2011年5月10日火曜日

以前そのエリアの壁面に

複数のモニタTVで構成された広告・情報パネルがありJR東海から「メディア1(ワン)」と命名されていたことや、メディア1が設置される以前には待ち合わせスポットとして有名な壁画があり永く「壁画前」として親しまれたことから、今でも1970年代以降生まれ世代には「メディアワン」、1960年代以前生まれ世代には「壁画前」が名称として"通り"が良い。なおその「壁画」は地下鉄桜通線工事に伴うものとして復旧を前提に「一時的に」解体されたが、JR東海が復旧の約束を反故にしたため名古屋市港区の倉庫で今も眠っている。作者は失意のうちに没した。壁画の作者は岡本太郎と間違われることがあるが、それは名古屋市中区栄のオリエンタル中村百貨店(現・三越名古屋栄店)の外壁に岡本太郎作の壁画が存在したことと、名古屋駅太閤通口に繋がる地下街エスカのシンボルゾーン「幻想の広場」の構成を岡本太郎が行なったことによる誤謬である。また「メディア1」に関しては、JR東海が2005年万博(「愛・地球博」)と中部国際空港連携事業に関連して推し進めている「名古屋駅エレベーター等整備計画図」に「撤去」と明記されており、復活の目はない。

現在その場所は巨大な広告スペースになっている。名鉄ヤング館前にあるナナちゃん人形付近も名古屋駅での有名な待ち合わせスポットの一つ。中高生の利用が多い。ナナちゃんはかつてセブン館と呼ばれていたヤング館のマスコットとして設置された、スイス製のマネキンである。さまざまなパブリシティに使われており、水着や浴衣はもちろんのこと、優勝時の中日ドラゴンズユニフォーム等いろいろな衣装をまとう。ナナちゃん人形が待ち合わせスポットして定着する以前はJR名古屋駅1階の東口、西口の2箇所にあった円筒状の柱(通称「金の柱」、「銀の柱」)が主な待ち合わせ場所として使われていた。厳密には通常の柱の上部に金、銀の装飾を施したものであった。どちらかといえば東口出口に近い位置にあった「銀の柱」の方が有名であったが、広く知られる前に待ち合わせ場所として使われなくなったため、地元人でも知らない人が多い。現在は、どちらの柱も駅ビル改装に伴い撤去されている。名古屋港線は、日本貨物鉄道(JR貨物)が保有する山王信号場 - 名古屋港駅間の東海道本線貨物支線の通称である。

東港(貨物)線とも呼ばれる。名古屋港周辺に建設された貨物支線のうち、最も古い歴史を持つのがこの路線である。1911年に名古屋駅を起点として、名古屋港で船との提携による貨物輸送を行うために建設された。後には、名古屋市場駅(名古屋市中央卸売市場への輸送)への貨物支線や堀川口駅までの延伸もなされ、昭和半ばまで貨物輸送で賑わいを見せることになった。しかしJRの前身である日本国有鉄道(国鉄)での貨物輸送の衰退に伴い、山王信号場 - 名古屋港駅間以外の区間はすべて廃止され、名古屋港駅そのものの設備も縮小し、現在では週に3往復レールを輸送するための列車が走るだけの路線となっている。当路線での旅客輸送は、開業から2か月間だけ実施された後は散発的に行われた。1937年の名古屋汎太平洋平和博覧会に際して臨時駅の名古屋博覧会前駅を設置し、名古屋駅との間にシャトル列車を運行した(会期の途中からは、当時最新鋭のキハ43000形気動車も使用)。

太平洋戦争中の1942年に定期の旅客輸送が再開されたが、戦争末期の1944年いっぱいで再び廃止された。昭和30年代には貨物列車の後部に旅客車を増結し、混合列車として沿線にある中日スタヂアム(→ナゴヤ球場)への観客輸送を行った事があり、東海旅客鉄道(JR東海)が発足した1987年から1994年の間にも、同社が第二種鉄道事業者免許を収得してナゴヤ球場近くにナゴヤ球場正門前駅と呼ばれる臨時駅を建設し、同線に観客輸送のための臨時列車を設定した事がある(詳細は、正門前駅の記事を参照)。また、名古屋港 - 堀川口間には海を跨ぐため、跳開式の可動橋が存在した。名古屋港跳上橋と言われ、設計は山本卯太郎である。これは1980年の路線廃止後も橋桁を上げた状態で固定されながら保存されており、1999年には登録有形文化財建造物に登録された。名古屋港駅は、愛知県名古屋市港区熱田前新田中川東町にある日本貨物鉄道(JR貨物)の貨物駅である。東海道本線貨物支線の終点。

当駅は、車扱貨物の取扱駅である。地上駅で、現在は着発線2本と、ほとんど使用されていない側線が残っているだけである。着発線の西側に隣接して東海旅客鉄道(JR東海)名古屋資材センターがあり、ここからレールが発送されている。このレールを輸送するために、稲沢駅との間に不定期の専用貨物列車が運行されている。現在駅構内は北側のみ残り、線路は名古屋市道金城埠頭線の跨線橋の下で途切れているが、かつては跨線橋の南側、更には今の名古屋港ガーデン埠頭の敷地やその東側まで広がっていた。跡地の一部は名古屋港シートレインランド、シートレインランド駐車場、アルカンシェル名古屋ウェディングビレッジ、名古屋港管理組合の月極駐車場、名古屋高速4号東海線(建設中)もしくはそれに平行する市道に再利用されている。1907年に名古屋港が開港場の指定を受け、貨物を鉄道輸送するために港に最初に開設された貨物駅である。開業以来港における車扱貨物輸送の拠点の一つとなっていたが、コンテナの登場により車扱貨物輸送は衰退し、当駅の役割も小さくなっていった。

現在は名古屋貨物ターミナル駅に駅業務のほとんどを移譲している。かつて駅構内は現在のガーデンふ頭一帯に広がり、東陽倉庫や現在「名古屋港水族館」や「名古屋港イタリア村」となっている場所にあった倉庫群へ専用線や構内側線が続き、船舶との提携輸送を行っていた。また駅北側にある東邦理化港工場や東邦ガス港明工場(1998年閉鎖)への専用線もあり、貨物輸送を行っていた。2000年頃までは日産化学工業の荷役線があり、化学薬品輸送タンク車が乗り入れ、タンクローリーを横付けしての荷役作業が行われていた。化学薬品はタンクローリーで駅の中川運河を挟んで対岸にある同社名古屋工場へ輸送されていた。到着する化学薬品は、速星駅発送の希硝酸、神岡鉱山前駅発送の濃硫酸などであった。名古屋港線で野球観戦者輸送用の旅客列車が運行されていた1987年から1994年の間は、車両留置場となっていた。