2011年10月16日日曜日

現代標準語に対して茨城県内で使われる代表語を列挙

語源が判明または推定されるものについては、合わせて解説する。尚、厳密には、茨城全域で押しなべて使われる方言は決して多いとは言えないため、主に広域に使われる方言を紹介する。茨城弁には古語に由来するものや近世語が数多くあるが、使用頻度や使用地域が広いものを除きここではそれらを含めない(太字は代表語)。また全国各地の方言書とされるものには現代では使われなくなったやや古い言葉や近世語が含まれることが多いが本稿ではそれらは含まない。ここに紹介したわずかな言葉には茨城特有の方言があるが、過半の言葉は、関東あるいは東北各地の明治期等の古い方言書を調べると一致または類似しているものが多い。重ねての説明になるが、これは、現代の特に東京を中心とした視点で見た時、関東各地の言葉は、形式的に方言とみなされてしまうが、現代の標準語または共通語は明治期に政治的・政策的に定められたものであり、大半が関東にあった古い方言と考えて良いと思われる。

その中で茨城方言らしい言葉は東北方言の影響を受けたか、関東圏の中で唯一古い東国方言を残していると言える。また俗語の存在も無視できない。主に江戸に発祥したいわゆる「べらんめえことば」は、標準語ではないにしても実際は俗語として今も残っているのである。一方、関東各地だけでなく東北圏にまであることを考えるとどちらが先立ったかは疑問が残る。おはよう茨城は、1979年10月7日から2011年3月27日までフジテレビで放送されていた茨城県の広報番組。「茨城県では今どんな事が起こっているか」などをテーマに茨城県の今を考える。また、茨城県の行事や祭りなども紹介している。また、一部の回では手話放送を行っている。茨城県には地元民放テレビ放送局がない(全都道府県で唯一。独立UHF局も存在しない。)ため、テレビ放送を使った広報をキー局であるフジテレビの枠を購入して行っている。このため、茨城県だけでなく、首都圏を始めとしたフジテレビの電波が届く地域で視聴できる。第1回(1979年10月7日放送)は「動く県政教室」をテーマに放送。タイトル画とこの回の一部は最終回でも放送された。

番組開始以来数回タイトルロゴとテーマ曲を変えているが、最終回時点のタイトルロゴとテーマ曲は2009年10月から使用されている。また、数年前からはプレゼントコーナーも紹介される様になった。2011年3月27日を以って終了となり、31年半の歴史に幕を下ろした。後番組については、茨城県がスポンサーと交渉しながら決定するとしている。当番組の終了は東日本大震災(同3月11日)発生前にすでに決まっていたもので、日曜日早朝枠で視聴者層が固定され、また番組をホームページに二次利用できないなどの問題などの影響があったためとしている。茨城県立県民文化センターは、茨城県水戸市千波町にある茨城県立の文化施設。千波湖および千波公園に隣接する。茨城県の施設であるが、指定管理者制度の導入に伴い、財団法人いばらき文化振興財団が管理・運営を行っている。茨城県立カシマサッカースタジアムは、茨城県鹿嶋市にあるサッカー専用スタジアムである。Jリーグ・鹿島アントラーズがホームスタジアムとして使用している。

施設は茨城県が所有し、株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シーが指定管理者として運営管理を行っている。1993年の開場当初、カシマスタジアムの収容人員は15,000人だったが、その後立見席を設けたため収容人員は約16,000人となった。だが、茨城県は2002 FIFAワールドカップの開催地として立候補しており、カシマスタジアムを開催会場とすることも決まっていたことから、スタジアムの処遇を検討する必要に迫られた。既存のカシマスタジアムを継続使用しながら増築する場合、安全上の問題が生じ消防法に抵触する恐れがあることから、一時はスタジアムを新規に建設する事も検討していた。しかし新規建設の場合は建設コストが多額に及ぶことから、既存のカシマスタジアムを増築することとなった。改築事業は1999年から3年間に及び、アントラーズはこの間茨城県を離れ、ホームゲームを東京都新宿区の国立霞ヶ丘陸上競技場(国立競技場)などで行った。

当時、茨城県内でJリーグ1部(J1)の基準を充足する施設はカシマしかなく、また以前水戸ホーリーホックがホームゲームを行っていた那珂市の笠松運動公園陸上競技場は2002年に開催予定だった全国高等学校総合体育大会(インターハイ)に合わせ改修を行っていたため、使用できなかった。現在の水戸のホームスタジアムであるケーズデンキスタジアム水戸はJ2規格も満たしていなかった。鹿島アントラーズとの茨城ダービーを争う水戸ホーリーホックは、今までリーグ戦をカシマスタジアムで行ったことはない。ただし公式戦としては天皇杯全日本サッカー選手権大会で1回(第84回)、PSMでは「いばらきサッカーフェスティバル」として5回試合をしたが、全て鹿島に敗れている。逆に鹿島は、カシマスタジアム竣工前の1992年のJリーグカップなどでかつて水戸がホームスタジアムとしていた笠松運動公園陸上競技場で主催試合を行っている(当時の水戸は前身チームが土浦市で活動していた時期)。同スタジアムの駐車場は試合開催日以外は無料開放されている。そのため、茨城県が進めるパークアンドライド政策では輸送拠点と見なされ、試合の無い日でも東京駅と鹿嶋市内を結ぶ高速バス「かしま号」の一部が同スタジアムを始発・終着地として運行される。

茨城ゴールデンゴールズは、欽ちゃんことタレント・萩本欽一が2005年に創設し日本野球連盟へ加盟する、社会人硬式野球クラブチーム。萩本自らがオーナーを務め、萩本の所属事務所である佐藤企画代表取締役の佐藤宏栄が球団の代表を務める。プロ野球マスターズリーグ事務局の支援を受けている。別名「欽ちゃん球団」、略称「茨城GG」、「GG」。また、社会人野球版欽ちゃんファミリーとも言われる。本拠地は大半が農村部である茨城県稲敷市(旧:桜川村)に置いている。選手らは稲敷市に住み込み、野球と農業の両立を目指して、活動している。萩本は「社会人野球の実業団(企業)登録球団が相次いで廃部の傾向にあること、またプロ野球も再編の波に押されるなど、野球界全体が揺れ動いていることを憂い、少しでも野球界の活性につながれば」とこのチームを結成することを決心する。ヘッドコーチには元巨人・西武の投手やコーチを歴任した鹿取義隆を招聘している。チーム名称はコピーライターの糸井重里がつけたもの。

社会人野球の頂点(金メダル)を目指して取り組む姿勢、更に、萩本欽一が運営するチームということで「金の中の欽」という意味合いも兼ねて付けられる。なお、萩本は選手やコーチに自らを監督ではなく「欽督(きんとく)」と呼ばせている。また、農作業や地域のボランティア活動も練習の一環として捉え、「筋トレ」ならぬ「欽トレ(きんトレ)」と名づけて取り入れている。