浜松城記は、浜松城の起源と歴代の城主、および静岡県浜松市で行われる大凧揚げ行事、「浜松まつり」の起源を記した書物。ただし内容としては誤りが多く、現在では偽書であると見られている(以下本文では「城記」と略す)。
▼「浜松城記」の登場
城記」の初出は1926年、遠州地方の郷土研究誌「土のいろ」第2号に、鈴木肇という人物が掲載した「浜松凧揚起源考」である。「城記」の体裁は、酒井近江守真邑という人物が、元文4 (1739) 年に「徳川御秘書の内」として記したものとなっている。なお、奥付には「酒井近江守真邑」の花押が記されていることになっている。
「起源考」に引く「城記」は、浜松城の歴代の城主の在城期間(江戸時代は藩主としての在任期間)を記したものとなっており、その間に凧揚げに関する記述がされているだけの箇条書きの文書で、分量も活字に直してA4用紙1~2ページ程度である。浜松まつりの凧揚げに関する記述としては、飯尾豊前守(飯尾連龍 ?~1565)の長子義廣の誕生を祝い、入野村の住人佐橋甚五郎が義廣の名前を大書した大凧を揚げたことが起源であると記されている。また、堀尾帯刀・太田摂津守など、凧揚げを奨励したり凧揚げの風習を他所へ広めた城主の記述も見られる。
ちなみに「浜松城記」は、鈴木本人以外だれも見たことがなく、子孫もその所在を知らない。
▼「城記」の定着
「城記」が「土のいろ」に掲載されたころとほぼ同じく1926年「浜松市史 全」が刊行(成稿は1924年12月)され、ここにも「城記」が掲載された。恐らくほぼ同時期に鈴木から「城記」の文章を資料として提供されたものと考えられる。さらに1971年、当時の浜松市教育委員会が新たに「浜松市史」を編纂するに当たり、浜松市でもっとも大きな行事である浜松まつりを取り上げる際、「信憑するような文献に乏しいが」としながらも起源として「城記」を紹介、観光ガイドもこの記述を引用したことから、「浜松城記」は広く市民に知られるようになった。
なぜ「城記」の記述が採用されるに至ったかは現在では不明であるが、おそらく浜松まつりの起源を記した文章で最も古い時代のことが記されているのが、この「城記」だったからであろうと思われる。しかし、「市史」採用の際に適切な史料批判が行われたかという点についてははなはだ疑わしい。「起源考」において「筆者所蔵の浜松城記」と明記されているにもかかわらず、鈴木およびその子孫への資料確認も行われておらず、「城記」は孫引きの状態のまま「浜松市史」に掲載されており、検証はほとんど行われなかったものと思われる。
▼「城記」の検証
「土のいろ」の編集長だった飯尾哲爾は、昭和40年代に「遠州地方における凧揚げの歴史の再検討をしなければいけない」と述べ、「浜松城記」をはじめとする凧揚げに関する資料の再検討・集成を目指していたが、程なく他界。その間に山崎源一ら「飯尾豊前守説話」支持派の郷土史家や観光パンフレットの喧伝などにより、検証すらされていないはずの「浜松城記」が一人歩きをすることになる。
1986年から1987年にかけて、浜松の郷土史家、米田一夫・神谷昌志らが相次いで「城記」を疑問視した文章を発表する。まず、米田は浜松史跡調査顕彰会の会誌「遠江」第9号に「真説 佐橋甚五郎」を掲載、「城記」に疑問を投げかけた。また神谷も自著「はままつ歴史発見」の中で「城記」を批判。しかしこの当時は大きな話題とはならなかった。
この問題が大きく取りざたされたのは1998年以降である。浜松市中央図書館非常勤職員(当時)小楠和正が「城記」に対する疑義を新聞に掲載、同年、静岡大学教授小和田哲男に検証を依頼して「偽書の公算大」との回答を得た。さらに小楠は2001年に自らの調査結果を「検証・浜松凧揚げの起源と歴史」として刊行、話題となった。
神谷、米田、小楠らが指摘する主な問題点としては、次の点が挙げられる。
年号の矛盾(元亀6年・延宝15年などそれ以前に改元されたはずの年号がある)。 城主の在城・在任期間や浜松前後の任地の間違い(太田摂津守は実際には父の備中守資宗が三河西尾藩から浜松に国替えしており、国替えの順序が逆に記載されているなど4箇所)。小楠は浜松関連の古文書を調査した結果、浜松宿の脇本陣の古記録を幕末に集成した「糀屋文書」に同様の誤記が見られることから、「城記」は「糀屋文書」を使って仕立て上げられたものであろうと推測している。
▼浜松市の対応および浜松まつりとの関連について
浜松まつりを統括する「浜松まつり構成4団体」のうち、浜松市・および浜松観光コンベンションビューローでは、これら「城記」否定派の指摘に対して「『城記』にはロマンがあり、否定されるほどのものではない」と反論してきたが、小和田の検証の後より、起源の説明には「城記」の説明を「確かなことは分からない」と表記するようになり、現存する最古の資料として、国学者高林方朗の日記を挙げるようになった。しかし依然として「飯尾豊前守説話」が偽伝であることについては言及されないまま現在に至っており、「城記」による「起源」を信じている市民もいまだに多い。
なお、「城記」は浜松まつりの起源・根拠文書として信じられてきた経緯はあるが、この文書が登場した時期には「浜松まつり」という名称そのものがまだなかった時期で、また一般的に浜松城記が観光パンフレットなどに引用されるようになったのも戦後の話であり、浜松まつりの権威付けのためにでっち上げられた文書と言うわけではない(「浜松まつり」という表現の初出は昭和25年)。「濱松凧揚起源考」には飯尾豊前守を「飯尾学兄の先祖なりと思考す」と書かれていることから、「起源考」の筆者である鈴木肇は「土のいろ」編集長の飯尾哲爾に事寄せて「起源考」を発表したようである。上掲の通り、昭和40年代にはすでに「城記」が信頼に値する史料ではないことが考えられていたにもかかわらず、「城記」の疑問点が一般に知られなかったことに関して、昭和40年代以降の浜松まつりの変容(昭和42年の会場の移転・昭和49年以降の規模の拡大)との関連性も指摘されている。
■■■浜松町■■■
浜松町(はままつちょう)は東京都港区の地名。現在の住居表示では一丁目と二丁目がある。当地域の人口は、1,039人(2008年4月1日現在、住民基本台帳による。港区調べ)。
▼概要
港区北東部に位置し、JR山手線・JR京浜東北線・東京モノレール羽田線の浜松町駅、都営地下鉄浅草線・都営地下鉄大江戸線の大門駅がある。町域の大部分は浜松町駅・大門駅を中心としたビジネス街・商業地であり、ビル街の中にわずかに住宅が混在している。
▼歴史
慶長年間、芝増上寺の代官である奥住久右衛門が名主を務め、当地域が久右衛門町と呼ばれるようになる。
元禄9年(1696年)、遠州浜松出身の権兵衛が名主となり、町名が久右衛門町から芝浜松町に変更される。
明治元年(1868年)、東京府の成立にともない、当地域は東京府の所属となる。
明治5年(1872年)、周辺の武家地を併合し、町域を拡大する。
明治11年(1878年)、芝区の成立にともない、当地域は東京府芝区芝浜松町となる。
明治22年(1889年)、東京市の成立にともない、当地域は東京市芝区芝浜松町となる。
明治44年(1911年)、町名より「芝」の冠称が省かれ、芝区浜松町となる。
昭和7年(1932年)、周辺の神明町・芝新網町・湊町などを編入し、町域を拡大する。
昭和11年(1936年)、浜松町一丁目・二丁目の一部が海岸通一丁目となる。
昭和22年(1947年)、芝区が麻布区・赤坂区と合併して新たに港区が成立する。それにともない町名に再び「芝」の冠称がつき、東京都港区芝浜松町となる。
昭和47年(1972年)1月1日、住居表示の実施に伴い、芝浜松町は現在の浜松町・芝大門の一部となる。
2011年1月25日火曜日
2011年1月24日月曜日
町田市のその他について色々
三輪町及び三輪緑山以外の町田市内は相模原MA(市外局番:042-7)に属するため、神奈川県相模原市の大半のエリア(旧津久井町地区等を含む)や、遠く山梨県道志村月夜野地区まで市内通話扱いとなる。
このうち町田市に割り当てられているのは042-706~710, 042-720~729, 042-732, 042-734~739, 042-770~775(堺地区、相模原市でも割り当てられている)、042-782~783(堺地区、相模原市でも割り当てられている)、042-788~799。
三輪町及び三輪緑山は川崎MA(市外局番:044)に属するため、神奈川県川崎市と市内通話扱い。相模原MAに属する町田市内への通話は県内市外通話となる。
このため、電気通信上では、町田市は神奈川県に属する。そのため、町田市から東京都内の区市町村への通話は県間通話となる。(ただしNTTの管轄は東京支店である)
▼ 町田を舞台とする作品
小説
まほろ駅前多田便利軒 - 三浦しをんによる第135回(平成18年度上半期)直木賞受賞作となった小説。便利屋を営む青年とその相棒の奇妙な日常と共に、舞台となる町田市が東京郊外にある架空の地「まほろ市」として詳細に描かれている。登場するまほろ市内のシーンは、多くが町田市内に実在する場所や店舗を名前を変えるかあるいは伏せた形で記されている。「駅むこうの松の湯」のモデルと思われる「あたみ湯」(中町1丁目)は本作出版直後の2006年春頃に廃業している。
殺人方程式(小説) - 綾辻行人による推理小説。殺人事件の起こった場所は、町田市と相模原市の境界線に流れる境川と横浜線が交わる辺りと見られる。
映画
うなぎ (映画) - 町田市小野路町周辺がロケ地。映画を見れば分るが撮影が深夜帯に行われており、映画の撮影が行われている事を全く知らない一部の住人達との間に多少のトラブルがあったとのこと。(撮影による騒音が問題だったと聞き及んでいる)
コミック・アニメ
神聖モテモテ王国 - 主人公ファーザーとオンナスキーが暮らすアパートが町田市内にあるとみられる(隣室に入居したアンゴルモア大王らが「デビル教団町田支部」を構えている)。
ロリコンフェニックス - ブラックロリータ団の本部は町田市にあり、町田駅近くのヨドバシカメラでは幹部が働いてる。
課長王子 - 主人公の田中王児が利用する駅など町田市内を描写しているシーンがあり、田中一家は町田市内の団地に住んでいると思われる。また、田中王児の声を演じた石井康嗣は、アフレコ後のインタビューにおいて町田について語っていた。
TOKKO 特公 - この町田の団地に突如、穴が出現し、そこからファントムが現れる。このストーリーの重要な都市と言える。
ゲーム
To Heart・ToHeart2 関連 - To Heartの製作スタッフが、舞台は町田市をイメージしたと語っている。
▼町田駅について
町田駅は、東京都町田市原町田にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・小田急電鉄の駅である。
▼駅構造
JR東日本
改札口は中央改札とターミナル口(旧・原町田駅付近)の2か所で、それぞれ2階にある。中央改札は、北側(小田急町田駅西口・バスセンター側)が中央口北口、南側(ヨドバシ側)が中央口南口となっている。ペデストリアンデッキ上の屋根設置に伴い、北口の駅名標の確認が困難な状況になっている。
小田急電鉄
小田急電鉄の管区長・駅長所在駅。町田管区として登戸 - 新百合ヶ丘 - 町田・唐木田間、町田管内として柿生 - 町田間を管理している。
改札口は全部で5か所あり、小田急百貨店の2階に西口(南)・北口(東)・東口(北)・南口(西)が、3階に小田急百貨店口がある(括弧内は実際の方角)。小田急百貨店口は百貨店内に直結しているため、百貨店の営業時間帯以外は利用できない。
駅が南側から北側に向かっての傾斜地にあるため、JRの駅・バスセンターのある南西側(西口側)地平から改札へは地面の高さから上がる必要がある。JR中央口北口と町田バスセンターから西口へはデッキで直接結ばれているが、改札面よりデッキの方が高い位置のため、若干下る。
備考
新宿方に6両編成まで対応の引き上げ線が1本あり、江ノ島線からの列車を中心に当駅で折り返す列車がある。
上り列車を2番ホーム着として、折り返し下りとして運転することも可能な構造である。2009年現在の到着は回送のみであるが、以前は町田2番ホーム止まりの折り返し下り列車が存在していた。
出入口周辺 小田急電鉄の町田駅には、複数の出口が存在する。 北口出口
イタリアントマトカフェジュニア 町田北口店
生そば箱根 町田北口店
北口出口
町田バスセンター ペデストリアンデッキ
西口出口
JR町田駅
町田バスセンター ペデストリアンデッキ
タクシー乗り場
みずほ銀行 町田支店
町田モディ
新光証券
南口出口
三菱東京UFJ銀行 町田支店
南口出口
吉野家 小田急町田駅南口店
東口出口
カリヨン広場
町田駅前交番
マツモトキヨシ 町田東口店
東口出口
町田駅(バスのりば)
POPビル
りそな銀行 町田中央支店
このうち町田市に割り当てられているのは042-706~710, 042-720~729, 042-732, 042-734~739, 042-770~775(堺地区、相模原市でも割り当てられている)、042-782~783(堺地区、相模原市でも割り当てられている)、042-788~799。
三輪町及び三輪緑山は川崎MA(市外局番:044)に属するため、神奈川県川崎市と市内通話扱い。相模原MAに属する町田市内への通話は県内市外通話となる。
このため、電気通信上では、町田市は神奈川県に属する。そのため、町田市から東京都内の区市町村への通話は県間通話となる。(ただしNTTの管轄は東京支店である)
▼ 町田を舞台とする作品
小説
まほろ駅前多田便利軒 - 三浦しをんによる第135回(平成18年度上半期)直木賞受賞作となった小説。便利屋を営む青年とその相棒の奇妙な日常と共に、舞台となる町田市が東京郊外にある架空の地「まほろ市」として詳細に描かれている。登場するまほろ市内のシーンは、多くが町田市内に実在する場所や店舗を名前を変えるかあるいは伏せた形で記されている。「駅むこうの松の湯」のモデルと思われる「あたみ湯」(中町1丁目)は本作出版直後の2006年春頃に廃業している。
殺人方程式(小説) - 綾辻行人による推理小説。殺人事件の起こった場所は、町田市と相模原市の境界線に流れる境川と横浜線が交わる辺りと見られる。
映画
うなぎ (映画) - 町田市小野路町周辺がロケ地。映画を見れば分るが撮影が深夜帯に行われており、映画の撮影が行われている事を全く知らない一部の住人達との間に多少のトラブルがあったとのこと。(撮影による騒音が問題だったと聞き及んでいる)
コミック・アニメ
神聖モテモテ王国 - 主人公ファーザーとオンナスキーが暮らすアパートが町田市内にあるとみられる(隣室に入居したアンゴルモア大王らが「デビル教団町田支部」を構えている)。
ロリコンフェニックス - ブラックロリータ団の本部は町田市にあり、町田駅近くのヨドバシカメラでは幹部が働いてる。
課長王子 - 主人公の田中王児が利用する駅など町田市内を描写しているシーンがあり、田中一家は町田市内の団地に住んでいると思われる。また、田中王児の声を演じた石井康嗣は、アフレコ後のインタビューにおいて町田について語っていた。
TOKKO 特公 - この町田の団地に突如、穴が出現し、そこからファントムが現れる。このストーリーの重要な都市と言える。
ゲーム
To Heart・ToHeart2 関連 - To Heartの製作スタッフが、舞台は町田市をイメージしたと語っている。
▼町田駅について
町田駅は、東京都町田市原町田にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・小田急電鉄の駅である。
▼駅構造
JR東日本
改札口は中央改札とターミナル口(旧・原町田駅付近)の2か所で、それぞれ2階にある。中央改札は、北側(小田急町田駅西口・バスセンター側)が中央口北口、南側(ヨドバシ側)が中央口南口となっている。ペデストリアンデッキ上の屋根設置に伴い、北口の駅名標の確認が困難な状況になっている。
小田急電鉄
小田急電鉄の管区長・駅長所在駅。町田管区として登戸 - 新百合ヶ丘 - 町田・唐木田間、町田管内として柿生 - 町田間を管理している。
改札口は全部で5か所あり、小田急百貨店の2階に西口(南)・北口(東)・東口(北)・南口(西)が、3階に小田急百貨店口がある(括弧内は実際の方角)。小田急百貨店口は百貨店内に直結しているため、百貨店の営業時間帯以外は利用できない。
駅が南側から北側に向かっての傾斜地にあるため、JRの駅・バスセンターのある南西側(西口側)地平から改札へは地面の高さから上がる必要がある。JR中央口北口と町田バスセンターから西口へはデッキで直接結ばれているが、改札面よりデッキの方が高い位置のため、若干下る。
備考
新宿方に6両編成まで対応の引き上げ線が1本あり、江ノ島線からの列車を中心に当駅で折り返す列車がある。
上り列車を2番ホーム着として、折り返し下りとして運転することも可能な構造である。2009年現在の到着は回送のみであるが、以前は町田2番ホーム止まりの折り返し下り列車が存在していた。
出入口周辺 小田急電鉄の町田駅には、複数の出口が存在する。 北口出口
イタリアントマトカフェジュニア 町田北口店
生そば箱根 町田北口店
北口出口
町田バスセンター ペデストリアンデッキ
西口出口
JR町田駅
町田バスセンター ペデストリアンデッキ
タクシー乗り場
みずほ銀行 町田支店
町田モディ
新光証券
南口出口
三菱東京UFJ銀行 町田支店
南口出口
吉野家 小田急町田駅南口店
東口出口
カリヨン広場
町田駅前交番
マツモトキヨシ 町田東口店
東口出口
町田駅(バスのりば)
POPビル
りそな銀行 町田中央支店
2011年1月23日日曜日
町田駅周辺について
周辺は神奈川県相模原市との市境が近く、JR南口付近は相模原市である。
JR町田駅駅ビル - ルミネ
小田急町田駅駅ビル - 小田急百貨店
駅近隣は、江戸時代末期の鎖国解除直後から、生糸の集散地として栄え、その流れで多くの商店が建ち並んだ。
横浜線原町田駅と小田急線新原町田駅が開業すると駅近隣の発展は急速に進み、1960年代に市内に多くの大規模な団地が建設されると、大丸(町田大丸に分社後、撤退)、緑屋(撤退)、さいか屋(専門店ビルのジョルナに業態転換)、ダイエー(規模を縮小しながらも食料品スーパー「グルメシティ」として営業中)などの百貨店、スーパーマーケットが駅前に進出し、商業地としての地位を確実なものとした。今日では小田急百貨店、109、丸井、長崎屋、西友、モディ、町田東急ツインズ、ヨドバシカメラ、ドン・キホーテ、ジョルナ、ソフマップ、ブックオフ、ザ・ダイソーなどの大型店が林立し、さらには庶民的な商店街や若者向けの店も数多く、神奈川県民も多く訪れる東京都有数の商業地として著しく発達しており、小田急沿線の商業地としては新宿に次ぐ2番目の規模である。
このような大商業地でありながら、周辺の南町田(グランベリーモール)、橋本、新百合ヶ丘、海老名(ビナウォーク)などに開設されたシネマコンプレックスとの競合により、2館あった小規模映画館が閉館したため、当駅周辺に映画を鑑賞できる施設がない。
横浜線原町田駅跡地は再開発され、1983年にバスターミナル・自転車駐車場・自動車駐車場・商業施設・JR町田駅ターミナル口改札からなる「町田ターミナルプラザ」となり、東京急行電鉄が所有する商業棟にはテナントとして東急ハンズが入居した。その後東急ハンズは東急百貨店町田店再編に際し2007年に百貨店とともに一旦閉店し、同年、百貨店を業態変更した専門店ビルである町田東急ツインズに移転した。東急ハンズ移転閉店後の町田ターミナルプラザ・商業棟には2008年5月23日にファーストリテイリングが経営する商業施設のミーナ町田が開店した[4]。町田ターミナルプラザ・ターミナル棟(2階以下は町田市所有、3階以上は東京急行電鉄所有の「駐車場棟」)の1階は町田ターミナル(バスターミナル)、2階は「ターミナルエイト」と称し、名の通り8つの店舗が入れる商用スペースとなっている。しかし、ターミナルエイトは2008年10月現在、2つの店舗しか営業していない。ターミナルエイトと商業棟の間は、「出会いのひろば」と称する子供用遊具が設置されていた広場でつながっている。出会いのひろばの奥には、1983年10月に設置された和田康男作「水のオブジェ」という作品があったが、ミーナ町田の開店に伴い子供用遊具と共に撤去されたが、後に子供用遊具は撤去したオブジェの位置に戻っている。出会いのひろばの北側には「ターミナルデッキ」と称するペデストリアンデッキがあり、JR町田駅ターミナル口から町田中央図書館が入居するホテル ザ・エルシィまでつないでいる。出会いのひろば前のペデストリアンデッキ上には、1983年10月に設置された黒川紀章作「シティゲート」という作品があり、このモニュメントが真南北を示している。
商業地域からJR町田駅を挟んだ反対側エスカレータを降りて目の前にヨドバシカメラがあり、そして徒歩数分の町田市と相模原市の境界線近くに性風俗店やラブホテルが数多く並び、一部では西の歌舞伎町という声もある。2007年4月にはその風俗店などが並んでいる場所から近くの都営住宅などで暴力団による銃撃事件(町田市立てこもり事件)が発生し、暴力団を逮捕するために特殊捜査班が駆けつけ周囲を管轄警察官が立ち入り禁止にするなど騒動になった。銃撃事件発生後は駅周辺の各所に警察官が配置され、治安が強化されている。
JR町田駅から小田急町田駅までの間の通路は通行人の往来が激しい。またマルチまがい商法の勧誘やホストの客引きや風俗店による違法なティッシュ配りなどが激しく、中には歩行者の前に足を出すようにして強引に引き止めるなどの悪質な手口も見られ、これら全般の行為を警察は犯罪率の増加を示しているとして懸念している。
その一方で、駅からしばらく歩くと、緑や公園が多く存在し、緑が豊かな街としての一面もある。駅周辺にある公園のひとつである芹ヶ谷公園(参考)には、町田市立国際版画美術館があり、古今東西の多くの版画が常設展示されている。
東京都町田市と神奈川県相模原市(昔の武蔵国と相模国)の境界とされた境川はかつては激しく蛇行しており、河川改修によって流路が直線化された後も両市間では一部区間を除いて都県境が非常に入り組んだまま残されている。そのため、JR町田駅中央口南側のヨドバシカメラ周辺は境川の北側ではあるが一部は神奈川県相模原市に属する。事実、ヨドバシカメラは入口部分を除きほとんどが相模原市である(店内での盗難などの犯罪は相模原南警察署の管轄となる)。
JR中央口と小田急西口との間にはペデストリアンデッキが2つあるが、丸井側のみに屋根があり、町田モディ側には屋根がない。丸井側が横浜線の駅移転と共に建造されたものであり、JRと小田急の連絡通路として使われたが、やがて常に全体が溢れ返るほど混雑したことから、町田モディ(旧大丸)側にも1993年に追加でデッキが建造された。
JR中央口と町田東急ツインズとの間のペデストリアンデッキ上の広場は「モニュメント広場」と称され、その名の通り、回転する「曲がりくねった棒」でできたモニュメントが存在し、鳩が乗ったまま回転している光景もよく見られた。このモニュメントは1980年に設置された伊藤隆道作「動く彫刻モニュメント」という作品である。この広場にも屋根がなかったため、一時期は傘を貸し出すサービスを行っていたが、2006年末頃にモニュメントを取り囲むような形で布製の屋根が設置された。最近では、このモニュメントが回転している様子が伺えない。
町田東急ツインズのEASTとWESTとの間の道路上の町田駅中央口ペデストリアンデッキ向かいには、将来多摩都市モノレールの町田駅ができることになっているが、用地買収が滞るなどの要因により、モノレールが町田駅まで延伸する目処は立っていない。なお、町田東急ツインズ(旧東急百貨店)の両館の間を結ぶ連絡橋は、この計画があったために5階という高い位置に作られたとされる。
駅周辺の上空は厚木海軍飛行場への空路となっていて、爆音を聞き、空を見上げると軍用機の下部を見ることがある。1964年には駅周辺の繁華街で軍用機の墜落事故(町田米軍機墜落事故)が発生し、事故現場周辺にいた4名が死亡するという惨事もあった。
▼駅名の由来
JR東日本
駅開設当時の「原町田」とは、駅所在地の地名から名付けられた。その後、駅が小田急線町田駅側に移築された事に伴い、「町田」と改称された。当時横浜線の主力だった103系が町田行として走る場合の方向幕では、当初は「町田」に置き換えられずに「原」の文字だけ消されて「 町田」となったものもあった。
改称に際しては、国鉄は当初既に存在していた宮原線(1937年開業→1984年廃止)「町田駅」と駅名が重複していたことから、難色を示した。しかし、大阪府出身の当時の町田市長が、東北本線福島駅(福島市)と大阪環状線福島駅(大阪市福島区)の事例を取り上げ、「既に重複している例はある」と国鉄を説き、改称にこぎつけている。
▼小田急電鉄
「原町田」に新しく設置された駅という意味で「新原町田」として開設された。その後、町田市の玄関口として駅周辺が発展したことに伴い、駅の大規模改良工事完成を半年後に控えた1976年4月に「町田」と改称された。この際、町田市の中心駅なのに「原」というのが駅名に付くのは「おかしい」という意見もあったという。
▼横浜線の駅の移転について
そこで、町田市などは横浜線の駅を小田原線と横浜線の交差地点近くに移設しようと計画したが、これに対して2つの間にある商店街が猛烈に反対を唱えた。というのも、乗り換え客の中には途中でこのような商店街に立ち寄る人も非常に多く、駅が移設してしまうとこのような客がいなくなる恐れがあったからである。その後も反対運動が続けられ、4千人を超える署名が集められた。
JR町田駅駅ビル - ルミネ
小田急町田駅駅ビル - 小田急百貨店
駅近隣は、江戸時代末期の鎖国解除直後から、生糸の集散地として栄え、その流れで多くの商店が建ち並んだ。
横浜線原町田駅と小田急線新原町田駅が開業すると駅近隣の発展は急速に進み、1960年代に市内に多くの大規模な団地が建設されると、大丸(町田大丸に分社後、撤退)、緑屋(撤退)、さいか屋(専門店ビルのジョルナに業態転換)、ダイエー(規模を縮小しながらも食料品スーパー「グルメシティ」として営業中)などの百貨店、スーパーマーケットが駅前に進出し、商業地としての地位を確実なものとした。今日では小田急百貨店、109、丸井、長崎屋、西友、モディ、町田東急ツインズ、ヨドバシカメラ、ドン・キホーテ、ジョルナ、ソフマップ、ブックオフ、ザ・ダイソーなどの大型店が林立し、さらには庶民的な商店街や若者向けの店も数多く、神奈川県民も多く訪れる東京都有数の商業地として著しく発達しており、小田急沿線の商業地としては新宿に次ぐ2番目の規模である。
このような大商業地でありながら、周辺の南町田(グランベリーモール)、橋本、新百合ヶ丘、海老名(ビナウォーク)などに開設されたシネマコンプレックスとの競合により、2館あった小規模映画館が閉館したため、当駅周辺に映画を鑑賞できる施設がない。
横浜線原町田駅跡地は再開発され、1983年にバスターミナル・自転車駐車場・自動車駐車場・商業施設・JR町田駅ターミナル口改札からなる「町田ターミナルプラザ」となり、東京急行電鉄が所有する商業棟にはテナントとして東急ハンズが入居した。その後東急ハンズは東急百貨店町田店再編に際し2007年に百貨店とともに一旦閉店し、同年、百貨店を業態変更した専門店ビルである町田東急ツインズに移転した。東急ハンズ移転閉店後の町田ターミナルプラザ・商業棟には2008年5月23日にファーストリテイリングが経営する商業施設のミーナ町田が開店した[4]。町田ターミナルプラザ・ターミナル棟(2階以下は町田市所有、3階以上は東京急行電鉄所有の「駐車場棟」)の1階は町田ターミナル(バスターミナル)、2階は「ターミナルエイト」と称し、名の通り8つの店舗が入れる商用スペースとなっている。しかし、ターミナルエイトは2008年10月現在、2つの店舗しか営業していない。ターミナルエイトと商業棟の間は、「出会いのひろば」と称する子供用遊具が設置されていた広場でつながっている。出会いのひろばの奥には、1983年10月に設置された和田康男作「水のオブジェ」という作品があったが、ミーナ町田の開店に伴い子供用遊具と共に撤去されたが、後に子供用遊具は撤去したオブジェの位置に戻っている。出会いのひろばの北側には「ターミナルデッキ」と称するペデストリアンデッキがあり、JR町田駅ターミナル口から町田中央図書館が入居するホテル ザ・エルシィまでつないでいる。出会いのひろば前のペデストリアンデッキ上には、1983年10月に設置された黒川紀章作「シティゲート」という作品があり、このモニュメントが真南北を示している。
商業地域からJR町田駅を挟んだ反対側エスカレータを降りて目の前にヨドバシカメラがあり、そして徒歩数分の町田市と相模原市の境界線近くに性風俗店やラブホテルが数多く並び、一部では西の歌舞伎町という声もある。2007年4月にはその風俗店などが並んでいる場所から近くの都営住宅などで暴力団による銃撃事件(町田市立てこもり事件)が発生し、暴力団を逮捕するために特殊捜査班が駆けつけ周囲を管轄警察官が立ち入り禁止にするなど騒動になった。銃撃事件発生後は駅周辺の各所に警察官が配置され、治安が強化されている。
JR町田駅から小田急町田駅までの間の通路は通行人の往来が激しい。またマルチまがい商法の勧誘やホストの客引きや風俗店による違法なティッシュ配りなどが激しく、中には歩行者の前に足を出すようにして強引に引き止めるなどの悪質な手口も見られ、これら全般の行為を警察は犯罪率の増加を示しているとして懸念している。
その一方で、駅からしばらく歩くと、緑や公園が多く存在し、緑が豊かな街としての一面もある。駅周辺にある公園のひとつである芹ヶ谷公園(参考)には、町田市立国際版画美術館があり、古今東西の多くの版画が常設展示されている。
東京都町田市と神奈川県相模原市(昔の武蔵国と相模国)の境界とされた境川はかつては激しく蛇行しており、河川改修によって流路が直線化された後も両市間では一部区間を除いて都県境が非常に入り組んだまま残されている。そのため、JR町田駅中央口南側のヨドバシカメラ周辺は境川の北側ではあるが一部は神奈川県相模原市に属する。事実、ヨドバシカメラは入口部分を除きほとんどが相模原市である(店内での盗難などの犯罪は相模原南警察署の管轄となる)。
JR中央口と小田急西口との間にはペデストリアンデッキが2つあるが、丸井側のみに屋根があり、町田モディ側には屋根がない。丸井側が横浜線の駅移転と共に建造されたものであり、JRと小田急の連絡通路として使われたが、やがて常に全体が溢れ返るほど混雑したことから、町田モディ(旧大丸)側にも1993年に追加でデッキが建造された。
JR中央口と町田東急ツインズとの間のペデストリアンデッキ上の広場は「モニュメント広場」と称され、その名の通り、回転する「曲がりくねった棒」でできたモニュメントが存在し、鳩が乗ったまま回転している光景もよく見られた。このモニュメントは1980年に設置された伊藤隆道作「動く彫刻モニュメント」という作品である。この広場にも屋根がなかったため、一時期は傘を貸し出すサービスを行っていたが、2006年末頃にモニュメントを取り囲むような形で布製の屋根が設置された。最近では、このモニュメントが回転している様子が伺えない。
町田東急ツインズのEASTとWESTとの間の道路上の町田駅中央口ペデストリアンデッキ向かいには、将来多摩都市モノレールの町田駅ができることになっているが、用地買収が滞るなどの要因により、モノレールが町田駅まで延伸する目処は立っていない。なお、町田東急ツインズ(旧東急百貨店)の両館の間を結ぶ連絡橋は、この計画があったために5階という高い位置に作られたとされる。
駅周辺の上空は厚木海軍飛行場への空路となっていて、爆音を聞き、空を見上げると軍用機の下部を見ることがある。1964年には駅周辺の繁華街で軍用機の墜落事故(町田米軍機墜落事故)が発生し、事故現場周辺にいた4名が死亡するという惨事もあった。
▼駅名の由来
JR東日本
駅開設当時の「原町田」とは、駅所在地の地名から名付けられた。その後、駅が小田急線町田駅側に移築された事に伴い、「町田」と改称された。当時横浜線の主力だった103系が町田行として走る場合の方向幕では、当初は「町田」に置き換えられずに「原」の文字だけ消されて「 町田」となったものもあった。
改称に際しては、国鉄は当初既に存在していた宮原線(1937年開業→1984年廃止)「町田駅」と駅名が重複していたことから、難色を示した。しかし、大阪府出身の当時の町田市長が、東北本線福島駅(福島市)と大阪環状線福島駅(大阪市福島区)の事例を取り上げ、「既に重複している例はある」と国鉄を説き、改称にこぎつけている。
▼小田急電鉄
「原町田」に新しく設置された駅という意味で「新原町田」として開設された。その後、町田市の玄関口として駅周辺が発展したことに伴い、駅の大規模改良工事完成を半年後に控えた1976年4月に「町田」と改称された。この際、町田市の中心駅なのに「原」というのが駅名に付くのは「おかしい」という意見もあったという。
▼横浜線の駅の移転について
そこで、町田市などは横浜線の駅を小田原線と横浜線の交差地点近くに移設しようと計画したが、これに対して2つの間にある商店街が猛烈に反対を唱えた。というのも、乗り換え客の中には途中でこのような商店街に立ち寄る人も非常に多く、駅が移設してしまうとこのような客がいなくなる恐れがあったからである。その後も反対運動が続けられ、4千人を超える署名が集められた。
2011年1月22日土曜日
南町田駅について
南町田駅は、東京都町田市鶴間三丁目3-2にある東京急行電鉄田園都市線の駅である。「グランベリーモール前」という副名称が付けられている。子会社の東急レールウェイサービスによる業務委託駅。ショッピングモール「グランベリーモール」の最寄駅であることから、土曜・休日は急行(大井町線直通も含む)が停車し、平日は通過する。
▼駅周辺
グランベリーモール開業前まで深夜から早朝の駅前は完全に閑散としていた。
南口は、グランベリーモールと一体となった街づくりとなっていて、欧米の町並みを思わせる風景が広がっている。
東名高速道路 横浜町田インターチェンジ
国道16号
国道246号
グランベリーモール
グランベリーモール郵便局
109シネマズ(シネマコンプレックス)
ケーズデンキ
ニトリ
東京女学館大学
マークスプリングス
鶴間公園
駅名の由来
当初は候補として東急鶴間もあったが、駅所在地の旧村名であり地区名であった、「南村」(1954年、当時の町田町と合併)の南と、町田市の町田、そして町田市の南端に位置していることなどから「南町田」となった。
▼町田警察署
町田警察署は、日本の東京都にある警視庁が管轄する警察署の一つである。警視庁第9方面に属し、町田市の大部分を管轄している。
所在地
東京都町田市旭町三丁目1番3号
電話番号 042-722-0110(代表)
最寄駅:横浜線・小田急線・町田駅
沿革
1893年4月1日 八王子警察署町田分署として創設。
1926年7月1日 町田警察署になる。
1992年8月13日 現庁舎完成。
2004年2月27日 別館が完成。
2009年4月20日 町田市北西部(相原・小山地区)を南大沢警察署へ移管
▼町田市民文学館ことばらんど
町田市民文学館ことばらんど (まちだしみんぶんがくかん ことばらんど)は、東京都町田市の公立文学館。遠藤周作が亡くなった時にその蔵書や遺品の一部が町田市に寄贈されたことから、文学館開設の機運が高まり、当時の市長寺田和雄が、開設準備懇談会を、森村誠一を会長にスタートさせる。4年間の準備期間を経て、2006年に開館した。もともとその地にあった原町田公民館の建物の一部を利用、増改築してつくられた。建物は3階建て。1階に、町田ゆかりの文学者たちの著書とパネル展示、喫茶コーナーがある。2階は企画展示スペースと講堂。3階は、研究会、読書会などの利用のための大小の会議室がある。町田は、江戸期より文人、歌人を多く出している。現在も赤瀬川原平、常盤新平、など現役の作家、著述家、児童文学作家らが多数在住している。
所在地
東京都町田市原町田4-16-17
横浜線町田駅から東に徒歩5分程度。駐車場はない。
▼町田市立陸上競技場
町田市立陸上競技場は、東京都町田市野津田町の市立野津田公園内にある陸上競技場。野津田競技場とも呼ばれる。
概要
かつてはJFL在籍当時の東京ガスFC(現・FC東京)が、準本拠地として使用したこともあったが、現在は日本フットボールリーグ所属の地元のサッカークラブでは・FC町田ゼルビアが本拠地で、町田市を拠点にしている関東大学サッカーの実力校・国士舘大学サッカー部の試合会場としても使用されている。また、2001年11月にはJリーグ2部(J2)の公式戦・川崎フロンターレ対アルビレックス新潟が行われた。
ゼルビアは将来的にJリーグ入りを目指しており、その際現在芝生席となっているバックスタンドを鉄骨製の座席にしたり、ナイター照明設備を新設するなどの改築を検討しているという。 2009年4月より、指定管理者「スポーツパークパートナーズまちだ」が運営している。
アクセス
5番のりば
[鶴32] 小野路経由 多摩センター駅 行
[町36] 五反田・図師経由 町田バスセンター 行
上記の系統の場合、「サンシティ町田」もしくは「新屋敷」下車、徒歩10分。町36系統の場合は「向坂」での下車も可能。
[多04] 豊ヶ丘四丁目経由 多摩センター駅 行
[桜24][鶴31] 永山駅経由 聖蹟桜ヶ丘駅 行
上記の系統の場合、「五反田」下車、徒歩15分。
横浜線・小田急線町田駅から
町田バスセンター2番・7番・11番のりば
町田駅21番のりば(小田急線北口POPビル先)
上記停留所から発車の野津田車庫行(町25・町26・町35・町55・町78)に乗車、「野津田車庫」下車、徒歩10分。
横浜線淵野辺駅(北口)から
[淵24] 登戸行、[鶴37] 鶴川駅行、[淵23] 野津田車庫行に乗車、「野津田車庫」下車、徒歩10分。
すべて神奈川中央交通により運行。なお、FC町田ゼルビアの公式戦開催時には、野津田車庫より神奈川中央交通の臨時シャトルバス(運賃無料)が運行される。
自家用車の場合
東京方面から
世田谷通り・芝溝街道(津久井道)を鶴川方面へ走行、鶴川駅から先は、大蔵交差点を左折、五反田交差点を直進、サンシティ町田先の信号(野津田公園入口)を左折してすぐ。
永山方面から
鎌倉街道を町田方面へ走行、途中からは野津田公園への案内標識に従う。
町田駅・相模原市鵜野森方面から
鎌倉街道を永山方面へ走行、袋橋・綾部原トンネル先の五反田交差点で左折、サンシティ町田先の交差点で左折してすぐ。
駐車場(約100台収容)があり。
主な使用例
FC町田ゼルビアの試合(サッカー)
大学・高校等の各陸上競技
市民マラソン等の市主催関連催事等
▼駅周辺
グランベリーモール開業前まで深夜から早朝の駅前は完全に閑散としていた。
南口は、グランベリーモールと一体となった街づくりとなっていて、欧米の町並みを思わせる風景が広がっている。
東名高速道路 横浜町田インターチェンジ
国道16号
国道246号
グランベリーモール
グランベリーモール郵便局
109シネマズ(シネマコンプレックス)
ケーズデンキ
ニトリ
東京女学館大学
マークスプリングス
鶴間公園
駅名の由来
当初は候補として東急鶴間もあったが、駅所在地の旧村名であり地区名であった、「南村」(1954年、当時の町田町と合併)の南と、町田市の町田、そして町田市の南端に位置していることなどから「南町田」となった。
▼町田警察署
町田警察署は、日本の東京都にある警視庁が管轄する警察署の一つである。警視庁第9方面に属し、町田市の大部分を管轄している。
所在地
東京都町田市旭町三丁目1番3号
電話番号 042-722-0110(代表)
最寄駅:横浜線・小田急線・町田駅
沿革
1893年4月1日 八王子警察署町田分署として創設。
1926年7月1日 町田警察署になる。
1992年8月13日 現庁舎完成。
2004年2月27日 別館が完成。
2009年4月20日 町田市北西部(相原・小山地区)を南大沢警察署へ移管
▼町田市民文学館ことばらんど
町田市民文学館ことばらんど (まちだしみんぶんがくかん ことばらんど)は、東京都町田市の公立文学館。遠藤周作が亡くなった時にその蔵書や遺品の一部が町田市に寄贈されたことから、文学館開設の機運が高まり、当時の市長寺田和雄が、開設準備懇談会を、森村誠一を会長にスタートさせる。4年間の準備期間を経て、2006年に開館した。もともとその地にあった原町田公民館の建物の一部を利用、増改築してつくられた。建物は3階建て。1階に、町田ゆかりの文学者たちの著書とパネル展示、喫茶コーナーがある。2階は企画展示スペースと講堂。3階は、研究会、読書会などの利用のための大小の会議室がある。町田は、江戸期より文人、歌人を多く出している。現在も赤瀬川原平、常盤新平、など現役の作家、著述家、児童文学作家らが多数在住している。
所在地
東京都町田市原町田4-16-17
横浜線町田駅から東に徒歩5分程度。駐車場はない。
▼町田市立陸上競技場
町田市立陸上競技場は、東京都町田市野津田町の市立野津田公園内にある陸上競技場。野津田競技場とも呼ばれる。
概要
かつてはJFL在籍当時の東京ガスFC(現・FC東京)が、準本拠地として使用したこともあったが、現在は日本フットボールリーグ所属の地元のサッカークラブでは・FC町田ゼルビアが本拠地で、町田市を拠点にしている関東大学サッカーの実力校・国士舘大学サッカー部の試合会場としても使用されている。また、2001年11月にはJリーグ2部(J2)の公式戦・川崎フロンターレ対アルビレックス新潟が行われた。
ゼルビアは将来的にJリーグ入りを目指しており、その際現在芝生席となっているバックスタンドを鉄骨製の座席にしたり、ナイター照明設備を新設するなどの改築を検討しているという。 2009年4月より、指定管理者「スポーツパークパートナーズまちだ」が運営している。
アクセス
5番のりば
[鶴32] 小野路経由 多摩センター駅 行
[町36] 五反田・図師経由 町田バスセンター 行
上記の系統の場合、「サンシティ町田」もしくは「新屋敷」下車、徒歩10分。町36系統の場合は「向坂」での下車も可能。
[多04] 豊ヶ丘四丁目経由 多摩センター駅 行
[桜24][鶴31] 永山駅経由 聖蹟桜ヶ丘駅 行
上記の系統の場合、「五反田」下車、徒歩15分。
横浜線・小田急線町田駅から
町田バスセンター2番・7番・11番のりば
町田駅21番のりば(小田急線北口POPビル先)
上記停留所から発車の野津田車庫行(町25・町26・町35・町55・町78)に乗車、「野津田車庫」下車、徒歩10分。
横浜線淵野辺駅(北口)から
[淵24] 登戸行、[鶴37] 鶴川駅行、[淵23] 野津田車庫行に乗車、「野津田車庫」下車、徒歩10分。
すべて神奈川中央交通により運行。なお、FC町田ゼルビアの公式戦開催時には、野津田車庫より神奈川中央交通の臨時シャトルバス(運賃無料)が運行される。
自家用車の場合
東京方面から
世田谷通り・芝溝街道(津久井道)を鶴川方面へ走行、鶴川駅から先は、大蔵交差点を左折、五反田交差点を直進、サンシティ町田先の信号(野津田公園入口)を左折してすぐ。
永山方面から
鎌倉街道を町田方面へ走行、途中からは野津田公園への案内標識に従う。
町田駅・相模原市鵜野森方面から
鎌倉街道を永山方面へ走行、袋橋・綾部原トンネル先の五反田交差点で左折、サンシティ町田先の交差点で左折してすぐ。
駐車場(約100台収容)があり。
主な使用例
FC町田ゼルビアの試合(サッカー)
大学・高校等の各陸上競技
市民マラソン等の市主催関連催事等
2011年1月21日金曜日
町田バスセンターの紹介
町田バスセンターは東京都町田市の町田駅に隣接するバスターミナルである。 町田駅周辺にある別の3つのバス停留所(町田ターミナル・町田ターミナル前・町田駅)及び、廃止された町田駅南口停留所に付いても、ここで記述する。
概要
現在、町田駅周辺には、町田バスセンター・町田ターミナル・町田駅の3つの発着場があり、2002年のデータによると、これら3つを合わせた乗降人員は多摩地区で1位、都内でも渋谷についで2位と非常に多くの人が利用している。
これらの停留所は元々、小田急新原町田駅前に存在した「新原町田駅」と、国鉄原町田駅前に存在した「原町田駅前」の2つの停留所からなり、森野方面のバスは全て「原町田駅前」から「新原町田駅」を経由して運行されていた。しかし、1966年に、新原町田駅~原町田駅前間で当時経由していた町田街道(現在の原町田中央通り)が、大型車通行規制によってバスが通行できなくなり、森野方面のバスは新原町田駅発着とならざるを得なかった。しかし、新原町田駅に操車所は無く、道幅の狭い一方通行路(鶴川街道)を使用しての折り返しを行なう事になった。しかし、これでは一方通行路はバスや乗降客であふれかえり非常に危険な上、混雑もよく起こるようになった(交通マヒ状態。なお、「町田駅」発着のバスは現在もこの一方通行路で運行)。これを改善するため、現在のバスセンター付近に「新原町田駅緊急バスターミナル」を設置した、これにより一部のバスを除き、新原町田駅を経由させ(但し通過扱い)、緊急バスターミナルへ逃がす事で、マヒ状態にあった交通がだいぶ緩和された。なお、この緊急バスターミナルが町田バスセンターの前身である。(この当時、市民ホール方面への広い道は未開通であった)
その後、駅周辺の再開発に伴い、現在の森野駐在所~市民ホール~町田バスセンター間の道路が完成したため、緊急バスターミナル発着のバスはこの道路を経由するようになり、新原町田駅発着のバスは激減した。また、このときに停留所名称が「町田バスセンター」となった。
この後にも、「新原町田駅」停留所が名称を変更され(現在の「町田駅」に)、原町田駅前停留所も「町田駅(国鉄)」に名称を変更、1983年には、「町田ターミナル」停留所が開業、同時にバスセンター~ターミナル間の道路が開業したため、一部路線がこの区間の直通運転を開始した。なお、この時に「町田駅(国鉄)」停留所は規模を縮小し「町田ターミナル前」停留所に変更された。これは、「町田ターミナル」停留所が市条例に付随する規則により、9時から21時(現在は9時から最終便)までしか利用できないため、時間外における代替停留所として残されたものであり、「町田ターミナル」停留所と「町田ターミナル前」停留所は同一停留所と見て差し支えない。
以上の経緯で町田駅前のバス停留所は移設や改称を繰り返しながら、現在の4箇所になったのである。
かつて、JR町田駅の南口に「町田駅南口」停留所(現在のヨドバシカメラ前あたり)が存在した。ただし、発着本数は非常に少ない上にこれといった案内がされることも無く、10年程度でターミナル発着に置き換えられ消滅した。なお、今後町田駅南口停留所が金森地区コミュニティバス用停留所として復活する予定である。
歴史
1930年xx月xx日 町田乗合バス会社(現在の神奈川中央交通)が、原町田駅~図師、原町田駅~鶴間に路線開業。
xxxx年xx月xx日 新原町田駅停留所開業(現在の「町田駅」停留所)。
1966年xx月xx日 原町田中央通り(町田街道旧道)の大型車通行規制により、上宿・本町田方面への路線は、原町田駅発着から新原町田駅発着に変更。
1967年8月10日 大型車交通規制で発生した新原町田駅付近バス運行マヒ対策で、この日から緊急バスターミナルを使用開始(現在の町田バスセンター)。
1970年1月1日 緊急バスターミナル発着の路線を現在の市民ホール方面に抜けるルートに変更。バスセンター本格開業。
1976年4月11日 小田急線駅名改称に伴い、新原町田駅を町田駅に改称。
1980年4月1日 横浜線駅名改称に伴い、原町田駅を町田駅(国鉄)に変更。原系統と町系統を統一。
1981年4月1日 町田バスセンターを改良・使用開始。西友前・島に乗り場がある現在に近い形になる。
1981年12月27日 町田駅南口バス停使用開始。
1983年10月31日 ターミナルプラザ開業により、町田駅(国鉄)を町田ターミナルに改称。バスセンター-ターミナル直通開始。
1988年7月1日 第2次バスセンター改良工事により、新・町田バスセンター使用開始。乗り場・形は現在と同じ配置。
1992年3月29日 町田駅南口バス停廃止。
2009年4月6日 大和営業所 経路変更。町89系統開業。
停留所の位置関係・運行ルート
※以下、「アイランド」は「バスセンター・アイランド」という名称の、バスセンター中央の島状の区画のことで、のりば1~7が該当する。
町田バスセンターはJR横浜線と小田急小田原線の交点付近の、小田急小田原線の線路下周辺にある。両社の駅に最も近く、JR横浜線は中央口、小田急線は西口改札が至近となる。9時~21時までの間は、以下の森野方面の路線がバスセンター経由ターミナル発着として運転される。
[町12]木曽南団地線、[町14][町15][町24]山崎団地線、[町27]小山田線の一部、[町30][町60]橋本駅北口線、[町41][町42]藤の台団地線。
また、成瀬・金森方面のバスは、始発~8時59分発までバスセンター発着(乗車は町田東急ツインズ・ウェストのイースト側の停留所)となり、その間従来のバスセンター8・9番乗り場は降車所として使用される。なお、バスセンター行は「町田ターミナル前」を経由するが、バスセンター発はターミナルを経由しない。
バスセンターの降車所は位置を除き特に決まっておらず、アイランド内到着の場合は「たまたま空いている」乗り場に停車し、降車となる。
日中から夜間はバスセンターの手前(町田市民ホール付近)から町田ターミナルまでのセンターラインより1車線がバスレーンとなっている。
バスセンター外側(のりば10~15)発の運行に付くバスは、多くが朝6時台~9時台までの間で、市民ホール寄りの銀行前(15番乗り場向かい)にある降車場で降車となる。なお、内側(アイランド内)発車のバスに関してはあまり使用しない。
町田ターミナルは、国鉄横浜線原町田駅の旧駅跡地に立てられた再開発ビル・町田ターミナルプラザのターミナル棟1階にあり、JR町田駅の場合は町田ターミナルプラザの商業棟(2007年8月29日まで東急ハンズがテナントであった)2階の西側にあるターミナル口が近い。なお、鶴間車庫前行深夜バス発車後~翌朝9時の間は、ターミナルビル及びバスターミナル使用時間の関係で閉鎖されるため、バスセンター行・玉川学園前駅行・公共施設巡回のみ、道路上に設置されている「町田ターミナル前」バス停で乗降となる。
2009年4月5日まで、午前9時以降の成瀬・金森方面発町田行のバスは、ターミナル止まりでバスセンターまでは運行されなかった。これは9時以降の町田バスセンターに有効な降車所がないためである。現在は[柿20](小田急バス)を除く全便が町田ターミナル前経由、町田バスセンター行となっており、徒歩移動する必要がなくなった。
町田駅は、小田急線町田駅東口から徒歩3分程度で、POPビル前から西へ伸びている。なお、町田駅へのバス経路である市役所前~町田駅間(鶴川街道)が狭隘道路・駅方面への一方通行のため、駅発のバスは八王子方面へ抜ける町田街道の旧道を経由する。なお、ここのみ昔から位置が変わっていない(旧「新原町田駅」停留所)。
乗り入れ社局
本来は、神奈川中央交通のバスターミナルである。
岩手県交通、小田急バス、神奈川中央交通(相模神奈交バス、湘南神奈交バスを含む)、京浜急行バス、京成バス、中国バス、西日本JRバスが運行
担当営業所は以下の通り
岩手県交通
小田急バス(小田急):町田営業所(F)
神奈川中央交通(神奈中):相模原営業所(さ)、多摩営業所(た)、町田営業所(ま)、大和営業所(や)他
京浜急行バス(京急):羽田営業所
京成バス(京成):千葉営業所
中国バス:広島営業所
西日本JRバス 大阪高速管理所
町田ターミナルでの担当営業所は、上記の括弧のように省略して記す。
乗り場詳細
詳しい乗り場・路線は次以降の節に記載。
経由地の括弧で括った箇所は、停留所名では存在しない案内上の方面等。
特記以外は神奈中・町田営業所
備考欄のBTはターミナル始発又はターミナル経由を示し、その後の数字はターミナルの乗り場を示す。
経路(方面)欄のこの書体(ie等では斜体)は、起終点の停留所を示す(その先への運転のない便がある)。
なお、経路表記ではバスセンターを「町田BC」、ターミナルを「町田BT」と略記する。
経由欄はバスの前面・後面方向幕で案内されている経由地。
概要
現在、町田駅周辺には、町田バスセンター・町田ターミナル・町田駅の3つの発着場があり、2002年のデータによると、これら3つを合わせた乗降人員は多摩地区で1位、都内でも渋谷についで2位と非常に多くの人が利用している。
これらの停留所は元々、小田急新原町田駅前に存在した「新原町田駅」と、国鉄原町田駅前に存在した「原町田駅前」の2つの停留所からなり、森野方面のバスは全て「原町田駅前」から「新原町田駅」を経由して運行されていた。しかし、1966年に、新原町田駅~原町田駅前間で当時経由していた町田街道(現在の原町田中央通り)が、大型車通行規制によってバスが通行できなくなり、森野方面のバスは新原町田駅発着とならざるを得なかった。しかし、新原町田駅に操車所は無く、道幅の狭い一方通行路(鶴川街道)を使用しての折り返しを行なう事になった。しかし、これでは一方通行路はバスや乗降客であふれかえり非常に危険な上、混雑もよく起こるようになった(交通マヒ状態。なお、「町田駅」発着のバスは現在もこの一方通行路で運行)。これを改善するため、現在のバスセンター付近に「新原町田駅緊急バスターミナル」を設置した、これにより一部のバスを除き、新原町田駅を経由させ(但し通過扱い)、緊急バスターミナルへ逃がす事で、マヒ状態にあった交通がだいぶ緩和された。なお、この緊急バスターミナルが町田バスセンターの前身である。(この当時、市民ホール方面への広い道は未開通であった)
その後、駅周辺の再開発に伴い、現在の森野駐在所~市民ホール~町田バスセンター間の道路が完成したため、緊急バスターミナル発着のバスはこの道路を経由するようになり、新原町田駅発着のバスは激減した。また、このときに停留所名称が「町田バスセンター」となった。
この後にも、「新原町田駅」停留所が名称を変更され(現在の「町田駅」に)、原町田駅前停留所も「町田駅(国鉄)」に名称を変更、1983年には、「町田ターミナル」停留所が開業、同時にバスセンター~ターミナル間の道路が開業したため、一部路線がこの区間の直通運転を開始した。なお、この時に「町田駅(国鉄)」停留所は規模を縮小し「町田ターミナル前」停留所に変更された。これは、「町田ターミナル」停留所が市条例に付随する規則により、9時から21時(現在は9時から最終便)までしか利用できないため、時間外における代替停留所として残されたものであり、「町田ターミナル」停留所と「町田ターミナル前」停留所は同一停留所と見て差し支えない。
以上の経緯で町田駅前のバス停留所は移設や改称を繰り返しながら、現在の4箇所になったのである。
かつて、JR町田駅の南口に「町田駅南口」停留所(現在のヨドバシカメラ前あたり)が存在した。ただし、発着本数は非常に少ない上にこれといった案内がされることも無く、10年程度でターミナル発着に置き換えられ消滅した。なお、今後町田駅南口停留所が金森地区コミュニティバス用停留所として復活する予定である。
歴史
1930年xx月xx日 町田乗合バス会社(現在の神奈川中央交通)が、原町田駅~図師、原町田駅~鶴間に路線開業。
xxxx年xx月xx日 新原町田駅停留所開業(現在の「町田駅」停留所)。
1966年xx月xx日 原町田中央通り(町田街道旧道)の大型車通行規制により、上宿・本町田方面への路線は、原町田駅発着から新原町田駅発着に変更。
1967年8月10日 大型車交通規制で発生した新原町田駅付近バス運行マヒ対策で、この日から緊急バスターミナルを使用開始(現在の町田バスセンター)。
1970年1月1日 緊急バスターミナル発着の路線を現在の市民ホール方面に抜けるルートに変更。バスセンター本格開業。
1976年4月11日 小田急線駅名改称に伴い、新原町田駅を町田駅に改称。
1980年4月1日 横浜線駅名改称に伴い、原町田駅を町田駅(国鉄)に変更。原系統と町系統を統一。
1981年4月1日 町田バスセンターを改良・使用開始。西友前・島に乗り場がある現在に近い形になる。
1981年12月27日 町田駅南口バス停使用開始。
1983年10月31日 ターミナルプラザ開業により、町田駅(国鉄)を町田ターミナルに改称。バスセンター-ターミナル直通開始。
1988年7月1日 第2次バスセンター改良工事により、新・町田バスセンター使用開始。乗り場・形は現在と同じ配置。
1992年3月29日 町田駅南口バス停廃止。
2009年4月6日 大和営業所 経路変更。町89系統開業。
停留所の位置関係・運行ルート
※以下、「アイランド」は「バスセンター・アイランド」という名称の、バスセンター中央の島状の区画のことで、のりば1~7が該当する。
町田バスセンターはJR横浜線と小田急小田原線の交点付近の、小田急小田原線の線路下周辺にある。両社の駅に最も近く、JR横浜線は中央口、小田急線は西口改札が至近となる。9時~21時までの間は、以下の森野方面の路線がバスセンター経由ターミナル発着として運転される。
[町12]木曽南団地線、[町14][町15][町24]山崎団地線、[町27]小山田線の一部、[町30][町60]橋本駅北口線、[町41][町42]藤の台団地線。
また、成瀬・金森方面のバスは、始発~8時59分発までバスセンター発着(乗車は町田東急ツインズ・ウェストのイースト側の停留所)となり、その間従来のバスセンター8・9番乗り場は降車所として使用される。なお、バスセンター行は「町田ターミナル前」を経由するが、バスセンター発はターミナルを経由しない。
バスセンターの降車所は位置を除き特に決まっておらず、アイランド内到着の場合は「たまたま空いている」乗り場に停車し、降車となる。
日中から夜間はバスセンターの手前(町田市民ホール付近)から町田ターミナルまでのセンターラインより1車線がバスレーンとなっている。
バスセンター外側(のりば10~15)発の運行に付くバスは、多くが朝6時台~9時台までの間で、市民ホール寄りの銀行前(15番乗り場向かい)にある降車場で降車となる。なお、内側(アイランド内)発車のバスに関してはあまり使用しない。
町田ターミナルは、国鉄横浜線原町田駅の旧駅跡地に立てられた再開発ビル・町田ターミナルプラザのターミナル棟1階にあり、JR町田駅の場合は町田ターミナルプラザの商業棟(2007年8月29日まで東急ハンズがテナントであった)2階の西側にあるターミナル口が近い。なお、鶴間車庫前行深夜バス発車後~翌朝9時の間は、ターミナルビル及びバスターミナル使用時間の関係で閉鎖されるため、バスセンター行・玉川学園前駅行・公共施設巡回のみ、道路上に設置されている「町田ターミナル前」バス停で乗降となる。
2009年4月5日まで、午前9時以降の成瀬・金森方面発町田行のバスは、ターミナル止まりでバスセンターまでは運行されなかった。これは9時以降の町田バスセンターに有効な降車所がないためである。現在は[柿20](小田急バス)を除く全便が町田ターミナル前経由、町田バスセンター行となっており、徒歩移動する必要がなくなった。
町田駅は、小田急線町田駅東口から徒歩3分程度で、POPビル前から西へ伸びている。なお、町田駅へのバス経路である市役所前~町田駅間(鶴川街道)が狭隘道路・駅方面への一方通行のため、駅発のバスは八王子方面へ抜ける町田街道の旧道を経由する。なお、ここのみ昔から位置が変わっていない(旧「新原町田駅」停留所)。
乗り入れ社局
本来は、神奈川中央交通のバスターミナルである。
岩手県交通、小田急バス、神奈川中央交通(相模神奈交バス、湘南神奈交バスを含む)、京浜急行バス、京成バス、中国バス、西日本JRバスが運行
担当営業所は以下の通り
岩手県交通
小田急バス(小田急):町田営業所(F)
神奈川中央交通(神奈中):相模原営業所(さ)、多摩営業所(た)、町田営業所(ま)、大和営業所(や)他
京浜急行バス(京急):羽田営業所
京成バス(京成):千葉営業所
中国バス:広島営業所
西日本JRバス 大阪高速管理所
町田ターミナルでの担当営業所は、上記の括弧のように省略して記す。
乗り場詳細
詳しい乗り場・路線は次以降の節に記載。
経由地の括弧で括った箇所は、停留所名では存在しない案内上の方面等。
特記以外は神奈中・町田営業所
備考欄のBTはターミナル始発又はターミナル経由を示し、その後の数字はターミナルの乗り場を示す。
経路(方面)欄のこの書体(ie等では斜体)は、起終点の停留所を示す(その先への運転のない便がある)。
なお、経路表記ではバスセンターを「町田BC」、ターミナルを「町田BT」と略記する。
経由欄はバスの前面・後面方向幕で案内されている経由地。
2011年1月20日木曜日
神奈川中央交通町田営業所の紹介
神奈川中央交通町田営業所とは、神奈川中央交通の営業所の一つ。東京都町田市を主に管轄する。 営業所の略号は「ま」で、別称は野津田車庫。この営業所の西側に、小田急バス町田営業所が隣接する。
沿革
1941年12月15日 - 関東乗合自動車(現・関東バス)から路線譲受。原町田営業所開設(原町田駅前)
1952年2月23日 - 鶴間営業所開設。原町田営業所を鶴間営業所原町田出張所に組織変更
1957年6月25日 - 町田市森野に町田営業所を開設。鶴間派出所に変更(営業所は現在の市民病院前バス停付近向かい)
1964年5月21日 - 町田営業所鶴間操車所開設(鶴間駅前)
1967年8月10日 - 新原町田駅前西口緊急バスターミナル使用開始(町田バスセンターの原型)
1969年8月20日 - 町田市野津田町へ移転
1970年1月1日 - 緊急バスターミナル発着のバスの新原町田駅経由廃止
1970年7月1日 - 鶴間操車所廃止。大和営業所開設
1970年7月27日 - 鶴川駅発鶴川団地行き(鶴11系統)において、日本では初となる深夜バスの運行を開始。
1977年10月11日 - 複数の団地を巡回する「買物バス」の運行を開始。
1980年 - 町田営業所のみ路線系統番号付与
1981年4月1日 - 町田バスセンター使用開始。西友前と島に分かれる現在に近い形
1983年10月31日 - 町田ターミナル開業
1988年7月1日 - 新・町田バスセンター開業。現在と同じ形・乗り場配置になる。また、市民ホール前~ターミナル間にバス専用レーン実施
1990年2月9日 - 管内全路線でバスカード利用開始。
1996年3月2日 - リフト付きバス導入
1996年8月1日 - 管内全路線でバス共通カードに対応。
1997年11月4日 - 町田市民バス「[町28] まちっこ・相原ルート」運行開始
1998年3月 - 路線バス車内で、傘の販売を開始。
2002年6月16日 - 大規模ダイヤ改正。町98・鶴30・鶴34を廃止、山崎団地・藤の台団地方面を2~5分毎から5~10分毎に減便
2007年1月21日 - 小田原機器製の新型運賃箱導入。全車、従来のレシップ製運賃箱・整理券発行機を今回導入した新型に乗せ換え。
2007年3月16日 - 全路線でGPSによるバスロケーションシステムの運用開始。
2007年9月28日 - ICカードリーダー(PASMO・Suica用アンテナ)の設置開始。
2008年1月20日 - PASMO・Suicaの利用開始
現行路線
町田発着
基本的に、町田バスセンターから境川団地・山崎団地・忠生二丁目・上宿方面(町26のみ出入庫のため共管)の各路線は神奈中町田営業所本体で運行、町76系統は相模神奈交委託車で運行、その他の路線は両者の共管となっている。
また、町田ターミナル発着路線の木曽南団地・山崎団地・小山田・藤の台団地線は、始発~9時までと21時以降は町田バスセンター発着となる。
なお、少々例外はあるが他営業所を含め、町田系統の番号は、以下のように付けられている。
町01~:町田営業所担当の、旧・原町田系統(原21、22等)
町04~:相模原市内方面(相模原営業所)
町10番台~:境川団地方面
町20番台~:市民病院経由、上宿/山崎団地方面
町30番台~:忠生二丁目方面/その他
町40番台~:藤の台団地方面
町50番台~:町田駅発着路線
町60番台~:その他
町70番台~:成瀬街道方面(大和営業所)
町80番台~:町田街道方面(大和営業所)
町91~:その他(大和営業所)
町95~:その他
本稿では以下、町田バスセンターを町田BC、町田ターミナルを町田Tと表記する。
玉川学園前駅方面(町03)
町03:町田BC~町田T~消防署前(市役所入口)~南大谷都営前~玉川学園前駅
町03系統は、平日午前中2本のみ運行のいわゆる免許維持路線である。町田BCを出ると町田Tを経由し、その後北進して町田街道へ。小田急線の跨線橋を渡り市役所前交叉点(バス停は通過)を右折。以後は直進して玉川学園前駅に至る。以前は玉川学園前駅の一つ先の「松風台」まで運行していたが、マンション建設と道路建設に伴い玉川学園前駅まで路線を短縮された。
境川団地方面(町11・12・17・78)
町11:町田BC~境川団地
町12:町田T~境川団地~木曽南団地
町17:町田BC~境川団地~忠生高校~矢部八幡~淵野辺駅北口
町78:町田BC~境川団地~忠生高校~忠生三丁目~図師~野津田車庫
町12系統は、町田BCと市内の木曽南団地を結ぶ路線である。境川団地・木曽南団地方面への主力路線。終点木曽南団地停留所の少し先に折り返し場がある。町11系統はその区間便的存在で、平日の朝に運行される。こちらも境川団地停留所の少し先に折り返し場がある。かつてこの町12系統は大和営業所と共管だった。
町17系統は、町田BCから矢部八幡前で左折するまで、直進し続ける路線。木曽南団地~矢部八幡前の間は比較的新しい造成地である。多摩営業所の町29系統(市民病院経由)より運転本数が少ない。
町78系統は、町17系統と同経路で忠生高校まで直進、その後忠生高校で、町33系統が右折する場所では曲がらず、少し先の交差点を右折、上の原・忠生を通り忠生三丁目へ至る。完全な出入庫系統。
山崎団地方面(町13・14・15・20・23・24・25・35)
町13:町田BC~(急行)~木曽入口~山崎団地センター
町14:町田T~(急行)~木曽入口~山崎団地センター~山崎団地
町15:町田T~境川団地~木曽入口~山崎団地センター~山崎団地
町20:町田BC~境川団地~木曽入口~山崎団地センター
町23:町田BC~市民病院~木曽入口~山崎団地センター
町24:町田T~市民病院~木曽入口~山崎団地センター~山崎団地
町25:町田BC~市民病院~木曽入口~山崎団地センター~薬師池~野津田車庫
町35:町田BC~境川団地~木曽入口~山崎団地センター~薬師池~野津田車庫
町田T・町田BCから山崎団地方面へ向かう路線。町田営業所のメイン路線の一つ。日中でも町田BC~山崎団地センター間は5分毎、山崎団地までは10分毎に運行されている。
主力となるのは、市民病院経由の町24系統・町23系統である。町田BCを出ると森野交差点を右折して都道52号(鎌倉街道)へ入り、森野交差点から都道47号(町田街道)へ入る。市民病院・木曽住宅などを経由し、木曽交差点を右折し、山崎団地センターへ至る。町24系統は山崎団地センターから先、給水塔前・北一号・北二号・山崎団地に至る。なお、町25系統は給水塔前から先も直進し、今井谷戸交差点から都道18号(鎌倉街道)に入り、薬師池・袋橋方面へ進む。
境川団地経由の町15・20・35系統は、町田BCを出ると境川団地まで行き、その先の境川団地北交差点を右折、上横町を経由して木曽交差点へ至る。そこから先は、それぞれ市民病院経由の町24・23・25系統と同じになる。なお町20系統はかつては本数が多かったが、現在は町田BC行始発便と山崎団地センター行最終便のみの運転である。また、土休日の午後の山崎団地発町田T行は、境川団地経由の町15系統の方が、市民病院経由の町24系統よりも多く運行されている。。
急行の町13系統・町14系統は、町田T・町田BCと木曽入口から先の各停留所に停車する。運行経路は、境川団地経由の町15などと同じルート。
町田BCでの乗り場は、町14・15・24が4番、町13が5番、町20・23が6番と分けられている。また町25は7番だが深夜バスのみ6番からの発車、町35は境川団地系統と同じ2番からの発車である。なお境川団地方面の深夜バスを兼ねる町15の深夜バスと後述する町61も2番からの発車となる。
なお、時刻表やバスの行先表示器等の経由地表記において、山崎団地センターを「山団センター」と略すことがある。
日大三高方面(町16)
町16:町田BC~(急行)横町・図師大橋~日大三高
町16:町田BC~(急行)横町~(急行・日向根トンネル)~日大三高[1]
町16系統は、往路は朝のみ、復路は夕方のみ運転の通学路線。経路が2つあり、途中横町と図師大橋に停車する経路(図師大橋まで前述の[町78]と同経路)と、横町のみ停車する経路(矢部八幡交差点まで前述の[町17]と同経路)があるが、時刻表や停留所の表記は経路の区別がない。この路線は学生以外でも利用可能であり、日大三高行きはほぼ学生のみであるが、満員でない限り区間利用もできる。ただし途中停留所では時刻表は掲出されていない。
やくし台方面(町37・61)
町37:町田BC~市民病院~木曽中原~町田木曽会館前~藤の台団地~やくし台センター
町61:町田BC→境川団地→山崎団地センター→藤の台団地→やくし台センター→野津田車庫
町37系統は、町田BCを出ると木曽中原交差点で右折し、木曽団地内を経て、山崎団地センターのバス停の真横で藤の台方面へ曲がる。ただし山崎団地センターには停車しない。開業当初は町25系統のルートで薬師池まで来て、その2つ先の交差点を右に曲がり、やくし台団地(現在のやくし台三丁目付近)まで行くルートだった。その後、市議や藤の台団地住民による市民病院への路線運行要請や、宅地造成の進展・道路開業等により、藤の台経由に変更されてやくし台センター行になったが、さらに木曽団地住民からの要請で木曽団地内経由になるなど、度重なるルート変更があった。木曽団地内経由に変更された当初は、それまで停車していた山崎団地センターに停車しなくなることから、当系統専用の山崎団地センター停留所を設けていた。しかし、従来の乗り場とは離れすぎていたため、後に名称を町田木曽会館前に変更している。
町61系統は、町田BCから境川・山団センター・藤の台を経由して野津田車庫へ行く路線。町35系統と同経路で今井谷戸交差点へ至り、その先はやくし台センターまで町37系統と同経路。その先直進してトンネルをくぐり薬師台交差点を右折して都道18号に入り、袋橋~野津田車庫へ至る。現在、平日24時30分頃・25時頃、土曜24時30分頃の深夜バス・野津田車庫行きのみの運転である。深夜バスのため、全線乗り通すと運賃は560円となる (定期券所持の場合は半額)。
沿革
1941年12月15日 - 関東乗合自動車(現・関東バス)から路線譲受。原町田営業所開設(原町田駅前)
1952年2月23日 - 鶴間営業所開設。原町田営業所を鶴間営業所原町田出張所に組織変更
1957年6月25日 - 町田市森野に町田営業所を開設。鶴間派出所に変更(営業所は現在の市民病院前バス停付近向かい)
1964年5月21日 - 町田営業所鶴間操車所開設(鶴間駅前)
1967年8月10日 - 新原町田駅前西口緊急バスターミナル使用開始(町田バスセンターの原型)
1969年8月20日 - 町田市野津田町へ移転
1970年1月1日 - 緊急バスターミナル発着のバスの新原町田駅経由廃止
1970年7月1日 - 鶴間操車所廃止。大和営業所開設
1970年7月27日 - 鶴川駅発鶴川団地行き(鶴11系統)において、日本では初となる深夜バスの運行を開始。
1977年10月11日 - 複数の団地を巡回する「買物バス」の運行を開始。
1980年 - 町田営業所のみ路線系統番号付与
1981年4月1日 - 町田バスセンター使用開始。西友前と島に分かれる現在に近い形
1983年10月31日 - 町田ターミナル開業
1988年7月1日 - 新・町田バスセンター開業。現在と同じ形・乗り場配置になる。また、市民ホール前~ターミナル間にバス専用レーン実施
1990年2月9日 - 管内全路線でバスカード利用開始。
1996年3月2日 - リフト付きバス導入
1996年8月1日 - 管内全路線でバス共通カードに対応。
1997年11月4日 - 町田市民バス「[町28] まちっこ・相原ルート」運行開始
1998年3月 - 路線バス車内で、傘の販売を開始。
2002年6月16日 - 大規模ダイヤ改正。町98・鶴30・鶴34を廃止、山崎団地・藤の台団地方面を2~5分毎から5~10分毎に減便
2007年1月21日 - 小田原機器製の新型運賃箱導入。全車、従来のレシップ製運賃箱・整理券発行機を今回導入した新型に乗せ換え。
2007年3月16日 - 全路線でGPSによるバスロケーションシステムの運用開始。
2007年9月28日 - ICカードリーダー(PASMO・Suica用アンテナ)の設置開始。
2008年1月20日 - PASMO・Suicaの利用開始
現行路線
町田発着
基本的に、町田バスセンターから境川団地・山崎団地・忠生二丁目・上宿方面(町26のみ出入庫のため共管)の各路線は神奈中町田営業所本体で運行、町76系統は相模神奈交委託車で運行、その他の路線は両者の共管となっている。
また、町田ターミナル発着路線の木曽南団地・山崎団地・小山田・藤の台団地線は、始発~9時までと21時以降は町田バスセンター発着となる。
なお、少々例外はあるが他営業所を含め、町田系統の番号は、以下のように付けられている。
町01~:町田営業所担当の、旧・原町田系統(原21、22等)
町04~:相模原市内方面(相模原営業所)
町10番台~:境川団地方面
町20番台~:市民病院経由、上宿/山崎団地方面
町30番台~:忠生二丁目方面/その他
町40番台~:藤の台団地方面
町50番台~:町田駅発着路線
町60番台~:その他
町70番台~:成瀬街道方面(大和営業所)
町80番台~:町田街道方面(大和営業所)
町91~:その他(大和営業所)
町95~:その他
本稿では以下、町田バスセンターを町田BC、町田ターミナルを町田Tと表記する。
玉川学園前駅方面(町03)
町03:町田BC~町田T~消防署前(市役所入口)~南大谷都営前~玉川学園前駅
町03系統は、平日午前中2本のみ運行のいわゆる免許維持路線である。町田BCを出ると町田Tを経由し、その後北進して町田街道へ。小田急線の跨線橋を渡り市役所前交叉点(バス停は通過)を右折。以後は直進して玉川学園前駅に至る。以前は玉川学園前駅の一つ先の「松風台」まで運行していたが、マンション建設と道路建設に伴い玉川学園前駅まで路線を短縮された。
境川団地方面(町11・12・17・78)
町11:町田BC~境川団地
町12:町田T~境川団地~木曽南団地
町17:町田BC~境川団地~忠生高校~矢部八幡~淵野辺駅北口
町78:町田BC~境川団地~忠生高校~忠生三丁目~図師~野津田車庫
町12系統は、町田BCと市内の木曽南団地を結ぶ路線である。境川団地・木曽南団地方面への主力路線。終点木曽南団地停留所の少し先に折り返し場がある。町11系統はその区間便的存在で、平日の朝に運行される。こちらも境川団地停留所の少し先に折り返し場がある。かつてこの町12系統は大和営業所と共管だった。
町17系統は、町田BCから矢部八幡前で左折するまで、直進し続ける路線。木曽南団地~矢部八幡前の間は比較的新しい造成地である。多摩営業所の町29系統(市民病院経由)より運転本数が少ない。
町78系統は、町17系統と同経路で忠生高校まで直進、その後忠生高校で、町33系統が右折する場所では曲がらず、少し先の交差点を右折、上の原・忠生を通り忠生三丁目へ至る。完全な出入庫系統。
山崎団地方面(町13・14・15・20・23・24・25・35)
町13:町田BC~(急行)~木曽入口~山崎団地センター
町14:町田T~(急行)~木曽入口~山崎団地センター~山崎団地
町15:町田T~境川団地~木曽入口~山崎団地センター~山崎団地
町20:町田BC~境川団地~木曽入口~山崎団地センター
町23:町田BC~市民病院~木曽入口~山崎団地センター
町24:町田T~市民病院~木曽入口~山崎団地センター~山崎団地
町25:町田BC~市民病院~木曽入口~山崎団地センター~薬師池~野津田車庫
町35:町田BC~境川団地~木曽入口~山崎団地センター~薬師池~野津田車庫
町田T・町田BCから山崎団地方面へ向かう路線。町田営業所のメイン路線の一つ。日中でも町田BC~山崎団地センター間は5分毎、山崎団地までは10分毎に運行されている。
主力となるのは、市民病院経由の町24系統・町23系統である。町田BCを出ると森野交差点を右折して都道52号(鎌倉街道)へ入り、森野交差点から都道47号(町田街道)へ入る。市民病院・木曽住宅などを経由し、木曽交差点を右折し、山崎団地センターへ至る。町24系統は山崎団地センターから先、給水塔前・北一号・北二号・山崎団地に至る。なお、町25系統は給水塔前から先も直進し、今井谷戸交差点から都道18号(鎌倉街道)に入り、薬師池・袋橋方面へ進む。
境川団地経由の町15・20・35系統は、町田BCを出ると境川団地まで行き、その先の境川団地北交差点を右折、上横町を経由して木曽交差点へ至る。そこから先は、それぞれ市民病院経由の町24・23・25系統と同じになる。なお町20系統はかつては本数が多かったが、現在は町田BC行始発便と山崎団地センター行最終便のみの運転である。また、土休日の午後の山崎団地発町田T行は、境川団地経由の町15系統の方が、市民病院経由の町24系統よりも多く運行されている。。
急行の町13系統・町14系統は、町田T・町田BCと木曽入口から先の各停留所に停車する。運行経路は、境川団地経由の町15などと同じルート。
町田BCでの乗り場は、町14・15・24が4番、町13が5番、町20・23が6番と分けられている。また町25は7番だが深夜バスのみ6番からの発車、町35は境川団地系統と同じ2番からの発車である。なお境川団地方面の深夜バスを兼ねる町15の深夜バスと後述する町61も2番からの発車となる。
なお、時刻表やバスの行先表示器等の経由地表記において、山崎団地センターを「山団センター」と略すことがある。
日大三高方面(町16)
町16:町田BC~(急行)横町・図師大橋~日大三高
町16:町田BC~(急行)横町~(急行・日向根トンネル)~日大三高[1]
町16系統は、往路は朝のみ、復路は夕方のみ運転の通学路線。経路が2つあり、途中横町と図師大橋に停車する経路(図師大橋まで前述の[町78]と同経路)と、横町のみ停車する経路(矢部八幡交差点まで前述の[町17]と同経路)があるが、時刻表や停留所の表記は経路の区別がない。この路線は学生以外でも利用可能であり、日大三高行きはほぼ学生のみであるが、満員でない限り区間利用もできる。ただし途中停留所では時刻表は掲出されていない。
やくし台方面(町37・61)
町37:町田BC~市民病院~木曽中原~町田木曽会館前~藤の台団地~やくし台センター
町61:町田BC→境川団地→山崎団地センター→藤の台団地→やくし台センター→野津田車庫
町37系統は、町田BCを出ると木曽中原交差点で右折し、木曽団地内を経て、山崎団地センターのバス停の真横で藤の台方面へ曲がる。ただし山崎団地センターには停車しない。開業当初は町25系統のルートで薬師池まで来て、その2つ先の交差点を右に曲がり、やくし台団地(現在のやくし台三丁目付近)まで行くルートだった。その後、市議や藤の台団地住民による市民病院への路線運行要請や、宅地造成の進展・道路開業等により、藤の台経由に変更されてやくし台センター行になったが、さらに木曽団地住民からの要請で木曽団地内経由になるなど、度重なるルート変更があった。木曽団地内経由に変更された当初は、それまで停車していた山崎団地センターに停車しなくなることから、当系統専用の山崎団地センター停留所を設けていた。しかし、従来の乗り場とは離れすぎていたため、後に名称を町田木曽会館前に変更している。
町61系統は、町田BCから境川・山団センター・藤の台を経由して野津田車庫へ行く路線。町35系統と同経路で今井谷戸交差点へ至り、その先はやくし台センターまで町37系統と同経路。その先直進してトンネルをくぐり薬師台交差点を右折して都道18号に入り、袋橋~野津田車庫へ至る。現在、平日24時30分頃・25時頃、土曜24時30分頃の深夜バス・野津田車庫行きのみの運転である。深夜バスのため、全線乗り通すと運賃は560円となる (定期券所持の場合は半額)。
2011年1月19日水曜日
町田市民バス・まちっこについて
町18:町田BC→町田T→天満宮前→市役所前→市民病院正門→市民病院前→森野三丁目→保健所入口→町田BC(公共施設巡回)
町28:町田T~市役所前~市民病院正門~市立室内プール~相原~青少年センター入口 (相原ルート・一部区間急行)
町18・町28系統は、町田市民バスとして町田市が運行補助を行っている路線である。それぞれ専用の車両で運行されている。市の補助があるため町18系統は全線均一100円、町28系統は全線乗り通しても300円と、他路線、また町28ではJR+バス利用よりも安くなっている。但し、バス共通カードとPASMO・Suicaは使用できない。なお、東京都シルバーパスは利用可能である。両系統とも平日のみの運行である。
町18系統は、町田BCを出ると町田Tを経由し、三塚交差点を左折して町田街道新道区間へ入る。そのままこれを進み、市役所・五間道路・市民病院正門を経由、滝の沢交差点を左折して町田街道へ入る。その後町田駅方向へ直進し、森野二丁目停留所(但し停車しない)付近の交差点を右折し、すぐに森野一丁目停留所を経由、その後市民ホール付近を左折し駅前通りと合流、町田BCへ至る。専用の中型車で運転。2006年9月8日までは、森野三丁目を左折し五間道路へ戻り、もと来た道を三塚方面へ引返す市民病院付近を循環する路線で、かつて運行されていた町02系統(旧原22系統)市民病院正門循環線とほぼ同じルートを通っていた。
町28系統は、町田T発(町田BCは経由しない)で、版画美術館入口交差点から町田街道へ入り、原町田四丁目へ至る。その先滝の沢交差点まで町18系統と同じルートで運行し、その先は急行区間となる。忠生公園入口交差点で町田街道をそれ、忠生公園前、市立室内プールなど公共施設を経由し、再び町田街道へ戻る。久保ヶ谷戸までが急行区間であり、その先は終点まで各停留所に停車する。JR横浜線相原駅最寄の相原を経て、終点青少年センター入口に至る。運転本数は平日のみ3本の運転となっている。終点の一つ先の大戸は相模原市となるため、他の路線は大戸行きだが、この路線だけは町田市域である青少年センター入口が終点となっている。専用の小型車で運行。
11番乗り場発市民病院・上宿方面(町26・38・39)
町26:町田BC~市民病院~上宿~根岸~図師~野津田車庫
町38:町田BC~市民病院~上宿~根岸~市立室内プール
町39:町田BC~市民病院~上宿~根岸~市立室内プール~日大三高入口~図師~野津田車庫
町26系統は町田BCと野津田車庫を結ぶ路線であり、市民病院・上宿方面の主力である。町田BCを出ると森野交差点を右折して都道52号(鎌倉街道)へ入り、森野交差点から都道47号(町田街道)へ入る。そのまま町田街道を直進し、上宿などを経て根岸交差点を右折して都道57号(芝溝街道)へ入り、直進して町田営業所のある野津田車庫へ至る。
町39系統は、町田BCと野津田車庫を市立室内プール経由で結ぶ路線。町田街道を桜美林学園東交差点で右折し、市立室内プールへ。その先直進し、日大三高入口交差点を右折して都道155号へ。突き当たりの図師大橋交差点を左折して芝溝街道へ入り、野津田車庫へ至る。町田から来た場合、図師大橋~野津田車庫まで乗ってしまうと、町26系統より運賃が高くなってしまう。現在は市立室内プール方面の主力系統であるが、開設当初の主力は市立室内プール止まりの町38系統であり、町39は本数が非常に少なかった。それが1997年頃のダイヤ改正で町39系統が増便されるとともに、町38系統は平日朝1往復のみの運行となった。
12番乗り場発市民病院・上宿方面(町21・22・27・31・36・45)
町21:町田BC~森野三丁目~市民病院正門
町22:町田BC←市民病院←上宿
町27:町田T~市民病院~上宿~根岸~図師大橋~日大三高入口~小山田(多摩営業所と共管)
町31:町田BC~市民病院~上宿~根岸~図師~日大三高東~多摩丘陵病院
町36:町田BC~市民病院~上宿~根岸~図師~小野神社前~五反田~大蔵~鶴川駅
町45:町田BC~市民病院~上宿~根岸~図師~都立野津田高校
町21系統は、町田BCから市民病院正門まで行く短距離路線である。森野交差点は直進し、旭町交差点を右折して都道47号新道を通って市民病院正門へ。町田BC行きは、折り返さずそのまま滝の沢交差点まで進み、左折して町田街道へ入り、後は他の市民病院方面系統と同じ経路で町田BCへ向かう。運行経路は循環経路になっており、実際昔は循環路線であった。今は朝の市民病院正門発がメイン(混雑緩和のため)である。
町22系統は、町26系統の区間便のような形になる。昔は20往復以上あった[2]が、現在は平日朝1本の上宿発の設定のみ。
町27系統は、町田T・BCと市北西部の小山田を結ぶ路線である。町26系統と同じ経路で芝溝街道へ入り、図師大橋交差点から都道155号へ入り、直進して小山田へ向かう。日大三高入口~小山田間沿線は現在宅地造成、道路整備中であり、狭隘区間がある。多摩営業所と共管路線。なお、ほかの町田T発着系統に日中の町田BC発着は存在しないのに対し、町27系統は日中でも一部が町田BC発着となっている。
町31系統は、町田BCと市北部にある多摩丘陵病院を結ぶ路線である。町26系統と同じ経路で芝溝街道へ入り、図師交差点を左折して多摩丘陵病院へ向かう。
町36系統は、町田BCと鶴川駅を市民病院・図師を経由して結ぶ路線。町26系統と同じ経路で芝溝街道を並木交差点まで行き、そこから左折して都道156号へ入る。その先小野神社前交差点を左折、五反田を通り、大蔵交差点で再び芝溝街道へ戻り鶴川駅へ至る。単独運行区間のろう話学校~小野神社前までは1日数本のバスが通るのみ。昔は町26系統と後述の鶴33系統を合わせた経路だった。
町45系統は、途中まで町36系統と同じ経路で、野津田高校入口停留所手前の交差点を右折、細く急な坂を上り終点に着く。学生輸送専用と言っても良いような路線で、本数も非常に少ない。
なお、町16系統が朝の通学時間帯のみの運行のため、それ以後町田BCから日大三高へ向かう場合は町26・27・31・39系統を利用することになる、その為、11・12番乗り場のポールには日大三高への最寄停留所とそこからの徒歩の所要時間が記載されている。
忠生二丁目・小山田桜台方面(町32・34)
町32:町田BC~境川団地~忠生公園入口~忠生二丁目~忠生三丁目~桜美林学園~小山田桜台
町34:町田BC~市民病院~忠生公園入口~忠生二丁目~忠生三丁目~桜美林学園~小山田桜台
町田BCと小山田桜台を境川団地経由で結び、小山田桜台団地へ向かう主力路線である。町15系統と同じルートで木曽入口交叉点へ、その後町田街道へ入り忠生公園入口交差点で右折、忠生公園前を経て山崎小学校南交差点を左折して都道57号へ入る。町田工業高校を経て、忠生四丁目交差点で都道57号を離れる。桜美林学園停留所先の交差点を右折し、直進して小山田桜台入口交差点を左折して小山田桜台団地内に入り、団地内を半周するような形で、終点小山田桜台へ至る。平日・土曜の日中は、毎時1本程度が市民病院経由の町34系統で運行される。なお、町32系統は忠生高校を経由しない。
下山崎方面(町33・66)
町33:町田BC~境川団地~忠生高校~忠生公園入口~忠生二丁目~下山崎
町66:町田BC~市民病院~忠生公園入口~忠生二丁目~下山崎
町33系統は、町田BCと下山崎とを境川団地経由で結ぶ路線で、下山崎へ向かう主力路線である。こちらは町田駅前通りを直進し、木曽南団地を経由し忠生高校南交差点を右折、忠生高校・忠生公園・忠生二丁目などを経由し、山崎団地の西側にあたる終点下山崎へ至る。平日の日中は、毎時1本程度が市民病院経由の町66系統で運行される。
藤の台団地方面(町41・42)
町41:町田T~森野三丁目~菅原神社前~市立博物館前~藤の台団地
町42:町田T~(急行)~市立博物館前~藤の台団地
町41系統は、町田Tと藤の台団地とを結ぶ路線で、朝夕2~10分、日中9分間隔で運行されている。
町田を出ると森野交番前交差点を右折し、都道52号・都道3号(鶴川街道)を経て金井一丁目交差点を左折し、終点藤の台団地へ至る。藤の台団地だけでなく途中区間でも沿線人口が多く、また町田郵便局・警察署・市民体育館・市立博物館といった公共施設を経由するということもあり、日中でも混雑している。また平日6時~7時台の復路や22時台の往路は、乗りきれないほどの乗客がいる。
町42系統は、町田Tと藤の台団地間とを結ぶ急行路線で、町田BCと市立博物館前~藤の台団地間の各停留所に停車する。通過区間に町田郵便局前など町田BCからは町41系統しか経由しないバス停が含まれるため、山崎団地方面の急行に比べると運転本数は少なめである。
なお、神奈中で唯一「42」を付番された系統である。これは、全社的には「42」「49」が欠番となっているが、それ以前の東京バス協会による系統番号付番では考慮されていなかったためであり、既に定着している番号の変更を避けるため、例外扱いとなった。
町田駅発着路線(町50・51・52・53・55)
町50:町田駅~菅原神社前~藤の台団地~木倉~金井~鶴川駅~センター前~鶴川団地 (買物バス)
町51:町田駅→(本町田団地循環)菅原神社前→ストアー前→南大谷都営前→消防署前→町田駅
町52:町田駅~菅原神社前~木倉~金井~鶴川駅
町53:町田駅~菅原神社前~本町田~薬師池~大蔵~鶴川駅
町54:町田駅~菅原神社前~藤の台団地~木倉~金井~鶴川駅
町55:町田駅~菅原神社前~本町田~薬師池~野津田車庫
小田急線町田駅北側にある町田駅停留所を発着する路線。以下の通りに分類できる。
鶴川街道方面へ向かう路線(町50・52・54)
本町田・薬師池方面へ向かう路線(町53・55)
本町田団地循環線(町51)
町田駅周辺の経路は、町51系統を除く路線は、各方面から来て旭町交差点を左折して町田街道新道を進み、五間道路→図書館前を経て市役所前交差点を右折、市役所前停留所から人通りの多い一方通行の狭隘路を通り、その先の小田急線踏切手前を2箇所右折し、町田駅へ至る。町田駅を出ると、町田街道を保健所前→森野二丁目を経て森野交差点まで直進、右折して都道52号に入り森野三丁目を経て旭町交差点へ至る。この区間は循環経路ではあるが、町田駅をまたいでの乗車はできない。
町50・52・54系統は、鎌倉街道を通り菅原神社で右折、その先は鶴川街道(市立博物館・木倉・金井など)を経由し鶴川駅へ至る路線。町50・54系統は途中藤の台団地を経由する。また町50系統は鶴川駅より先、後述の鶴11系統と同経路で鶴川団地まで運行されており、鶴川駅~鶴川団地間で小田急バスとの共通定期が利用できる。主力である町52系統は藤の台団地を素通りすることもあって、朝や夜の便は大混雑の町41とは対照的にガラガラで走っている。ただし町53・55系統も利用が多いため、併走区間(町田駅~金井小学校入口)での利用者救済の役割を果たしているとも言える。町50系統は「買物バス」としての設定で日中のみの運行。町54系統も町田発は朝の数本及び夜の1本を除き、ほとんど昼間の運行である。鶴川発は朝~夕方まで40分毎程度で走っている。
町51系統は、町田駅を出ると町52系統などと同経路で進み、菅原神社及び日向台交差点を右折して養運寺~南大谷都営前などを経由し、市役所前停留所の真横を素通り、その先は他路線と同様の経路で町田駅へ至る。なお、本町田団地という名称のバス停は存在せず、路線名、バスの行先表示と定期券の券面表示のみの名称である。また町51系統は本町田停留所は経由しない。
町53・55系統は、鎌倉街道を経由して本町田方面へ向かう路線。菅原神社から先、本町田・薬師池などを経て、町53系統は袋橋を右折して芝溝街道を大蔵方面へ走り鶴川駅へ、町55系統は袋橋を左折して芝溝街道を走り野津田車庫へと至る。主力は町55系統であり、町田駅発着路線の中では最も運行本数が多く、利用客も多い。一方、町53系統は町55系統の間合運用的な存在で、本数は少なく40~60分間隔程度で運行される。また町田駅~菅原神社前・金井入口~鶴川駅の相互間を乗り通すと、町52よりも運賃が高くなる。
町28:町田T~市役所前~市民病院正門~市立室内プール~相原~青少年センター入口 (相原ルート・一部区間急行)
町18・町28系統は、町田市民バスとして町田市が運行補助を行っている路線である。それぞれ専用の車両で運行されている。市の補助があるため町18系統は全線均一100円、町28系統は全線乗り通しても300円と、他路線、また町28ではJR+バス利用よりも安くなっている。但し、バス共通カードとPASMO・Suicaは使用できない。なお、東京都シルバーパスは利用可能である。両系統とも平日のみの運行である。
町18系統は、町田BCを出ると町田Tを経由し、三塚交差点を左折して町田街道新道区間へ入る。そのままこれを進み、市役所・五間道路・市民病院正門を経由、滝の沢交差点を左折して町田街道へ入る。その後町田駅方向へ直進し、森野二丁目停留所(但し停車しない)付近の交差点を右折し、すぐに森野一丁目停留所を経由、その後市民ホール付近を左折し駅前通りと合流、町田BCへ至る。専用の中型車で運転。2006年9月8日までは、森野三丁目を左折し五間道路へ戻り、もと来た道を三塚方面へ引返す市民病院付近を循環する路線で、かつて運行されていた町02系統(旧原22系統)市民病院正門循環線とほぼ同じルートを通っていた。
町28系統は、町田T発(町田BCは経由しない)で、版画美術館入口交差点から町田街道へ入り、原町田四丁目へ至る。その先滝の沢交差点まで町18系統と同じルートで運行し、その先は急行区間となる。忠生公園入口交差点で町田街道をそれ、忠生公園前、市立室内プールなど公共施設を経由し、再び町田街道へ戻る。久保ヶ谷戸までが急行区間であり、その先は終点まで各停留所に停車する。JR横浜線相原駅最寄の相原を経て、終点青少年センター入口に至る。運転本数は平日のみ3本の運転となっている。終点の一つ先の大戸は相模原市となるため、他の路線は大戸行きだが、この路線だけは町田市域である青少年センター入口が終点となっている。専用の小型車で運行。
11番乗り場発市民病院・上宿方面(町26・38・39)
町26:町田BC~市民病院~上宿~根岸~図師~野津田車庫
町38:町田BC~市民病院~上宿~根岸~市立室内プール
町39:町田BC~市民病院~上宿~根岸~市立室内プール~日大三高入口~図師~野津田車庫
町26系統は町田BCと野津田車庫を結ぶ路線であり、市民病院・上宿方面の主力である。町田BCを出ると森野交差点を右折して都道52号(鎌倉街道)へ入り、森野交差点から都道47号(町田街道)へ入る。そのまま町田街道を直進し、上宿などを経て根岸交差点を右折して都道57号(芝溝街道)へ入り、直進して町田営業所のある野津田車庫へ至る。
町39系統は、町田BCと野津田車庫を市立室内プール経由で結ぶ路線。町田街道を桜美林学園東交差点で右折し、市立室内プールへ。その先直進し、日大三高入口交差点を右折して都道155号へ。突き当たりの図師大橋交差点を左折して芝溝街道へ入り、野津田車庫へ至る。町田から来た場合、図師大橋~野津田車庫まで乗ってしまうと、町26系統より運賃が高くなってしまう。現在は市立室内プール方面の主力系統であるが、開設当初の主力は市立室内プール止まりの町38系統であり、町39は本数が非常に少なかった。それが1997年頃のダイヤ改正で町39系統が増便されるとともに、町38系統は平日朝1往復のみの運行となった。
12番乗り場発市民病院・上宿方面(町21・22・27・31・36・45)
町21:町田BC~森野三丁目~市民病院正門
町22:町田BC←市民病院←上宿
町27:町田T~市民病院~上宿~根岸~図師大橋~日大三高入口~小山田(多摩営業所と共管)
町31:町田BC~市民病院~上宿~根岸~図師~日大三高東~多摩丘陵病院
町36:町田BC~市民病院~上宿~根岸~図師~小野神社前~五反田~大蔵~鶴川駅
町45:町田BC~市民病院~上宿~根岸~図師~都立野津田高校
町21系統は、町田BCから市民病院正門まで行く短距離路線である。森野交差点は直進し、旭町交差点を右折して都道47号新道を通って市民病院正門へ。町田BC行きは、折り返さずそのまま滝の沢交差点まで進み、左折して町田街道へ入り、後は他の市民病院方面系統と同じ経路で町田BCへ向かう。運行経路は循環経路になっており、実際昔は循環路線であった。今は朝の市民病院正門発がメイン(混雑緩和のため)である。
町22系統は、町26系統の区間便のような形になる。昔は20往復以上あった[2]が、現在は平日朝1本の上宿発の設定のみ。
町27系統は、町田T・BCと市北西部の小山田を結ぶ路線である。町26系統と同じ経路で芝溝街道へ入り、図師大橋交差点から都道155号へ入り、直進して小山田へ向かう。日大三高入口~小山田間沿線は現在宅地造成、道路整備中であり、狭隘区間がある。多摩営業所と共管路線。なお、ほかの町田T発着系統に日中の町田BC発着は存在しないのに対し、町27系統は日中でも一部が町田BC発着となっている。
町31系統は、町田BCと市北部にある多摩丘陵病院を結ぶ路線である。町26系統と同じ経路で芝溝街道へ入り、図師交差点を左折して多摩丘陵病院へ向かう。
町36系統は、町田BCと鶴川駅を市民病院・図師を経由して結ぶ路線。町26系統と同じ経路で芝溝街道を並木交差点まで行き、そこから左折して都道156号へ入る。その先小野神社前交差点を左折、五反田を通り、大蔵交差点で再び芝溝街道へ戻り鶴川駅へ至る。単独運行区間のろう話学校~小野神社前までは1日数本のバスが通るのみ。昔は町26系統と後述の鶴33系統を合わせた経路だった。
町45系統は、途中まで町36系統と同じ経路で、野津田高校入口停留所手前の交差点を右折、細く急な坂を上り終点に着く。学生輸送専用と言っても良いような路線で、本数も非常に少ない。
なお、町16系統が朝の通学時間帯のみの運行のため、それ以後町田BCから日大三高へ向かう場合は町26・27・31・39系統を利用することになる、その為、11・12番乗り場のポールには日大三高への最寄停留所とそこからの徒歩の所要時間が記載されている。
忠生二丁目・小山田桜台方面(町32・34)
町32:町田BC~境川団地~忠生公園入口~忠生二丁目~忠生三丁目~桜美林学園~小山田桜台
町34:町田BC~市民病院~忠生公園入口~忠生二丁目~忠生三丁目~桜美林学園~小山田桜台
町田BCと小山田桜台を境川団地経由で結び、小山田桜台団地へ向かう主力路線である。町15系統と同じルートで木曽入口交叉点へ、その後町田街道へ入り忠生公園入口交差点で右折、忠生公園前を経て山崎小学校南交差点を左折して都道57号へ入る。町田工業高校を経て、忠生四丁目交差点で都道57号を離れる。桜美林学園停留所先の交差点を右折し、直進して小山田桜台入口交差点を左折して小山田桜台団地内に入り、団地内を半周するような形で、終点小山田桜台へ至る。平日・土曜の日中は、毎時1本程度が市民病院経由の町34系統で運行される。なお、町32系統は忠生高校を経由しない。
下山崎方面(町33・66)
町33:町田BC~境川団地~忠生高校~忠生公園入口~忠生二丁目~下山崎
町66:町田BC~市民病院~忠生公園入口~忠生二丁目~下山崎
町33系統は、町田BCと下山崎とを境川団地経由で結ぶ路線で、下山崎へ向かう主力路線である。こちらは町田駅前通りを直進し、木曽南団地を経由し忠生高校南交差点を右折、忠生高校・忠生公園・忠生二丁目などを経由し、山崎団地の西側にあたる終点下山崎へ至る。平日の日中は、毎時1本程度が市民病院経由の町66系統で運行される。
藤の台団地方面(町41・42)
町41:町田T~森野三丁目~菅原神社前~市立博物館前~藤の台団地
町42:町田T~(急行)~市立博物館前~藤の台団地
町41系統は、町田Tと藤の台団地とを結ぶ路線で、朝夕2~10分、日中9分間隔で運行されている。
町田を出ると森野交番前交差点を右折し、都道52号・都道3号(鶴川街道)を経て金井一丁目交差点を左折し、終点藤の台団地へ至る。藤の台団地だけでなく途中区間でも沿線人口が多く、また町田郵便局・警察署・市民体育館・市立博物館といった公共施設を経由するということもあり、日中でも混雑している。また平日6時~7時台の復路や22時台の往路は、乗りきれないほどの乗客がいる。
町42系統は、町田Tと藤の台団地間とを結ぶ急行路線で、町田BCと市立博物館前~藤の台団地間の各停留所に停車する。通過区間に町田郵便局前など町田BCからは町41系統しか経由しないバス停が含まれるため、山崎団地方面の急行に比べると運転本数は少なめである。
なお、神奈中で唯一「42」を付番された系統である。これは、全社的には「42」「49」が欠番となっているが、それ以前の東京バス協会による系統番号付番では考慮されていなかったためであり、既に定着している番号の変更を避けるため、例外扱いとなった。
町田駅発着路線(町50・51・52・53・55)
町50:町田駅~菅原神社前~藤の台団地~木倉~金井~鶴川駅~センター前~鶴川団地 (買物バス)
町51:町田駅→(本町田団地循環)菅原神社前→ストアー前→南大谷都営前→消防署前→町田駅
町52:町田駅~菅原神社前~木倉~金井~鶴川駅
町53:町田駅~菅原神社前~本町田~薬師池~大蔵~鶴川駅
町54:町田駅~菅原神社前~藤の台団地~木倉~金井~鶴川駅
町55:町田駅~菅原神社前~本町田~薬師池~野津田車庫
小田急線町田駅北側にある町田駅停留所を発着する路線。以下の通りに分類できる。
鶴川街道方面へ向かう路線(町50・52・54)
本町田・薬師池方面へ向かう路線(町53・55)
本町田団地循環線(町51)
町田駅周辺の経路は、町51系統を除く路線は、各方面から来て旭町交差点を左折して町田街道新道を進み、五間道路→図書館前を経て市役所前交差点を右折、市役所前停留所から人通りの多い一方通行の狭隘路を通り、その先の小田急線踏切手前を2箇所右折し、町田駅へ至る。町田駅を出ると、町田街道を保健所前→森野二丁目を経て森野交差点まで直進、右折して都道52号に入り森野三丁目を経て旭町交差点へ至る。この区間は循環経路ではあるが、町田駅をまたいでの乗車はできない。
町50・52・54系統は、鎌倉街道を通り菅原神社で右折、その先は鶴川街道(市立博物館・木倉・金井など)を経由し鶴川駅へ至る路線。町50・54系統は途中藤の台団地を経由する。また町50系統は鶴川駅より先、後述の鶴11系統と同経路で鶴川団地まで運行されており、鶴川駅~鶴川団地間で小田急バスとの共通定期が利用できる。主力である町52系統は藤の台団地を素通りすることもあって、朝や夜の便は大混雑の町41とは対照的にガラガラで走っている。ただし町53・55系統も利用が多いため、併走区間(町田駅~金井小学校入口)での利用者救済の役割を果たしているとも言える。町50系統は「買物バス」としての設定で日中のみの運行。町54系統も町田発は朝の数本及び夜の1本を除き、ほとんど昼間の運行である。鶴川発は朝~夕方まで40分毎程度で走っている。
町51系統は、町田駅を出ると町52系統などと同経路で進み、菅原神社及び日向台交差点を右折して養運寺~南大谷都営前などを経由し、市役所前停留所の真横を素通り、その先は他路線と同様の経路で町田駅へ至る。なお、本町田団地という名称のバス停は存在せず、路線名、バスの行先表示と定期券の券面表示のみの名称である。また町51系統は本町田停留所は経由しない。
町53・55系統は、鎌倉街道を経由して本町田方面へ向かう路線。菅原神社から先、本町田・薬師池などを経て、町53系統は袋橋を右折して芝溝街道を大蔵方面へ走り鶴川駅へ、町55系統は袋橋を左折して芝溝街道を走り野津田車庫へと至る。主力は町55系統であり、町田駅発着路線の中では最も運行本数が多く、利用客も多い。一方、町53系統は町55系統の間合運用的な存在で、本数は少なく40~60分間隔程度で運行される。また町田駅~菅原神社前・金井入口~鶴川駅の相互間を乗り通すと、町52よりも運賃が高くなる。
2011年1月18日火曜日
神奈川中央交通町田営業所の廃止路線について
町田系統
町01:町田BC~団地入口~鵜野森~相模大野駅
相模原営業所で運行されていた町07系統と同じルートを通っていた路線である。なお、町07系統も現在は廃止されて運行されていない。
町02:町田T~市役所前~市民病院正門
2006年9月11日までの町18系統のルートとほぼ同じルートを通っていた路線。但し、バスセンターには行かずターミナル発着であった。原町田駅時代は、原22系統・中央病院循環として、市民病院を循環していた。
町28:町田BC~桜美林学園
現在の町28系統とは違う路線で、桜美林学園の学生輸送用だった。末期は平日片道3本のみ運行。終点の桜美林学園は、「桜美林学園前」や「桜美林学園」停留所とは全く別の場所であり、現在町38・町39・淵30・淵67系統が停車している「桜美林学園東」バス停付近で、特にバス停ポールはなかった。
町47・町48:町田T~本町田団地~藤の台団地~山崎団地センター~境川団地~町田ターミナル
「買物バス」と言う設定の循環路線。町47系統が境川先廻り(右廻り)、町48系統が本町田団地先回り(左廻り)である。1977年10月11日より運行を開始したもので、それまでは団地の住民は居住する団地か駅近辺の商業店舗のいずれかを利用することになっていた。複数の団地を結ぶことで、各団地の店舗を回ることが可能になるとともに、団地間の交流の活性化を図って設定された[4]。
1992年頃は毎日運行であった[5]が、末期は休日昼のみ運転されていた。
上横町~山崎団地センター~藤の台~市立博物館からの乗降のみ、町47・町48どちらの系統でも同額運賃だった。(230円)
町98:藤の台団地~山崎団地センター・上宿~根岸~市立室内プール
「町」系統で唯一、町田駅やBCなどを全く経由しない路線だった。
運行目的は、公団の大規模団地である「山崎団地」「藤の台団地」から市民プールへの輸送用であったが、休日のみ4本運転という少なさや、往復500円という運賃などから、利用者はあまりいなかった。
現在でも、「木曽」「上宿」等一部のバス停で、この路線の表記が見られる。
他の営業所に移管した路線
町29:町田バスセンター~市民病院・上宿・桜美林学園前~淵野辺駅北口
市民病院を経由し淵野辺へ至る路線。相模原へ移管後、さらに多摩営業所へ移管された。
町30:町田ターミナル~市民病院・上宿・矢部~橋本駅北口
矢部方面へのメイン路線。当初相模原・津久井と共管で、全社的にも数少ない3営業所共管路線であった。町田は朝晩のみの担当。後に相模原→多摩の順で移管された。
古02 古淵駅~境川団地~山崎団地センター~山崎団地
当初は町田単独、その後相模原と共管となった後、その後相模原→多摩と移管された。
古03 古淵駅~境川団地~山崎団地センター~藤の台団地
当初は町田単独、その後上記の古02系統と同時に相模原と共管となり、その後多摩へ移管。
桜24 聖蹟桜ヶ丘駅~永山駅~京王多摩車庫~五反田~井の花~鶴川駅
永山方面へのメイン路線。町田担当時は、京王と併せて20分毎に運転されてたこともあった。当初は京王バスとの共同運行、多摩営業所開設により移管された。その後京王が撤退したため、現在は神奈中の単独運行である。
その他、数多く(特に鶴川発着の多摩方面路線・多摩市内の路線・淵野辺発着路線等)が多摩営業所に移管されている。詳しくは多摩営業所を参照。
営業所へのアクセス
町田駅から
町田BC のりば12 [ 町26 ] 図師・野津田車庫 行
町田駅 のりば21 [ 町55 ] 本町田・野津田車庫 行
上記の他の野津田車庫行も利用可能
鶴川駅から
[ 鶴33 ] 野津田車庫 行
この他にも路線はあるが、本数が少ないなどの為に割愛する(下記又は町田バスセンター、鶴川駅、淵野辺駅等の記事を参照のこと)。
バスのりば (野津田車庫バス停留所)
図師方面のりば
町26 図師・上宿・市民病院方面 町田バスセンター 行
町39 図師・市立室内プール方面 町田バスセンター 行
町78 図師・忠生高校・境川団地方面 町田バスセンター 行
鶴37・淵23・淵24 図師方面 淵野辺駅北口 行
袋橋方面のりば
町25 山崎団地センター・市民病院方面 町田バスセンター 行
町35 山崎団地センター・境川団地方面 町田バスセンター 行
町55 本町田・町田郵便局・市役所方面 町田駅 行
鶴33・鶴37 大蔵(鶴川郵便局)方面 鶴川駅 行
淵24 鶴川駅・柿生駅・生田駅方面 登戸 行
▼横浜町田インターチェンジ
横浜町田インターチェンジ(よこはままちだインターチェンジ)は、神奈川県横浜市緑区と東京都町田市の境界付近にある、東名高速道路のインターチェンジである。国道16号・保土ヶ谷バイパス、そして、大和バイパスに連絡している。至近に国道246号が走る。
横浜市・町田市・相模原市など人口の多い区域への最寄の出入り口であるだけでなく、保土ヶ谷バイパス・首都高速道路狩場線・湾岸線・東京湾アクアラインを通って横須賀市方面、東京都東部・千葉県方面に抜けるルートの起点ともなっている非常に重要なインターチェンジである。そのため、流入・流出台数共に非常に多く常に混雑しており、交通量増加に対応して後から設備増強している部分もある為、走行上注意が必要なところもある。
付近の道路
国道246号 (大山街道)
東京都道141号辻原町田線 (町田街道)
横浜市主要地方道18号環状4号線(海軍道路・環状4号)
神奈川県道・東京都道56号目黒町町田線(旧16号)
神奈川県道50号座間大和線(座間街道)
神奈川県道401号瀬谷柏尾線(瀬谷柏尾道路)
▼町田街道
町田街道は東京都八王子市東浅川町の町田街道入口交差点(国道20号交点)から町田市の中心部を通って町田市鶴間の町田市辻交差点(国道246号交点)までを結ぶ道路の通称である。ほぼ全区間、東京湾と相模湾の分水界に沿っている。
概要
町田街道は、町田市を北西から南にほぼ縦断する、町田市内の主要道路の一つとなっている。片側一車線の区間がほとんどで、特に市内南部の区間などでは慢性的な混雑を抱えている。現在多摩境駅付近の拡幅工事を行っている。俗に、「マチカイ」と略されることがある。
滝の沢交差点から三塚交差点までの区間は新道(但し片側1.5車線)が建設され、車の流れはこちらがメインとなっている。旧道は、町田駅脇の小田急線玉川学園8号踏切から町田ターミナル付近まで(原町田4丁目、6丁目)は町田市中心部のメインストリートの一つ(原町田中央通り)となっており、一方通行になっているほか、時間帯や日によって、歩行者天国化するために一部もしくはほとんどが車両通行止めとなる。
また、既存の新道も狭く渋滞が多いため、常盤駐在所交差点から芹ヶ谷公園付近にかけて、更なるバイパス (都市計画道路 町田3・3・36号線) の建設が計画されており、一部が既に供用されている。2007年10月13日には、建設中だった山崎団地~木曽団地内が開通した。(常盤駐在所~木曽団地内は供用済、本町田小学校西側~市民病院東は事業認可取得)但し、このバイパスも片側1.5車線である。なお、将来の多摩都市モノレールを町田駅に延伸する際は、このバイパスが導入空間となる。
現在全ての区間が都道となっている。各区間のデータに関しては下記の項目を参照のこと。
町田街道入口交差点~三塚交差点:東京都道47号八王子町田線
原町田中央通り交差点~三塚交差点:神奈川県道・東京都道56号目黒町町田線(都道47号線と重複)
三塚交差点~金森郵便局前交差点:同上(都道141号線と重複)
三塚交差点~町田市辻交差点:東京都道141号辻原町田線
歴史
幕末から明治時代、八王子を集荷地とし横浜港の輸出を結び最大の貿易商品絹を運ぶ街道として繁栄し、現在は「絹の道」と名づけて記念している。原町田が中継地だったため、町田駅前の旧道には「絹の道」の碑が立てられている。また、町田街道とは別の浜街道と呼ばれる絹の道も存在する。(こちらの浜街道は現在の国道16号の旧道に相当する。町田街道が旧来の道を幅を広げて発展したのに対し、浜街道は軍都計画の為、戦中以降全く新しい道に姿を変えてしまった。)
ただし、当時の「絹の道」は、八王子との間の山越えのルートは国道16号に近い八王子市鑓水付近を通っており、それよりも西の八王子市館町付近を通る現在の町田街道とは、北西部の一部で経路が異なる。
なお、八王子から横浜までの運輸を目的に1908年に横浜鉄道(現在のJR横浜線)が開業している。
町01:町田BC~団地入口~鵜野森~相模大野駅
相模原営業所で運行されていた町07系統と同じルートを通っていた路線である。なお、町07系統も現在は廃止されて運行されていない。
町02:町田T~市役所前~市民病院正門
2006年9月11日までの町18系統のルートとほぼ同じルートを通っていた路線。但し、バスセンターには行かずターミナル発着であった。原町田駅時代は、原22系統・中央病院循環として、市民病院を循環していた。
町28:町田BC~桜美林学園
現在の町28系統とは違う路線で、桜美林学園の学生輸送用だった。末期は平日片道3本のみ運行。終点の桜美林学園は、「桜美林学園前」や「桜美林学園」停留所とは全く別の場所であり、現在町38・町39・淵30・淵67系統が停車している「桜美林学園東」バス停付近で、特にバス停ポールはなかった。
町47・町48:町田T~本町田団地~藤の台団地~山崎団地センター~境川団地~町田ターミナル
「買物バス」と言う設定の循環路線。町47系統が境川先廻り(右廻り)、町48系統が本町田団地先回り(左廻り)である。1977年10月11日より運行を開始したもので、それまでは団地の住民は居住する団地か駅近辺の商業店舗のいずれかを利用することになっていた。複数の団地を結ぶことで、各団地の店舗を回ることが可能になるとともに、団地間の交流の活性化を図って設定された[4]。
1992年頃は毎日運行であった[5]が、末期は休日昼のみ運転されていた。
上横町~山崎団地センター~藤の台~市立博物館からの乗降のみ、町47・町48どちらの系統でも同額運賃だった。(230円)
町98:藤の台団地~山崎団地センター・上宿~根岸~市立室内プール
「町」系統で唯一、町田駅やBCなどを全く経由しない路線だった。
運行目的は、公団の大規模団地である「山崎団地」「藤の台団地」から市民プールへの輸送用であったが、休日のみ4本運転という少なさや、往復500円という運賃などから、利用者はあまりいなかった。
現在でも、「木曽」「上宿」等一部のバス停で、この路線の表記が見られる。
他の営業所に移管した路線
町29:町田バスセンター~市民病院・上宿・桜美林学園前~淵野辺駅北口
市民病院を経由し淵野辺へ至る路線。相模原へ移管後、さらに多摩営業所へ移管された。
町30:町田ターミナル~市民病院・上宿・矢部~橋本駅北口
矢部方面へのメイン路線。当初相模原・津久井と共管で、全社的にも数少ない3営業所共管路線であった。町田は朝晩のみの担当。後に相模原→多摩の順で移管された。
古02 古淵駅~境川団地~山崎団地センター~山崎団地
当初は町田単独、その後相模原と共管となった後、その後相模原→多摩と移管された。
古03 古淵駅~境川団地~山崎団地センター~藤の台団地
当初は町田単独、その後上記の古02系統と同時に相模原と共管となり、その後多摩へ移管。
桜24 聖蹟桜ヶ丘駅~永山駅~京王多摩車庫~五反田~井の花~鶴川駅
永山方面へのメイン路線。町田担当時は、京王と併せて20分毎に運転されてたこともあった。当初は京王バスとの共同運行、多摩営業所開設により移管された。その後京王が撤退したため、現在は神奈中の単独運行である。
その他、数多く(特に鶴川発着の多摩方面路線・多摩市内の路線・淵野辺発着路線等)が多摩営業所に移管されている。詳しくは多摩営業所を参照。
営業所へのアクセス
町田駅から
町田BC のりば12 [ 町26 ] 図師・野津田車庫 行
町田駅 のりば21 [ 町55 ] 本町田・野津田車庫 行
上記の他の野津田車庫行も利用可能
鶴川駅から
[ 鶴33 ] 野津田車庫 行
この他にも路線はあるが、本数が少ないなどの為に割愛する(下記又は町田バスセンター、鶴川駅、淵野辺駅等の記事を参照のこと)。
バスのりば (野津田車庫バス停留所)
図師方面のりば
町26 図師・上宿・市民病院方面 町田バスセンター 行
町39 図師・市立室内プール方面 町田バスセンター 行
町78 図師・忠生高校・境川団地方面 町田バスセンター 行
鶴37・淵23・淵24 図師方面 淵野辺駅北口 行
袋橋方面のりば
町25 山崎団地センター・市民病院方面 町田バスセンター 行
町35 山崎団地センター・境川団地方面 町田バスセンター 行
町55 本町田・町田郵便局・市役所方面 町田駅 行
鶴33・鶴37 大蔵(鶴川郵便局)方面 鶴川駅 行
淵24 鶴川駅・柿生駅・生田駅方面 登戸 行
▼横浜町田インターチェンジ
横浜町田インターチェンジ(よこはままちだインターチェンジ)は、神奈川県横浜市緑区と東京都町田市の境界付近にある、東名高速道路のインターチェンジである。国道16号・保土ヶ谷バイパス、そして、大和バイパスに連絡している。至近に国道246号が走る。
横浜市・町田市・相模原市など人口の多い区域への最寄の出入り口であるだけでなく、保土ヶ谷バイパス・首都高速道路狩場線・湾岸線・東京湾アクアラインを通って横須賀市方面、東京都東部・千葉県方面に抜けるルートの起点ともなっている非常に重要なインターチェンジである。そのため、流入・流出台数共に非常に多く常に混雑しており、交通量増加に対応して後から設備増強している部分もある為、走行上注意が必要なところもある。
付近の道路
国道246号 (大山街道)
東京都道141号辻原町田線 (町田街道)
横浜市主要地方道18号環状4号線(海軍道路・環状4号)
神奈川県道・東京都道56号目黒町町田線(旧16号)
神奈川県道50号座間大和線(座間街道)
神奈川県道401号瀬谷柏尾線(瀬谷柏尾道路)
▼町田街道
町田街道は東京都八王子市東浅川町の町田街道入口交差点(国道20号交点)から町田市の中心部を通って町田市鶴間の町田市辻交差点(国道246号交点)までを結ぶ道路の通称である。ほぼ全区間、東京湾と相模湾の分水界に沿っている。
概要
町田街道は、町田市を北西から南にほぼ縦断する、町田市内の主要道路の一つとなっている。片側一車線の区間がほとんどで、特に市内南部の区間などでは慢性的な混雑を抱えている。現在多摩境駅付近の拡幅工事を行っている。俗に、「マチカイ」と略されることがある。
滝の沢交差点から三塚交差点までの区間は新道(但し片側1.5車線)が建設され、車の流れはこちらがメインとなっている。旧道は、町田駅脇の小田急線玉川学園8号踏切から町田ターミナル付近まで(原町田4丁目、6丁目)は町田市中心部のメインストリートの一つ(原町田中央通り)となっており、一方通行になっているほか、時間帯や日によって、歩行者天国化するために一部もしくはほとんどが車両通行止めとなる。
また、既存の新道も狭く渋滞が多いため、常盤駐在所交差点から芹ヶ谷公園付近にかけて、更なるバイパス (都市計画道路 町田3・3・36号線) の建設が計画されており、一部が既に供用されている。2007年10月13日には、建設中だった山崎団地~木曽団地内が開通した。(常盤駐在所~木曽団地内は供用済、本町田小学校西側~市民病院東は事業認可取得)但し、このバイパスも片側1.5車線である。なお、将来の多摩都市モノレールを町田駅に延伸する際は、このバイパスが導入空間となる。
現在全ての区間が都道となっている。各区間のデータに関しては下記の項目を参照のこと。
町田街道入口交差点~三塚交差点:東京都道47号八王子町田線
原町田中央通り交差点~三塚交差点:神奈川県道・東京都道56号目黒町町田線(都道47号線と重複)
三塚交差点~金森郵便局前交差点:同上(都道141号線と重複)
三塚交差点~町田市辻交差点:東京都道141号辻原町田線
歴史
幕末から明治時代、八王子を集荷地とし横浜港の輸出を結び最大の貿易商品絹を運ぶ街道として繁栄し、現在は「絹の道」と名づけて記念している。原町田が中継地だったため、町田駅前の旧道には「絹の道」の碑が立てられている。また、町田街道とは別の浜街道と呼ばれる絹の道も存在する。(こちらの浜街道は現在の国道16号の旧道に相当する。町田街道が旧来の道を幅を広げて発展したのに対し、浜街道は軍都計画の為、戦中以降全く新しい道に姿を変えてしまった。)
ただし、当時の「絹の道」は、八王子との間の山越えのルートは国道16号に近い八王子市鑓水付近を通っており、それよりも西の八王子市館町付近を通る現在の町田街道とは、北西部の一部で経路が異なる。
なお、八王子から横浜までの運輸を目的に1908年に横浜鉄道(現在のJR横浜線)が開業している。
2011年1月17日月曜日
その他町田に関する事
FC町田ゼルビアは、東京都町田市を本拠地とするサッカーのクラブチーム。将来のJリーグ入りを目指しているクラブ。
概要
多数のプロ選手を輩出するなどの実績をあげたFC町田(1977年設立)のトップチームとして、また市民のための総合型スポーツクラブ創設に向けた一環として1989年にFC町田ゼルビアが誕生。
愛称の「ZELVIA」は町田市の樹・ケヤキ「zelkova」と、花・サルビア「salvia」を合わせた造語。チームマスコットは2009年より誕生した「ゼルビー」。町田市の「市の鳥」であるカワセミをモチーフとしており、4種類のデザイン候補の中から、サポーター投票によって選ばれた。
総合型スポーツクラブを目指す手段として、「アスレチッククラブ町田」とともに「AC町田スポーツスクール」を運営。ゼルビアの選手たちがコーチとして幼稚園児や小学生を始め300人以上の生徒を抱え、週5日のスクールに加えホームでの試合後にそのままサッカー教室を行うなどしている。
歴史
2003年に後援会組織をNPO法人化しAC町田を設立。
2004年よりチーム運営を委託。竹中穣ら町田出身や縁のあるJリーグ経験者を中心に積極的な補強を敢行。
2005年 東京都社会人リーグ1部優勝・関東社会人サッカー大会優勝。
2006年 関東リーグ2部優勝。同1部へ昇格。
2007年からは川添孝一がスーパーバイザーに就任。関東リーグ1部で12勝1敗1分、2位日立栃木に勝点差10の圧倒的な強さで優勝。全国社会人サッカー選手権大会には関東代表として参加し、2回戦で敗退。第87回天皇杯全日本サッカー選手権大会では東京都予選決勝で明治大学と対戦し、敗れた。JFL昇格を目指した第31回全国地域リーグ決勝大会では一次ラウンドで敗退した。
▼町田米軍機墜落事故
町田米軍機墜落事故とは、1964年4月5日に発生した航空事故である。
事故の経緯
同日嘉手納飛行場(嘉手納基地)を発進したアメリカ海軍の戦闘機(F8U-2 クルセイダージェット戦闘機)が厚木基地へ向かう途中で故障を起こし、機体が町田市の中心部である原町田(現・原町田二丁目)に墜落した。墜落地周辺では衝撃及び火災により一般市民4名が死亡、32名の重軽傷者を出した。なお、乗員1名はパラシュートで近くの高ヶ坂団地に着地後、米軍病院に収容された。
墜落地は当時の原町田の繁華街の一部をなしていたにもかかわらず、最小限の被害だけですんだ。要因として以下のようなものが考えられる。
60度という角度で墜落したこと
長距離飛行だったため、燃料が残り少なくなっていたこと
ジェット機の空中分解などがほとんどなかったこと
当時の町田市及び周辺住民が迅速な救助作業を行ったこと
墜落機は南南東の方向から墜落したと推測され、この事故の5ヶ月後におきた大和米軍機墜落事故のように、墜落後2km以上の暴滑走という事態が起こっていれば、町田市の中心部は甚大な被害を受けていただろうとは、当時の青山藤吉郎市長の談である。
事故後の経緯
町田市およびその他行政機関の迅速な作業により、生存者の救出や、現場の保全修復が滞りなく行われた。後年起きた米軍機墜落事故にみられた米軍による情報統制や現場介入といったことは行われなかった。
ジョンソン大統領による弔問の覚書があったほか、厚木海軍航空司令官や厚木基地憲兵隊司令官、岩国基地司令官、在日米軍賠償部長などが即座に訪れ、陳謝を行った。
墜落現場には今もなお、墜落機のエンジンが地中深く埋まっているとされる。墜落現場は事故直後は被災者の仮設住宅が設けられたが、今は月極駐車場となっており、墜落現場であったことを示すものは見当たらない。
墜落現場は、国鉄原町田駅が小田急寄りに移転(1980年)するまでは、名実ともに原町田の繁華街の一角であった。町田天満宮を目の前にし、後年小田急寄りの隣接地にはスーパーダイエーの関東一号店ができるなど(今はホテルエルシー、町田市立中央図書館、日本最大級のザ・ダイソーがある)繁栄を誇っていたが、今は中心部の賑わいからは外れてしまっている。
町田郵便局
町田郵便局は東京都町田市にある郵便局。民営化前の分類では集配普通郵便局であった。
沿革
1872年8月4日(明治5年7月1日) - 原町田郵便取扱所として開設[1]。
1875年(明治8年)1月1日 - 原町田郵便局(五等)となる。
1881年(明治14年)8月 - 貯金預所を設置。
1882年(明治15年)11月16日 - 為替取扱所を設置。
1890年(明治23年)4月1日 - 町田郵便局に改称。
1897年(明治30年)3月21日 - 町田郵便電信局となる。
1903年(明治36年)4月1日 - 通信官署官制の施行に伴い町田郵便局となる。
1949年(昭和24年)4月1日 - 大野分室を相模原分室に改称[2]。
1956年(昭和31年)11月1日 - 当局ならびに相模原分室にて電話通話および和文電報受付事務の取扱を開始。
1959年(昭和34年)2月 - 局舎新築落成。
1960年(昭和35年)6月16日 - 相模原分室を廃止。取扱事務は相模台郵便局に継承。
1972年(昭和47年)9月18日 - 町田市中町一丁目から同市旭町三丁目に移転。
1994年(平成6年)7月1日 - 外国通貨の両替および旅行小切手の売買に関する業務取扱を開始。
2007年(平成19年)10月1日 - 民営化に伴い、併設された郵便事業町田支店、ゆうちょ銀行町田店に一部業務を移管。
東京都道47号八王子町田線
東京都道47号 八王子町田線は、東京都八王子市から町田市に至る主要地方道である。この道路は通称町田街道と呼ばれる。俗に、略して「マチカイ」と呼ばれることがある。ほぼ全区間、東京湾と相模湾の分水界に沿っている。
三塚交差点より八王子方面を望む陸上距離:26.774km
起点:東京都八王子市東浅川町(町田街道入口交差点=国道20号交点)
終点:東京都町田市原町田(三塚交差点)
新道区間:東京都町田市旭町=滝の沢交差点~同市原町田=三塚交差点
交差・接続している道路
国道20号(甲州街道、東京都八王子市)町田街道入口交差点、高尾駅前交差点
東京都道46号八王子あきる野線(高尾街道、東京都八王子市)町田街道入口交差点
東京都道173号上館日野線(北野街道、東京都八王子市)館町交差点
東京都道48号鍛冶谷相模原線(東京都町田市)大戸橋交差点
東京都道506号八王子城山線(東京都町田市)相原十字路交差点
東京都道171号相原停車場線(東京都町田市)相原駅入口交差点
国道16号八王子バイパス相原IC(東京都町田市)
国道16号(東京都町田市)相原交差点
東京都道158号小山乞田線 多摩ニュータウン入口交差点
東京都道503号立川相模原線 小山交差点
東京都道57号相模原大蔵町線 根岸西交差点
東京都道47号八王子町田線 滝の沢交差点
東京都道52号相模原町田線 森野交差点
東京都道3号世田谷町田線 原町田中央通り交差点
東京都道140号川崎町田線
東京都道47号八王子町田線 三塚交差点
東京都道56号目黒町町田線 三塚交差点
東京都道141号辻原町田線 三塚交差点
東京都道56号目黒町町田線
神奈川県道・東京都道56号目黒町町田線は、神奈川県横浜市瀬谷区と東京都町田市を連絡する県道・都道(主要地方道)である。
概要
起点:神奈川県横浜市瀬谷区目黒町 目黒交差点(国道246号)
終点:東京都町田市原町田2丁目1/2/7/8番地の交差点(東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線・神奈川県道・東京都道140号川崎町田線交点)
延長
神奈川県道:
東京都道:3,769m(上位路線との重複区間を除く)
面積
神奈川県道:
東京都道:35,537m
都市計画路線:町田3.4.37
都道認定要件:主要地と主要地とを連絡する道路
概要
多数のプロ選手を輩出するなどの実績をあげたFC町田(1977年設立)のトップチームとして、また市民のための総合型スポーツクラブ創設に向けた一環として1989年にFC町田ゼルビアが誕生。
愛称の「ZELVIA」は町田市の樹・ケヤキ「zelkova」と、花・サルビア「salvia」を合わせた造語。チームマスコットは2009年より誕生した「ゼルビー」。町田市の「市の鳥」であるカワセミをモチーフとしており、4種類のデザイン候補の中から、サポーター投票によって選ばれた。
総合型スポーツクラブを目指す手段として、「アスレチッククラブ町田」とともに「AC町田スポーツスクール」を運営。ゼルビアの選手たちがコーチとして幼稚園児や小学生を始め300人以上の生徒を抱え、週5日のスクールに加えホームでの試合後にそのままサッカー教室を行うなどしている。
歴史
2003年に後援会組織をNPO法人化しAC町田を設立。
2004年よりチーム運営を委託。竹中穣ら町田出身や縁のあるJリーグ経験者を中心に積極的な補強を敢行。
2005年 東京都社会人リーグ1部優勝・関東社会人サッカー大会優勝。
2006年 関東リーグ2部優勝。同1部へ昇格。
2007年からは川添孝一がスーパーバイザーに就任。関東リーグ1部で12勝1敗1分、2位日立栃木に勝点差10の圧倒的な強さで優勝。全国社会人サッカー選手権大会には関東代表として参加し、2回戦で敗退。第87回天皇杯全日本サッカー選手権大会では東京都予選決勝で明治大学と対戦し、敗れた。JFL昇格を目指した第31回全国地域リーグ決勝大会では一次ラウンドで敗退した。
▼町田米軍機墜落事故
町田米軍機墜落事故とは、1964年4月5日に発生した航空事故である。
事故の経緯
同日嘉手納飛行場(嘉手納基地)を発進したアメリカ海軍の戦闘機(F8U-2 クルセイダージェット戦闘機)が厚木基地へ向かう途中で故障を起こし、機体が町田市の中心部である原町田(現・原町田二丁目)に墜落した。墜落地周辺では衝撃及び火災により一般市民4名が死亡、32名の重軽傷者を出した。なお、乗員1名はパラシュートで近くの高ヶ坂団地に着地後、米軍病院に収容された。
墜落地は当時の原町田の繁華街の一部をなしていたにもかかわらず、最小限の被害だけですんだ。要因として以下のようなものが考えられる。
60度という角度で墜落したこと
長距離飛行だったため、燃料が残り少なくなっていたこと
ジェット機の空中分解などがほとんどなかったこと
当時の町田市及び周辺住民が迅速な救助作業を行ったこと
墜落機は南南東の方向から墜落したと推測され、この事故の5ヶ月後におきた大和米軍機墜落事故のように、墜落後2km以上の暴滑走という事態が起こっていれば、町田市の中心部は甚大な被害を受けていただろうとは、当時の青山藤吉郎市長の談である。
事故後の経緯
町田市およびその他行政機関の迅速な作業により、生存者の救出や、現場の保全修復が滞りなく行われた。後年起きた米軍機墜落事故にみられた米軍による情報統制や現場介入といったことは行われなかった。
ジョンソン大統領による弔問の覚書があったほか、厚木海軍航空司令官や厚木基地憲兵隊司令官、岩国基地司令官、在日米軍賠償部長などが即座に訪れ、陳謝を行った。
墜落現場には今もなお、墜落機のエンジンが地中深く埋まっているとされる。墜落現場は事故直後は被災者の仮設住宅が設けられたが、今は月極駐車場となっており、墜落現場であったことを示すものは見当たらない。
墜落現場は、国鉄原町田駅が小田急寄りに移転(1980年)するまでは、名実ともに原町田の繁華街の一角であった。町田天満宮を目の前にし、後年小田急寄りの隣接地にはスーパーダイエーの関東一号店ができるなど(今はホテルエルシー、町田市立中央図書館、日本最大級のザ・ダイソーがある)繁栄を誇っていたが、今は中心部の賑わいからは外れてしまっている。
町田郵便局
町田郵便局は東京都町田市にある郵便局。民営化前の分類では集配普通郵便局であった。
沿革
1872年8月4日(明治5年7月1日) - 原町田郵便取扱所として開設[1]。
1875年(明治8年)1月1日 - 原町田郵便局(五等)となる。
1881年(明治14年)8月 - 貯金預所を設置。
1882年(明治15年)11月16日 - 為替取扱所を設置。
1890年(明治23年)4月1日 - 町田郵便局に改称。
1897年(明治30年)3月21日 - 町田郵便電信局となる。
1903年(明治36年)4月1日 - 通信官署官制の施行に伴い町田郵便局となる。
1949年(昭和24年)4月1日 - 大野分室を相模原分室に改称[2]。
1956年(昭和31年)11月1日 - 当局ならびに相模原分室にて電話通話および和文電報受付事務の取扱を開始。
1959年(昭和34年)2月 - 局舎新築落成。
1960年(昭和35年)6月16日 - 相模原分室を廃止。取扱事務は相模台郵便局に継承。
1972年(昭和47年)9月18日 - 町田市中町一丁目から同市旭町三丁目に移転。
1994年(平成6年)7月1日 - 外国通貨の両替および旅行小切手の売買に関する業務取扱を開始。
2007年(平成19年)10月1日 - 民営化に伴い、併設された郵便事業町田支店、ゆうちょ銀行町田店に一部業務を移管。
東京都道47号八王子町田線
東京都道47号 八王子町田線は、東京都八王子市から町田市に至る主要地方道である。この道路は通称町田街道と呼ばれる。俗に、略して「マチカイ」と呼ばれることがある。ほぼ全区間、東京湾と相模湾の分水界に沿っている。
三塚交差点より八王子方面を望む陸上距離:26.774km
起点:東京都八王子市東浅川町(町田街道入口交差点=国道20号交点)
終点:東京都町田市原町田(三塚交差点)
新道区間:東京都町田市旭町=滝の沢交差点~同市原町田=三塚交差点
交差・接続している道路
国道20号(甲州街道、東京都八王子市)町田街道入口交差点、高尾駅前交差点
東京都道46号八王子あきる野線(高尾街道、東京都八王子市)町田街道入口交差点
東京都道173号上館日野線(北野街道、東京都八王子市)館町交差点
東京都道48号鍛冶谷相模原線(東京都町田市)大戸橋交差点
東京都道506号八王子城山線(東京都町田市)相原十字路交差点
東京都道171号相原停車場線(東京都町田市)相原駅入口交差点
国道16号八王子バイパス相原IC(東京都町田市)
国道16号(東京都町田市)相原交差点
東京都道158号小山乞田線 多摩ニュータウン入口交差点
東京都道503号立川相模原線 小山交差点
東京都道57号相模原大蔵町線 根岸西交差点
東京都道47号八王子町田線 滝の沢交差点
東京都道52号相模原町田線 森野交差点
東京都道3号世田谷町田線 原町田中央通り交差点
東京都道140号川崎町田線
東京都道47号八王子町田線 三塚交差点
東京都道56号目黒町町田線 三塚交差点
東京都道141号辻原町田線 三塚交差点
東京都道56号目黒町町田線
神奈川県道・東京都道56号目黒町町田線は、神奈川県横浜市瀬谷区と東京都町田市を連絡する県道・都道(主要地方道)である。
概要
起点:神奈川県横浜市瀬谷区目黒町 目黒交差点(国道246号)
終点:東京都町田市原町田2丁目1/2/7/8番地の交差点(東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線・神奈川県道・東京都道140号川崎町田線交点)
延長
神奈川県道:
東京都道:3,769m(上位路線との重複区間を除く)
面積
神奈川県道:
東京都道:35,537m
都市計画路線:町田3.4.37
都道認定要件:主要地と主要地とを連絡する道路
2011年1月7日金曜日
町田市の施設等の紹介
▼公共機関
警察
警視庁町田警察署
司法
東京地方裁判所立川支部及び東京地方検察庁立川支部の管轄。
町田簡易裁判所
町田区検察庁
消防
東京消防庁町田消防署(中町3-2-19)特別救助隊・特別消火中隊・救急隊2
忠生出張所(忠生3-6-1)救急隊1
南出張所(金森1700-1)救急隊1
鶴川出張所(鶴川3-2-4)救急隊1
西町田出張所(相原町45-3)救急隊1
成瀬出張所(成瀬2106)救急隊1
医療
町田市民病院
町田胃腸病院
多摩丘陵病院
鶴川サナトリウム病院
南町田病院
▼文化施設
公園
町田中央公園(市立公園)
野津田公園(市立公園)
陸上競技場は野津田公園内の施設である
小山田緑地(都立公園)
小山内裏公園(都立公園)
小野路公園
芹ヶ谷公園(町田駅から徒歩10分程度)
薬師池公園(市立公園、新東京百景)
町田リス園(薬師池公園となり)
町田えびね苑、町田牡丹園、町田ダリア園 (いずれも薬師池公園・七国山周辺)
忠生公園
こどもの国(大半が横浜市)
▼図書館
町田市立中央図書館
ホテルと同居するユニークさで知られる。貸出管理の電算化により閲覧者による検索貸出予約が可能である。盗難防止装置を導入し話題となった。
町田市民文学館ことばらんど
遠藤周作の遺族からの蔵書の寄贈が契機となり森村誠一が設立に協力し、誕生した。町田ゆかりの文学者等の関係資料を収集展示する図書館分館としても機能する。
町田市立さるびあ図書館 (中町)
現中央図書館が開館するまでの本館。
町田市立木曽山崎図書館 (山崎町・山崎団地内)
町田市立堺図書館
町田市立金森図書館
町田市立鶴川図書館
▼美術館・博物館
町田市立国際版画美術館
ヨーロッパ中世から現代まで広く版画作品を蒐集している。
日本で唯一、世界の版画を蒐集している美術館。
町田市立博物館
ガラス器の蒐集に特徴がある博物館。収蔵品はヨーロッパ、中国、日本と広く、香料入れの小瓶など他にないコレクションである。
町田市立自由民権資料館
小島資料館
新撰組や幕末期の資料を展示。
▼スポーツ施設
町田市立陸上競技場
町田市立総合体育館(南成瀬)
サン町田旭体育館(旭町・町田中央公園内)
町田市民球場(旭町・町田中央公園内)
藤の台球場
鶴川球場
野津田球場
小野路球場
市内唯一の硬式野球場
三輪みどり山球場
忠生公園ソフトボール場
町田中央公園テニスコート(旭町・町田中央公園内)
成瀬クリーンセンターテニスコート
野津田公園テニスコート
鶴間公園テニスコート
鶴川中央公園テニスコート
鶴川第2テニスコート
相原中央テニスコート
町田市立室内プール(図師町)
▼教育
大学
町田市内には多くの大学が点在しているが、町田駅を利用する大学は無い。
桜美林大学
国士舘大学
昭和薬科大学
玉川大学
東京家政学院大学
東京女学館大学
法政大学
和光大学
専門学校
学校法人 東京町田学園 町田・デザイン専門学校
大原簿記法律専門学校町田校
学校法人榎本学園
町田調理師専門学校
町田福祉専門学校
町田美容専門学校
町田製菓専門学校
高等学校
都立
小川高等学校
忠生高等学校
山崎高等学校
町田高等学校
野津田高等学校
町田工業高等学校
成瀬高等学校
町田養護学校(町田の丘学園)
忠生高校及び町田高校家政科は、町田地区総合高等学校(仮称)設置のために閉課予定。
私立
桜美林高等学校
玉川学園高等部
鶴川高等学校
和光高等学校
日本大学第三高等学校
町田調理師専門学校(高等課程)
町田家政福祉高等専修学校(閉課予定)
国本学園女子高等学校(町田キャンパス)
▼交通
東京都区部までは電車利用で50分程度(市の中心駅である町田から新宿へは小田急小田原線の快速急行利用で28分弱)。中東部を小田急線が、南部を東急田園都市線が、南西部と西部をJR横浜線が、北西部を京王相模原線が、いずれも市域の外縁部を通っている。町田市外の東京都から、相原駅と多摩境駅を除いた各駅へ鉄道で行くには、必ず神奈川県を通ることになる。
良好な鉄道アクセスは市域の外縁部に集中しており、市域の中央部に鉄道空白地帯を多く抱えている。そのためバスが主要な交通手段として発達している。例えば神奈川中央交通町田営業所管内の路線バスは1時間あたりの運行本数が多く、特に山崎団地・藤の台団地から町田駅方面へは昼間でも約5分~10分に1便は運行され鉄道の空白を埋める役割を果たしている。
市南部・北西部の主要幹線道路については、片側一車線もしくは一・五車線で幅員も狭いものが多く、路線バスも十分な運行本数が確保されていないこともあり、慢性的な渋滞が発生している。また、都心部への鉄道交通や市内のバス路線網が発達している一方で、同じ多摩地域の近隣都市へと移動する手段は整備が遅れている。そのため、多摩都市モノレールや小田急多摩線の市内延伸が構想されているが、実現の目途は立っていない。なお、多摩都市モノレール延伸時の導入空間となる予定の都市計画道路 町田3・3・36号線(新町田街道)と原町田大通りは、少しずつではあるが、建設が進んでいる。
▼主要部へのアクセス
日中の東京・横浜方面への所要時間は以下のとおりである。なお、朝夕の通勤時間帯には5~15分程度所要時間が余計にかかる。
東京方面
町田 - 新宿(小田急線快速急行で約30分)
町田 - 下北沢乗換 - 渋谷(小田急線快速急行+京王井の頭線急行で約30分 ※乗換時間を含む)
町田 -長津田乗換 - 渋谷(横浜線快速+東急田園都市線急行で約40分 ※乗換時間も含む)
町田 -新宿乗換- 東京(小田急線快速急行+JR中央線快速電車で約50分 ※乗換時間を含む)
横浜方面
町田 - 新横浜(JR横浜線快速で約20分)
町田 - 横浜(JR横浜線快速で約30分)
▼道路
東名高速道路(市の南端部をわずかに通る)
横浜町田IC(かつて横浜ICと称した。敷地のうち大半は横浜市域である。)
国道16号(市の南端部と北端部をわずかに通る)
国道246号(市の南端部をわずかに通る。国道16号とはここで交叉)
町田街道(幕末から明治時代にかけて最大の貿易商品である「絹」を運ぶ街道として、集荷地・八王子と輸出港・横浜港を結んでいた。沿道は古くより栄え、なかでも原町田は中継地点として重要な宿場町でもあった。別名「絹の道」。)
木曽団地付近都市計画道路 町田3・3・36号線
「新町田街道」と言ってもいい町田街道のバイパス的路線。幅員25mであるが、多摩都市モノレールが町田に延伸される場合における空間が用意されているために中央分離帯が7mと広くなっている。忠生付近の一部区間が完成しており、2007年10月には木曽・山崎区間が開通した。また、「多摩地域における都市計画道路の整備方針」に基づき本町田地域をはじめとして相原駅付近、南町田駅付近が第三次事業化路線に選定、2007年9月に本町田区間が事業認可された。だが、予定地の多くが住宅地になってしまっているなどしており、全線開通の目途は立っていない。
鎌倉街道
府中と町田を結ぶ。江戸時代の鎌倉街道(鎌倉中道)の古道が市内「七国山」に昔の姿のまま残されている。町田市の歴史書によれば、現道から大きく離れた小山田の都道(狭隘路)も鎌倉中道の古道に当たる。
鎌倉時代に足利直義軍と北条時行軍による合戦が行われたのは、当時の鎌倉街道の主要地であった町田村中心部にほど近い、井出の沢であった。
鶴川街道
調布から原町田の町田街道旧道へと続く道。都道19号の調布~真光寺十字路交差点、都道139号の真光寺十字路交差点~鶴川駅東口交差点、都道3号の鶴川駅東口交差点~原町田をあわせて鶴川街道と通称している。金井付近は幅員16mに拡幅されたが、町田高校付近は狭いままである。
芝溝街道
淵野辺駅前から、根岸・図師・野津田・大蔵等市内北部を結び、鶴川駅へ至る。
成瀬街道
町田と川崎を結ぶ道路の北西端。2車線だが道が狭いためよく混雑している。
団地いちょう通り
町田と川崎を結ぶ道路の北西端。2車線だが道が狭いためよく混雑している。
団地いちょう通り
鶴川街道「金井1丁目」交差点から、藤の台~山崎~境川の各団地を結ぶイチョウ並木の通り。幅員13~16mと広いため、バス路線の重要な経路となっている。また、鶴川街道・鎌倉街道から町田街道・相模原市方面への短絡ルートとしても利用される。
町田駅前通り
上記境川団地の「境川団地北」交差点から、町田駅までの幅員12~20mの道路。実際は境川団地北までではなく「矢部八幡」交叉点まで伸びており、町田から淵野辺方面へバスも運行されている。
原町田大通り原町田大通り
JR町田駅前から町田街道までの道路。幅員25m。
このほか、2008年上半期に、「薬師金井通り」「薬師台通り」「町谷原通り」などの名称が設定された。
警察
警視庁町田警察署
司法
東京地方裁判所立川支部及び東京地方検察庁立川支部の管轄。
町田簡易裁判所
町田区検察庁
消防
東京消防庁町田消防署(中町3-2-19)特別救助隊・特別消火中隊・救急隊2
忠生出張所(忠生3-6-1)救急隊1
南出張所(金森1700-1)救急隊1
鶴川出張所(鶴川3-2-4)救急隊1
西町田出張所(相原町45-3)救急隊1
成瀬出張所(成瀬2106)救急隊1
医療
町田市民病院
町田胃腸病院
多摩丘陵病院
鶴川サナトリウム病院
南町田病院
▼文化施設
公園
町田中央公園(市立公園)
野津田公園(市立公園)
陸上競技場は野津田公園内の施設である
小山田緑地(都立公園)
小山内裏公園(都立公園)
小野路公園
芹ヶ谷公園(町田駅から徒歩10分程度)
薬師池公園(市立公園、新東京百景)
町田リス園(薬師池公園となり)
町田えびね苑、町田牡丹園、町田ダリア園 (いずれも薬師池公園・七国山周辺)
忠生公園
こどもの国(大半が横浜市)
▼図書館
町田市立中央図書館
ホテルと同居するユニークさで知られる。貸出管理の電算化により閲覧者による検索貸出予約が可能である。盗難防止装置を導入し話題となった。
町田市民文学館ことばらんど
遠藤周作の遺族からの蔵書の寄贈が契機となり森村誠一が設立に協力し、誕生した。町田ゆかりの文学者等の関係資料を収集展示する図書館分館としても機能する。
町田市立さるびあ図書館 (中町)
現中央図書館が開館するまでの本館。
町田市立木曽山崎図書館 (山崎町・山崎団地内)
町田市立堺図書館
町田市立金森図書館
町田市立鶴川図書館
▼美術館・博物館
町田市立国際版画美術館
ヨーロッパ中世から現代まで広く版画作品を蒐集している。
日本で唯一、世界の版画を蒐集している美術館。
町田市立博物館
ガラス器の蒐集に特徴がある博物館。収蔵品はヨーロッパ、中国、日本と広く、香料入れの小瓶など他にないコレクションである。
町田市立自由民権資料館
小島資料館
新撰組や幕末期の資料を展示。
▼スポーツ施設
町田市立陸上競技場
町田市立総合体育館(南成瀬)
サン町田旭体育館(旭町・町田中央公園内)
町田市民球場(旭町・町田中央公園内)
藤の台球場
鶴川球場
野津田球場
小野路球場
市内唯一の硬式野球場
三輪みどり山球場
忠生公園ソフトボール場
町田中央公園テニスコート(旭町・町田中央公園内)
成瀬クリーンセンターテニスコート
野津田公園テニスコート
鶴間公園テニスコート
鶴川中央公園テニスコート
鶴川第2テニスコート
相原中央テニスコート
町田市立室内プール(図師町)
▼教育
大学
町田市内には多くの大学が点在しているが、町田駅を利用する大学は無い。
桜美林大学
国士舘大学
昭和薬科大学
玉川大学
東京家政学院大学
東京女学館大学
法政大学
和光大学
専門学校
学校法人 東京町田学園 町田・デザイン専門学校
大原簿記法律専門学校町田校
学校法人榎本学園
町田調理師専門学校
町田福祉専門学校
町田美容専門学校
町田製菓専門学校
高等学校
都立
小川高等学校
忠生高等学校
山崎高等学校
町田高等学校
野津田高等学校
町田工業高等学校
成瀬高等学校
町田養護学校(町田の丘学園)
忠生高校及び町田高校家政科は、町田地区総合高等学校(仮称)設置のために閉課予定。
私立
桜美林高等学校
玉川学園高等部
鶴川高等学校
和光高等学校
日本大学第三高等学校
町田調理師専門学校(高等課程)
町田家政福祉高等専修学校(閉課予定)
国本学園女子高等学校(町田キャンパス)
▼交通
東京都区部までは電車利用で50分程度(市の中心駅である町田から新宿へは小田急小田原線の快速急行利用で28分弱)。中東部を小田急線が、南部を東急田園都市線が、南西部と西部をJR横浜線が、北西部を京王相模原線が、いずれも市域の外縁部を通っている。町田市外の東京都から、相原駅と多摩境駅を除いた各駅へ鉄道で行くには、必ず神奈川県を通ることになる。
良好な鉄道アクセスは市域の外縁部に集中しており、市域の中央部に鉄道空白地帯を多く抱えている。そのためバスが主要な交通手段として発達している。例えば神奈川中央交通町田営業所管内の路線バスは1時間あたりの運行本数が多く、特に山崎団地・藤の台団地から町田駅方面へは昼間でも約5分~10分に1便は運行され鉄道の空白を埋める役割を果たしている。
市南部・北西部の主要幹線道路については、片側一車線もしくは一・五車線で幅員も狭いものが多く、路線バスも十分な運行本数が確保されていないこともあり、慢性的な渋滞が発生している。また、都心部への鉄道交通や市内のバス路線網が発達している一方で、同じ多摩地域の近隣都市へと移動する手段は整備が遅れている。そのため、多摩都市モノレールや小田急多摩線の市内延伸が構想されているが、実現の目途は立っていない。なお、多摩都市モノレール延伸時の導入空間となる予定の都市計画道路 町田3・3・36号線(新町田街道)と原町田大通りは、少しずつではあるが、建設が進んでいる。
▼主要部へのアクセス
日中の東京・横浜方面への所要時間は以下のとおりである。なお、朝夕の通勤時間帯には5~15分程度所要時間が余計にかかる。
東京方面
町田 - 新宿(小田急線快速急行で約30分)
町田 - 下北沢乗換 - 渋谷(小田急線快速急行+京王井の頭線急行で約30分 ※乗換時間を含む)
町田 -長津田乗換 - 渋谷(横浜線快速+東急田園都市線急行で約40分 ※乗換時間も含む)
町田 -新宿乗換- 東京(小田急線快速急行+JR中央線快速電車で約50分 ※乗換時間を含む)
横浜方面
町田 - 新横浜(JR横浜線快速で約20分)
町田 - 横浜(JR横浜線快速で約30分)
▼道路
東名高速道路(市の南端部をわずかに通る)
横浜町田IC(かつて横浜ICと称した。敷地のうち大半は横浜市域である。)
国道16号(市の南端部と北端部をわずかに通る)
国道246号(市の南端部をわずかに通る。国道16号とはここで交叉)
町田街道(幕末から明治時代にかけて最大の貿易商品である「絹」を運ぶ街道として、集荷地・八王子と輸出港・横浜港を結んでいた。沿道は古くより栄え、なかでも原町田は中継地点として重要な宿場町でもあった。別名「絹の道」。)
木曽団地付近都市計画道路 町田3・3・36号線
「新町田街道」と言ってもいい町田街道のバイパス的路線。幅員25mであるが、多摩都市モノレールが町田に延伸される場合における空間が用意されているために中央分離帯が7mと広くなっている。忠生付近の一部区間が完成しており、2007年10月には木曽・山崎区間が開通した。また、「多摩地域における都市計画道路の整備方針」に基づき本町田地域をはじめとして相原駅付近、南町田駅付近が第三次事業化路線に選定、2007年9月に本町田区間が事業認可された。だが、予定地の多くが住宅地になってしまっているなどしており、全線開通の目途は立っていない。
鎌倉街道
府中と町田を結ぶ。江戸時代の鎌倉街道(鎌倉中道)の古道が市内「七国山」に昔の姿のまま残されている。町田市の歴史書によれば、現道から大きく離れた小山田の都道(狭隘路)も鎌倉中道の古道に当たる。
鎌倉時代に足利直義軍と北条時行軍による合戦が行われたのは、当時の鎌倉街道の主要地であった町田村中心部にほど近い、井出の沢であった。
鶴川街道
調布から原町田の町田街道旧道へと続く道。都道19号の調布~真光寺十字路交差点、都道139号の真光寺十字路交差点~鶴川駅東口交差点、都道3号の鶴川駅東口交差点~原町田をあわせて鶴川街道と通称している。金井付近は幅員16mに拡幅されたが、町田高校付近は狭いままである。
芝溝街道
淵野辺駅前から、根岸・図師・野津田・大蔵等市内北部を結び、鶴川駅へ至る。
成瀬街道
町田と川崎を結ぶ道路の北西端。2車線だが道が狭いためよく混雑している。
団地いちょう通り
町田と川崎を結ぶ道路の北西端。2車線だが道が狭いためよく混雑している。
団地いちょう通り
鶴川街道「金井1丁目」交差点から、藤の台~山崎~境川の各団地を結ぶイチョウ並木の通り。幅員13~16mと広いため、バス路線の重要な経路となっている。また、鶴川街道・鎌倉街道から町田街道・相模原市方面への短絡ルートとしても利用される。
町田駅前通り
上記境川団地の「境川団地北」交差点から、町田駅までの幅員12~20mの道路。実際は境川団地北までではなく「矢部八幡」交叉点まで伸びており、町田から淵野辺方面へバスも運行されている。
原町田大通り原町田大通り
JR町田駅前から町田街道までの道路。幅員25m。
このほか、2008年上半期に、「薬師金井通り」「薬師台通り」「町谷原通り」などの名称が設定された。
登録:
投稿 (Atom)