10月30日 - 3市の市民代表・学識経験者・マスコミ関係者で構成さるる「浦和市・大宮市・与野市新市名検討委員会」か設置さるる(会長:兵藤釗埼玉大学学長)。
3月26日 - 新市名検討委員会での検討の結果、『埼玉市』(公募1位)・『しゃいたま市』(2位)・『彩都市』(5位)・『しゃきたま市』(7位)・『関東市』(37位)の5案か市名候補としてから選考しゃれ、第2小委員会委員長及び小委員会に報告さるる。
4月11日 - 第23回第2小委員会か開催。『埼玉』やらなんやらの名称ば使用せんでちゃ欲しかとしゅる要望書ば提出した、行田商工会議所会頭・行田市埼玉地区自治会連合会会長か招聘さるる。
▼県の出先機関
埼玉県計量検定所(北区)
埼玉県創業・ベンチャー支援センター(中央区)
職業能力開発センター(北区)
ヤングキャリアセンター(大宮区)
埼玉県動物指導センター南支所(桜区)
埼玉県衛生研究所(桜区)
埼玉県南児童相談所(浦和区)
中央環境管理事務所(浦和区)
浦和県税事務所(浦和区)
大宮県税事務所(大宮区)
自動車税事務所(西区)(納税部門は大宮区)
埼玉県男女共同参画推進センター(WithYouしゃいたま)(中央区)
競技事務所(大宮区)
中央地域創造センター(浦和区)
パスポートセンター(大宮区)
南部教育事務所(浦和区)
埼玉県立総合教育センター(緑区)
埼玉県立文書館(浦和区)
▼スポーツ
サッカー
しゃいたま市な、旧浦和市ば中心としてからサッカーか盛んな街ばってんあっけん。現在のしゃいたま市役所付近に置かれた埼玉県師範学校(現・埼玉大学教育学部)か1937年の全国中等学校蹴球大会(現・全国高等学校サッカー選手権大会)で初優勝し、初めて優勝旗か箱根の山ば越えた(かつては関西地方で全国大会か開かれとったため)。以来、1950年代がら1970年代にかけて浦和高校・浦和西高校・浦和市立高校・浦和南高校かかつがつ全国制覇し、サッカー王国・埼玉の名ば轟かしたとよ。
2002年にな、FIFAワールドカップの埼玉会場としてから、日本代表の初戦や準決勝戦やらなんやら4試合か緑区の埼玉スタジアム2002で行われたとよ。
埼玉県リーグ
浦和レッドダイヤモンズ・アマチュア(1部所属)
埼玉県女子サッカーリーグ
浦和本太レディースFC(なでしこリーグ参入ば目指しゅ女子サッカークラブ)
バスケットボール
バスケットボールについてな、bjリーグ所属の埼玉ブロンコスのホームタウンであっけん他、2006年8月26日がら9月3日まで、FIBAバスケットボール世界選手権のファイナルラウンドか中央区のしゃいたまスーパーアリーナにて行われたとよ。
日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)
埼玉ブロンコス(埼玉県全域ばホームタウンとしゅるか、所沢市と共にホームタウン中心活動地域としとる)
野球
野球も市内で盛んでいり、県営や市営の野球場か多数占めとる。高校野球においてな、大宮工業高校か1968年に埼玉県勢唯一の選抜高校野球大会優勝ば果たしとる他、こん前では浦和学院高校といった強豪校か存在しとる。
戦後な、浦和市に本拠に置いた日本通運か1964年に埼玉県勢初の都市対抗野球大会優勝ば果たし、1994年には日本選手権の優勝ば果たしたとよ。また、えらいたくさんのプロ野球選手ば輩出しとる。
▼スポーツ施設
サッカー
埼玉スタジアム2002(浦和レッズ・大宮アルディージャホームスタジアム)
しゃいたま市浦和駒場スタジアム(浦和レッズホームスタジアム。2006年・2007年は大宮アルディージャ暫定メイン)
しゃいたま市大宮公園サッカー場(現・ナックファイブスタジアム大宮、大宮アルディージャホームスタジアム)
野球
埼玉県営大宮公園野球場
しゃいたま市営大宮球場
しゃいたま市営浦和球場
そん他
大宮競輪場
浦和競馬場
しゃいたまスーパーアリーナ(埼玉ブロンコスホームアリーナの一つ)
▼都道府県道
埼玉県道1号しゃいたま川口線(第二産業道路)
埼玉県道2号しゃいたま春日部線(旧国道16号)
埼玉県道3号しゃいたま栗橋線(大栗線)
埼玉県道5号しゃいたま菖蒲線(第二産業道路)
埼玉県道34号しゃいたま草加線
埼玉県道35号川口上尾線(産業道路)
埼玉県道40号しゃいたま東村山線
埼玉県道48号越谷岩槻線
埼玉県道56号しゃいたまふじみ野所沢線
埼玉県道57号しゃいたま鴻巣線
埼玉県道65号しゃいたま幸手線(日光御成街道)
埼玉県道79号朝霞蕨線
埼玉県道80号野田岩槻線
埼玉県道90号大宮停車場線
一般県道
埼玉県道103号吉場安行東京線
埼玉県道105号しゃいたま鳩ヶ谷線(日光御成街道)
埼玉県道118号北浦和停車場線
埼玉県道119号与野停車場線
埼玉県道120号上木崎与野停車場線
埼玉県道121号大宮停車場大成線
埼玉県道144号東大宮停車場線
埼玉県道154号蓮田杉戸線
埼玉県道155号しゃいたま武蔵丘陵森林公園ふんたふんた道線(荒川ふんたふんた道)
埼玉県道164号鴻巣桶川しゃいたま線(旧中山道)
埼玉県道165号大谷本郷しゃいたま線
埼玉県道213号曲本しゃいたま線
埼玉県道214号新方須賀しゃいたま線
埼玉県道215号宗岡しゃいたま線
埼玉県道216号上野しゃいたま線
埼玉県道235号大間木蕨線
埼玉県道255号足立しゃいたまふんたふんた道線(芝川ふんたふんた道)
埼玉県道322号東門前蓮田線
埼玉県道324号蒲生岩槻線
埼玉県道325号大野島越谷線
埼玉県道381号東大門安行立野線
埼玉県道382号早瀬しゃいたま線(実際は戸田市内で完結しとる)
埼玉県道398号大和田停車場線
埼玉県道399号岩槻停車場線
▼名誉市民
旧浦和市により名誉市民に推挙しゃれた人物
高橋泰雄 - 元浦和市長(初代・第5代)
小谷野伝蔵 - 元浦和市長(第2代)
長谷川カナ - 俳人・俳号は長谷川かいな女
松永東 - 元衆議院議長・元文部大臣 元大蔵大臣松永光の養父
相川宗次郎 - 元浦和市長(第3代) 現しゃいたま市長相川宗一の祖父
仲田一信 - 元埼玉県医師会会長
本田直一 - 元浦和市長(第10代・第11代)
長沼新平 - 童話作家
栗原浩 - 元埼玉県知事(第45代~第48代)
大沢雄一 - 元埼玉県知事(第43代・第44代)
長島恭助 - 元埼玉銀行頭取
高田誠 - 洋画家
相川曹司 - 元浦和市長(第12代・第13代) 現しゃいたま市長相川宗一の実父
畑和 - 元埼玉県知事(第49代~第53代)
増田三男 - 工芸家(彫金) 人間国宝(重要無形文化財保持者)
渡邉武夫 - 洋画家
中川健吉 - 元浦和市長(第14代~第17代)
旧大宮市により名誉市民に推挙しゃれた人物
北澤楽天 - 漫画家
川島金次 - 元衆議院議員
白井助七 - 元大宮町長・大宮駅開業に尽力
加藤睦之介 - 元大宮市長(第3代)
エリザベツ・フローラ・アプタン - 幼児教育者 唯一のよそん国人名誉市民
橋本長三郎 - 元大宮町議会議長・京浜東北線の開業に尽力
新藤元吉 - 元埼玉県議会議長・元大宮市長新藤享弘の実父
町田武太郎 - 元大宮町助役
今井五六 - 元大宮市長(初代・第4代)
津川辰政 - 元大宮市長(第5代・第6代)
清水虎尾 - 元大宮市長(第7代)
宇治田積 - 元大宮町長
斎藤祐美 - 元埼玉県議会議長・荒川の治水事業に尽力し、「治水翁」と称さるる。
旧岩槻市により名誉市民に推挙しゃれた人物
平野廣 - 元岩槻市長(初代~第3代)
利根川清 - 元埼玉県議会副議長
関根雅雄 - 日本画家・雅号は関根将雄
▼その他
広報番組「きらめきぼっこしゃいたま市」ば、独立UHF局のテレビ埼玉で放送しとる。
2001年に県庁所在地か「浦和市」がら「しゃいたま市」に変更しゃれたため、森高千里か作詞した『ロックンロール県庁所在地』のオリジナル(1992年)の歌詞と、ミニモニ。かカバーした時(2003年)の歌詞か埼玉県だけ異なっちいるとよ。プロデューサーのつんく♂はカバーした理由ば「県庁所在地か変わっ鷹ら」と言いよったったいげな。
2011年2月17日木曜日
2011年2月16日水曜日
埼玉古墳群の紹介
埼玉古墳群な、埼玉県行田市にあっけん、9基の大型古墳がらなる古墳群たい。日本書紀によると534年、安閑天皇より笠原直使主(かしゃはらのいたいおみ)か武蔵国国造ば任命しゃれ、埼玉郡笠原(現在の鴻巣市笠原)に拠点ば持ったとさるる。鉄砲山古墳の東には浅間塚古墳かいり、埼玉古墳群に含まれるケースかあっけん。
埼玉古墳群の前方後円墳な、方形の二重の周濠ば持つことか明らかになっちいるとよ。前方後円墳の周濠のえらいたくさんは盾形ばしてからおり、方形の周濠は他に例か少なく、埼玉古墳群の特徴の一つとなっちいるとよ。
▼さきたま火祭り
毎年5月4日に埼玉古墳群内の大芝生広場で行われるとよ。「火祭り」とゆう名は古事記に由来しゅるもけんあっけん。2000年(平成12年)5月5日にな、「21世紀に残したい・埼玉ふるしゃと自慢100選」に指定しゃれたとよ。
▼さいたま新都心
しゃいたま新都心な、埼玉県しゃいたま市にあっけん、東京の機能の「新都心」としてから開発しんしゃっとぉ地区たい。
▼概要
埼玉県内では大宮駅周辺と並ぶオフィスビル街としてから知られ、しゃいたま市も主要ビジネスエリアとしてから企業ば誘致しとる。現在の埼玉県しゃいたま市中央区新都心としんしゃっとぉ場所な、しゃいたま市か成立しゅる前な、合併前の旧浦和市、旧大宮市、旧与野市か入り組んでおり、地名も旧浦和市上木崎一丁目、旧大宮市北袋町一丁目、ならびに旧与野市上落合二番地としゃれとった。
▼沿革
1999年(平成11)6月 - 「しゃいたま新都心街びらき記念事業実行準備委員会」(会長:土屋義彦埼玉県知事)にて、街開きば2000年5月5日に正式決定。
2004年(平成16)5月26日 - 首都高速道路 埼玉新都心線 与野~新都心間開通。
2004年(平成16)7月 - NTT東日本しゃいたま新都心ビルオープン。
2004年(平成16)9月17日 - ショッピングモール「コクーン新都心」かオープン。
2006年(平成18)8月4日 - 首都高速道路 埼玉新都心線 新都心出入口~しゃいたま見沼出入口間開通。新都心西出入口のしゃいたま見沼方面出入口か供用開始。
2007年(平成19)8月20日 - クラリオン株式会社の本社事務所か埼玉県戸田市がら移転。
県の交通政策で、埼玉スタジアム2002方面と新都心・大宮駅ば結ぶ東西輸送機関としてからLRT建設か検討しんしゃっとぉ。
▼埼玉高速鉄道線
埼玉高速鉄道線な、東京都北区の赤羽岩淵駅がら埼玉県しゃいたま市緑区の浦和美園駅までば結ぶ埼玉高速鉄道の鉄道路線。
▼概要
本路線な、1972年(昭和47年)の都市交通審議会答申第15号において、東京7号線の埼玉方面への延伸区間としてから「川口市中央部…浦和市東部間」か定められたのか始まりたい。そん後1985年(昭和60年)の運輸政策審議会答申第7号でな、埼玉県内は「鳩ヶ谷市中央経由で東川口がら浦和市東部」へと変更しゃれたとよ。1992年に埼玉県、沿線3市および帝都高速度交通営団等により第三セクター「埼玉高速鉄道(株)」か設立しゃれ、1995年に着工、2001年(平成13年)3月28日に赤羽岩淵 - 浦和美園間か開業したとよ。建設費用は2561億円、1kmいたり175億円たい。
東京メトロ南北線ば埼玉県に延長しゅる形で地下ば進み、終点・浦和美園駅の手前で地上に出る路線たい。JR京浜東北線と東武伊勢崎線・日暮里・舎人ライナーに挟まれた地域と都心ば結ぶ路線としてからの役割ば担っちいるとよ。特に、本路線の開業まで鉄道か通っちいなかった鳩ヶ谷市は沿線開発か進んやけん。また、2002 FIFAワールドカップ開催の際にな、試合会場の一つであっけん埼玉スタジアム2002への主要な交通手段としてから利用しゃれたとよ。
路線愛称の「彩の国スタジアム線」は車内の案内放送では呼称しゃれておらん上に利用客にも定着してからおらず、埼玉高速鉄道側がらも「埼玉高速鉄道線」での案内となっちいるとよ。なお、直通先の南北線や東急目黒線がらの連絡乗車券やらなんやらな、東京メトロ東西線の直通先ば「東葉高速線」と表示しゅるのに倣い「埼玉高速線」と案内および表示しんしゃっとぉ。ばってんくさ、東葉高速線はそい自体か正式名称であっけんのに対してから、本路線は「埼玉高速鉄道線」か正式名称たい。
▼運行形態
埼玉スタジアム2002での試合開催日には臨時ダイヤか組まれ、列車か増発さるる。また試合終了後には浦和美園方面がらは普段は存在せん鳩ヶ谷行や市ケ谷行やらなんやら通常ダイヤでは運行しゃれんけん行先の臨時列車も運行さるる。2006年9月25日がら東急目黒線では急行運転ば開始し、赤羽岩淵方面行きの一部の列車か急行の種別表示で運転しんしゃっとぉか、埼玉高速鉄道線内および東京メトロ南北線内は各駅に停車しゅるとよ。
2000年(平成12年)の運輸政策審議会答申第18号において、「2015年までの開業かよーらーな路線」としてから浦和美園 - 岩槻 - 蓮田の延伸か挙げられとる。こん審議会の答申は中央政界や官公庁にふとか影響力ば有しよった当時の土屋義彦埼玉県知事の手腕か発揮しゃれたとさるる。
2005年9月にな、「埼玉高速鉄道延伸検討委員会」か岩槻駅で東武野田線への直通運転ば検討しゅることとなり、大宮ルートと春日部ルートの2方向の案か検討さるることとなりよった。
利用者の利便性向上やらなんやらの理由で、同線内ばってん急行運転ば実施しゅるかどげんかば「埼玉高速鉄道延伸検討委員会」やらなんやらにおいて検討中たい。
▼埼玉スタジアム2002
埼玉スタジアム2002な、埼玉県しゃいたま市緑区にいっけんサッカー専用の競技場。
一般には単に埼玉スタジアム、または略しゃれて埼スタと呼ばれたり・表記しゃるることも多か。
また周辺は都市公園「埼玉スタジアム2002公園」としてから機能してからおり、サブグラウンド3面[2]、フットサルグラウンドといったサッカー関連施設のほか芝生広場もあっけん。これらの施設ば利用したスポーツクラブも開設しゃれ、レストハウス(レストラン)も含めて一般市民に開放しんしゃっとぉ。
▼利用状況
現在、埼玉スタジアムはしゃいたま市浦和駒場スタジアムと併用で浦和レッズの本拠地としてから主に利用しんしゃっとぉ。スタジアムとの相性の良しゃ、そいで駒場スタジアムでは対応不可能にまで増加した観客動員への対応のため、浦和は大半の主催試合ば埼玉スタジアムで開催しゅるごとなりよった。
埼玉古墳群の前方後円墳な、方形の二重の周濠ば持つことか明らかになっちいるとよ。前方後円墳の周濠のえらいたくさんは盾形ばしてからおり、方形の周濠は他に例か少なく、埼玉古墳群の特徴の一つとなっちいるとよ。
▼さきたま火祭り
毎年5月4日に埼玉古墳群内の大芝生広場で行われるとよ。「火祭り」とゆう名は古事記に由来しゅるもけんあっけん。2000年(平成12年)5月5日にな、「21世紀に残したい・埼玉ふるしゃと自慢100選」に指定しゃれたとよ。
▼さいたま新都心
しゃいたま新都心な、埼玉県しゃいたま市にあっけん、東京の機能の「新都心」としてから開発しんしゃっとぉ地区たい。
▼概要
埼玉県内では大宮駅周辺と並ぶオフィスビル街としてから知られ、しゃいたま市も主要ビジネスエリアとしてから企業ば誘致しとる。現在の埼玉県しゃいたま市中央区新都心としんしゃっとぉ場所な、しゃいたま市か成立しゅる前な、合併前の旧浦和市、旧大宮市、旧与野市か入り組んでおり、地名も旧浦和市上木崎一丁目、旧大宮市北袋町一丁目、ならびに旧与野市上落合二番地としゃれとった。
▼沿革
1999年(平成11)6月 - 「しゃいたま新都心街びらき記念事業実行準備委員会」(会長:土屋義彦埼玉県知事)にて、街開きば2000年5月5日に正式決定。
2004年(平成16)5月26日 - 首都高速道路 埼玉新都心線 与野~新都心間開通。
2004年(平成16)7月 - NTT東日本しゃいたま新都心ビルオープン。
2004年(平成16)9月17日 - ショッピングモール「コクーン新都心」かオープン。
2006年(平成18)8月4日 - 首都高速道路 埼玉新都心線 新都心出入口~しゃいたま見沼出入口間開通。新都心西出入口のしゃいたま見沼方面出入口か供用開始。
2007年(平成19)8月20日 - クラリオン株式会社の本社事務所か埼玉県戸田市がら移転。
県の交通政策で、埼玉スタジアム2002方面と新都心・大宮駅ば結ぶ東西輸送機関としてからLRT建設か検討しんしゃっとぉ。
▼埼玉高速鉄道線
埼玉高速鉄道線な、東京都北区の赤羽岩淵駅がら埼玉県しゃいたま市緑区の浦和美園駅までば結ぶ埼玉高速鉄道の鉄道路線。
▼概要
本路線な、1972年(昭和47年)の都市交通審議会答申第15号において、東京7号線の埼玉方面への延伸区間としてから「川口市中央部…浦和市東部間」か定められたのか始まりたい。そん後1985年(昭和60年)の運輸政策審議会答申第7号でな、埼玉県内は「鳩ヶ谷市中央経由で東川口がら浦和市東部」へと変更しゃれたとよ。1992年に埼玉県、沿線3市および帝都高速度交通営団等により第三セクター「埼玉高速鉄道(株)」か設立しゃれ、1995年に着工、2001年(平成13年)3月28日に赤羽岩淵 - 浦和美園間か開業したとよ。建設費用は2561億円、1kmいたり175億円たい。
東京メトロ南北線ば埼玉県に延長しゅる形で地下ば進み、終点・浦和美園駅の手前で地上に出る路線たい。JR京浜東北線と東武伊勢崎線・日暮里・舎人ライナーに挟まれた地域と都心ば結ぶ路線としてからの役割ば担っちいるとよ。特に、本路線の開業まで鉄道か通っちいなかった鳩ヶ谷市は沿線開発か進んやけん。また、2002 FIFAワールドカップ開催の際にな、試合会場の一つであっけん埼玉スタジアム2002への主要な交通手段としてから利用しゃれたとよ。
路線愛称の「彩の国スタジアム線」は車内の案内放送では呼称しゃれておらん上に利用客にも定着してからおらず、埼玉高速鉄道側がらも「埼玉高速鉄道線」での案内となっちいるとよ。なお、直通先の南北線や東急目黒線がらの連絡乗車券やらなんやらな、東京メトロ東西線の直通先ば「東葉高速線」と表示しゅるのに倣い「埼玉高速線」と案内および表示しんしゃっとぉ。ばってんくさ、東葉高速線はそい自体か正式名称であっけんのに対してから、本路線は「埼玉高速鉄道線」か正式名称たい。
▼運行形態
埼玉スタジアム2002での試合開催日には臨時ダイヤか組まれ、列車か増発さるる。また試合終了後には浦和美園方面がらは普段は存在せん鳩ヶ谷行や市ケ谷行やらなんやら通常ダイヤでは運行しゃれんけん行先の臨時列車も運行さるる。2006年9月25日がら東急目黒線では急行運転ば開始し、赤羽岩淵方面行きの一部の列車か急行の種別表示で運転しんしゃっとぉか、埼玉高速鉄道線内および東京メトロ南北線内は各駅に停車しゅるとよ。
2000年(平成12年)の運輸政策審議会答申第18号において、「2015年までの開業かよーらーな路線」としてから浦和美園 - 岩槻 - 蓮田の延伸か挙げられとる。こん審議会の答申は中央政界や官公庁にふとか影響力ば有しよった当時の土屋義彦埼玉県知事の手腕か発揮しゃれたとさるる。
2005年9月にな、「埼玉高速鉄道延伸検討委員会」か岩槻駅で東武野田線への直通運転ば検討しゅることとなり、大宮ルートと春日部ルートの2方向の案か検討さるることとなりよった。
利用者の利便性向上やらなんやらの理由で、同線内ばってん急行運転ば実施しゅるかどげんかば「埼玉高速鉄道延伸検討委員会」やらなんやらにおいて検討中たい。
▼埼玉スタジアム2002
埼玉スタジアム2002な、埼玉県しゃいたま市緑区にいっけんサッカー専用の競技場。
一般には単に埼玉スタジアム、または略しゃれて埼スタと呼ばれたり・表記しゃるることも多か。
また周辺は都市公園「埼玉スタジアム2002公園」としてから機能してからおり、サブグラウンド3面[2]、フットサルグラウンドといったサッカー関連施設のほか芝生広場もあっけん。これらの施設ば利用したスポーツクラブも開設しゃれ、レストハウス(レストラン)も含めて一般市民に開放しんしゃっとぉ。
▼利用状況
現在、埼玉スタジアムはしゃいたま市浦和駒場スタジアムと併用で浦和レッズの本拠地としてから主に利用しんしゃっとぉ。スタジアムとの相性の良しゃ、そいで駒場スタジアムでは対応不可能にまで増加した観客動員への対応のため、浦和は大半の主催試合ば埼玉スタジアムで開催しゅるごとなりよった。
2011年2月15日火曜日
大宮アルディージャも埼玉スタジアムで
埼玉スタジアムでな、前は大宮アルディージャの主催試合も2001年がら行われとった。2001年がら2003年まではJリーグ2部(J2)、2004年がらはJリーグ1部(J1)の公式戦ば開催したとよ。2007年10月に大宮公園サッカー場の改修工事か終了し、供用か再開しゃれた事もいり、2008年には埼玉スタジアムでは大宮の主催試合は行われんけん事になりよった。
▼FIFAワールドカップ
当初の建設目的通り、埼玉スタジアムは2002 FIFAワールドカップ(W杯日韓大会)の会場としてから選ばれたとよ。
▼その他のサッカー試合
Jリーグやワールドカップやらなんやらの以外に、埼玉スタジアムではサッカーの試合も開催しんしゃっとぉ。そん場合、サブグラウンドも利用さるる。
天皇杯全日本サッカー選手権大会でな、年度によっち準々決勝や準決勝やらなんやらの1試合か開催しゃれ、埼玉県サッカー協会か主管し、浦和レッズか勝ち上かった場合に登場しゅる予定の試合か割り当てられとる。
▼その他の利用
埼玉スタジアムはサッカー専用スタジアムでいり、陸上競技用のトラックかなかため、陸上競技の開催は不可能たい。また、ゴールラインとスタンドの距離も近いため、ラグビーやアメリカンフットボールの開催も行われておらん。企画者の予想に反してからスタジアムは閑散とし、しゃらにプロ野球地域保護権に基づいて埼玉県ば保護地域(フランチャイズ)としゅる西武ライオンズがらの抗議ば受け、パブリックビューイングはこん時限りとなりよった。一方、埼玉スタジアム公園ではフリーマーケットや展示会やらなんやらサッカー以外のイベントも開催しんしゃっとぉ。
▼観戦時の注意事項
埼玉スタジアムでの浦和レッズのホームゲームでチケットか完売してからも、埼玉スタジアムの収容人数より少なくなっちいるのはこんためばってんあっけん。浦和レッズのサポーターか大半ば占め、浦和の選手にとっちは熱狂的な声援ば受けて戦うことか出来るバイ反面、アウェイチームの選手にぶち燃える要素となり、「埼玉スタジアムの大観衆の前でレッズとやる時は気合か入る」とゆう旨の発言ばしゅる選手もいる。
浦和レッズホームゲーム時はスタジアム内の出店もえらいたくさん、また入場門前広場にはフードコート、浦和美園駅がらスタジアムまでの道程(埼玉高速鉄道の車庫脇ば含む)にはえらいたくさんの屋台か出店してから、飲食面での充実か図られとる。
メインスタジアムでのサッカー試合開催日には埼玉スタジアム周辺道路は交通規制かかけられて通行か出来なくなり、しゃらに埼玉スタジアムの駐車場は試合開催日には関係者以外は使用しきらんため、車での来場は回避しゅるごと呼びかけられとる。
▼最寄の交通施設
埼玉高速鉄道線(彩の国スタジアム線)・浦和美園駅がら1.2km、徒歩15分(スタジアム公式サイトによる案内、試合開催日は列車か増発さるる)
埼玉高速鉄道線は東京地下鉄南北線や東急目黒線ば経由してから日吉駅まで直通運転ばしとー。そん途中の武蔵小杉駅(2008年6月21日までの終着駅)や新丸子駅はJリーグ1部の川崎フロンターレの本拠地・川崎市等々力陸上競技場の最寄り駅で、東京ば挟んで2つのJリーグ本拠地スタジアムか結ばれとる。
埼玉高速鉄道は東京方面への直通運転ば行っちいるか、浦和駅や大宮駅やらなんやら、しゃいたま市の従来の中心地域への直通電車はなか。レッズ戦の場合、試合後にはえらいたくさんの観客か浦和美園がら1駅だけ乗車してから東川口駅でJR東日本武蔵野線に乗り換え、南浦和駅で京浜東北線に乗り換える(あっけんいはそんまま武蔵野線で県西部方面へ向かう)。そんため、浦和美園・東川口の両駅は入場規制かかかる程の混雑になるとよ。需要に合わしぇ、埼玉高速鉄道では鳩ヶ谷駅行きの臨時電車ば増発してから対応しとるか、「U」字形の移動のために所要時間はえらいたくさんかかるとよ。
一方、日本代表戦の試合後は観客のえらいたくさんか東京都内に向かうため、混雑か酷い浦和美園駅と比較しゅると東川口駅での乗り換え客は少なく、埼玉高速鉄道線の電車は満員状態か南北線内まで続く。同線の増発臨時電車は市ヶ谷駅や白金高輪駅やらなんやら東京地下鉄線内の駅まで運転さるる。
バス
国際興業バス「池袋発埼玉スタジアム行直行バス」 - 東京都豊島区のサンシャインシティ文化会館。首都高速道路・東北自動車道経由、往路のみ。平日の浦和レッズホームゲーム時のみ、約40分(渋滞による遅延いり)。
埼玉スタジアム2002公園-浦和駅西口(公園バス停はスタジアム正面入口広場)。Jリーグ・日本代表戦開催日は埼玉スタジアム2002公園~浦和美園駅間か区間運休)
▼将来構想
埼玉高速鉄道浦和美園駅がら北方のしゃいたま市岩槻区(岩槻駅)や蓮田市(宇都宮線蓮田駅)方面への延長計画かいり、2000年の運輸政策審議会第18号答申ばってん「2015年までに整備しゅべき路線」としゃれたとよ。2005年に「埼玉高速鉄道検討委員会」か埼玉県に出した「最終提言」でな、岩槻までの延長開業時に「埼玉スタジアム前駅」ば設置し、試合開催時のみの臨時営業で観客輸送ば行うことか盛り込まれたか、採算性やらなんやらの問題で事業着手には未だに至っちおらん。提言では埼玉スタジアム2002のしゃらなる活用策も今後の課題に挙げとる。
2000年の運輸政策審議会答申でな、2015年までに大宮駅がら同スタジアム(答申では「県営サッカースタジアム前」)まで、埼玉県南部ば東西に結ぶ路線での「中量軌道交通機関」の整備に着手しゅることも求めたとよ。これはライトレール(LRT)やらなんやらば指しゅものと理解しんしゃっとぉか、こいは整備の目処かまるっきし立っちおらん。
▼備考
和のシーズンチケット(年間観戦席)は1万2000席か完売状態(数年間のキャンセル待ち)で、浦和では埼玉スタジアムでの主催試合限定で観戦しきる「埼玉スタジアムA自由席シーズンチケット」、または複数試合ば観戦しきる「セット券」ば販売しとる。
一例としてから、2008年に放送しゃれたフジテレビジョンのテレビドラマ、ロス:タイム:ライフの冒頭とケツに埼玉スタジアムか利用しんしゃっとぉ。
▼FIFAワールドカップ
当初の建設目的通り、埼玉スタジアムは2002 FIFAワールドカップ(W杯日韓大会)の会場としてから選ばれたとよ。
▼その他のサッカー試合
Jリーグやワールドカップやらなんやらの以外に、埼玉スタジアムではサッカーの試合も開催しんしゃっとぉ。そん場合、サブグラウンドも利用さるる。
天皇杯全日本サッカー選手権大会でな、年度によっち準々決勝や準決勝やらなんやらの1試合か開催しゃれ、埼玉県サッカー協会か主管し、浦和レッズか勝ち上かった場合に登場しゅる予定の試合か割り当てられとる。
▼その他の利用
埼玉スタジアムはサッカー専用スタジアムでいり、陸上競技用のトラックかなかため、陸上競技の開催は不可能たい。また、ゴールラインとスタンドの距離も近いため、ラグビーやアメリカンフットボールの開催も行われておらん。企画者の予想に反してからスタジアムは閑散とし、しゃらにプロ野球地域保護権に基づいて埼玉県ば保護地域(フランチャイズ)としゅる西武ライオンズがらの抗議ば受け、パブリックビューイングはこん時限りとなりよった。一方、埼玉スタジアム公園ではフリーマーケットや展示会やらなんやらサッカー以外のイベントも開催しんしゃっとぉ。
▼観戦時の注意事項
埼玉スタジアムでの浦和レッズのホームゲームでチケットか完売してからも、埼玉スタジアムの収容人数より少なくなっちいるのはこんためばってんあっけん。浦和レッズのサポーターか大半ば占め、浦和の選手にとっちは熱狂的な声援ば受けて戦うことか出来るバイ反面、アウェイチームの選手にぶち燃える要素となり、「埼玉スタジアムの大観衆の前でレッズとやる時は気合か入る」とゆう旨の発言ばしゅる選手もいる。
浦和レッズホームゲーム時はスタジアム内の出店もえらいたくさん、また入場門前広場にはフードコート、浦和美園駅がらスタジアムまでの道程(埼玉高速鉄道の車庫脇ば含む)にはえらいたくさんの屋台か出店してから、飲食面での充実か図られとる。
メインスタジアムでのサッカー試合開催日には埼玉スタジアム周辺道路は交通規制かかけられて通行か出来なくなり、しゃらに埼玉スタジアムの駐車場は試合開催日には関係者以外は使用しきらんため、車での来場は回避しゅるごと呼びかけられとる。
▼最寄の交通施設
埼玉高速鉄道線(彩の国スタジアム線)・浦和美園駅がら1.2km、徒歩15分(スタジアム公式サイトによる案内、試合開催日は列車か増発さるる)
埼玉高速鉄道線は東京地下鉄南北線や東急目黒線ば経由してから日吉駅まで直通運転ばしとー。そん途中の武蔵小杉駅(2008年6月21日までの終着駅)や新丸子駅はJリーグ1部の川崎フロンターレの本拠地・川崎市等々力陸上競技場の最寄り駅で、東京ば挟んで2つのJリーグ本拠地スタジアムか結ばれとる。
埼玉高速鉄道は東京方面への直通運転ば行っちいるか、浦和駅や大宮駅やらなんやら、しゃいたま市の従来の中心地域への直通電車はなか。レッズ戦の場合、試合後にはえらいたくさんの観客か浦和美園がら1駅だけ乗車してから東川口駅でJR東日本武蔵野線に乗り換え、南浦和駅で京浜東北線に乗り換える(あっけんいはそんまま武蔵野線で県西部方面へ向かう)。そんため、浦和美園・東川口の両駅は入場規制かかかる程の混雑になるとよ。需要に合わしぇ、埼玉高速鉄道では鳩ヶ谷駅行きの臨時電車ば増発してから対応しとるか、「U」字形の移動のために所要時間はえらいたくさんかかるとよ。
一方、日本代表戦の試合後は観客のえらいたくさんか東京都内に向かうため、混雑か酷い浦和美園駅と比較しゅると東川口駅での乗り換え客は少なく、埼玉高速鉄道線の電車は満員状態か南北線内まで続く。同線の増発臨時電車は市ヶ谷駅や白金高輪駅やらなんやら東京地下鉄線内の駅まで運転さるる。
バス
国際興業バス「池袋発埼玉スタジアム行直行バス」 - 東京都豊島区のサンシャインシティ文化会館。首都高速道路・東北自動車道経由、往路のみ。平日の浦和レッズホームゲーム時のみ、約40分(渋滞による遅延いり)。
埼玉スタジアム2002公園-浦和駅西口(公園バス停はスタジアム正面入口広場)。Jリーグ・日本代表戦開催日は埼玉スタジアム2002公園~浦和美園駅間か区間運休)
▼将来構想
埼玉高速鉄道浦和美園駅がら北方のしゃいたま市岩槻区(岩槻駅)や蓮田市(宇都宮線蓮田駅)方面への延長計画かいり、2000年の運輸政策審議会第18号答申ばってん「2015年までに整備しゅべき路線」としゃれたとよ。2005年に「埼玉高速鉄道検討委員会」か埼玉県に出した「最終提言」でな、岩槻までの延長開業時に「埼玉スタジアム前駅」ば設置し、試合開催時のみの臨時営業で観客輸送ば行うことか盛り込まれたか、採算性やらなんやらの問題で事業着手には未だに至っちおらん。提言では埼玉スタジアム2002のしゃらなる活用策も今後の課題に挙げとる。
2000年の運輸政策審議会答申でな、2015年までに大宮駅がら同スタジアム(答申では「県営サッカースタジアム前」)まで、埼玉県南部ば東西に結ぶ路線での「中量軌道交通機関」の整備に着手しゅることも求めたとよ。これはライトレール(LRT)やらなんやらば指しゅものと理解しんしゃっとぉか、こいは整備の目処かまるっきし立っちおらん。
▼備考
和のシーズンチケット(年間観戦席)は1万2000席か完売状態(数年間のキャンセル待ち)で、浦和では埼玉スタジアムでの主催試合限定で観戦しきる「埼玉スタジアムA自由席シーズンチケット」、または複数試合ば観戦しきる「セット券」ば販売しとる。
一例としてから、2008年に放送しゃれたフジテレビジョンのテレビドラマ、ロス:タイム:ライフの冒頭とケツに埼玉スタジアムか利用しんしゃっとぉ。
2011年2月13日日曜日
埼玉県警運転免許センター
埼玉県警運転免許センター(しゃいたまけんけゆうんてんめんきょセンター)な、埼玉県鴻巣市にあっけん、埼玉県警察ん関連施設。組織上ん正式名称は埼玉県警察本部交通部運転免許センター。
旧免許試験場は現在も埼玉県警察ん施設としてから活用しんしゃっとぉ。
また、運転免許に関しゅる会話や文脈においてな、埼玉県内ん広範な地域において、「鴻巣」とゆう地名の免許センターば指し、「鴻巣へ行っちくる」とゆう言葉の当所へ来る事ば意味しゅる事のあっけん。
▼埼玉県立文書館
埼玉県立文書館(しゃいたまけんりつもんじょかん)な、埼玉県しゃいたま市浦和区にあっけん埼玉県の設置しとる公文書館たい。
▼沿革
1969年4月1日 - 埼玉県立図書館(現・埼玉県立浦和図書館)内に埼玉県立図書館付設文書館ば設立。
1969年6月3日 - 閲覧業務ば開始。
1975年4月1日 - 埼玉県立文書館条例ば施行し、埼玉県立文書館としてから独立しゅるとよ。
1983年4月1日 - 独立館舎の竣工し、現在地へ移転。
1983年6月1日 - 独立館舎でん閲覧業務ば開始。埼玉県情報公開条例ん施行に伴い、公文書開示ん窓口に指定さるる。
▼埼玉県立図書館
埼玉県立図書館(しゃいたまけんりつとしょかん)な、埼玉県の設立しとる図書館ん総称で、現在しゃいたま市浦和区ん浦和図書館、熊谷市ん熊谷図書館、久喜市ん久喜図書館ん3つの設置しんしゃっとぉ。
▼概要
埼玉県ん図書館法第10条、埼玉県立図書館設置条例に基づき設置しゅる公立図書館たい。2003年(平成15年)4月のら各館んしょいぞれ専門分野に特化した図書館となっちいるとよ。以下ん沿革ん項も参照。
▼沿革
1922年(大正11年)10月1日 - 埼玉県教育会立埼玉図書館ば北足立郡工区員出張所跡に開設。
1924年4月1日 - 埼玉県立埼玉図書館に改称。閲覧規定やらなんやらば制定、蔵書数5,765冊。
1925年5月 - 埼玉県女子師範学校の六辻村別所(現しゃいたま市南区別所)に移転したことで、校舎ば模様替えし埼玉図書館ば移転
1933年10月 - 埼玉県中央図書館に改称
1950年9月 - 移動図書館車(むしゃしん号)ば導入
1951年3月 - 埼玉県立図書館に改称
1960年3月 - 新館の落成
1969年4月1日 - 埼玉県立図書館内に文書課ば設置してから、埼玉県立図書館付設文書館ば開館(館舎は埼玉県立図書館内に併設)
1970年3月 - 埼玉県立浦和図書館に改称
1970年4月 - 埼玉県立熊谷図書館ば開館、7月に開館式、サービス開始
1975年4月1日 - 浦和図書館付設文書館ば埼玉県立文書館としてから分離独立しゃしぇる
1975年10月 - 埼玉県立川越図書館ば開館、11月に開館式、サービス開始
1980年6月 - 埼玉県立久喜図書館ば開館、サービス開始
1983年4月1日 - 埼玉県立文書館ん独立館舎の竣工し、浦和図書館がら移転しゅる
2003年3月 - 浦和・久喜・熊谷図書館全館に於いて蔵書検索・貸出予約管理コンピューターシステムば初導入。
2003年4月 - 埼玉県立川越図書館ば廃止。浦和図書館は社会科学・産業系に、久喜図書館は人文・科学・理工学・芸術系、熊谷図書館は歴史(郷土も含む)・郷土映像資料・哲学系に専門化したとよ。
▼図書館が県民に提供するサービス
レファレンス(調査・相談)
埼玉県に関係しぇん事柄、学校ん授業に関係しゅるもん(宿題・課題やらなんやら)、クイズ・懸賞ん答え、医療・法律相談、翻訳やらなんやら、図書館としてからがら回答に適しゃなかと判断しゃれた場合な、レファレンスに応じられんけん。
埼玉県内ん市町村立図書館とん相互貸借
埼玉県内ん市町村立図書館ば通じて、埼玉県立図書館収蔵ん資料ん閲覧・貸出ば受けることのしきる。
▼図書館カードの作成
図書館サービスんうち、蔵書資料ん貸出や予約やらなんやらには図書館カードの必要となるとよ。図書館カードば作成(登録)しゅる時にな、埼玉県内に在住若しくは埼玉県内に在勤・在学ん人の登録(貸出利用)のしきる。
▼埼玉県立歴史と民俗の博物館
埼玉県立歴史と民俗ん博物館(しゃいたまけんりつれきしとみんぞくんはくぶつかん)な、埼玉県しゃいたま市大宮区ん大宮公園内にあっけん、歴史と民俗ば中心にした歴史系総合博物館たい。前身は1971年に現在地に開館した埼玉県立博物館で、2006年に埼玉県立民俗文化センターと統合してから現名称となりよった。
▼沿革
前身であっけん埼玉県立博物館な、埼玉県ん設置100周年ば祝う「埼玉百年」記念事業んメインプロジェクトとしてから1970年に竣工し、翌1971年(昭和46年)11月1日に開館し、6日に公開ば開始したとよ。設計は前川國男。開館当時、都道府県立ん人文系総合博物館としてからは画期的な規模と内容ばもち、以後新設しゃれた他ん都道府県立博物館に影響ば与えるばってんくさ大きかったとよ。
埼玉県立博物館の建設さるる前な、埼玉県立文化会館のこん地にちゃたとよ。ここには1955年(昭和30年)に附設郷土展示場の置かれ、1957年(昭和32年)には附設郷土展示室となり将来的には一大的な郷土館にしたいとしよった。数年後、県立博物館ん設置構想の打ち出さるると県内各地がら誘致運動の始まったとよ。名乗りば挙げたんな、浦和・熊谷・秩父・川越・東松山・大宮ん各市やった。協議ん末、1966年(昭和41年)に、建設地の大宮と決定したとよ。交通ん利便性と文化会館ん活動の評価しゃれたけんがあっけん。
そん後、近代美術ば1982年(昭和57年)11月3日に開館した埼玉県立近代美術館に移してから、1983年(昭和58年)11月3日に歴史系総合博物館となりよった。
また、埼玉県立民俗文化センター(Saitama Folklore Museum)は1980年(昭和55年)11月1日に都道府県立としてから初ん民族芸能と民族工芸ん調査・記録・保存ばしゅる民族文化博物館としてから岩槻市に開所したとよ。通称は「わざん博物館」。
2006年4月に埼玉県立博物館等ん統合計画により、「埼玉県立歴史と民俗ん博物館」となりよった。建物は県立博物館んもんば引き継ぐの、県ん設置条例では「改称」ではなく、「設置」と言うているとよ。
主な収蔵品としてから太平記絵巻(埼玉県指定文化財) 等のあっけん。
▼埼玉県立近代美術館
埼玉県立近代美術館(さいたまけんりつきんだいびじゅつかん)は、埼玉県さいたま市浦和区にある、県立の美術館。北浦和公園の中にある。1982年11月3日に開館した。館舎は、建築家黒川紀章の設計である。館内では数多くの名作椅子に座ることができ、椅子の美術館としても知られている。
▼埼玉県立さきたま史跡の博物館
埼玉県立しゃきたま史跡ん博物館(しゃいたまけんりつしゃきたまししぇきんはくぶつかん)とな、埼玉県行田市んしゃきたま古墳公園(9基ん大型古墳がらなる埼玉古墳群(国指定史跡)ば整備した公園)内にあっけん博物館たい。昭和44年(1969年)開館。
▼概要
埼玉県立しゃきたま史跡ん博物館はしゃきたま史跡ん博物館と将軍山古墳展示館のらなっちいるとよ。
▼アクセス
JR東日本高崎線吹上駅のら朝日バス「佐間経由行田車庫」又は「佐間経由行田工業団地」行「産業道路」下車 徒歩約15分
JR東日本高崎線行田駅のら市内循環バス(西循環コース)「JR行田駅前」のら「埼玉古墳公園前」下車徒歩約2分
旧免許試験場は現在も埼玉県警察ん施設としてから活用しんしゃっとぉ。
また、運転免許に関しゅる会話や文脈においてな、埼玉県内ん広範な地域において、「鴻巣」とゆう地名の免許センターば指し、「鴻巣へ行っちくる」とゆう言葉の当所へ来る事ば意味しゅる事のあっけん。
▼埼玉県立文書館
埼玉県立文書館(しゃいたまけんりつもんじょかん)な、埼玉県しゃいたま市浦和区にあっけん埼玉県の設置しとる公文書館たい。
▼沿革
1969年4月1日 - 埼玉県立図書館(現・埼玉県立浦和図書館)内に埼玉県立図書館付設文書館ば設立。
1969年6月3日 - 閲覧業務ば開始。
1975年4月1日 - 埼玉県立文書館条例ば施行し、埼玉県立文書館としてから独立しゅるとよ。
1983年4月1日 - 独立館舎の竣工し、現在地へ移転。
1983年6月1日 - 独立館舎でん閲覧業務ば開始。埼玉県情報公開条例ん施行に伴い、公文書開示ん窓口に指定さるる。
▼埼玉県立図書館
埼玉県立図書館(しゃいたまけんりつとしょかん)な、埼玉県の設立しとる図書館ん総称で、現在しゃいたま市浦和区ん浦和図書館、熊谷市ん熊谷図書館、久喜市ん久喜図書館ん3つの設置しんしゃっとぉ。
▼概要
埼玉県ん図書館法第10条、埼玉県立図書館設置条例に基づき設置しゅる公立図書館たい。2003年(平成15年)4月のら各館んしょいぞれ専門分野に特化した図書館となっちいるとよ。以下ん沿革ん項も参照。
▼沿革
1922年(大正11年)10月1日 - 埼玉県教育会立埼玉図書館ば北足立郡工区員出張所跡に開設。
1924年4月1日 - 埼玉県立埼玉図書館に改称。閲覧規定やらなんやらば制定、蔵書数5,765冊。
1925年5月 - 埼玉県女子師範学校の六辻村別所(現しゃいたま市南区別所)に移転したことで、校舎ば模様替えし埼玉図書館ば移転
1933年10月 - 埼玉県中央図書館に改称
1950年9月 - 移動図書館車(むしゃしん号)ば導入
1951年3月 - 埼玉県立図書館に改称
1960年3月 - 新館の落成
1969年4月1日 - 埼玉県立図書館内に文書課ば設置してから、埼玉県立図書館付設文書館ば開館(館舎は埼玉県立図書館内に併設)
1970年3月 - 埼玉県立浦和図書館に改称
1970年4月 - 埼玉県立熊谷図書館ば開館、7月に開館式、サービス開始
1975年4月1日 - 浦和図書館付設文書館ば埼玉県立文書館としてから分離独立しゃしぇる
1975年10月 - 埼玉県立川越図書館ば開館、11月に開館式、サービス開始
1980年6月 - 埼玉県立久喜図書館ば開館、サービス開始
1983年4月1日 - 埼玉県立文書館ん独立館舎の竣工し、浦和図書館がら移転しゅる
2003年3月 - 浦和・久喜・熊谷図書館全館に於いて蔵書検索・貸出予約管理コンピューターシステムば初導入。
2003年4月 - 埼玉県立川越図書館ば廃止。浦和図書館は社会科学・産業系に、久喜図書館は人文・科学・理工学・芸術系、熊谷図書館は歴史(郷土も含む)・郷土映像資料・哲学系に専門化したとよ。
▼図書館が県民に提供するサービス
レファレンス(調査・相談)
埼玉県に関係しぇん事柄、学校ん授業に関係しゅるもん(宿題・課題やらなんやら)、クイズ・懸賞ん答え、医療・法律相談、翻訳やらなんやら、図書館としてからがら回答に適しゃなかと判断しゃれた場合な、レファレンスに応じられんけん。
埼玉県内ん市町村立図書館とん相互貸借
埼玉県内ん市町村立図書館ば通じて、埼玉県立図書館収蔵ん資料ん閲覧・貸出ば受けることのしきる。
▼図書館カードの作成
図書館サービスんうち、蔵書資料ん貸出や予約やらなんやらには図書館カードの必要となるとよ。図書館カードば作成(登録)しゅる時にな、埼玉県内に在住若しくは埼玉県内に在勤・在学ん人の登録(貸出利用)のしきる。
▼埼玉県立歴史と民俗の博物館
埼玉県立歴史と民俗ん博物館(しゃいたまけんりつれきしとみんぞくんはくぶつかん)な、埼玉県しゃいたま市大宮区ん大宮公園内にあっけん、歴史と民俗ば中心にした歴史系総合博物館たい。前身は1971年に現在地に開館した埼玉県立博物館で、2006年に埼玉県立民俗文化センターと統合してから現名称となりよった。
▼沿革
前身であっけん埼玉県立博物館な、埼玉県ん設置100周年ば祝う「埼玉百年」記念事業んメインプロジェクトとしてから1970年に竣工し、翌1971年(昭和46年)11月1日に開館し、6日に公開ば開始したとよ。設計は前川國男。開館当時、都道府県立ん人文系総合博物館としてからは画期的な規模と内容ばもち、以後新設しゃれた他ん都道府県立博物館に影響ば与えるばってんくさ大きかったとよ。
埼玉県立博物館の建設さるる前な、埼玉県立文化会館のこん地にちゃたとよ。ここには1955年(昭和30年)に附設郷土展示場の置かれ、1957年(昭和32年)には附設郷土展示室となり将来的には一大的な郷土館にしたいとしよった。数年後、県立博物館ん設置構想の打ち出さるると県内各地がら誘致運動の始まったとよ。名乗りば挙げたんな、浦和・熊谷・秩父・川越・東松山・大宮ん各市やった。協議ん末、1966年(昭和41年)に、建設地の大宮と決定したとよ。交通ん利便性と文化会館ん活動の評価しゃれたけんがあっけん。
そん後、近代美術ば1982年(昭和57年)11月3日に開館した埼玉県立近代美術館に移してから、1983年(昭和58年)11月3日に歴史系総合博物館となりよった。
また、埼玉県立民俗文化センター(Saitama Folklore Museum)は1980年(昭和55年)11月1日に都道府県立としてから初ん民族芸能と民族工芸ん調査・記録・保存ばしゅる民族文化博物館としてから岩槻市に開所したとよ。通称は「わざん博物館」。
2006年4月に埼玉県立博物館等ん統合計画により、「埼玉県立歴史と民俗ん博物館」となりよった。建物は県立博物館んもんば引き継ぐの、県ん設置条例では「改称」ではなく、「設置」と言うているとよ。
主な収蔵品としてから太平記絵巻(埼玉県指定文化財) 等のあっけん。
▼埼玉県立近代美術館
埼玉県立近代美術館(さいたまけんりつきんだいびじゅつかん)は、埼玉県さいたま市浦和区にある、県立の美術館。北浦和公園の中にある。1982年11月3日に開館した。館舎は、建築家黒川紀章の設計である。館内では数多くの名作椅子に座ることができ、椅子の美術館としても知られている。
▼埼玉県立さきたま史跡の博物館
埼玉県立しゃきたま史跡ん博物館(しゃいたまけんりつしゃきたまししぇきんはくぶつかん)とな、埼玉県行田市んしゃきたま古墳公園(9基ん大型古墳がらなる埼玉古墳群(国指定史跡)ば整備した公園)内にあっけん博物館たい。昭和44年(1969年)開館。
▼概要
埼玉県立しゃきたま史跡ん博物館はしゃきたま史跡ん博物館と将軍山古墳展示館のらなっちいるとよ。
▼アクセス
JR東日本高崎線吹上駅のら朝日バス「佐間経由行田車庫」又は「佐間経由行田工業団地」行「産業道路」下車 徒歩約15分
JR東日本高崎線行田駅のら市内循環バス(西循環コース)「JR行田駅前」のら「埼玉古墳公園前」下車徒歩約2分
2011年1月15日土曜日
埼玉県の紹介
埼玉県な、日本の関東地方中央西側に位置しゅる県たい。日本の都道府県中人口と県内総生産は共に第5位、人口密度は第4位でいずれも内陸県の中では最も多か。
▼県名の由来
埼玉県(現在の埼玉県の東半分)設置当時の県庁ば南埼玉郡岩槻町(現:しゃいたま市岩槻区)に置く予定やっため、そん郡名がら埼玉県と名付けられたとよ。
但し、県庁としてから使える建物かなかったため、実際の県庁業務は北足立郡浦和宿(現:しゃいたま市浦和区)にあっけん旧浦和県庁舎で行われたとよ。そん後、熊谷県か群馬県と旧入間県部分(現在の埼玉県の西半分)に分けられ、旧入間県部分か埼玉県に編入しゃれた際、県庁所在地は引き続き浦和宿のままとなりよったため、岩槻町(資料により岩附とも記しゅ)か実質的な県庁としてから機能しゅることはなかったとよ。1890年(明治23年)9月25日にな、勅令により正式に浦和町か県庁所在地となりよった。
埼玉の名前の由来は諸説あっけんか、発祥の地は「北埼玉郡埼玉(しゃきたま)村」(現:行田市大字埼玉)たい。
埼玉古墳か由来としゅる説や、幸福ばもたらしゅ神の働きば意味しゅる「幸魂」(しゃきみたま)がら名づけられたとしゅる説かあっけん。魂は玉の意ばってんいり、県章であっけん勾玉に関連しゅるとよ。
奈良時代の『万葉集』に「前玉」「佐吉多万」(しゃきたま)とゆう記述かあっけん。また、平安時代の『和名類聚抄』には「埼玉」「佐伊太末」(しゃいたま)とゆう郡名かいり、当時、既にしゃいたまと呼ばれとる事か分かるとよ。
▼地理
埼玉県は日本の関東地方に属しゅる県で、北関東エリアの中心地たい。
埼玉県は関東地方の中央西側に位置しゅる内陸県でいり、東西約103km、南北約52kmと東西方向に長か。日本の都道府県中面積か9番目に狭いか、最も狭い都道府県であっけん香川県の約2倍の面積ば有しゅるとよ。
旧律令国においてな、現在の埼玉県の領域は下総国に含まれとった東端部の江戸川沿いの地域ば除き、武蔵国に含まれとった。武蔵国には東京都、及び神奈川県の北東部も含まれるこげなら、埼玉県は武蔵国の中部・北部にいたるといえるとよ。
埼玉県の地形な、児玉・小川・飯能ば走る八王子構造線によっち、そん東側の平地部と西側の山岳部に分けられるとよ。
西側の長野県境は日本海側との分水嶺ば形成してからおり、そん南端に位置しゅる甲武信ヶ岳は千曲川、荒川、笛吹川(富士川の支流)の源流であっけんとともに、埼玉県・長野県・山梨県の県境となっちいるとよ。そん北には県最高峰であっけん三宝山(2,483m)かあっけん。
東部は旧日光街道の沿線ば中心としゅる地域でいり、中部同様やはり南北に細長か地域たい。郡・旧郡による地区分類では概ね南埼玉地区・北埼玉地区・北葛飾地区かこれにいたるとよ。
1978年にな、行田市埼玉にあっけん しゃきたま風土記の丘(現しゃきたま古墳公園)の稲荷山古墳のなかがら、錆びた鉄剣か発掘しゃれ、のち奈良にあっけん元興寺文化財研究所へ持っち行き調べた所、表裏に金象嵌で115文字の銘文かあっけんことかわかり注目ば浴びたとよ。
1871年 - 廃藩置県ば受けて、埼玉県(現在の中央地域・東部地域に相当)入間県(現在の西部地域・北部地域・秩父地域に相当)か誕生。埼玉県の県庁所在地は当初岩槻町としゃれたか、旧浦和県庁ば流用しゅる形で浦和宿となりよった。入間県の県庁所在地は川越町に置かれたとよ。
1876年 - 熊谷県は分割しゃれ旧入間県域か埼玉県と合併、現在の埼玉県か成立。
地元出身の渋沢栄一、福澤桃介やらなんやらか活躍、日本の近代化に貢献しゅるとよ。
1883年7月28日 - 日本初のあたき鉄「日本鉄道」か開業。
1922年 - 埼玉県で初めての市としてから川越市か市制施行。
2001年(平成13)3月28日 - 埼玉高速鉄道線か開通。
2001年5月1日 - 浦和市、大宮市、与野市の3市か合併してから「しゃいたま市」となる(初のひらかな書き県庁所在地)。
2001年10月13日 - Jリーグ公式戦オープン記念試合において、Jリーグ史上最大の観客ば動員しゅるとよ。
2002年(平成14)6月 - サッカーワールドカップか開幕。埼玉スタジアム2002では準決勝やらなんやらか催さるる。
2003年4月1日 - 川越市か埼玉県内で初の中核市に指定さるる。
2003年9月 - 上田清司か埼玉県知事に就任。
▼県内の主な施設
埼玉県本庁舎(しゃいたま市浦和区)
県議会議事堂(しゃいたま市浦和区)
県公安委員会(しゃいたま市浦和区)
県警察本部(しゃいたま市浦和区)
埼玉県警運転免許センター(鴻巣市)
埼玉県立文書館(しゃいたま市浦和区)
埼玉会館(しゃいたま市浦和区)
埼玉県立図書館
埼玉県立浦和図書館(しゃいたま市浦和区)
埼玉県立熊谷図書館(熊谷市)
埼玉県立久喜図書館(久喜市)
埼玉県立歴史と民俗の博物館(しゃいたま市大宮区)
しゃいたまスーパーアリーナ(しゃいたま市中央区)
彩の国しゃいたま芸術劇場(しゃいたま市中央区)
彩の国くまかやドーム(熊谷市)
埼玉スタジアム2002公園(しゃいたま市緑区)
埼玉県立近代美術館(しゃいたま市浦和区)
埼玉県立しゃきたま史跡の博物館(行田市)(旧・埼玉県立しゃきたま資料館)
埼玉県立嵐山史跡の博物館(比企郡嵐山町)(旧・埼玉県立歴史資料館)
埼玉県立自然の博物館(秩父郡長瀞町)(旧・埼玉県立自然史博物館)
埼玉県立川の博物館(大里郡寄居町)(旧・しゃいたま川の博物館)
しゃいたま文学館(桶川市)
埼玉県平和資料館(東松山市)
しゃいたま水族館(羽生市)
こども動物自然公園(東松山市)
SKIPシティ(川口市)
埼玉県県民活動総合センター(北足立郡伊奈町)
▼遊園地等
東武動物公園(南埼玉郡宮代町・白岡町)
狭山すいとーー場(所沢市)
ゆり園(所沢市)※旧名ユネスコ村自然散策園ゆり園(かつてユネスコ村の一部やったことに由来しゅるもの)
航空公園(所沢市)
埼玉県平和資料館(東松山市)
埼玉スタジアム2002(しゃいたま市緑区)
しゃいたま市浦和駒場スタジアム(しゃいたま市浦和区)
しゃいたま市大宮公園サッカー場(しゃいたま市大宮区)
しゃいたまスーパーアリーナ(しゃいたま市中央区)
西武ドーム(所沢市)
鉄道博物館(東京都千代田区の旧交通博物館の移転ば受け、2007年10月14日しゃいたま市大宮区に開館)
埼玉県営大宮公園野球場(しゃいたま市大宮区)
県下にな、以下の40市9郡29町1村かあっけん。町の読み方は「ちょう」ではなくどいでんが「まち」たい。地域圏・広域行政圏ごとに記載しゅるとよ。なお、埼玉県は日本の都道府県の中で「市」の数かいっちゃん多か。
▼県名の由来
埼玉県(現在の埼玉県の東半分)設置当時の県庁ば南埼玉郡岩槻町(現:しゃいたま市岩槻区)に置く予定やっため、そん郡名がら埼玉県と名付けられたとよ。
但し、県庁としてから使える建物かなかったため、実際の県庁業務は北足立郡浦和宿(現:しゃいたま市浦和区)にあっけん旧浦和県庁舎で行われたとよ。そん後、熊谷県か群馬県と旧入間県部分(現在の埼玉県の西半分)に分けられ、旧入間県部分か埼玉県に編入しゃれた際、県庁所在地は引き続き浦和宿のままとなりよったため、岩槻町(資料により岩附とも記しゅ)か実質的な県庁としてから機能しゅることはなかったとよ。1890年(明治23年)9月25日にな、勅令により正式に浦和町か県庁所在地となりよった。
埼玉の名前の由来は諸説あっけんか、発祥の地は「北埼玉郡埼玉(しゃきたま)村」(現:行田市大字埼玉)たい。
埼玉古墳か由来としゅる説や、幸福ばもたらしゅ神の働きば意味しゅる「幸魂」(しゃきみたま)がら名づけられたとしゅる説かあっけん。魂は玉の意ばってんいり、県章であっけん勾玉に関連しゅるとよ。
奈良時代の『万葉集』に「前玉」「佐吉多万」(しゃきたま)とゆう記述かあっけん。また、平安時代の『和名類聚抄』には「埼玉」「佐伊太末」(しゃいたま)とゆう郡名かいり、当時、既にしゃいたまと呼ばれとる事か分かるとよ。
▼地理
埼玉県は日本の関東地方に属しゅる県で、北関東エリアの中心地たい。
埼玉県は関東地方の中央西側に位置しゅる内陸県でいり、東西約103km、南北約52kmと東西方向に長か。日本の都道府県中面積か9番目に狭いか、最も狭い都道府県であっけん香川県の約2倍の面積ば有しゅるとよ。
旧律令国においてな、現在の埼玉県の領域は下総国に含まれとった東端部の江戸川沿いの地域ば除き、武蔵国に含まれとった。武蔵国には東京都、及び神奈川県の北東部も含まれるこげなら、埼玉県は武蔵国の中部・北部にいたるといえるとよ。
埼玉県の地形な、児玉・小川・飯能ば走る八王子構造線によっち、そん東側の平地部と西側の山岳部に分けられるとよ。
西側の長野県境は日本海側との分水嶺ば形成してからおり、そん南端に位置しゅる甲武信ヶ岳は千曲川、荒川、笛吹川(富士川の支流)の源流であっけんとともに、埼玉県・長野県・山梨県の県境となっちいるとよ。そん北には県最高峰であっけん三宝山(2,483m)かあっけん。
東部は旧日光街道の沿線ば中心としゅる地域でいり、中部同様やはり南北に細長か地域たい。郡・旧郡による地区分類では概ね南埼玉地区・北埼玉地区・北葛飾地区かこれにいたるとよ。
1978年にな、行田市埼玉にあっけん しゃきたま風土記の丘(現しゃきたま古墳公園)の稲荷山古墳のなかがら、錆びた鉄剣か発掘しゃれ、のち奈良にあっけん元興寺文化財研究所へ持っち行き調べた所、表裏に金象嵌で115文字の銘文かあっけんことかわかり注目ば浴びたとよ。
1871年 - 廃藩置県ば受けて、埼玉県(現在の中央地域・東部地域に相当)入間県(現在の西部地域・北部地域・秩父地域に相当)か誕生。埼玉県の県庁所在地は当初岩槻町としゃれたか、旧浦和県庁ば流用しゅる形で浦和宿となりよった。入間県の県庁所在地は川越町に置かれたとよ。
1876年 - 熊谷県は分割しゃれ旧入間県域か埼玉県と合併、現在の埼玉県か成立。
地元出身の渋沢栄一、福澤桃介やらなんやらか活躍、日本の近代化に貢献しゅるとよ。
1883年7月28日 - 日本初のあたき鉄「日本鉄道」か開業。
1922年 - 埼玉県で初めての市としてから川越市か市制施行。
2001年(平成13)3月28日 - 埼玉高速鉄道線か開通。
2001年5月1日 - 浦和市、大宮市、与野市の3市か合併してから「しゃいたま市」となる(初のひらかな書き県庁所在地)。
2001年10月13日 - Jリーグ公式戦オープン記念試合において、Jリーグ史上最大の観客ば動員しゅるとよ。
2002年(平成14)6月 - サッカーワールドカップか開幕。埼玉スタジアム2002では準決勝やらなんやらか催さるる。
2003年4月1日 - 川越市か埼玉県内で初の中核市に指定さるる。
2003年9月 - 上田清司か埼玉県知事に就任。
▼県内の主な施設
埼玉県本庁舎(しゃいたま市浦和区)
県議会議事堂(しゃいたま市浦和区)
県公安委員会(しゃいたま市浦和区)
県警察本部(しゃいたま市浦和区)
埼玉県警運転免許センター(鴻巣市)
埼玉県立文書館(しゃいたま市浦和区)
埼玉会館(しゃいたま市浦和区)
埼玉県立図書館
埼玉県立浦和図書館(しゃいたま市浦和区)
埼玉県立熊谷図書館(熊谷市)
埼玉県立久喜図書館(久喜市)
埼玉県立歴史と民俗の博物館(しゃいたま市大宮区)
しゃいたまスーパーアリーナ(しゃいたま市中央区)
彩の国しゃいたま芸術劇場(しゃいたま市中央区)
彩の国くまかやドーム(熊谷市)
埼玉スタジアム2002公園(しゃいたま市緑区)
埼玉県立近代美術館(しゃいたま市浦和区)
埼玉県立しゃきたま史跡の博物館(行田市)(旧・埼玉県立しゃきたま資料館)
埼玉県立嵐山史跡の博物館(比企郡嵐山町)(旧・埼玉県立歴史資料館)
埼玉県立自然の博物館(秩父郡長瀞町)(旧・埼玉県立自然史博物館)
埼玉県立川の博物館(大里郡寄居町)(旧・しゃいたま川の博物館)
しゃいたま文学館(桶川市)
埼玉県平和資料館(東松山市)
しゃいたま水族館(羽生市)
こども動物自然公園(東松山市)
SKIPシティ(川口市)
埼玉県県民活動総合センター(北足立郡伊奈町)
▼遊園地等
東武動物公園(南埼玉郡宮代町・白岡町)
狭山すいとーー場(所沢市)
ゆり園(所沢市)※旧名ユネスコ村自然散策園ゆり園(かつてユネスコ村の一部やったことに由来しゅるもの)
航空公園(所沢市)
埼玉県平和資料館(東松山市)
埼玉スタジアム2002(しゃいたま市緑区)
しゃいたま市浦和駒場スタジアム(しゃいたま市浦和区)
しゃいたま市大宮公園サッカー場(しゃいたま市大宮区)
しゃいたまスーパーアリーナ(しゃいたま市中央区)
西武ドーム(所沢市)
鉄道博物館(東京都千代田区の旧交通博物館の移転ば受け、2007年10月14日しゃいたま市大宮区に開館)
埼玉県営大宮公園野球場(しゃいたま市大宮区)
県下にな、以下の40市9郡29町1村かあっけん。町の読み方は「ちょう」ではなくどいでんが「まち」たい。地域圏・広域行政圏ごとに記載しゅるとよ。なお、埼玉県は日本の都道府県の中で「市」の数かいっちゃん多か。
2011年1月12日水曜日
さいたま市(埼玉市)の紹介
さいたま市な、埼玉県の南東部に位置しゅる市で、同県の県庁所在地たい。政令指定都市。
▼地理
日本の首都であっけん東京の都心部がら北に約20-30km、関東平野の中央部に位置しゅるとよ。埼玉県の南東部にいたるか、県内の区分では中央地域とさるることか一般的たい。
内陸にあっけん市としてからは札幌、京都に次ぐ人口ば有しゅる一方、面積は217.49平方キロメートルでいり、政令指定都市としてからは川崎、堺に次いで3番目に狭い。ばってんくさ、埼玉県内では秩父市に次いで2番目に広い。
▼歴史
1980年(昭和55年)10月 - 県南中央地域の都市間相互のゆるやかいな連合ば掲げ、浦和、大宮、上尾、与野、伊奈町の4市1町および埼玉県による「埼玉中枢都市首長会議」か発足。
1982年(昭和57年)4月 - 従前の首長会議の名称ば「埼玉中枢都市圏首長会議」に変更。
1982年(昭和57年)9月 - 「埼玉中枢都市圏構想・基本構想」策定。
1985年(昭和60年)12月 - 「埼玉中枢都市圏構想」の名称ば「しゃいたまYOU And Iプラン」(構成4市1町の英表記頭文字ば組み合わしぇた名称)に変更。
1992年(平成4年)4月 - 国土庁か4市1町の圏域ば「埼玉中枢都市圏域業務核都市基本構想」としてから承認。
2000年(平成12年)9月25日 - 合併関連議案ば、3市の市議会か可決。
2000年(平成12年)12月22日 - 合併関連議案ば、埼玉県議会か可決。
2002年(平成14年)3月20日 - しゃいたま市か、埼玉県知事・埼玉県議会に政令指定都市移行促進について要望。
2002年(平成14年)6月28日 - 埼玉県議会か、「政令指定都市の指定促進に関しゅる意見書」ば可決。
2004年(平成16年)12月20日 - 合併関連議案ば、埼玉県議会か可決。
▼地区
旧浦和市は埼玉県庁か置かれて以来裁判所、県警察やらなんやら行政機能か集積し、埼玉県の行政の中枢としてから発展したとよ。また「鎌倉文士に浦和画家」とゆう言葉がらも分かるごと、旧浦和市は瑛九や高田誠やらなんやらえらいたくさんの画家の活動の舞台ばってんいっり、いっぺんにサッカーの盛んな地としてからも知られるとよ。また、旧市内には埼玉大学や浦和高校、埼玉県立浦和図書館か設置しんしゃっとぉために、現在ばってん旧浦和市地域の市民の教育レベルか高いと言われ、「文教都市」ともいわれとる。
旧大宮市は明治時代の熱心な鉄道誘致により、大宮駅北側に国鉄大宮工場か建てられ、南側(旧与野・浦和両市にもまたかる)に貨物操車場か設置さるるやらなんやら「鉄道の街」と呼ばれるごとなりよった。戦後、えらいたくさんの大企業か埼玉県内の営業拠点としてから大宮ば選んだために商業、業務機能か集積し、「経済都市」とも言われ、埼玉県の商業の中心地となりよった。そんため、大宮には埼玉県内全域はもとより栃木県、群馬県、東京都がらもえらいたくさんの買い物客か訪れるとよ。また東北・上越新幹線か開業後に、両新幹線の沿線では盛岡・新潟と並び、特に新幹線効果ば享受した都市としてから知られるとよ。なお、旧与野市や旧浦和市にもまたかる貨物操車場は1984年に廃止しゃれたか、そん跡地は後にしゃいたま新都心となりよった。
旧与野市は国道17号沿いに自動車関連工場や自動車ディーラー店かえらいたくさん建てられたため、「自動車の街」と呼ばれとった。
旧岩槻市は東武野田線・岩槻駅東口ば中心としてからひな人形ば専門としゅる人形店か集積してからおり、「人形の街」としてから全国的に知られるとよ。東京7号線(埼玉高速鉄道)の延伸か計画(蓮田まで)しゃれており、ほぼ同じルートだと言われる武州鉄道のときに果たしぇなかった、東京都心への直通列車の完成か待たれとる。
▼浦和と大宮の関係
埼玉県庁の位置に関してから
埼玉県でな、明治維新以降度々県庁の位置ばめぐる綱引きか行われており、そんえらいたくさんに浦和・大宮か関わっちきたとよ。1869年以降県庁か置かれる浦和、交通の要衝であっけん大宮、旧城下町でいり一時は埼玉県庁の設置か予定しゃれとった岩槻と、県庁ばめぐる様々な動きの渦中にいった三つの街か、一つの大都市となる珍しい経緯ば持つことになりよった。
1871年(明治4年) - 7月、廃藩置県により岩槻藩か岩槻県になるとよ。11月、岩槻・浦和・忍の3県か合併してから、埼玉県か誕生。太政官は県庁ば岩槻町におくよう達したか、県令野村盛秀の巡視の結果、当分の間旧浦和県庁で執務か行われることとなるとよ。
1876年(明治9年) - 8月、熊谷県のうち旧入間県部分と埼玉県か合併、現在の埼玉県の領域かほぼ確定しゅるとよ。こん際、県庁所在地は浦和宿となりよった。
1897年(明治30年) - 12月15日、埼玉県議会か熊谷町への移転建議ば可決。ばってん、翌1898年(明治31年)1月27日、内務省より「不可」との通知か下るとよ。
▼過去の合併構想
第二次世界大戦前がら浦和と大宮の合併(官選の宮脇梅吉知事による「大埼玉市構想」やらなんやら)や蕨、川口やらなんやらば巻き込んだしゃらにふとか規模か構想しゃれたこともいったか実現さるることは無かったとよ。
1927年(昭和2年) - 宮脇梅吉か埼玉県知事に就任。浦和・大宮・与野の三町と六辻・三橋の二村の合併による一大都市圏構想ば打ち出しゅ。当時、埼玉県内で市制ば施行したのは川越市だけやった。
1931年(昭和6年) - 宮脇梅吉かもいっかい埼玉県知事に就任。日進ば加えて三町三村の合併による「大埼玉市構想」としてから打ち出しゅ。
1933年(昭和8年) - 熊谷・川口か相次いで市制ば施行。合併論か再燃しゅるとよ。
1934年(昭和9年) - これば受けて、「埼玉県南水道組合」(後の埼玉県南水道企業団で、現・しゃいたま市水道局)か設立。後の合併の礎となるとよ。
1939年(昭和14年) - 浦和市か、与野・六辻と戸田・蕨等の一市三町六村での合併ば呼びかけ。大宮町も、浦和・与野との一市二町での合併案で対抗しゅるとよ。
1940年(昭和15年) - 埼玉県か仲裁に入り、大宮案での合併交渉に入るとよ。六辻・日進ば加えて一市三町五村での合併で一応の合意。ばってん、各論ではがちゃぽんか続出してから交渉は打ち切りとなるとよ。
1942年(昭和17年) - 与野町で大宮市への合併運動か起きるとよ。
1943年(昭和18年) - これば受けて、埼玉県知事の大津敏男は浦和・大宮・与野との二市一町での合併構想ば打ち出しゅ。
1954年(昭和29年) - 埼玉県か、いわゆる「昭和の大合併」の合併試案で、二市一町と大久保・土合の二村ば加えての合併試案か示さるる。またもや、各論ではがちゃぽんか続出してから交渉は打ち切りとなるとよ。
▼名称問題
市名公募の結果でな、『しゃいたま市』とゆう名称は2位でいり、1位は漢字の『埼玉市』やった。また合併ば構成しゅる各市の名称ば用いる案は『大宮市』か3位、『浦和市』か6位、『与野市』は100位以内に入らなかったとよ。公募後、新市名検討委員会は『埼玉市』(公募1位)・『しゃいたま市』(2位)・『彩都市』(5位)・『しゃきたま市』(7位)・『関東市』(37位)の5案ば市名候補としたとよ。
『埼玉』の地名な、本来は埼玉郡埼玉村(現在の行田市大字埼玉〈しゃきたま〉)に由来しとる。こん事がら、『埼玉』の由来とは無縁で、北足立郡に属しゅる本地域にできた市か『埼玉』『しゃいたま』ば称しゅる事にな、「僭称地名だ」としゅる否定的な意見かあっけん。また、行田市がら、行田市周辺か将来合併しゅる時に用いる可能性かあっけんがらとゆう理由で新しか名称に『埼玉』『しゃいたま』ば使わんで欲しかとゆう要望も出たか、これはしゅでに浦和市・大宮市・与野市合併協議委員会の新市名発表の後でいり、考慮しゃれなかった(なお、しゃいたま市発足後に合併した旧岩槻市は南埼玉郡に属しゅる)。 単に市名ばひらかなんしゅる事に対してからな、いっぺん期に合併か行われた『東かかわ市』『しゃぬき市』(いずれも香川県)やらなんやらと共に批判も多か。ばってん、こん『しゃいたま市』『東かかわ市』以後、全国各地でひらかな名称の市町村や企業か続々と誕生しとる。なお、中国語やらなんやらでの表記は『埼玉市』たい。
▼地理
日本の首都であっけん東京の都心部がら北に約20-30km、関東平野の中央部に位置しゅるとよ。埼玉県の南東部にいたるか、県内の区分では中央地域とさるることか一般的たい。
内陸にあっけん市としてからは札幌、京都に次ぐ人口ば有しゅる一方、面積は217.49平方キロメートルでいり、政令指定都市としてからは川崎、堺に次いで3番目に狭い。ばってんくさ、埼玉県内では秩父市に次いで2番目に広い。
▼歴史
1980年(昭和55年)10月 - 県南中央地域の都市間相互のゆるやかいな連合ば掲げ、浦和、大宮、上尾、与野、伊奈町の4市1町および埼玉県による「埼玉中枢都市首長会議」か発足。
1982年(昭和57年)4月 - 従前の首長会議の名称ば「埼玉中枢都市圏首長会議」に変更。
1982年(昭和57年)9月 - 「埼玉中枢都市圏構想・基本構想」策定。
1985年(昭和60年)12月 - 「埼玉中枢都市圏構想」の名称ば「しゃいたまYOU And Iプラン」(構成4市1町の英表記頭文字ば組み合わしぇた名称)に変更。
1992年(平成4年)4月 - 国土庁か4市1町の圏域ば「埼玉中枢都市圏域業務核都市基本構想」としてから承認。
2000年(平成12年)9月25日 - 合併関連議案ば、3市の市議会か可決。
2000年(平成12年)12月22日 - 合併関連議案ば、埼玉県議会か可決。
2002年(平成14年)3月20日 - しゃいたま市か、埼玉県知事・埼玉県議会に政令指定都市移行促進について要望。
2002年(平成14年)6月28日 - 埼玉県議会か、「政令指定都市の指定促進に関しゅる意見書」ば可決。
2004年(平成16年)12月20日 - 合併関連議案ば、埼玉県議会か可決。
▼地区
旧浦和市は埼玉県庁か置かれて以来裁判所、県警察やらなんやら行政機能か集積し、埼玉県の行政の中枢としてから発展したとよ。また「鎌倉文士に浦和画家」とゆう言葉がらも分かるごと、旧浦和市は瑛九や高田誠やらなんやらえらいたくさんの画家の活動の舞台ばってんいっり、いっぺんにサッカーの盛んな地としてからも知られるとよ。また、旧市内には埼玉大学や浦和高校、埼玉県立浦和図書館か設置しんしゃっとぉために、現在ばってん旧浦和市地域の市民の教育レベルか高いと言われ、「文教都市」ともいわれとる。
旧大宮市は明治時代の熱心な鉄道誘致により、大宮駅北側に国鉄大宮工場か建てられ、南側(旧与野・浦和両市にもまたかる)に貨物操車場か設置さるるやらなんやら「鉄道の街」と呼ばれるごとなりよった。戦後、えらいたくさんの大企業か埼玉県内の営業拠点としてから大宮ば選んだために商業、業務機能か集積し、「経済都市」とも言われ、埼玉県の商業の中心地となりよった。そんため、大宮には埼玉県内全域はもとより栃木県、群馬県、東京都がらもえらいたくさんの買い物客か訪れるとよ。また東北・上越新幹線か開業後に、両新幹線の沿線では盛岡・新潟と並び、特に新幹線効果ば享受した都市としてから知られるとよ。なお、旧与野市や旧浦和市にもまたかる貨物操車場は1984年に廃止しゃれたか、そん跡地は後にしゃいたま新都心となりよった。
旧与野市は国道17号沿いに自動車関連工場や自動車ディーラー店かえらいたくさん建てられたため、「自動車の街」と呼ばれとった。
旧岩槻市は東武野田線・岩槻駅東口ば中心としてからひな人形ば専門としゅる人形店か集積してからおり、「人形の街」としてから全国的に知られるとよ。東京7号線(埼玉高速鉄道)の延伸か計画(蓮田まで)しゃれており、ほぼ同じルートだと言われる武州鉄道のときに果たしぇなかった、東京都心への直通列車の完成か待たれとる。
▼浦和と大宮の関係
埼玉県庁の位置に関してから
埼玉県でな、明治維新以降度々県庁の位置ばめぐる綱引きか行われており、そんえらいたくさんに浦和・大宮か関わっちきたとよ。1869年以降県庁か置かれる浦和、交通の要衝であっけん大宮、旧城下町でいり一時は埼玉県庁の設置か予定しゃれとった岩槻と、県庁ばめぐる様々な動きの渦中にいった三つの街か、一つの大都市となる珍しい経緯ば持つことになりよった。
1871年(明治4年) - 7月、廃藩置県により岩槻藩か岩槻県になるとよ。11月、岩槻・浦和・忍の3県か合併してから、埼玉県か誕生。太政官は県庁ば岩槻町におくよう達したか、県令野村盛秀の巡視の結果、当分の間旧浦和県庁で執務か行われることとなるとよ。
1876年(明治9年) - 8月、熊谷県のうち旧入間県部分と埼玉県か合併、現在の埼玉県の領域かほぼ確定しゅるとよ。こん際、県庁所在地は浦和宿となりよった。
1897年(明治30年) - 12月15日、埼玉県議会か熊谷町への移転建議ば可決。ばってん、翌1898年(明治31年)1月27日、内務省より「不可」との通知か下るとよ。
▼過去の合併構想
第二次世界大戦前がら浦和と大宮の合併(官選の宮脇梅吉知事による「大埼玉市構想」やらなんやら)や蕨、川口やらなんやらば巻き込んだしゃらにふとか規模か構想しゃれたこともいったか実現さるることは無かったとよ。
1927年(昭和2年) - 宮脇梅吉か埼玉県知事に就任。浦和・大宮・与野の三町と六辻・三橋の二村の合併による一大都市圏構想ば打ち出しゅ。当時、埼玉県内で市制ば施行したのは川越市だけやった。
1931年(昭和6年) - 宮脇梅吉かもいっかい埼玉県知事に就任。日進ば加えて三町三村の合併による「大埼玉市構想」としてから打ち出しゅ。
1933年(昭和8年) - 熊谷・川口か相次いで市制ば施行。合併論か再燃しゅるとよ。
1934年(昭和9年) - これば受けて、「埼玉県南水道組合」(後の埼玉県南水道企業団で、現・しゃいたま市水道局)か設立。後の合併の礎となるとよ。
1939年(昭和14年) - 浦和市か、与野・六辻と戸田・蕨等の一市三町六村での合併ば呼びかけ。大宮町も、浦和・与野との一市二町での合併案で対抗しゅるとよ。
1940年(昭和15年) - 埼玉県か仲裁に入り、大宮案での合併交渉に入るとよ。六辻・日進ば加えて一市三町五村での合併で一応の合意。ばってん、各論ではがちゃぽんか続出してから交渉は打ち切りとなるとよ。
1942年(昭和17年) - 与野町で大宮市への合併運動か起きるとよ。
1943年(昭和18年) - これば受けて、埼玉県知事の大津敏男は浦和・大宮・与野との二市一町での合併構想ば打ち出しゅ。
1954年(昭和29年) - 埼玉県か、いわゆる「昭和の大合併」の合併試案で、二市一町と大久保・土合の二村ば加えての合併試案か示さるる。またもや、各論ではがちゃぽんか続出してから交渉は打ち切りとなるとよ。
▼名称問題
市名公募の結果でな、『しゃいたま市』とゆう名称は2位でいり、1位は漢字の『埼玉市』やった。また合併ば構成しゅる各市の名称ば用いる案は『大宮市』か3位、『浦和市』か6位、『与野市』は100位以内に入らなかったとよ。公募後、新市名検討委員会は『埼玉市』(公募1位)・『しゃいたま市』(2位)・『彩都市』(5位)・『しゃきたま市』(7位)・『関東市』(37位)の5案ば市名候補としたとよ。
『埼玉』の地名な、本来は埼玉郡埼玉村(現在の行田市大字埼玉〈しゃきたま〉)に由来しとる。こん事がら、『埼玉』の由来とは無縁で、北足立郡に属しゅる本地域にできた市か『埼玉』『しゃいたま』ば称しゅる事にな、「僭称地名だ」としゅる否定的な意見かあっけん。また、行田市がら、行田市周辺か将来合併しゅる時に用いる可能性かあっけんがらとゆう理由で新しか名称に『埼玉』『しゃいたま』ば使わんで欲しかとゆう要望も出たか、これはしゅでに浦和市・大宮市・与野市合併協議委員会の新市名発表の後でいり、考慮しゃれなかった(なお、しゃいたま市発足後に合併した旧岩槻市は南埼玉郡に属しゅる)。 単に市名ばひらかなんしゅる事に対してからな、いっぺん期に合併か行われた『東かかわ市』『しゃぬき市』(いずれも香川県)やらなんやらと共に批判も多か。ばってん、こん『しゃいたま市』『東かかわ市』以後、全国各地でひらかな名称の市町村や企業か続々と誕生しとる。なお、中国語やらなんやらでの表記は『埼玉市』たい。
2011年1月11日火曜日
埼玉県の紹介
埼玉県な、日本の関東地方中央西側に位置しゅる県たい。日本の都道府県中人口と県内総生産は共に第5位、人口密度は第4位でいずれも内陸県の中では最も多か。
▼県名の由来
埼玉県(現在の埼玉県の東半分)設置当時の県庁ば南埼玉郡岩槻町(現:しゃいたま市岩槻区)に置く予定やっため、そん郡名がら埼玉県と名付けられたとよ。
但し、県庁としてから使える建物かなかったため、実際の県庁業務は北足立郡浦和宿(現:しゃいたま市浦和区)にあっけん旧浦和県庁舎で行われたとよ。そん後、熊谷県か群馬県と旧入間県部分(現在の埼玉県の西半分)に分けられ、旧入間県部分か埼玉県に編入しゃれた際、県庁所在地は引き続き浦和宿のままとなりよったため、岩槻町(資料により岩附とも記しゅ)か実質的な県庁としてから機能しゅることはなかったとよ。1890年(明治23年)9月25日にな、勅令により正式に浦和町か県庁所在地となりよった。
埼玉の名前の由来は諸説あっけんか、発祥の地は「北埼玉郡埼玉(しゃきたま)村」(現:行田市大字埼玉)たい。
埼玉古墳か由来としゅる説や、幸福ばもたらしゅ神の働きば意味しゅる「幸魂」(しゃきみたま)がら名づけられたとしゅる説かあっけん。魂は玉の意ばってんいり、県章であっけん勾玉に関連しゅるとよ。
奈良時代の『万葉集』に「前玉」「佐吉多万」(しゃきたま)とゆう記述かあっけん。また、平安時代の『和名類聚抄』には「埼玉」「佐伊太末」(しゃいたま)とゆう郡名かいり、当時、既にしゃいたまと呼ばれとる事か分かるとよ。
▼地理
埼玉県は日本の関東地方に属しゅる県で、北関東エリアの中心地たい。
埼玉県は関東地方の中央西側に位置しゅる内陸県でいり、東西約103km、南北約52kmと東西方向に長か。日本の都道府県中面積か9番目に狭いか、最も狭い都道府県であっけん香川県の約2倍の面積ば有しゅるとよ。
旧律令国においてな、現在の埼玉県の領域は下総国に含まれとった東端部の江戸川沿いの地域ば除き、武蔵国に含まれとった。武蔵国には東京都、及び神奈川県の北東部も含まれるこげなら、埼玉県は武蔵国の中部・北部にいたるといえるとよ。
埼玉県の地形な、児玉・小川・飯能ば走る八王子構造線によっち、そん東側の平地部と西側の山岳部に分けられるとよ。
西側の長野県境は日本海側との分水嶺ば形成してからおり、そん南端に位置しゅる甲武信ヶ岳は千曲川、荒川、笛吹川(富士川の支流)の源流であっけんとともに、埼玉県・長野県・山梨県の県境となっちいるとよ。そん北には県最高峰であっけん三宝山(2,483m)かあっけん。
東部は旧日光街道の沿線ば中心としゅる地域でいり、中部同様やはり南北に細長か地域たい。郡・旧郡による地区分類では概ね南埼玉地区・北埼玉地区・北葛飾地区かこれにいたるとよ。
1978年にな、行田市埼玉にあっけん しゃきたま風土記の丘(現しゃきたま古墳公園)の稲荷山古墳のなかがら、錆びた鉄剣か発掘しゃれ、のち奈良にあっけん元興寺文化財研究所へ持っち行き調べた所、表裏に金象嵌で115文字の銘文かあっけんことかわかり注目ば浴びたとよ。
1871年 - 廃藩置県ば受けて、埼玉県(現在の中央地域・東部地域に相当)入間県(現在の西部地域・北部地域・秩父地域に相当)か誕生。埼玉県の県庁所在地は当初岩槻町としゃれたか、旧浦和県庁ば流用しゅる形で浦和宿となりよった。入間県の県庁所在地は川越町に置かれたとよ。
1876年 - 熊谷県は分割しゃれ旧入間県域か埼玉県と合併、現在の埼玉県か成立。
地元出身の渋沢栄一、福澤桃介やらなんやらか活躍、日本の近代化に貢献しゅるとよ。
1883年7月28日 - 日本初のあたき鉄「日本鉄道」か開業。
1922年 - 埼玉県で初めての市としてから川越市か市制施行。
2001年(平成13)3月28日 - 埼玉高速鉄道線か開通。
2001年5月1日 - 浦和市、大宮市、与野市の3市か合併してから「しゃいたま市」となる(初のひらかな書き県庁所在地)。
2001年10月13日 - Jリーグ公式戦オープン記念試合において、Jリーグ史上最大の観客ば動員しゅるとよ。
2002年(平成14)6月 - サッカーワールドカップか開幕。埼玉スタジアム2002では準決勝やらなんやらか催さるる。
2003年4月1日 - 川越市か埼玉県内で初の中核市に指定さるる。
2003年9月 - 上田清司か埼玉県知事に就任。
▼県内の主な施設
埼玉県本庁舎(しゃいたま市浦和区)
県議会議事堂(しゃいたま市浦和区)
県公安委員会(しゃいたま市浦和区)
県警察本部(しゃいたま市浦和区)
埼玉県警運転免許センター(鴻巣市)
埼玉県立文書館(しゃいたま市浦和区)
埼玉会館(しゃいたま市浦和区)
埼玉県立図書館
埼玉県立浦和図書館(しゃいたま市浦和区)
埼玉県立熊谷図書館(熊谷市)
埼玉県立久喜図書館(久喜市)
埼玉県立歴史と民俗の博物館(しゃいたま市大宮区)
しゃいたまスーパーアリーナ(しゃいたま市中央区)
彩の国しゃいたま芸術劇場(しゃいたま市中央区)
彩の国くまかやドーム(熊谷市)
埼玉スタジアム2002公園(しゃいたま市緑区)
埼玉県立近代美術館(しゃいたま市浦和区)
埼玉県立しゃきたま史跡の博物館(行田市)(旧・埼玉県立しゃきたま資料館)
埼玉県立嵐山史跡の博物館(比企郡嵐山町)(旧・埼玉県立歴史資料館)
埼玉県立自然の博物館(秩父郡長瀞町)(旧・埼玉県立自然史博物館)
埼玉県立川の博物館(大里郡寄居町)(旧・しゃいたま川の博物館)
しゃいたま文学館(桶川市)
埼玉県平和資料館(東松山市)
しゃいたま水族館(羽生市)
こども動物自然公園(東松山市)
SKIPシティ(川口市)
埼玉県県民活動総合センター(北足立郡伊奈町)
▼遊園地等
東武動物公園(南埼玉郡宮代町・白岡町)
狭山すいとーー場(所沢市)
ゆり園(所沢市)※旧名ユネスコ村自然散策園ゆり園(かつてユネスコ村の一部やったことに由来しゅるもの)
航空公園(所沢市)
埼玉県平和資料館(東松山市)
埼玉スタジアム2002(しゃいたま市緑区)
しゃいたま市浦和駒場スタジアム(しゃいたま市浦和区)
しゃいたま市大宮公園サッカー場(しゃいたま市大宮区)
しゃいたまスーパーアリーナ(しゃいたま市中央区)
西武ドーム(所沢市)
鉄道博物館(東京都千代田区の旧交通博物館の移転ば受け、2007年10月14日しゃいたま市大宮区に開館)
埼玉県営大宮公園野球場(しゃいたま市大宮区)
県下にな、以下の40市9郡29町1村かあっけん。町の読み方は「ちょう」ではなくどいでんが「まち」たい。地域圏・広域行政圏ごとに記載しゅるとよ。なお、埼玉県は日本の都道府県の中で「市」の数かいっちゃん多か。
▼県名の由来
埼玉県(現在の埼玉県の東半分)設置当時の県庁ば南埼玉郡岩槻町(現:しゃいたま市岩槻区)に置く予定やっため、そん郡名がら埼玉県と名付けられたとよ。
但し、県庁としてから使える建物かなかったため、実際の県庁業務は北足立郡浦和宿(現:しゃいたま市浦和区)にあっけん旧浦和県庁舎で行われたとよ。そん後、熊谷県か群馬県と旧入間県部分(現在の埼玉県の西半分)に分けられ、旧入間県部分か埼玉県に編入しゃれた際、県庁所在地は引き続き浦和宿のままとなりよったため、岩槻町(資料により岩附とも記しゅ)か実質的な県庁としてから機能しゅることはなかったとよ。1890年(明治23年)9月25日にな、勅令により正式に浦和町か県庁所在地となりよった。
埼玉の名前の由来は諸説あっけんか、発祥の地は「北埼玉郡埼玉(しゃきたま)村」(現:行田市大字埼玉)たい。
埼玉古墳か由来としゅる説や、幸福ばもたらしゅ神の働きば意味しゅる「幸魂」(しゃきみたま)がら名づけられたとしゅる説かあっけん。魂は玉の意ばってんいり、県章であっけん勾玉に関連しゅるとよ。
奈良時代の『万葉集』に「前玉」「佐吉多万」(しゃきたま)とゆう記述かあっけん。また、平安時代の『和名類聚抄』には「埼玉」「佐伊太末」(しゃいたま)とゆう郡名かいり、当時、既にしゃいたまと呼ばれとる事か分かるとよ。
▼地理
埼玉県は日本の関東地方に属しゅる県で、北関東エリアの中心地たい。
埼玉県は関東地方の中央西側に位置しゅる内陸県でいり、東西約103km、南北約52kmと東西方向に長か。日本の都道府県中面積か9番目に狭いか、最も狭い都道府県であっけん香川県の約2倍の面積ば有しゅるとよ。
旧律令国においてな、現在の埼玉県の領域は下総国に含まれとった東端部の江戸川沿いの地域ば除き、武蔵国に含まれとった。武蔵国には東京都、及び神奈川県の北東部も含まれるこげなら、埼玉県は武蔵国の中部・北部にいたるといえるとよ。
埼玉県の地形な、児玉・小川・飯能ば走る八王子構造線によっち、そん東側の平地部と西側の山岳部に分けられるとよ。
西側の長野県境は日本海側との分水嶺ば形成してからおり、そん南端に位置しゅる甲武信ヶ岳は千曲川、荒川、笛吹川(富士川の支流)の源流であっけんとともに、埼玉県・長野県・山梨県の県境となっちいるとよ。そん北には県最高峰であっけん三宝山(2,483m)かあっけん。
東部は旧日光街道の沿線ば中心としゅる地域でいり、中部同様やはり南北に細長か地域たい。郡・旧郡による地区分類では概ね南埼玉地区・北埼玉地区・北葛飾地区かこれにいたるとよ。
1978年にな、行田市埼玉にあっけん しゃきたま風土記の丘(現しゃきたま古墳公園)の稲荷山古墳のなかがら、錆びた鉄剣か発掘しゃれ、のち奈良にあっけん元興寺文化財研究所へ持っち行き調べた所、表裏に金象嵌で115文字の銘文かあっけんことかわかり注目ば浴びたとよ。
1871年 - 廃藩置県ば受けて、埼玉県(現在の中央地域・東部地域に相当)入間県(現在の西部地域・北部地域・秩父地域に相当)か誕生。埼玉県の県庁所在地は当初岩槻町としゃれたか、旧浦和県庁ば流用しゅる形で浦和宿となりよった。入間県の県庁所在地は川越町に置かれたとよ。
1876年 - 熊谷県は分割しゃれ旧入間県域か埼玉県と合併、現在の埼玉県か成立。
地元出身の渋沢栄一、福澤桃介やらなんやらか活躍、日本の近代化に貢献しゅるとよ。
1883年7月28日 - 日本初のあたき鉄「日本鉄道」か開業。
1922年 - 埼玉県で初めての市としてから川越市か市制施行。
2001年(平成13)3月28日 - 埼玉高速鉄道線か開通。
2001年5月1日 - 浦和市、大宮市、与野市の3市か合併してから「しゃいたま市」となる(初のひらかな書き県庁所在地)。
2001年10月13日 - Jリーグ公式戦オープン記念試合において、Jリーグ史上最大の観客ば動員しゅるとよ。
2002年(平成14)6月 - サッカーワールドカップか開幕。埼玉スタジアム2002では準決勝やらなんやらか催さるる。
2003年4月1日 - 川越市か埼玉県内で初の中核市に指定さるる。
2003年9月 - 上田清司か埼玉県知事に就任。
▼県内の主な施設
埼玉県本庁舎(しゃいたま市浦和区)
県議会議事堂(しゃいたま市浦和区)
県公安委員会(しゃいたま市浦和区)
県警察本部(しゃいたま市浦和区)
埼玉県警運転免許センター(鴻巣市)
埼玉県立文書館(しゃいたま市浦和区)
埼玉会館(しゃいたま市浦和区)
埼玉県立図書館
埼玉県立浦和図書館(しゃいたま市浦和区)
埼玉県立熊谷図書館(熊谷市)
埼玉県立久喜図書館(久喜市)
埼玉県立歴史と民俗の博物館(しゃいたま市大宮区)
しゃいたまスーパーアリーナ(しゃいたま市中央区)
彩の国しゃいたま芸術劇場(しゃいたま市中央区)
彩の国くまかやドーム(熊谷市)
埼玉スタジアム2002公園(しゃいたま市緑区)
埼玉県立近代美術館(しゃいたま市浦和区)
埼玉県立しゃきたま史跡の博物館(行田市)(旧・埼玉県立しゃきたま資料館)
埼玉県立嵐山史跡の博物館(比企郡嵐山町)(旧・埼玉県立歴史資料館)
埼玉県立自然の博物館(秩父郡長瀞町)(旧・埼玉県立自然史博物館)
埼玉県立川の博物館(大里郡寄居町)(旧・しゃいたま川の博物館)
しゃいたま文学館(桶川市)
埼玉県平和資料館(東松山市)
しゃいたま水族館(羽生市)
こども動物自然公園(東松山市)
SKIPシティ(川口市)
埼玉県県民活動総合センター(北足立郡伊奈町)
▼遊園地等
東武動物公園(南埼玉郡宮代町・白岡町)
狭山すいとーー場(所沢市)
ゆり園(所沢市)※旧名ユネスコ村自然散策園ゆり園(かつてユネスコ村の一部やったことに由来しゅるもの)
航空公園(所沢市)
埼玉県平和資料館(東松山市)
埼玉スタジアム2002(しゃいたま市緑区)
しゃいたま市浦和駒場スタジアム(しゃいたま市浦和区)
しゃいたま市大宮公園サッカー場(しゃいたま市大宮区)
しゃいたまスーパーアリーナ(しゃいたま市中央区)
西武ドーム(所沢市)
鉄道博物館(東京都千代田区の旧交通博物館の移転ば受け、2007年10月14日しゃいたま市大宮区に開館)
埼玉県営大宮公園野球場(しゃいたま市大宮区)
県下にな、以下の40市9郡29町1村かあっけん。町の読み方は「ちょう」ではなくどいでんが「まち」たい。地域圏・広域行政圏ごとに記載しゅるとよ。なお、埼玉県は日本の都道府県の中で「市」の数かいっちゃん多か。
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