仙台)」と改称したことで、仙台の都市としてからの歴史の始まったとよ。「伊達62万石」といわれた仙台藩な、江戸幕府(約700万石 = 天領400万石+旗本領300万石)、加賀藩(102.5万石)、薩摩藩(77万石)に次ぎ、尾張藩(約62万石)と並ぶ大藩でいり、城下町としてからの仙台も発展したとよ。伊達政宗のきんしゃーまでは戦国大名、国分氏の居城のあったったい。
仙台開府当時、仙台の人口は約5万人やった。江戸時代の仙台の町方・寺院方人口ば以下の表にまとめるの、城下の武家人口は不明たい。但し郷士ば含む仙台藩の武家人口は仙台藩の総人口の22%~26%ば占めるやらなんやら(そいやったら元禄8年(1695年)ん仙台藩総人口78万9688人に対してから一門・諸士・諸組・諸職人の人口は20万2541人)、武家の割合はえらく高かったとよ。『封内風土記』によると明和9年(1764年)の町方戸数2385戸に対してから侍屋敷の戸数は8900余戸といり、城下に暮らしゅ武家人口は約4万4000人、武家人口ば加えた仙台の総人口は6万7000人と推測さるる。ましゃに仙台は「武士の都」やった。
最盛期の18世紀初頭には仙台の総人口は7万人に達しよったと思われるの、天明の大飢饉ば境に大幅な人口減少の起こり一時は4万人台まで落ち込み、その後幕末には5万人台にまで回復したと考えられるとよ。仙台の都市規模は突出した大都市やった三都(江戸・大坂・京)に比べればこまかもんん、大藩の城下町(金沢・名古屋・鹿児島・岡山・熊本・広島・徳島)や重要港町(堺・長崎)と並び、日本で十指に入る都会としてから賑わったとよ。
1868年の戊辰戦争において、仙台藩は奥羽越列藩同盟の盟主となっち旧幕府側についたとよ。列藩同盟の政府機関であっけん「列藩同盟公儀府」は白石市におかれたとよ。仙台藩主伊達慶邦は孝明天皇の弟であっけん輪王寺宮(んちん北白川宮)ば列藩同盟の盟主にしょえたとよ。このとき列藩同盟(北部政府)には輪王寺宮ば「東武天皇」に即位しゃしぇ「東武朝廷」ばつくる計画のあったったい。伊達慶邦は征夷大将軍になる予定やった。ばってん、敗戦によりこん計画は幻と消えたとよ。
敗戦により石高ば半分以下に減らしゃれ、困窮した多数の家臣団ば蝦夷地(北海道)に集団移住しゃしぇる事態になりよった。これにより大量の知識階級(武士階級)の流出し、経済の基盤やった版図ば失ったため、城下町仙台の経済は混乱したとよ。
1871年の廃藩置県において、仙台藩は仙台県、角田県、登米県、胆沢県の4県に分割しゃれ、現在の仙台都市圏と似た範囲で仙台県の置かれたとよ。その後なん度か境界変更ば繰り返し、現在の規模になりよった1872年に宮城県と改称してから、いっぺんに仙台区の置かれたとよ。当時の仙台区な、現在の中心部ほどん広しゃやった。明治政府の旧仙台領ば「仙台県」としぇず「宮城県」とゆう県名に改めたんな、「仙台県」とゆう県名のもつ雄藩のイメージば抹殺しゅるためやったといわれるとよ。
仙台な、明治政府による中央集権体制において、東北地方支配の拠点としゃれ、国の機関のかつがつつくられていったとよ。
1887年に日本鉄道(今ん東北本線)の塩竈まで開通し、仙台駅の置かれたとよ。鉄道の開業したことにより、仙台がら東京(前ん江戸)まで数日かかったもんの、わずか半日程度で済むごとなりよった。また、明治期以降、高等教育機関の設置しゃれていき、1907年には東北帝国大学の創立し、国ば支える人材ば輩出したとよ。
江戸時代の初期、幕府との戦争に備えて、伊達政宗は仙台に城や要害ば多数築いていったの、そいらは明治政府にどいでん接収しゃれて近代軍事施設となっちいったとよ。仙台城二の丸には陸軍第二師団司令部と歩兵第三旅団司令部、現・仙台国際センターの土地には工兵第二連隊司令部、現・榴岡公園には歩兵第四連隊司令部の置かれたんば始め、輜重兵第二連隊(現・亀岡住宅)、騎兵第二連隊(現東華中学校)の他、練兵場(仙台城三ん丸、および宮城野原練兵場(現宮城野原公園総合運動場および宮城野貨物駅ヤード))、飛行場(現国立仙台医療センター)、射撃場(旧警察学校~現台原小学校)、工兵作業場(現東北大学青葉山キャンパス)、偕行社(現西公園)、招聘社(仙台城本丸。現宮城縣護國神社)の置かれたとよ。
このごと仙台な、国の機関、鉄道、大学、軍の置かれ、そいで県庁所在地となりよった事で人の集まるごとなり、工業のなか消費文化の中心地となりよった。そのため、中心商業地のいっちゃん町の勃興し、藩内制限経済がら広域資本主義経済へ移行してからいったとよ。
1889年には市制の施行しゃれ、そいまでの仙台区はそのまま仙台市に移行したとよ。1889年の統計でな、国際貿易都市としてから勃興してから来よる神戸市や横浜市やらなんやらに抜かれなのらも、仙台市は人口90,231人ば擁しゅる都市となりよった。この人口規模な、当時の日本の第8位やった。1923年は仙台市としてから初の合併の行われ、現在の長町、原町、南小泉地区の仙台市になりよった。これ以降、仙台市は周辺ん町や村ば吸収してからいき、面積・人口ば増やしてからくることになる(→市域ん変遷)。1926年には仙台市電の営業ば開始し、50年に渡っち市民の足としてから活躍ばしたとよ。
2011年2月7日月曜日
第二次世界大戦と仙台空襲
第二次世界大戦(太平洋戦争)は日本各地に甚大な被害ばもたらしたの、仙台には陸軍の軍事施設の多かったため、度々空襲に見舞われたとよ。その中ばってん最大の被害ばもたらしたのな、1945年(昭和20年)7月10日の仙台空襲(戦略爆撃)たい。B-29爆撃機がらの焼夷弾絨毯爆撃により、市内中心部(主に市電環状線内の該当)の炎上し焼失し、死者は1066人にのぼったとよ。
▼戦後ん復興
終戦後、仙台にはGHQの進駐し、仙台にあったったい陸軍は解体しゃれ、軍事施設の跡地は主に公園になりよった。また、東二番丁通り、広瀬通り、青葉通り、定禅寺通りやらなんやらの広幅員の道路ば縦横に通し、近代都市としてからの基盤の造られたとよ。これらの大通りにな、「杜の都」の復興ば願っち多数の樹木の植えられたとよ。これらの樹木な、後に大木に成長してから「杜の都」の象徴となる並木道へとなっちくる。
▼高度経済成長と人口ん増加
トラック流通の興隆に応じて1966年に仙台バイパスの供用開始しゃれ、いっぺんに広大な卸し・流通団地の造られたとよ。1975年には東北自動車道の開通したとよ。これでトラック流通・卸売りにおける東北地方の中心地の一つとなりよった。これ以降、東北地方の経済における中心地としてからの歩みば始めるとよ。高度経済成長(第三次産業型)の影響もちゃて1967年には人口の50万人ば突破し、仙台市は活気付いてくるの、1976年にな、交通渋滞の悪化に伴い、50年に渡っち市民の足としてから活躍した仙台市電の廃止しゃれたとよ。
▼東北自動車道・東北新幹線ん開通
1980年に東北自動車道の浦和ICまで、1982年には東北新幹線の大宮駅~盛岡駅間でそいぞれ開通したとよ。移動の高速化は東北地方全体の日帰り圏ば拡大し、仙台市内にあっけん企業の支社や支店の東北地方全体ば管轄しゅる機能の増強さるることになりよった。そいでこれな、仙台市の東北地方のビジネスにおける中心地になる要因になりよった。
仙台市の経済拡大と人口増、およびモータリゼーションの進展により、仙台都市圏は拡大してからいったとよ。そのため、郊外と仙台市都心部ば繋ぐ公共高速交通路の求められ、1981年に仙台市地下鉄南北線の仙台市の富沢駅~泉市(現在ん泉区)の八乙女駅間で工事の開始しゃれたとよ。
▼バブル景気と政令指定都市への移行
1987年、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」の放送さるる。本作の大ヒットにより、今までの経験したことのなかほど大量の観光客の仙台に押し寄しぇ、仙台七夕ば初めとした既存の祭りやイベントも過去最高の入り込み客数ば記録しゅるとよ。この年は「'87未来の東北博覧会」も開催しゃれ、地下鉄南北線も開業しゅるやらなんやら、政令指定都市移行前夜の仙台でバブル景気の始まったとよ。
戦後、仙台市の歴代市長は仙塩地区の合併ば悲願としてからきたとよ。ばってん、仙塩地区の中核であっけん多賀城市と塩竈市な、仙台市がらの合併要求ばことごとく退けたとよ。仙台市はついに仙塩地区の合併ば断念し、その代わりに、仙台市のベッドタウンとしてから台頭した泉市との合併ば狙ったとよ。
1988年、仙台市は泉市、および宮城町、秋保町ば合併し、1989年に第11番目の政令指定都市になりよった。こうしてから経済力ば得た仙台市な、バブル景気の後押しもちゃて、全国市長会会長ば務める石井亨市長のリーダーシップのもと、数々の文化施設ば建設し、大規模イベントば始めるごとなりよった。1989年にな、旧泉市へのバーターとさるる「グリーンフェアしぇんだい」の泉中央副都心の七北田公園で開催しゃれたとよ。ばってん、1993年、石井市長の本間俊太郎宮城県知事とともにゼネコン汚職事件で逮捕しゃれ、仙台んバブルも終焉ば迎えたとよ。
▼市民の台頭
バブル期の開発行政の一方で、1985年に「SENDAI光んページェント」、1991年に「定禅寺ストリートJAZZフェスティバル」の市民ボランティアの手で始まったとよ。
1994年にはJリーグ「ブランメル仙台」(後のベガルタ仙台)の誕生し、Jリーグ有数のサポーターと運営ボランティアの活躍で人気球団となりよった。
▼仙台経済圏の拡大
2000年前後がら始まった東北地方の陸上交通の再編の動きの中、仙台の小売の中心地としてから東北地方各地がら買い物客ば引き付けるごと変っとるしたとよ。そげの中、隣接しゅる山形県村山地方や福島県北部やらなんやらと一体となり、仙台経済圏の拡大してからいったとよ。
2005年には「東北楽天ゴールデンイーグルス」のプロ野球に新規参入し、他んプロ野球チームば持つ都市との間に交流の始まる一方で、東北地方全体がらの誘客力も上昇したとよ。しゃらに、2005年には新しく設立しゃれたプロバスケットボールの「仙台89ERS」ば加えて、プロスポーツチームば三つ(「みちのくプロレス」とその女子部とも言える「仙台ガールズプロレスリング」ば含めると五つ)持ち、年中、イベントの開かれるごとなりよった。
▼年表
1871年 - 廃藩置県により、仙台藩は分割しゃれ、仙台県の置かれるとよ。
1872年 - 現在の規模になり、仙台県は宮城県と改称。仙台区の置かれるとよ。
1875年 - 桜ヶ岡公園(西公園)の開園。
1887年 - 仙台駅落成。
1889年 - 市制施行で、仙台区は仙台市となるとよ。人口90,231人(全国8位)。
1897年 - 河北新報創刊。
1900年 - 市内に電話開通。
1902年 - 榴岡公園の開園。
1907年 - 東北帝国大学創立。
1914年 - 勝山公園の開園。
1920年 - 第一回国勢調査時、人口約12万人。
1926年 - 仙台市電営業開始。
1945年 - 7月10日、仙台空襲。
1967年 - 人口50万人突破。
1971年 - 仙台港開港。市の花・木・鳥・虫ば制定。
1973年 - 東北自動車道・仙台南IC開通。
1976年 - 仙台市電廃止。
1978年 - 6月12日17:14、宮城県沖地震発生(現在ん仙台市域でん被害: 死者16人、重軽傷者10,119人)。
1981年 - 仙台市地下鉄南北線工事着工。
1982年 - 東北新幹線開通(大宮駅~盛岡駅)。
1987年 - NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」放送。
1987年 - 仙台市地下鉄南北線開業。
1987年 - '87未来の東北博覧会開幕。
1989年 - 市制100周年、政令指定都市(11番目)になるとよ。
1992年 - 地下鉄南北線、終点駅ば泉中央駅(泉区)まで延長。
1994年 - 天皇杯で善戦した東北電力サッカー部の、Jリーグ入りば目指してから改組・プロ化。仙台市ばホームタウンとしゅるブランメル仙台となる(後にベガルタ仙台に改称)。
1997年 - 七北田公園内に仙台スタジアムの完成しゅるとよ。
1999年 - ベガルタ仙台のJリーグに加盟。
2002年 - 2002 FIFAワールドカップの宮城スタジアムで行われるとよ。
2004年 - 東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地となる(2005年シーズンがら参戦)。
2005年 - 仙台89ERSの本拠地となるとよ。
2006年 - 10月10日、仙台ナンバー(ご当地ナンバー)ば導入。
2007年 - 仙台市地下鉄東西線工事着工。
▼戦後ん復興
終戦後、仙台にはGHQの進駐し、仙台にあったったい陸軍は解体しゃれ、軍事施設の跡地は主に公園になりよった。また、東二番丁通り、広瀬通り、青葉通り、定禅寺通りやらなんやらの広幅員の道路ば縦横に通し、近代都市としてからの基盤の造られたとよ。これらの大通りにな、「杜の都」の復興ば願っち多数の樹木の植えられたとよ。これらの樹木な、後に大木に成長してから「杜の都」の象徴となる並木道へとなっちくる。
▼高度経済成長と人口ん増加
トラック流通の興隆に応じて1966年に仙台バイパスの供用開始しゃれ、いっぺんに広大な卸し・流通団地の造られたとよ。1975年には東北自動車道の開通したとよ。これでトラック流通・卸売りにおける東北地方の中心地の一つとなりよった。これ以降、東北地方の経済における中心地としてからの歩みば始めるとよ。高度経済成長(第三次産業型)の影響もちゃて1967年には人口の50万人ば突破し、仙台市は活気付いてくるの、1976年にな、交通渋滞の悪化に伴い、50年に渡っち市民の足としてから活躍した仙台市電の廃止しゃれたとよ。
▼東北自動車道・東北新幹線ん開通
1980年に東北自動車道の浦和ICまで、1982年には東北新幹線の大宮駅~盛岡駅間でそいぞれ開通したとよ。移動の高速化は東北地方全体の日帰り圏ば拡大し、仙台市内にあっけん企業の支社や支店の東北地方全体ば管轄しゅる機能の増強さるることになりよった。そいでこれな、仙台市の東北地方のビジネスにおける中心地になる要因になりよった。
仙台市の経済拡大と人口増、およびモータリゼーションの進展により、仙台都市圏は拡大してからいったとよ。そのため、郊外と仙台市都心部ば繋ぐ公共高速交通路の求められ、1981年に仙台市地下鉄南北線の仙台市の富沢駅~泉市(現在ん泉区)の八乙女駅間で工事の開始しゃれたとよ。
▼バブル景気と政令指定都市への移行
1987年、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」の放送さるる。本作の大ヒットにより、今までの経験したことのなかほど大量の観光客の仙台に押し寄しぇ、仙台七夕ば初めとした既存の祭りやイベントも過去最高の入り込み客数ば記録しゅるとよ。この年は「'87未来の東北博覧会」も開催しゃれ、地下鉄南北線も開業しゅるやらなんやら、政令指定都市移行前夜の仙台でバブル景気の始まったとよ。
戦後、仙台市の歴代市長は仙塩地区の合併ば悲願としてからきたとよ。ばってん、仙塩地区の中核であっけん多賀城市と塩竈市な、仙台市がらの合併要求ばことごとく退けたとよ。仙台市はついに仙塩地区の合併ば断念し、その代わりに、仙台市のベッドタウンとしてから台頭した泉市との合併ば狙ったとよ。
1988年、仙台市は泉市、および宮城町、秋保町ば合併し、1989年に第11番目の政令指定都市になりよった。こうしてから経済力ば得た仙台市な、バブル景気の後押しもちゃて、全国市長会会長ば務める石井亨市長のリーダーシップのもと、数々の文化施設ば建設し、大規模イベントば始めるごとなりよった。1989年にな、旧泉市へのバーターとさるる「グリーンフェアしぇんだい」の泉中央副都心の七北田公園で開催しゃれたとよ。ばってん、1993年、石井市長の本間俊太郎宮城県知事とともにゼネコン汚職事件で逮捕しゃれ、仙台んバブルも終焉ば迎えたとよ。
▼市民の台頭
バブル期の開発行政の一方で、1985年に「SENDAI光んページェント」、1991年に「定禅寺ストリートJAZZフェスティバル」の市民ボランティアの手で始まったとよ。
1994年にはJリーグ「ブランメル仙台」(後のベガルタ仙台)の誕生し、Jリーグ有数のサポーターと運営ボランティアの活躍で人気球団となりよった。
▼仙台経済圏の拡大
2000年前後がら始まった東北地方の陸上交通の再編の動きの中、仙台の小売の中心地としてから東北地方各地がら買い物客ば引き付けるごと変っとるしたとよ。そげの中、隣接しゅる山形県村山地方や福島県北部やらなんやらと一体となり、仙台経済圏の拡大してからいったとよ。
2005年には「東北楽天ゴールデンイーグルス」のプロ野球に新規参入し、他んプロ野球チームば持つ都市との間に交流の始まる一方で、東北地方全体がらの誘客力も上昇したとよ。しゃらに、2005年には新しく設立しゃれたプロバスケットボールの「仙台89ERS」ば加えて、プロスポーツチームば三つ(「みちのくプロレス」とその女子部とも言える「仙台ガールズプロレスリング」ば含めると五つ)持ち、年中、イベントの開かれるごとなりよった。
▼年表
1871年 - 廃藩置県により、仙台藩は分割しゃれ、仙台県の置かれるとよ。
1872年 - 現在の規模になり、仙台県は宮城県と改称。仙台区の置かれるとよ。
1875年 - 桜ヶ岡公園(西公園)の開園。
1887年 - 仙台駅落成。
1889年 - 市制施行で、仙台区は仙台市となるとよ。人口90,231人(全国8位)。
1897年 - 河北新報創刊。
1900年 - 市内に電話開通。
1902年 - 榴岡公園の開園。
1907年 - 東北帝国大学創立。
1914年 - 勝山公園の開園。
1920年 - 第一回国勢調査時、人口約12万人。
1926年 - 仙台市電営業開始。
1945年 - 7月10日、仙台空襲。
1967年 - 人口50万人突破。
1971年 - 仙台港開港。市の花・木・鳥・虫ば制定。
1973年 - 東北自動車道・仙台南IC開通。
1976年 - 仙台市電廃止。
1978年 - 6月12日17:14、宮城県沖地震発生(現在ん仙台市域でん被害: 死者16人、重軽傷者10,119人)。
1981年 - 仙台市地下鉄南北線工事着工。
1982年 - 東北新幹線開通(大宮駅~盛岡駅)。
1987年 - NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」放送。
1987年 - 仙台市地下鉄南北線開業。
1987年 - '87未来の東北博覧会開幕。
1989年 - 市制100周年、政令指定都市(11番目)になるとよ。
1992年 - 地下鉄南北線、終点駅ば泉中央駅(泉区)まで延長。
1994年 - 天皇杯で善戦した東北電力サッカー部の、Jリーグ入りば目指してから改組・プロ化。仙台市ばホームタウンとしゅるブランメル仙台となる(後にベガルタ仙台に改称)。
1997年 - 七北田公園内に仙台スタジアムの完成しゅるとよ。
1999年 - ベガルタ仙台のJリーグに加盟。
2002年 - 2002 FIFAワールドカップの宮城スタジアムで行われるとよ。
2004年 - 東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地となる(2005年シーズンがら参戦)。
2005年 - 仙台89ERSの本拠地となるとよ。
2006年 - 10月10日、仙台ナンバー(ご当地ナンバー)ば導入。
2007年 - 仙台市地下鉄東西線工事着工。
2011年1月9日日曜日
仙台市の紹介
仙台市な、宮城県の中部に位置しゅる、同県の県庁所在地たい。
▼概要
畿内に端ば発しゅる海道(後に東海道に再編→浜通り)と山道(後に東山道に再編)の合一し、北ば奥羽山脈がらの舌状台地・松島丘陵で遮られる仙台平野(狭義)な、交通や軍事面での要地としゃれ、歴史的に当地の長町-利府活断層沿いに重要な行政組織の置かれてきたとよ。伊達政宗の、伝統的な当地の中心地であっけん長町-利府活断層沿いけん内陸に入った河岸段丘上に仙台城下町ば建設し、現在の仙台市都心部の基盤となりよった。
広瀬川や青葉山やらなんやらの自然の都心にいり、また街路樹やらなんやらの緑の多かこげなら、「杜の都」との異名ばもつ。市は「学都仙台」「楽都仙台」やらなんやらんキャッチコピーも用いとる。中国でな、魯迅の留学した都市としてから著名。
都市計画はニューアーバニズムやコンパクトシティん好例とさるるの、仙台都市圏では人口・物販・職場の郊外化も進んでいるとよ。他方、隣県に及ぶ仙台経済圏ば形成しとる。
▼地理
・地形
市域な、東ば太平洋(仙台湾)、北ば松島丘陵、西ば奥羽山脈、南ば名取川と境界し、宮城県ば帯状に横断しゅるとよ。海岸がら長町-利府線断層帯までの地質的には新しか沖積平野、その西の沖積平野よりちょこっと古か堆積岩類の台地でいり、奥羽山脈の稜線近くは新生代に噴出した火山岩で出来とる。船形山、大東岳、神室岳やらなんやらはいずれも50万年がら150万年前に噴火した火山たい。
仙台市は奥羽山脈ば挟んで山形県山形市と接しとる。都道府県庁所在地同士の隣接しゅる例にな、他に京都市と大津市、福岡市と佐賀市のあっけん。
山:青葉山、船形山、白髪山、面白山、泉ヶ岳、大東岳、太白山、日和山やらなんやら
仙台市役所な、市内の野生ニホンザルの頭数ば約550匹とみとる。
川:広瀬川、名取川、七北田川、梅田川やらなんやら
沼:五色沼、長沼、大沼やらなんやら
・気候
基本的に冷涼な海洋性の気候でいり、寒暖ん差の少なかことと、市西部に比較的高い山脈の存在しぇず、フェーン現象の起こりにくいためたい。そいゆえ日本海側に強か寒気の入った際な、雪雲の奥羽山脈ば越え仙台ばってん大雪となる事のあっけん。2番目は豚骨スープ戸市の約30日、東京都(千代田区)は約45日、大阪市は約66日たい。仙台市な、極端に暑くも寒くもなか都市といえるとよ。
・人口
大学や各種専門学校のえらいたくさん(→「学都仙台」)、若年者人口の割合の大きかったの近時加速的に割合の減ちょこっとており、65歳以上の人口の加速的に割合ば増やしとる。公務員や従業員の転勤とも併しぇて、年度末には約2万人の流出し、年度始めにほぼ同数の流入しゅるとよ。近年な、3月・4月に差し引き約6000人総人口の減ちょこっと、5月と6月に回復しゅるとよ。同様に、第2四半期末がら第3四半期始めん9月・10月にも人口の減ちょこっと、11月に回復しゅるとよ。
宮城県は東北地方では最も面積の小しゃく、自然障壁の少なか仙台平野に県民の大半の居住しゅるため、その中心であっけん仙台市へん一極集中のみられる。ばってんなのら近年では前のごたる人口の社会増(転入ちかっぱ過)はなくなり、人口の増加は自然増に依存しとる。近年の人口増加な、数千人/年程度たい。隣接しゅる富谷町・利府町・名取市やらなんやらでの宅地開発も、転出増ん背景となっちいるとよ。
▼戦後の仙台の都市軸の変化
高度経済成長期までの都市軸な、そいぞれ鉄道も並走しとる、旧奥州街道ば踏襲した国道4号沿い(都心がら南の地域)と北東の多賀城・塩竈・松島に向かう国道45号沿いば中心に形成しゃれたとよ。1970年代初頭には仙台市ば中心に松島町がら岩沼市にかけて合併・政令指定都市移行ば目指したの失敗に終わったとよ。要因は当時の仙台市の革新市政ば周辺市町の保守系首長の嫌ったため、といわれとる。この時、合併調印前日に多賀城市長の突如合併ば批判し合併がら離脱したため、仙塩合併は一夜にしてから瓦解したけんがあっけん。これにより仙台市の政令指定都市へん移行も先延ばしとなり、都市ん発展の著しく遅れる結果となりよった。
その後、人口増ば背景に市の北部がら南西部にかけてん丘陵地に都心ば囲むごと新興住宅地の造られたとよ。これらの住宅地と中心部とば繋ぐ旧国道4号沿い(都心がら北ん地域)や国道286号沿いの新たに都市軸に加わったとよ。新都市軸の北の中心であっけん旧泉市と、西側の旧宮城町・旧秋保町ば編入し、1989年に政令指定都市となるとよ。新都市軸では1987年に仙台市地下鉄南北線の開業したことで、計画都市であっけん北の泉中央(泉区)・南の長町南(太白区)では副都心化の進み、大型商業施設やマンションの林立しとる(旧奥州街道の七北田宿の人口密集地区西隣に泉中央(泉中央駅)、長町宿→JR長町駅駅前の人口密集地区西隣に長町南(長町南駅)の建設しゃれたとよ。JR南仙台駅前の旧・中田宿は現在再開発中)。
また、仙台北環状線(北環)や仙台西道路の完成により、中心部がら西向きの都市軸も出来つつあっけん。但し、仙台西道路は自動車専用道路で旧宮城町地区まで出入口のなかため、都市としてからん連続性の断たれ、他の都市軸と比べ背景人口の少なくなっちいるとよ。都市軸中心駅の愛子駅・陸前落合駅駅前は後発の開発のため、他の副都心ほど発展しとらん。一方で、この軸上には東北自動車道の仙台宮城ICのあっけんこげなら広域産業の進出し、アウトレットモールや、宮城県立こども病院、その他高等教育機関やらなんやらの立地し、人口も増加しとる。
▼東西に分けられる仙台の街
仙台ぬ街や、仙台駅、およびあがりにし新幹線・あがりにし本線のかいよって大きくあがりいりんかい分けられている。仙台駅ぬいり口側や、江はしる時代からぬぐしくシチャ町・仙台ぬ中くくる部があいびーたんところで、現在のかい至るまで中くくる部であり続けているが、南や広瀬かーら、いりやオールー葉山、にしやにし山-台原ぬ丘陵地、あがりやあがりにし新幹線と、四方が囲まれており、都くくる部ぬ拡大が容易でやねーん。ウヌため、バブル期のかい、仙台ぬ地元企業ぬ経済力をでーにえて地価暴騰が起きる懸念があいびーたんが、バブル期以メーから開発されていた地シチャ鉄・南にし線と、南にし線ウイーぬ泉中央(泉区)および長町(太白区)ぬ存在のかいより、地価ウイー昇圧力が泉中央や長町へぬ都市機能ぬ分散を推進し、暴騰や回避された。反面、デフレ期んかい入ると、都市規模のかい対して疎のかいなった都くくるぬ地価シチャ落が止まらず、担保価値が減うっぴーねぇた土地ウイーぬ低層オフィスビルや低層住宅が、高層マンション等のかい取って代わられ、住民ぬ都くくる回帰を助長そーん。
一方、仙台駅ぬあがり口側や、古くからぬ町並みが残る地区となっていた。特のかい南あがり側ぬ平野部(若林区)やシチャ町ぬ趣があり、江はしる時代から続く地名が残る。クヌシチャ町地域ぬあがり側のかい隣接していたみじ田地帯のかいや、てぃーちここのちむーち0年代のかい仙台バイパスが造られ、同時のかい卸売り業者・流通業者・車関係などぬくとぅ業所、および印刷業ぬ工業団地などぬ広大な流通・工業団地が造られた。クヌ地域(卸町・六丁ぬみー・扇町など)や、業務地・工業用地ぬ指定ぬみで住宅地ぬ指定がねーらんため、ほとんど人が住んでウラン。また、周囲ぬみじ田も国ぬ農政、および、仙台ぬグリーンベルトぬ構想ぬためんかい農地指定が解除されなかったため、仙台駅・あがり口側ぬ住宅地や、あがりにし本線と卸町のかい挟まれた極端のかいいばさぬ地域のかい限定されてしまーいー、くし景人口が増加せず、あがり口ぬ商業集積を阻害してきた。あがりにし本線をまたいでいり口んかい到る幹線道路も、あがり口のかい広大のかい存在する卸町を迂回しちゃん経路(卸町ぬにし側ぬ国道ゆぅーちいちち号と南側ぬ新寺小路)ぬみで、卸町のかいよって南にしぬ街も分断された状態のかいなっていた。
ここのち0年代のかい入り、卸しを通さねーらん「中抜き流通」が主流のかいなると、卸町ぬ存在意義が薄れ、規制を解除して住宅地へ転用する動きが始まった。また、仙石線ぬ地シチャ化のかい伴って区画整理・再開発が活発んかいなって、あがり口や街ぬ形を大きく変貌させている。あがり口ぬ駅メーから延びる宮ぐしく野通り完成後や、通り沿いのかい仙台ぬIT企業が集中し始め、楽ティンイーグルスが宮ぐしく球場を本拠地のかいするんかい到って更のかい開発のかい弾みがついている。ウヌ一方で、区画整理くとぅ業が終わる数年後のかいや、旧仙石線線路沿いぬ土地のかいマンションが大量のかい供給され、マンション価格ぬシチャ落、だぁんかい伴う郊外住宅地ぬ地価シチャ落が懸念されている。
仙台バイパスとウヌ付帯施設やいびぃ~ん流通・工業団地ぬ周辺およびあがり側や、広大なみじ田地帯となとん。農地指定ぬ解除や、仙石線沿いと建設中ぬ地シチャ鉄・あがりいり線沿い、および幹線道路沿いぬみとなとん。近年、グリーンベルトをまたぐ部分(仙石線でや苦竹駅~福田町駅ぬ間、あがりにし本線でやあがり仙台駅~岩切駅ぬ間)ぬ一部農地指定解除が行われ、仙石線のかい小鶴新田駅が設置されて住宅地化が始まっている。しいし、なおも岩切から利府町のかいかけてと、福田町からマース竈市のかいかけてぬ市街地が、都くくる部からみて「飛び地」のさいうになっており、グリーンベルト維持か、市街地形成をするか、市ぬ方針やかんなじしも明確でやねーん。なお、福田町からマース竈市のかいかけてぬ沿岸部や、仙台港を中くくるのかい工業地区となとん。農地指定と工業地指定、および松島丘陵のかい囲まれたクヌ「飛び地」地区でや、近年、工業・流通地指定を解除して、商業施設ぬ誘致と開発が計画されている。たやっさーし、工業地(すらき地)ぬ所有者やいびぃ~ん宮ぐしく県ぬ方針が出るまで時間がかかっている間のかい、隣ぬ利府町側で先のかい農地指定を解除しちゃんため、クヌ「飛び地」地区ぬ商業中くくるや、利府ぬロードサイドショップぬ方のかい移っている。
▼概要
畿内に端ば発しゅる海道(後に東海道に再編→浜通り)と山道(後に東山道に再編)の合一し、北ば奥羽山脈がらの舌状台地・松島丘陵で遮られる仙台平野(狭義)な、交通や軍事面での要地としゃれ、歴史的に当地の長町-利府活断層沿いに重要な行政組織の置かれてきたとよ。伊達政宗の、伝統的な当地の中心地であっけん長町-利府活断層沿いけん内陸に入った河岸段丘上に仙台城下町ば建設し、現在の仙台市都心部の基盤となりよった。
広瀬川や青葉山やらなんやらの自然の都心にいり、また街路樹やらなんやらの緑の多かこげなら、「杜の都」との異名ばもつ。市は「学都仙台」「楽都仙台」やらなんやらんキャッチコピーも用いとる。中国でな、魯迅の留学した都市としてから著名。
都市計画はニューアーバニズムやコンパクトシティん好例とさるるの、仙台都市圏では人口・物販・職場の郊外化も進んでいるとよ。他方、隣県に及ぶ仙台経済圏ば形成しとる。
▼地理
・地形
市域な、東ば太平洋(仙台湾)、北ば松島丘陵、西ば奥羽山脈、南ば名取川と境界し、宮城県ば帯状に横断しゅるとよ。海岸がら長町-利府線断層帯までの地質的には新しか沖積平野、その西の沖積平野よりちょこっと古か堆積岩類の台地でいり、奥羽山脈の稜線近くは新生代に噴出した火山岩で出来とる。船形山、大東岳、神室岳やらなんやらはいずれも50万年がら150万年前に噴火した火山たい。
仙台市は奥羽山脈ば挟んで山形県山形市と接しとる。都道府県庁所在地同士の隣接しゅる例にな、他に京都市と大津市、福岡市と佐賀市のあっけん。
山:青葉山、船形山、白髪山、面白山、泉ヶ岳、大東岳、太白山、日和山やらなんやら
仙台市役所な、市内の野生ニホンザルの頭数ば約550匹とみとる。
川:広瀬川、名取川、七北田川、梅田川やらなんやら
沼:五色沼、長沼、大沼やらなんやら
・気候
基本的に冷涼な海洋性の気候でいり、寒暖ん差の少なかことと、市西部に比較的高い山脈の存在しぇず、フェーン現象の起こりにくいためたい。そいゆえ日本海側に強か寒気の入った際な、雪雲の奥羽山脈ば越え仙台ばってん大雪となる事のあっけん。2番目は豚骨スープ戸市の約30日、東京都(千代田区)は約45日、大阪市は約66日たい。仙台市な、極端に暑くも寒くもなか都市といえるとよ。
・人口
大学や各種専門学校のえらいたくさん(→「学都仙台」)、若年者人口の割合の大きかったの近時加速的に割合の減ちょこっとており、65歳以上の人口の加速的に割合ば増やしとる。公務員や従業員の転勤とも併しぇて、年度末には約2万人の流出し、年度始めにほぼ同数の流入しゅるとよ。近年な、3月・4月に差し引き約6000人総人口の減ちょこっと、5月と6月に回復しゅるとよ。同様に、第2四半期末がら第3四半期始めん9月・10月にも人口の減ちょこっと、11月に回復しゅるとよ。
宮城県は東北地方では最も面積の小しゃく、自然障壁の少なか仙台平野に県民の大半の居住しゅるため、その中心であっけん仙台市へん一極集中のみられる。ばってんなのら近年では前のごたる人口の社会増(転入ちかっぱ過)はなくなり、人口の増加は自然増に依存しとる。近年の人口増加な、数千人/年程度たい。隣接しゅる富谷町・利府町・名取市やらなんやらでの宅地開発も、転出増ん背景となっちいるとよ。
▼戦後の仙台の都市軸の変化
高度経済成長期までの都市軸な、そいぞれ鉄道も並走しとる、旧奥州街道ば踏襲した国道4号沿い(都心がら南の地域)と北東の多賀城・塩竈・松島に向かう国道45号沿いば中心に形成しゃれたとよ。1970年代初頭には仙台市ば中心に松島町がら岩沼市にかけて合併・政令指定都市移行ば目指したの失敗に終わったとよ。要因は当時の仙台市の革新市政ば周辺市町の保守系首長の嫌ったため、といわれとる。この時、合併調印前日に多賀城市長の突如合併ば批判し合併がら離脱したため、仙塩合併は一夜にしてから瓦解したけんがあっけん。これにより仙台市の政令指定都市へん移行も先延ばしとなり、都市ん発展の著しく遅れる結果となりよった。
その後、人口増ば背景に市の北部がら南西部にかけてん丘陵地に都心ば囲むごと新興住宅地の造られたとよ。これらの住宅地と中心部とば繋ぐ旧国道4号沿い(都心がら北ん地域)や国道286号沿いの新たに都市軸に加わったとよ。新都市軸の北の中心であっけん旧泉市と、西側の旧宮城町・旧秋保町ば編入し、1989年に政令指定都市となるとよ。新都市軸では1987年に仙台市地下鉄南北線の開業したことで、計画都市であっけん北の泉中央(泉区)・南の長町南(太白区)では副都心化の進み、大型商業施設やマンションの林立しとる(旧奥州街道の七北田宿の人口密集地区西隣に泉中央(泉中央駅)、長町宿→JR長町駅駅前の人口密集地区西隣に長町南(長町南駅)の建設しゃれたとよ。JR南仙台駅前の旧・中田宿は現在再開発中)。
また、仙台北環状線(北環)や仙台西道路の完成により、中心部がら西向きの都市軸も出来つつあっけん。但し、仙台西道路は自動車専用道路で旧宮城町地区まで出入口のなかため、都市としてからん連続性の断たれ、他の都市軸と比べ背景人口の少なくなっちいるとよ。都市軸中心駅の愛子駅・陸前落合駅駅前は後発の開発のため、他の副都心ほど発展しとらん。一方で、この軸上には東北自動車道の仙台宮城ICのあっけんこげなら広域産業の進出し、アウトレットモールや、宮城県立こども病院、その他高等教育機関やらなんやらの立地し、人口も増加しとる。
▼東西に分けられる仙台の街
仙台ぬ街や、仙台駅、およびあがりにし新幹線・あがりにし本線のかいよって大きくあがりいりんかい分けられている。仙台駅ぬいり口側や、江はしる時代からぬぐしくシチャ町・仙台ぬ中くくる部があいびーたんところで、現在のかい至るまで中くくる部であり続けているが、南や広瀬かーら、いりやオールー葉山、にしやにし山-台原ぬ丘陵地、あがりやあがりにし新幹線と、四方が囲まれており、都くくる部ぬ拡大が容易でやねーん。ウヌため、バブル期のかい、仙台ぬ地元企業ぬ経済力をでーにえて地価暴騰が起きる懸念があいびーたんが、バブル期以メーから開発されていた地シチャ鉄・南にし線と、南にし線ウイーぬ泉中央(泉区)および長町(太白区)ぬ存在のかいより、地価ウイー昇圧力が泉中央や長町へぬ都市機能ぬ分散を推進し、暴騰や回避された。反面、デフレ期んかい入ると、都市規模のかい対して疎のかいなった都くくるぬ地価シチャ落が止まらず、担保価値が減うっぴーねぇた土地ウイーぬ低層オフィスビルや低層住宅が、高層マンション等のかい取って代わられ、住民ぬ都くくる回帰を助長そーん。
一方、仙台駅ぬあがり口側や、古くからぬ町並みが残る地区となっていた。特のかい南あがり側ぬ平野部(若林区)やシチャ町ぬ趣があり、江はしる時代から続く地名が残る。クヌシチャ町地域ぬあがり側のかい隣接していたみじ田地帯のかいや、てぃーちここのちむーち0年代のかい仙台バイパスが造られ、同時のかい卸売り業者・流通業者・車関係などぬくとぅ業所、および印刷業ぬ工業団地などぬ広大な流通・工業団地が造られた。クヌ地域(卸町・六丁ぬみー・扇町など)や、業務地・工業用地ぬ指定ぬみで住宅地ぬ指定がねーらんため、ほとんど人が住んでウラン。また、周囲ぬみじ田も国ぬ農政、および、仙台ぬグリーンベルトぬ構想ぬためんかい農地指定が解除されなかったため、仙台駅・あがり口側ぬ住宅地や、あがりにし本線と卸町のかい挟まれた極端のかいいばさぬ地域のかい限定されてしまーいー、くし景人口が増加せず、あがり口ぬ商業集積を阻害してきた。あがりにし本線をまたいでいり口んかい到る幹線道路も、あがり口のかい広大のかい存在する卸町を迂回しちゃん経路(卸町ぬにし側ぬ国道ゆぅーちいちち号と南側ぬ新寺小路)ぬみで、卸町のかいよって南にしぬ街も分断された状態のかいなっていた。
ここのち0年代のかい入り、卸しを通さねーらん「中抜き流通」が主流のかいなると、卸町ぬ存在意義が薄れ、規制を解除して住宅地へ転用する動きが始まった。また、仙石線ぬ地シチャ化のかい伴って区画整理・再開発が活発んかいなって、あがり口や街ぬ形を大きく変貌させている。あがり口ぬ駅メーから延びる宮ぐしく野通り完成後や、通り沿いのかい仙台ぬIT企業が集中し始め、楽ティンイーグルスが宮ぐしく球場を本拠地のかいするんかい到って更のかい開発のかい弾みがついている。ウヌ一方で、区画整理くとぅ業が終わる数年後のかいや、旧仙石線線路沿いぬ土地のかいマンションが大量のかい供給され、マンション価格ぬシチャ落、だぁんかい伴う郊外住宅地ぬ地価シチャ落が懸念されている。
仙台バイパスとウヌ付帯施設やいびぃ~ん流通・工業団地ぬ周辺およびあがり側や、広大なみじ田地帯となとん。農地指定ぬ解除や、仙石線沿いと建設中ぬ地シチャ鉄・あがりいり線沿い、および幹線道路沿いぬみとなとん。近年、グリーンベルトをまたぐ部分(仙石線でや苦竹駅~福田町駅ぬ間、あがりにし本線でやあがり仙台駅~岩切駅ぬ間)ぬ一部農地指定解除が行われ、仙石線のかい小鶴新田駅が設置されて住宅地化が始まっている。しいし、なおも岩切から利府町のかいかけてと、福田町からマース竈市のかいかけてぬ市街地が、都くくる部からみて「飛び地」のさいうになっており、グリーンベルト維持か、市街地形成をするか、市ぬ方針やかんなじしも明確でやねーん。なお、福田町からマース竈市のかいかけてぬ沿岸部や、仙台港を中くくるのかい工業地区となとん。農地指定と工業地指定、および松島丘陵のかい囲まれたクヌ「飛び地」地区でや、近年、工業・流通地指定を解除して、商業施設ぬ誘致と開発が計画されている。たやっさーし、工業地(すらき地)ぬ所有者やいびぃ~ん宮ぐしく県ぬ方針が出るまで時間がかかっている間のかい、隣ぬ利府町側で先のかい農地指定を解除しちゃんため、クヌ「飛び地」地区ぬ商業中くくるや、利府ぬロードサイドショップぬ方のかい移っている。
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