作業直後の速度制限が廃止されたため、新横浜・名古屋・京都の各駅に停車しながら東京-新大阪間を2時間半で結ぶことが可能となり、同年11月29日に「のぞみ301号」は後続の「のぞみ1号」に統合される形で廃止された。以後、名古屋駅と京都駅を通過する新幹線列車は存在していない。一般的にはコンサート(特に海外アーティスト)などの各種イベントツアーなどで、首都圏と京阪神の途中にある名古屋で行われない例を指すことが多い。追っかけが相当数いる日本人アーティストの場合、アーティストのツアーと一緒にファンも全国を「ツアー」するため、国内の小都市のみならず、場合によってはハワイやニューヨークで開催しても日本人ファンで会場を埋めることが可能であり、プロモーターは低いリスクで利益を獲得できる。新劇以降の芝居は明治維新から高度経済成長期までのいわゆる「六大都市」に根強いファンがいるため、名古屋公演はリスクが低い。これらの場合は名古屋を外す理由はあまりない。
しかし、能や歌舞伎といった伝統芸能に関しては、江戸時代にそれらの芸能が盛んだった大都市の上方(京都・大阪)と江戸(東京)には根強いファンがいるのに対し、江戸時代の名古屋は現在の金沢に次ぐ5番目の都市だったこともあってファン層が薄く、頻繁な公演開催にはリスクが高いため「名古屋飛ばし」が起きる。国外のアーティストが世界ツアーの途中で日本に来る場合、日本での開催が日程上3回(3日)に限定されると、距離的な均衡から、約550km間隔で東京1回・大阪1回・福岡1回とする場合があるため、名古屋が飛ばされる例がある。また、巨費を投じた大きな舞台装置を用い数万~十万人単位の集客を見込む大規模コンサートの場合も、距離的な観点から首都圏・京阪神・福岡都市圏(+札幌+仙台+新潟+広島)での開催が低リスクと見られて「名古屋飛ばし」が(場合により「横浜飛ばし」も併せて)起きる例がある。一般的には東京での公演が最も質が高く盛り上がる例が多い。
このため「名古屋飛ばし」が起きる場合、高品質を求めて東京へ向かう傾向、交通費の理由で距離的に近い京阪神へ向かう傾向の2通りがある。すなわち名古屋は地理的に大阪の方が近い(直線距離で約140km)が、人の移動の面からは「名古屋は東京と大阪の中間に位置する」と考えられている。このように、プロモーターやアーティストは損益分岐点を上回る集客が来るように公演場所や開催方法を考えるため、「三大都市圏の一つだから」といって名古屋で必ずしも公演が開かれるとは限らない。なお、首都圏や関西圏で放送されるテレビ番組のネットから、名古屋の放送局(在名テレビジョン放送局。以下在名局)が外れるケースも「名古屋飛ばし」といわれることがあるが、これは在名局もしくは該当する番組の制作会社(特に番組販売もしくは放映枠買取形式での番組の場合)の意向によるものが多く、中京圏以外の地域でも多々見られる現象(特に関西圏や福岡県etc)であり、この項でいう一般的な意味合いとは根本的に異なる。
近年では、主に深夜・UHFアニメに関して、5大キー局系列のある岡山・香川両県の民放での放送が外れて近隣の中四国地方の放送局でネットされるケースにおいて地元では「名古屋飛ばし」を模倣し「岡高飛ばし」と一部の地元アニメファンから揶揄されている。最近は名古屋でも大規模コンサートが開催されることが多く、むしろ仙台や広島で開催されないことが多い。新大阪着8:30であれば「9:00の会議に間に合う」とアピールできる。名古屋着7:40は早すぎてビジネスマンへのPR材料にはならない。またこの時点では「のぞみ」は新大阪止まりであり、名古屋から山陽・九州方面へ向かう利用者にとってもスピードアップのメリットは無かった。したがって「のぞみ301号」が名古屋を通過しても、当時の状況では利用者にさほど不便を強いるものではなかった。逆に、上り東京着8:30の「のぞみ302号」は京都・名古屋に停車している。実際には横浜アリーナが1989年に、新横浜プリンスホテルが「のぞみ」運行開始と同じ1992年に営業を開始するなど、新横浜地区の開発は駅南側を除いて相当進んでいた。
なお1964年の東海道新幹線開業の際の新幹線停車駅決定時でもいわゆる「横浜飛ばし」は名古屋と違い、さほど話題にならなかった。1990年国勢調査によれば横浜市の人口は3,220,331人、名古屋市の人口は2,154,793人。これについては、規格外ダイヤを用いて運行される「のぞみ301号」の乗車率が伸び悩む一方で、続行する「のぞみ1号」も平日の東京・名古屋間に限って乗車率が高いという状況が続いていたため、両者を統合して合理化を図りたいJR東海の意向が強く働いていたと言われている。名古屋走りとは、日本の愛知県の名古屋市及びその周辺で見受けられる、交通違反に該当したり交通マナーを守らなかったり、しまいには交通事故に発展しかねない自動車における危険な運転の通称である。交通信号の切り替わり前後に交差点へ進入する、いわゆる信号残りと呼ばれる事象において、黄信号にあってはためらいなく進入し、赤信号に変わっても状況判断によっては進入することが見られ、名古屋走りの典型例とされている。
これを「黄色まだまだ、赤勝負」と形容することもある。このように名古屋走りにおいては信号残りのぎりぎり進入が多い一方、大阪府近郊で見られる見切り発進は少ないが、岐阜県・三重県において出会い頭の事故が多い現象について、信号残り(名古屋走り)と見切り発進(大阪府近郊の走行)が錯綜する為であるとする交通工学者の意見がある。無借金経営の一形態として名古屋式経営(なごや-しき-けいえい)がある。名古屋を中心とした経済圏で見られる会社経営の方法論で、一般的に「石橋を叩いて渡る」(または「石橋を叩いても渡らない」)とも比喩されるほど、殊更に冒険を嫌う慎重な経営を指す。 また、他地域への進出にも慎重で、地元で事業を完結させる形態が過去には多く見られた。同時に他地域からの資本参加や合弁など、殊のほか「他所者」を嫌う風潮も以前には見られ、関東圏・関西圏などでは広範囲に事業を展開する企業でも名古屋を中心とした経済圏では進出が遅れるなど、地元企業同士の仲間意識が強いのも特徴として見られる。
特に借金を嫌って出来る限り自己資金で事業を行い、利益を内部留保として蓄えて次の事業資金とするなど、万一事業経営に失敗しても会社倒産や、借金の連帯保証などの経営責任が生じない経営形態が特徴として挙げられ、オーナー経営者による同族経営が多いとの特色も見られる。このため、事業の急激な拡大や、「濡れ手で粟」のような地に足のつかない収益事業には特に慎重で、身の丈(利益剰余金など自己資金)に合せた事業展開を行い、会社の存続(事業の継続)と確実な利益(収益性)を第一に考えた経営方法が、この地方では特に尊ばれている。「名古屋式経営」の良い面である堅実性を実践している企業としては、世界的に有名な「トヨタ自動車」が挙げられる。その企業規模としては世界的にも稀有な無借金経営で知られ(単独会計では社債以外の借り入れが無い。ただし連結会計では金融子会社等を含むため有利子負債は規模相応に存在する)、また一大特徴である、徹底的に無駄を排した経営方針の源泉は、古くからこの地方に伝わる上記の気質が色濃く反映されている。
なお、昭和末期から平成初期に掛けて、日本中が好況で沸いた「バブル景気」の際、この地方の企業は「浮利」を追うような経営があまり行われなかった。その後の「平成不況」で大きなダメージを負った企業が少なかったことから、「名古屋式経営」の健在ぶりを世間にアピールしている。一方で、主に他地域の経済学者から、MM定理(自己資金で事業を行うよりも、借入をしたほうが金利分が経費処理できるので、税制面で有利であること)を出すまでも無く、借金をして事業拡大する事を週刊誌等でたびたび提案されるが、経営状態の良い会社は「貸したい側の理屈」として、初めから相手にしていない。名古屋おもてなし武将隊は、「武将都市ナゴヤ」をPRするために結成された名古屋の観光PR部隊。別名「イケメン武将隊」とも呼ばれる。名古屋開府400年に合わせ名古屋市のふるさと雇用対策事業の一環として結成されたPR部隊で、全国の武将ゆかりの地に結成されている各武将隊の先駆けとなる2009年(平成21年)11月3日に名古屋城内にて結成式が行われた。
緊急雇用対策のためメンバーはハローワークで募集され、オーディションに合格した女性や外国人男性を含む10名で結成された。メンバーは織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、前田利家、加藤清正、前田慶次の愛知県にゆかりのある6武将と陣笠隊(足軽)に扮し、毎日交代で名古屋城で観光案内などを行うほか、週末には殺陣や寸劇、武将クイズ、甲冑ダンスなどのパフォーマンスを行っている。また、戦国武将ブームなどもあり歴女を初めとする女性ファンが多く、追っかけファンもでるなど人気を博しており、名古屋のローカル番組にレギュラー出演するほか、CM出演や写真集が出版されるなど活躍の場を広げている。2011年4月20日には『百花繚乱/祈り』でCDデビューを果たした。活動期間は、結成から2010年(平成22年)9月までの半年間の予定であったが、2012年(平成24年)3月まで延長されており、周囲の応援次第では再延長の可能性もあるとのことである。名古屋おもてなし武将隊の成功により、全国各地で同部隊を参考にしたPR部隊が展開されることになった