2011年5月19日木曜日

名古屋から関東への出店が相次いだこと

愛・地球博の開幕や好景気で名古屋に活気が出てきたことなどが、総称の「名古屋めし」が全国的に知られるようになった原因である。名物、八丁味噌に代表されるようにいずれも味付けが濃い傾向がある。2005年ころからナゴヤドームで球場独自の弁当として「球弁」が取り入れられた。この「球弁」にも名古屋めしの食材を取り入れたものが多く、ドームでの野球観戦での食事にも愛されている。また、名古屋駅の駅弁にも名古屋めしの食材を取り入れたものが数多くある。2005年の愛知万博の開催などで名古屋に対する関心が高まり、また名古屋嬢にも代表される様なファッション文化の周知により文化浸透の土壌が形成され、全国各地に名古屋めしのフランチャイズが開店していった。現在、名古屋めしを給する店のうち、世界の山ちゃん、矢場とん、山本屋総本家、コメダ珈琲店などが関東などへ進出している。名古屋コーチンとは、愛知県特産である鶏の肉用品種である。 後に「名古屋種」と改名されたが、現在も「名古屋コーチン」のままで流通している。

名古屋コーチンとは愛知県農業総合試験場で改良された品種で、愛知県畜産総合センター種鶏場から供給された種鶏から生産された鶏のことである。その飼育は愛知県周辺を中心に日本全国で飼育されるようになっている。卵をよく産み、肉もおいしいことから「卵肉兼用種」に分類されている。現代では高級食材となり値段が高い。元・尾張藩藩士であった海部壮平・正秀兄弟の手によって、明治初期に、旧・東春日井郡池林村池之内(現在の愛知県小牧市池之内)で、誕生した。中国産の「バフコーチン」(九斤)という名前の鶏と、元々現在の名古屋市辺りで飼育されていた地鶏を交配させて作られた品種で、日本家禽協会によって、初の「国産実用鶏」として、1905年(明治38年)に認定された。その後1919年(大正8年)に、褐色レグホーン等の洋鶏の遺伝子を導入して改良(育種)された品種が再固定されて、「名古屋種」と名付けられたが、現在も「名古屋コーチン」のままで流通している。

かつては非常に強い就巣性があり、巣篭もりすると採卵効率がかなり低下したが、最近は改良が進み就巣性はある程度弱くなった。今後は遺伝子マーカーによる選別法の確立により就巣性は効率的に除去される見通しである。2007年9月29日の日本家禽学会において、DNA分析の結果、市販の名古屋コーチン生肉や加工品のうち、約2割が偽物であることが明らかになった。これを受けて、一部の販売店では、店頭から名古屋コーチンを撤去するなど、名古屋コーチンブランドが低下した。2009年5月には、名古屋コーチンブランドを守ることを目的とした名古屋コーチン協会が設立された。名古屋嫁入り物語は、1989年~1998年まで10作が放送された。名古屋の結婚式を題材にした植木等主演の東海テレビ・泉放送制作が制作した2時間放送のスペシャルドラマである。植木等、山田昌が生粋の名古屋人夫婦を演じた。当初は単発ドラマとして放送されたが、視聴率が良かった事から新作が作られ続ける事になり、後に舞台化もされた。

特に名古屋方面での人気は高く、関東で20%前後の視聴率に対し、毎回30%前後の高視聴率だった。基本的なストーリーは「娘が連れて来た結婚相手に父親が反対するが、最後には結婚を許し名古屋流の結婚式を行う」と言うもの。名古屋をはじめとする中京地区では娘の結婚に父母が世話をやき、「娘三人いれば家が傾く」といわれるくらいの費用を使う。また、他の土地とは違う独特の風習などもあり、そうした光景をコミカルに描き出した。ゲストとしてきんさんぎんさんが出演した事がある。また、その際植木が2人に会いに行き、2人から「スーダラ節知ってますよ」と言われた。2007年3月27日に主演の植木が死去したため、制作した東海テレビでは31日15:30から急遽追悼企画として過去の作品の再放送を実施した(東海3県のみのローカル)。 名古屋お金物語は1995年にNHKのドラマ新銀河枠で放送されたテレビドラマ。全20回。放送期間は1995年6月12日~7月13日。1997年に続編の「名古屋お金物語2※」が放送される。

現在はNHKアーカイブス(外部リンクの項:参照)の公開作品に登録され、NHK各放送局他の番組公開ライブラリー施設にてオンライン視聴できる作品となっている。岐阜・郡上八幡から名古屋に出てきたOL、森谷智子(荻野目洋子)は気楽な一人暮らし。あげくにフィアンセだと信じていた恋人に結婚準備金を丸ごと騙し盗られ、さらには自分のクレジットカードまでも無断で盗用されて、三百万円余の借金を一夜にして背負い込まされてしまう。詐欺に遭ったと気づいたときには、すでに勤務先を“円満に”寿退社。住んでいたマンションも解約してしまっていた。大家から“予定通り”立ち退くよう迫られ、かろうじて古い木造アパート《ひまわり荘》に転がり込んだものの、明日からの生活手段が無い……。実は彼の父・小田切こそ、《大黒屋》の秘伝の味を編み出した調理人その人だった。かつて《大黒屋》発祥の店に雇われて先代の娘と結婚しながら、二代目・政哉の全国チェーン展開戦略に猛反発して店を飛び出し、ほどなく最愛の妻(=政哉の妹)を狭心症で亡くす…

という哀しい過去を背負っていた。小田切が名古屋に戻っていることを知った矢島は、智子に“妹を殺された”積年の憎しみを告白すると「これ以上、奴とは関わらない方がいい」と警告する。その一方、屋台の客の入りはひところの活況を失い、次第に経営は苦しくなっていた。そればかりか、思い出のたくさん詰まった屋台そのものすら、営業中のアクシデントで焼失させてしまう。残酷すぎる現実。それでも智子は、昼間ガソリンスタンドでアルバイトしながら、夜はラーメン作り研究に没頭し続けた。小田切の機転の利いたアドバイスもあり、着実に麺職人の腕は磨かれていった。そんな智子の真面目さと情熱を見守ってきた楠田は、彼女に開業資金を個人的に融資。勤務するクレジット会社が副業で運営する屋台村への《春駒亭》出店を、遠巻きながらも“支援”するのだった。