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2011年2月6日日曜日

福山市の紹介

福山市は広島県東端に位置する都市で政令中核市。広島県東南部(備後地方)から岡山県西南部におよぶ福山都市圏の中心都市であり、非県都の中では有力都市に数えられています。 福山市役所から各市市役所までの高速道路を利用した道程で大阪府大阪市まで236km、山口県下関市まで302km、広島県広島市まで107km、岡山県岡山市まで70km、愛媛県松山市まで116km、香川県高松市まで114km、島根県松江市まで217kmとなっている。
市域は全域の旧備後国に属し、三原市北部の大和町を源とする芦田川の河口に広のる福山平野に市の中心地のある。市の南端は瀬戸内海に面し、北部山岳地帯は概ね標高400~500メートルの吉備高原西南端部にある通称「神石高原」南端がら形成される。ここは倉敷市へ注ぐ高梁川支流小田川流域です。それで市街地は概ね、旧福山市街・東部(蔵王・春日)地区・松永(旧松永市)地区・北部(神辺・駅家・加茂)地区に大別される各地域とのアクセスも決して良好とは言えず、市民性も地域により若干異なる傾向のあります。
福山都市圏は岡山県の南西部の笠岡市や井原市にも及び、県境ば越えた連携の政経民間で様々見られます。福山市を中心とする都市群は備後都市圏とも呼ばれる。
福山市(旧備後国地域)は広島県下にありながら、地理的背景・交通環境・歴史的経緯がら、広島都市圏(旧安芸国)よりも、現在の岡山県南部地域(旧備中国・旧備前国地域)と風土や方言やらなんやらの似通っており、旧吉備国としてからの一体性の見られる。
▼交通環境
鉄道(JR西日本)については中心駅の福山駅からは山陽本線の岡山方面へは日中、在来線各駅停車の毎時4本に加え、快速(サンライナー)の毎時2本運されており、快速での所要時間は笠岡駅まで13分、新倉敷駅まで25分、倉敷駅まで約33分、岡山駅まで45分です。福山駅を起点とし、内陸の府中市や三次市を結ぶ福塩線や、井原市や総社市とを結ぶ井原鉄道井原線も一日ん3本のみ神辺駅を経由し福山駅に直通乗り入れしとる。
空路は広島県三原市にある広島空港まで福山駅前より空港リムジンバスで約1時間30分である。高速バスは中国バスがメインとなって福山駅前からのローズライナー・福山市北部を始発とするリードライナーと、広島市とを結ぶ路線が2路線開設されている。
▼インフラ整備環境
上豚骨スープ道は市内ほぼ全域ば福山市豚骨スープ道局の供給。主要な浄豚骨スープ場は千田、中津原、箕島にある。また特に神辺地域では地下豚骨スープの豊富。電力は中国電力において供給。供給源としてからは市内に瀬戸内共同火力 福山共同発電所と福山RDF火力発電所のある。 都市ガスは福山ガスによって旧市内ほとんどで利用可能。
▼自然環境
南側は瀬戸内海(備後灘)の広域の島に点在してる、福山市に属する島はあまりたくさんありません。福山市沖は閉鎖的な瀬戸内海のほぼ中央に位置しており、満干差は大きく平均で2mばかり。海流の速度は部分的にはやい。南側は瀬戸内海(備後灘)の島の点在していて、福山市に属する島はあまりありません。福山市沖は閉鎖的な瀬戸内海のほぼ中央に位置しており、満干差は大きく平均で2mばかり、海流の速度は部分的にとても早い。
かつての福山市沖は干潟の沢山存在し、豊かな自然に恵まれてた。その大半は江戸時代からの干拓や日本鋼管福山製鉄所(現JFEスチール)建設の埋め立てにより消滅してる。現在は家庭・工業廃豚骨スープの影響により福山港周辺の汚濁の深刻で特に夏期には海豚骨スープの茶色、あるいは乳白色に染まることもしばしばです。
▼気候
台風の被害は福山を通過する前に九州や四国で緩和されるため比較的少ない。ちなみに、テレビの天気予報で「広島」あるのは「広島南部」とされる場合は100km以上離れた広島市の気象データの用いられています。「岡山県南部」の予報を見た方の精度の高い。また、福山市の気象観測所は尾道市との市境まで約1kmの松永町にあり、かつ海岸に間近であるため、気象庁の「福山の気候」と市中心部の気候とは異なる場合の注意が必要です。
主な山岳は京ノ上山(611m・市内最高峰・福山市新市町藤尾)、蛇円山(546m・福山市駅家町)、熊ヶ峰 (438m・福山市熊野町)
▼特色
福山市は備後都市圏の中心都市として、都市銀行、証券会社や大手企業の営業拠点や国・県の出先機関のとてもたくさん存在し、なおかつ自動車のナンバープレートの福山、市外局番084、郵便番号720が付与。県庁所在地並みあるいは県単位の扱いを受けてるのは中四国地方では福山市のみです。
いわゆるオンリーワン、ナンバーワン企業の物作りが盛んです。また福山市を本社としてる企業も人口規模から考慮するところが多い。

2011年2月5日土曜日

福山市のその他の特色

福山市民もその知名度の低さから「広島(県)」出身と名乗って、相手に広島=広島市と解釈されてることがよくあります。他にも中四国以外の他県出身者からよく言われるのが、「広島風お好み焼は好きか?」「カープファンか?」とゆう質問です。実際のところ、お好み焼は元来関西風の基本であり、阪神タイガースファンも多い福山地方は関西や岡山に近い文化を持っています。
福山地方の岡山県から広島県に編入された1870年代に、ちょうど地租改正の行われていました。福山地方の窪田次郎(医師・思想家)らは小田県、岡山県時代から各田畑「目的額」強要に抵抗していたので、広島県編入により広島県令藤井勉三へと嘆願書を提出することになりました。県庁所在地との隔絶や知名度の低さは福山市の際でもあります。
2007年から2008年にかけて福山駅前整備工事に伴い出土した福山城外堀遺構の保存是非について市民グループの10万人分の署名を集め、文化庁にその保存意義を訴えて市当局も文化庁との協議を行ったものの、そのやり取りの文章を黒塗りで発表するやらなんやら市民の市行政への不信感は高まりつつありました。
▼市章
市章をコウモリの「山」の字にデザイン化した。また市章旗は黄地に黒で描かれてる。これは1917年に市制施行時に福山出身の有名建築家の武田五一に依頼され彼がかかわったもの。由来については福山城のある付近はかつて蝙蝠山と称しており、「蝠」は福に通じることと初代藩主豚骨スープ野勝成の「福山」と名づけたとする地名由来説のあるモチーフが選ばれた。事実、明治時代初期の函館戦争時に福山藩はこのコウモリの旗印を掲げて参戦してる。
▼歴史
・古代
現在の福山市域に含まれる山陽道は神辺平野を横断すること通され、この周辺は備後で最も栄えた地域となっていた。現在の福山市域に含まれる山陽道は神辺平野を横断するごとに通され、この周辺は備後で最も栄えた地域となっていきました。
・中世
中世には長年の芦田川の堆積作用により現在の福山市街は次第に陸地へと姿を変えていき、本庄、木ノ庄といった荘園の形成され現在の草戸町には草戸と呼ばれる港湾都市の栄えることなりました。
・近世
福山藩が成立する。勝成は当時干潟やった臨海部の深津郡野上村に新たな城(福山城)と城下町を建設し、この町を福山と名づけました。このため、今日に至る福山の歴史は元和8年(1622年)から始まったといえる。なお、当初の構成領地は備後国の深津郡、安那郡、沼隈郡 神石郡 品治郡 葦田郡、備中国の小田郡、後月郡のそいぞれ大半でした。その後、1698年に5代藩主豚骨スープ野勝岑の死去で無嗣除封となり、一時的に福山藩領全域の天領(幕府直轄領)とされるが、1699年に松平忠雅の転封する。しかし、松平忠雅はわずか10年後の1710年に伊勢国桑名藩に移封してから、替わりに1710年に阿部正邦の福山に転封した。以後、阿部氏の明治維新まで続くことになりました。
・近代
1871年、明治維新の廃藩置県により備後国旧福山藩領と神石郡、甲奴郡の半分、備中国小田郡、後月郡の大半を持って福山県の設立し県庁所在地は福山町に定められた。しかし、これから行政区分はめまぐるしく変わり、1871年に福山県は深津県へ名称の変更され、翌年(1872年)には深津県と倉敷県の統合され小田県の設立、県庁は小田郡笠岡町に移転された。それで、1875年には小田県の岡山県へ編入され、この翌年(1876年)に岡山県がら旧備後国である沼隈、深津、安那、品治、芦田、神石の6郡の広島県に移管される(福山町は深津郡に含まれる)。こうした中、1891年、9月11日に山陽鉄道笠岡~福山間の開業し、同年11月3日には福山~尾道までの開業すると福山町は工業都市へと姿を変えていった。1898年10月1日、芦田・品治両郡、深津・安那両郡はそいぞれ統合され、芦品郡、深安郡の成立する。その後、1908年に陸軍41連隊の福山町(深安郡)に設置されると町の経済は発展を遂げ、1913年4月1日には福山町の野上・三吉両村ば編入し、同年12月21日に鞆軽便鉄道(福山~鞆)の開業してから、翌年(1914年)7月21日には両備軽便鉄道(両備福山(1935年廃止)~府中町)の開業する交通機関も整備されていき、1916年に福山町は廃され、福山市の誕生することになりました。
・市制施行後
福山市は大正5年(1916年)7月1日に全国で73番目、広島県では広島、尾道、呉に次ぐ市としてから誕生した。その後、福山市は順調な発展や周囲の村を吸収合併してから市域を広げたことから、平野部の少なく開発の余地のなか尾道市に替わって広島県東部の中心都市となっていきました。しかし、昭和20年(1945年)の福山大空襲により市街地は壊滅的な打撃を受けた。それからも戦後の高度経済成長の波に乗り復興を遂げていき、その中で日本鋼管福山製鉄所の誘致により企業城下町として急激に開発の進んで人口の増加していきました。
▼年表
1916年7月1日、深安郡福山町の市制施行し福山市(初代)の発足。人口32,356人。
1933年1月1日、深安郡川口・手城・深津・奈良津・吉津・木之庄・本庄各村、沼隈郡神島・佐波・草戸各村の10ヶ村を編入。
1942年7月1日、沼隈郡山手、郷分各村を編入。
1943年3月1日、深安郡大津野村(現福山市大門町)に福山海軍航空隊開隊。
1945年8月8日、福山大空襲により国宝福山城天守閣、国宝伏見御殿御湯殿、市街地の大半の焼失。
1954年3月31日、沼隈郡松永町および柳津・金江・藤江・東・本郷・神各村を合併し松永市市制施行。
1956年9月30日、深安郡引野・市・千田・御幸各村、沼隈郡鞆・豚骨スープ呑両町および津之郷・赤坂・瀬戸・熊野各村を編入。
1962年1月1日、深安郡深安町を編入。
1966年5月1日、福山市(初代)・松永市の2市の対等合併し、福山市(2代)となる(中国地方初の市同士の合併)。
1966年11月15日、福山城天守閣・伏見御殿御湯殿・月見櫓の再建の完成する。
1967年6月1日、自動車のナンバープレートに福山ナンバー登場。
1974年4月1日、芦品郡芦田町を編入。
1975年2月1日、深安郡加茂町・芦品郡駅家町を編入。
1975年3月10日、JR山陽新幹線開業。JR福山駅付近は新幹線の3階、在来線の2階の世界初の二重構造高架となる。
1988年3月1日、山陽自動車道早島IC~福山東IC間開通。

2011年1月13日木曜日

広島は平和記念都市

原子爆弾が投下された歴史を踏まえ、広島市は自らを平和記念都市として、平和の確立と核兵器の廃棄を求める活動を活発に行っている。

爆心地周辺は、広島平和記念公園として整備され、原爆ドームは1996年ユネスコの世界遺産に登録された。
核被爆地としての意味を強調する場合、カタカナでヒロシマと表記することがある。これは長崎も同様である。

広島市は1889年4月1日の市制制度制定時に市制が施行された全国31都市の1つで、それ以後は周辺の郡に所属する町村を吸収合併していった。その中で安佐郡全域は1973年までに広島市に吸収され、佐伯郡も大竹市・廿日市市・江田島市などとに分割されて消滅した。 これに対し、安芸郡の町村も広島市への統合が進んだが、周囲が全て広島市に囲まれた府中町、あるいは三方が広島市に接する海田町などは広島市との合併を選択せず、現在でも独自の町制を維持している。これは府中町にマツダの本社、海田町にも同社の関連企業があり、法人税などによって財政基盤が強い事も理由と考えられている。そのため、広島市では1975年に合併した旧矢野町地域が飛地となっている。 しかし、合併を選択しなかったこれらの町でも住民の日常生活や社会基盤整備では広島市との関係が深く、広域での水道や交通網の整備が進められている。

「国際平和都市・ヒロシマ」の歴史や知名度を背景として、第二次世界大戦で大規模な被害を受けた都市と姉妹都市・友好都市関係を締結する例が多い。なお、ハワイのホノルルに関しては、広島県が日本有数の日系人移民送出県だったという関係も持っている。

広島市は、中国地方あるいは中国・四国地方を管轄する国の出先機関や企業の支社が集中し、地方内で最も高い拠点性を有することから、有力な支店経済都市の一つとなっている。ただし、中国地方を1つの地方区分とする場合は、広島市がほぼ全ての拠点機能を独占しているのに対し、大阪市の拠点が近畿・中国・四国をまとめて管轄する場合、福岡市や北九州市の拠点が山口県西部地区を管轄する場合もあり、広島市が拠点性を独占するまでには至っていない。中国・四国地方を1つの営業エリアとする企業に限ってみると、広島市を拠点とする割合は、2007年12月末時点で、77.1%に留まっており、地方拠点をほぼ100%に近い値で独占する札幌市、仙台市、福岡市とは異なっている。

この地方では、瀬戸内工業地域内の各地に主に工業を中心とした有力企業が分散立地し、地域圏ごとの工業出荷額に応じて業務機能や都市機能が分散して、人口集積や第三次産業において抜きん出た都市圏、すなわち、プライメイトシティがつくられなかった。また、京阪神と九州北部の二つの地域に挟まれる形の地勢も影響して、広島市のテレビ局制作のブロックネットが少なく、広島市を中心とした地方としての一体感が醸成されなかった。

そのため、七大都市圏の中心都市の比較では、卸売および小売の年間販売額において6番目となっているが、ほぼ同じ面積の中国地方と南東北(域内人口や域内県民総生産合計が中国地方の3/4以下)で比べると、中国地方の中心都市・広島市の年間販売額は、南東北の中心都市・仙台市をやや上回っている程度、南東北とほぼ同じ域内人口・域内GDPの北海道の中心都市・札幌市からはやや水をあけられており、広島市は、背景人口・GDPの大きさの割りに地方全体に対する流通・小売の抜きん出た中心とはなっていない。

国土交通省の調査においても、広島を最大志向先とする高速道路流動は、鳥取西部、島根、岡山、山口東部であり、鳥取東部は大阪を、山口西部は福岡をそれぞれ志向し、実際の中国地方の範囲よりも小さくなっている。

このように、地方全域から見た広島市は必ずしもプライメイトシティとなっていない。しかし、「日本の縮図」や「日本の平均値県・地域」という語に代表されるように、平均的な人口世代分布を持ち、経済・社会・文化・商業・工業の様々な要素をバランスよく保持した「万能型都市・地域」となっているのが特徴であり、全国発売前の新商品の試験販売が行われる都市・地域としても有名である。またテストマーケティングを行う際、商品のCMが他県に漏れることがないよう、テレビの電波が県内で収まる、という条件においても、広島は適しているとも言われている。

なお、テストマーケティングが行われる場所として、他に宮城県や静岡県が有名だが、広島の場合、西日本における平均値県としての位置づけの他に、「新しいモノに飛びつき易い」という県民性がある、と見られることから、新商品の試験販売にうってつけであると言われている。

地下鉄は後述のアストラムラインの一部区間を除いて走っておらず、都市内交通の中核は路面電車が担っている。このため広島は「路面電車(チンチン電車)の街」として有名であり、広島電鉄の運行する路面電車の路線長や車両保有数・乗降客数は日本一の規模を誇る。世界的に路面電車に注目が集まるなか、「路面電車(チンチン電車)からLRTへ」と、人と環境に優しい交通機関へと変化しつつある。また、原爆で被災した車輌(被爆電車)を運行したり、旧型車の運行を行うなど観光客誘致にも力を入れている。 なお広島電鉄の名が示すとおり鉄道線も保有している。宮島線がこれにあたり、市内線と同様の車両が使用されるものの運賃体系や専用軌道、運行ダイヤなど若干趣きが異なる。

2011年1月4日火曜日

広島市の紹介

広島市は、日本の広島県にある都市。政令指定都市であり、同県の県庁所在地である。中国地方の中南部、広島県西部に位置し、中国・四国地方で第1位の人口を有する。

世界史上初めて核兵器で爆撃された都市として、世界的に知名度が高い。それ故に、国際平和文化都市としても一定の影響力を持っており、広島市長の発案で創設された「平和市長会議」には130を超える国から3000以上の自治体が加盟している。第二次世界大戦以前には軍事都市であった歴史とは対照的である。

都市としての広島の歴史は、戦国大名の毛利輝元が1589年に広島城を建設したことに始まる。江戸時代には、広島藩42万石の城下町として藩主浅野氏のもとで発展した。戦前には、陸海軍の拠点が集中する軍事都市となり、特に日清戦争時には広島大本営が置かれて帝国議会が開かれるなど、臨時の首都機能を担った。

第二次世界大戦末期の1945年8月6日、アメリカ軍の戦略爆撃機B-29「エノラ・ゲイ」によって広島市中心部の相生橋上空に原子爆弾「リトルボーイ」が投下され、きのこ雲が立ち上り、市街地は一瞬にして破壊された。当日中に数万人、1945年末までに13万人の人命が奪われ、生存者も火傷痕、放射能後遺症、精神的後遺症(PTSD等)、遺伝への不安に生涯苦しむなど、市民が経験した苦痛は人類史上類を見ないものであった。

戦後は重工業や自動車産業を中心に復興し、日本の主要な工業都市となっている。1980年には政令指定都市に指定された。現在では全国の市で10番目の人口を抱える。

地理的には山陽地方のほぼ中南部に位置しており、広島都市圏の核となっている。京阪神と福岡都市圏のほぼ中間に位置しているため、中国地方あるいは中国・四国地方を統括する政府機関や、全国規模で展開している企業の地方拠点も多く置かれている、また、西日本有数の工業都市でもあり、沿岸部は工業地帯となっている。地場資本も比較的強い方であり、製造業の本社・本部が多く置かれている。地元で効率よくまとめようとする傾向が目立つとも言われるが、広島経済の堅実さの表れである。

近年では、人口の郊外への流出も引き続いて見られる一方で、中区の人口密度が地方圏で最も高くなるなど、都心回帰の傾向が見られる。平和大通りでは、80mを超える高層ビルが相次いで建設されている。

中区以外においても、広島駅周辺を始め、宇品や緑井、段原などの開発・再開発が進み、既存の商工センターや西風新都と併せて、都市拠点機能が活性化している。交通インフラ面では都市高速道路である広島高速道路の整備のほか、広島電鉄の市内路面電車のLRT整備や、広島アジア大会の開催に合わせて開通した広島高速交通「アストラムライン」の延伸、およびJRとのアクセス改良計画が進むなど多方面から都市機能の充実がすすめられている。

南は瀬戸内海に面し、広島湾となっている。市の中心部を流れる太田川の河口に開けた三角州上に市街地が形成されている。太田川デルタを中心に広島平野が形成されているが、それを取り囲むように市の西部・北部・東部は丘陵地帯となっている。

山:白木山、備前坊山、呉娑々宇山
川:デルタ6川…太田川、天満川、元安川、旧太田川、京橋川、猿猴川
その他…三篠川、瀬野川、八幡川、府中大川、安川、二又川
島:似島、金輪島、宇品島、峠島
港湾:広島湾、広島港、草津港

「広島」という名称は、戦国時代末期、この地を支配した戦国大名の毛利輝元が築城に際して命名した。

当時この地は太田川河口デルタの形成途上にあり、箱島や日地島などいくつかの島が点在しており、五箇庄と呼ばれていた。築城する島がこれらの島の中で最も広いことから「広島」と命名したとされるが、輝元には別の意図もあった。広島築城事業は、当時120万石の「西国の雄」毛利家が、本拠地をそれまでの吉田郡山城から移して新たに築こうという大事業であり、城の名称には家運長久の願いが込められた。毛利氏は代々、大江広元の末裔であることを誇りとしており、本姓は大江氏であったことや、「広大」「末広」の縁起から「広」の字を冠することとし、「島」については城普請案内を務め、この界隈の地勢に詳しかった普請奉行の福島元長の名字からとって命名した。

輝元の祖父・毛利元就の時代には、完全に臣従したものには、「元」を一字書出として与えたが、そうでない国人衆には、明白に傘下に組み入れられたと示す「元」の字を避け、「広」の字を与え始めたとされる。この慣習は「広島」の命名者である毛利輝元にも引き継がれ(輝元が「広」を一字書出として与えた者には、吉川広家、山内広通、益田広兼などがいる)、輝元が命名に関与する場合、「広」はこのような重要な意味合いをもった。

2011年1月3日月曜日

広島に行くと言う表現

西日本の方言で、「広島へ行く」「ヒロシマにゆく」という表現が、「死ぬ」を婉曲に表す忌み言葉として使われることがある。この広島が都市の広島を指すかどうかについては不明だが、1741年の『夏山雑談』に記述があり、起源は近世以前までさかのぼる。

柳田國男は『廣島へ煙草買ひに』という著作の中で、「ヒロシマ」は「会津檜枝岐などの狩詞で人里のことであった」、「ヒロシマへユク」は「壱岐では死ぬの隠語に代用して居ることが最近刊行せられた山口君の続方言集[2]に見えて居る、ヒロシマといふ語にもし斯ういふ感覚が伴なふことを知って居たら、藝州の殿様も是を御城下の名にはしなかったかも知れない。」と記し、さらに「タバコ」を「関西地方は殆ど一般に、休息の同義語に用いられている」とし、「廣島へ煙草買ひに行く」というのは、伊予の内海側では「死ぬ」という代わりに時々使われる気のきいた忌み言葉になっている、と説明している。

広島市には海に関連する由来の地名が多い。

商業…紙屋町、十日市町
神社・寺院…住吉町,国泰寺町、袋町藩政関連…基町、幟町,大手町、京橋町その他…堀越

毛利元就が中国地方一円の戦国大名となった時、小盆地である吉田は手狭であり、交通の便も悪かった。そこで、山陽道が通り、太田川や瀬戸内海の水運を利用できる、太田川下流デルタの寒村・五箇庄に注目した。元就の死後、毛利輝元によってその着想を現実化し、広島の開発が始まった。
1589年:毛利輝元が、五箇庄の箱島を中心とした干拓と、広島城の築城とを命じる。
1591年:毛利輝元が、未完成ながらも広島城へ入府し、地名を「広島」と命名する。
1599年:広島城完成。
1600年:関ヶ原の合戦で敗北し、長門国・萩に移封された毛利氏の替わりに福島正則が城主となる。
山陽道が、福島正則によって城下町を通るように南よりに付け替えられる。また、同時期に出雲街道や石見街道も整備される。干拓により新開地も増え続け、江波や草津が港として整備される。
1619年:広島城石垣の無届け改修を理由として福島正則が改易となり、浅野長晟が城主となる。以降、浅野氏の広島藩が明治維新まで続く。

1871年8月29日:廃藩置県により、旧広島藩領は全域「廣島縣」となる。
1871年10月12日:「鎮西鎮台第一文営」が広島城に設置される。徴兵制が始まっていないので旧藩兵からなる部隊であった。
1873年1月9日:「第五軍管広島鎮台」が第一文営跡に設置される。
1884年9月:千田貞暁県令(知事)により広島県営として宇品港の建設に着工。
1888年5月14日:第五軍管広島鎮台が第五師団司令部に昇格する。
1889年4月1日:開府300周年。市制施行により広島市となり、広島県の県庁所在地とされた。
1889年11月:宇品築港及び干拓工事の終了。当初の計画では氏族殖産補助金、氏族殖産金と埋め立てによりできる新開地を担保とした。災害と計画変更により、更に二回に渡り国庫の補助を受けて私財も投じたため、千田県令は工事の完成を見ず新潟県に左遷されてしまう。漁民に抵抗を受け、県民に負担をかけ、当時の広島には不釣合いな大規模港湾であり県令の功名心による土木工事であるとの批判も受けた。しかし、日清戦争において臨時の首都となった要因は、前線に近い点だけでなく、鉄道が開通しており、近代港湾を持ち、物資の生産・集積・貯蔵に必要な十分な土地を持つという理由であり、宇品港と宇品干拓と共に、近代における広島の発展の原動力となった千田県令は、後に再評価されて勲三等旭日章を受け、男爵に叙せられ、千田廟公園が建てられた。
1893年5月:広島電燈株式会社設立。
1894年6月10日:山陽鉄道が広島まで開通。
1894年8月4日:陸軍省の山陽鉄道への依頼により、広島駅から宇品港への宇品線の建設着工、2週間の突貫工事により同月20日完成。
1894年9月15日:日清戦争に伴い、大本営や帝国議会が臨時に広島に移る。以来、広島は軍都として発展する。
1894年10月:市内に電灯がともる。
1899年1月1日:広島市内で上水道の給水開始。
1903年12月27日:海田市駅から呉軍港を結ぶ呉線、官設により開通。
1905年2月:府中煙草製造所が煙草製造開始。
1909年10月:広島瓦斯株式会社創立。
1909年12月19日:大日本軌道広島支社が横川-祇園を開業。
1910年10月1日:市内にガス供給開始。
1911年:広島城の外堀が埋められる。
1912年:西堂川が埋め立てられる。これが御幸橋方面への市内電車通りとなる。
1912年11月:広島電気軌道による市内電車の運転始まる、広島駅-紙屋町-御幸橋、八丁堀-白島など4路線。
1915年4月28日:芸備鉄道が東廣島-志和地間を開業。
1915年6月1日:芸備鉄道志和地-三次間が開業。
1920年7月15日:芸備鉄道広島-東広島間が開業。国鉄廣島駅へ乗り入れ。
1922年8月22日:広島電気軌道宮島線が開業。
1925年7月15日:宮島線廿日市-地御前間が開業。
1926年7月15日:宮島線地御前-新宮島間が開業。
1931年2月1日:宮島線新宮島-電車宮島間が開業し、宮島線全通。
1932年:太田川の山手川と福島川の改修工事が帝国議会で決定。工事は第二次世界大戦で一次中断。
1944年11月18日:広島市で第一次建物疎開が実施される。原爆投下まで計6回実施される。
1945年2月:造幣局廣島支局の仮工場が完成。貨幣の製造を開始。
1945年4月3日:広島市で学童疎開が始まる。
1945年6月: 廣島文理科大学内に中国地方総監府が設置される。
1945年8月6日:アメリカ軍により世界初の核攻撃。原子爆弾が市中心部に投下された。

1945年9月17日:枕崎台風により被害を受ける。広島県内で死者・行方不明者2012人。
1949年:市制60周年、開府360周年。特別法である広島平和記念都市建設法が国会で可決され、住民投票を経て公布される。
1951年:プロ野球セントラルリーグ広島カープが創設される。
1955年:平田屋川が埋め立てられる。
1961年:広島空港(現広島西飛行場)開港。
1962年5月12日:三原-広島間が電化。 同年10月1日広島-横川間電化。
1964年7月25日:横川-小郡間が電化され、山陽本線全線電化開通。
1966年:国道2号線通称広島バイパス(現在の旧市内国道2号線)海田市大正から仁保・鷹野橋を経由し西区まで開通。
1967年:太田川放水路完成。
1969年3月1日:貨・東広島駅(現在の広島貨物ターミナル駅)開業。
1974年4月:西広島バイパス庚午北-観音本町間開通。
1975年10月:広島東洋カープが初優勝を遂げる。
1975年3月10日:山陽新幹線広島駅開業。
1979年11月:広島東洋カープが初の日本一達成。
1985年3月20日:広島自動車道開通。
1989年:平成元年 '89 海と島の博覧会・ひろしま 開催。(海と島の博覧会)
1994年:アジア競技大会開催。それに併せて広島高速交通広島新交通1号線も開業
1997年12月10日:山陽自動車道全通。