2011年10月17日月曜日

2011年3月11日に東日本大震災が発生した際

グラウンドは影響が無かったものの内野席の天井の一部が剥げ落ち、球場の外も内野席の屋根付近の外壁が一カ所破損して落下した。その為内野席の上部は立入禁止の措置をとり、都市対抗野球千葉県大会1・2次予選、高校野球では春季・選手権大会での使用を中止した(同年8月に使用制限は無くなった)。漫画家・江口寿史の連載デビュー作『すすめ!!パイレーツ』(1977年 - 80年、週刊少年ジャンプに連載)に登場する架空のプロ野球チーム「千葉パイレーツ」の本拠地・「千葉球場」のモデルであるとの説が一部であるが、作者の江口は言明していない。なお、作中には「千葉球場」の所在地には流山市にあることが示されている。 千葉マリンスタジアムは、日本の千葉県千葉市美浜区の県立幕張海浜公園内にある多目的野球場。日本プロ野球・千葉ロッテマリーンズが専用球場として使用している。地名を冠せずにマリンスタジアム、マリスタ、或いは千葉マリン、マリンといった形で略した通称も使用される。

球場施設は千葉市、駐車場などの土地部分は千葉県がそれぞれ所有し、千葉ロッテマリーンズが指定管理者として運営管理を行っており、管理業務は県・市・千葉ロッテ球団などが出資する第三セクター・株式会社千葉マリンスタジアムが受託している。千葉ロッテの本拠地球場として利用されている他、夏の全国高等学校野球選手権千葉大会の開会式と準々決勝以降の試合(ロッテの日程の兼ね合いで5回戦以下の試合で使用される場合もある)や社会人野球でも使用されている。コンサートでも数多く利用されており、1990年4月のマドンナのコンサートを始め、近年では都市型音楽フェスティバルのサマーソニックでお馴染みの会場となっている。JR東日本京葉線の海浜幕張駅から徒歩圏内にあり、隣接した場所に幕張メッセ、アパホテル&リゾート<東京ベイ幕張>(旧幕張プリンスホテル)、ホテルニューオータニ幕張、三井アウトレットパーク 幕張(旧ガーデンウォ〜ク幕張)、コストコ幕張店や大規模マンション等がある。

千葉県ではメインとなる野球場として千葉県総合スポーツセンター内の千葉県野球場(1968年完成)が使用されていた。しかし千葉県野球場はナイター設備が無い事や収容人数が30,000人に満たない事、更に当時はモノレールも未開通だった事など問題点が多く、プロ野球公式戦は長らく県内では行われていなかった。また老朽化しかつ狭隘な川崎球場を本拠地とし、観客動員が伸び悩んでいたロッテオリオンズは関東の他球場への本拠地移転を検討した際、候補の1つとして千葉県野球場が挙がっていたが同様の理由で断念している。千葉市は1980年代初頭に大規模野球場を建設する計画を立てたがこれは頓挫した。その後幕張新都心計画に組み込まれる形で計画が復活し、多目的野球場として建設されることになった。起工式は1988年2月22日に行われた。竣工を前にした1989年、県民・市民や県内政財界関係者によって結成された「千葉にプロ野球を誘致する県民会議」は、マリンスタジアムにプロ球団を誘致しようと活動を進め、陳情書を県・市に提出、いずれも採決された。

これを受け、県・市は首都圏に本拠を置く6球団に対し公式戦・オープン戦の開催を求めるなど誘致活動を進めた。竣工は1990年2月22日で同年3月に開場した。総建設費133億円。球場開きは社会人野球公式戦のJABA千葉市長杯争奪野球大会の第1回大会。同大会はマリンスタジアムの竣工を機に行われたもので、日立製作所が第1回の優勝チームとなった。千葉市長杯は現在も11月中旬に行われている。アマチュア野球ではこの他、高校野球も行われるようになる。プロ野球の誘致活動が実り、同年3月24日にはオープン戦・読売ジャイアンツ対ロッテオリオンズ(当時)戦が行われ、1991年にはヤクルト(その後2005年まで実施)とロッテ主催の公式戦も行われ始めた。プロ野球公式戦第1号の本塁打はヤクルト・荒井幸雄が放ったランニング本塁打だった。県・市は首都圏6球団の中で特に川崎球場へ不満を募らせ続けていたロッテに対して、千葉への本拠地移転を前提として誘致を進めた。その結果、ロッテは1991年夏に本拠地の千葉移転を決定。

ロッテ主催による千葉マリン初のパ・リーグ公式戦(対西武戦)が開催された7月31日、同日のオーナー会議で正式に移転が表明された。そして9月4日の実行委員会でロッテの保護地域の千葉県への移転が承認され、10月31日のオーナー会議での承認を経て、1992年からロッテは千葉マリンに本拠地を移す事が決定した。移転の際、当初球団名は地名を冠した「千葉ロッテオリオンズ」を予定していたが、一般公募を基に改称することとなり、選考の結果、新たな愛称は「千葉ロッテマリーンズ」と決まった(応募1位の愛称は「ドルフィンズ」だったが、中日ドラゴンズと被るという理由で採用されなかった。他にも「パイレーツ」などが上位だった)。ロッテの観客動員は移転初年度こそ移転景気で球団新記録を達成したが、その後はチーム成績・観客動員共々ジリ貧の闘いを強いられた。1990年代後半には県・市の政財界関係者の一部の間で、伸び悩むロッテの観客動員と、強風など気象条件に左右されやすい環境を改善する打開策として「千葉マリンのドーム化」を求める動きが起こった。

1999年にロッテがシーズン序盤好調だった際には、時の市長が「優勝した場合はドーム化を検討する」と表明したが、この構想にはファン・市民の多くが異議を唱えた。ロッテの観客動員の回復やファンや市民の反対意見、自治体による球場施設に対する各種規制による財政難などもあって、具体化するまでには至らなかった。ロッテは2004年から球団の営業戦略の一環として、千葉マリンをファンに親しみやすく、多くの観客がより快適に観戦できるよう改善を進めるべく「ボールパーク化構想」を方針付け、県・市に対し協力を要請した。球場は行政側が所有・管理するものであり、プロ野球だけでなくアマチュア野球や県内・市内在住者向けの一般利用にも供用される公共施設であることから様々な規制があり、行政側はこれを盾に球団から提出された様々な利用申請に対して認可を渋り続けてきた。同年プロ野球再編問題が勃発し、この中でロッテも、当時オーナー企業ダイエーの経営不振で球団の継続保持が困難といわれていた福岡ダイエーホークス(当時)と合併し「福岡ロッテホークス」とする構想が取り沙汰されたことから行政側にも危機感が生じ、これまで設けていた規制を大幅に緩和した上で2006年からロッテ球団を千葉マリンスタジアムの指定管理者に指名して施設管理権を球団に委譲した。

こうして、球場場外での屋台・露店の営業が可能となり、場内で様々なサービスが開始された他、外野フェンスの広告掲出も開始されるなど、スタジアム内外でファンサービスの拡充や施設収益の改善を目的とした数多くの活動が実施されている。2010年に国民体育大会(ゆめ半島千葉国体)の開会式会場となった。野球場で国体の開会式をするのは初めて。2010年にロッテがクライマックスシリーズに進出した際には、ファーストステージならびにファイナルステージ全試合のパブリックビューイングが元ロッテの立川隆史をゲストに行われ、最終戦には公式戦並みの約1万3千人の観客を集めた。2010年末にQVCジャパンが施設命名権を取得し、2011年3月1日から呼称を「QVCマリンフィールド」としている。