ごく短期間ながら定期急行が2度設定されていた。また臨時特急は線内は京成津田沼と千葉中央以外は無停車であった。1921年(大正10年)に本線の船橋 - 津田沼間と同時に津田沼 - 千葉間が開業した。これは本線の津田沼 - 成田間よりも優先され早い開業となった(京成津田沼駅から京成本線が当線下をくぐり、大きく内陸方へカーブする形で分岐しているのはそのためである)。千葉線は県都である千葉への輸送、東京湾岸への観光客の輸送を目的として設置された。当時の千葉線はみどり台駅の開業時の駅名「浜海岸駅」、西登戸駅の開業時の駅名「千葉海岸駅」が示すとおり現在よりも遥かに海に近く(おおよそ現在の国道14号線が昭和30年代ごろまでの海岸線であると考えて相違ない)、海水浴客や、潮干狩りを楽しむ行楽客でにぎわった。また住環境が良かったため、京成稲毛駅や西登戸駅周辺は別荘地としても賑わいを見せた。1935年(昭和10年)に省線(国鉄)の千葉駅までの電化が完成する前までは、千葉線の方が圧倒的優位に立っていた。
1970年代以降、旧国鉄の「通勤五方面作戦」の一環としての、1972年(昭和47年)の東京駅と津田沼駅を結ぶ総武快速線開通(中央・総武緩行線と合わせ、総武線が津田沼まで複々線化)や1981年(昭和56年)の複々線区間の千葉駅までの延長、さらに1990年には海側に建設された新規路線である京葉線が東京駅まで開通したことで、京成千葉線は東京駅と千葉市を結ぶJRの両路線に挟まれた形となり、千葉線は都心アクセスの上で不利な状況となり、本線直通列車の本数も大幅に削減された。2006年(平成18年)からは松戸・鎌ケ谷方面へのアクセス強化を図るため、1955年(昭和30年)に約4か月ほど実施されただけであった新京成線との直通運転を再開する。新京成車両による片乗り入れで、千原線への直通運転は行わないものの、千葉への新たなアクセスルートが確立した。千葉弁、または房総弁は千葉県で話されている日本語の方言である。房総地域は西関東方言と東関東方言の移行地域であり、北西部では江戸言葉の影響を強く受けているなど、隣接地域と区別されるような特徴はほとんどなく、千葉県で話されている諸方言をまとめて指すときの便宜的な用法という面が強い。
千葉県の方言は文法も音韻も西関東方言と東関東方言の中間地帯である。地域ごとに差異も大きく、隣接する他方言と連続している。北西部の東京通勤圏では首都圏方言が広がって伝統的な方言は姿を消している。千葉弁は西関東方言とされることが多いが、実際は両者の中間地帯であり、東関東方言の影響の方が強い地域もある。千葉県で話されている方言は、茨城弁と連続する野田弁(埼玉県東部で話される葛飾方言に含まれることもある)、房総半島で話されている房州弁、房州弁と茨城弁の中間的な東総弁などがあり、方言の地域的なまとまりは薄い。銚子や浦安などの漁師町では、漁師たちが西日本から移住してきたため、方言に西日本方言の影響があった。アクセントは野田市付近が特殊アクセント~無アクセント、北東部と南部はは中輪東京式アクセント、中部は中輪東京式アクセントの変種である。北部ではイ段・ウ段の中舌母音、イとエの統合、カ行・タ行の濁音化等東北方言的特徴が見られる。
概ね西関東方言と共通するが、東関東方言(茨城弁)に共通する要素も多い。例えば推量は北西部を除き「だんべぇ」ではなく「だっぺ」や「だべ」を用いるほか、北東部では方向を表す「~へ」に「~さ」を用いることがあるなど東北方言~東関東方言と共通する。千葉市動物公園は、千葉県千葉市若葉区源町280番地にある動物公園である。遊園地の「ドリームワールド」を併設する。千葉市都市局公園緑地部が運営する。開園当初から、世界の霊長類の飼育、特に絶滅が危惧される希少種の繁殖に力を入れ、また、猛獣を避け、小動物・草食動物・鳥類などの動物を飼育する傾向にある。レッサーパンダの風太(後述)を飼育する。2006年放送のテレビドラマ『僕の歩く道』(関西テレビ)でロケに使われた。千葉市昭和の森公園は、千葉県千葉市緑区にある総合公園である。約100haの敷地は千葉市内の公園としては最大の規模で、ユースホステル、キャンプ場、野球場、テニスコート、サイクリングコース、ウォーキングコース、遊び場、自然公園などの施設がある。
公園の一部は県立九十九里自然公園に指定されている。日本の都市公園100選に選定されている。千葉県立富津公園は、千葉県富津市の富津岬内にある千葉県立公園。富津岬の先端部に位置する「明治百年記念展望塔」は、関東の富士見百景やちば眺望百景に選ばれており、「中の島公園展望塔」は、ヘリテージング100選に選ばれている。園内には東京湾要塞を構成した富津元洲堡塁砲台の遺構が残っている。かつては沖にある第一海堡まで干潮の時、陸続きとなった。千葉県野球場は、千葉県千葉市稲毛区天台町の千葉県総合スポーツセンター内にある野球場。所在地から県営天台球場という通称でも呼ばれる。施設は千葉県が所有し、千葉県体育協会・まちづくり公社グループが指定管理者として運営管理を行っている。1968年7月完成。1973年に千葉県で開催された第28回国民体育大会(千葉若潮国体)に合わせて整備された総合スポーツセンター内にある。1990年代中盤まで、夏の甲子園千葉県大会のメインスタジアムとして使用されたが、その後千葉マリンスタジアム(2011年3月より「QVCマリンフィールド」)で準々決勝以上の試合を行うようになった他、現在では開会式も同球場で行われており、県内の中心的な役割の野球場は既に千葉マリンスタジアムに譲った格好になっている。
但し千葉マリンスタジアムの開催日程はあくまでも千葉ロッテマリーンズの公式戦が中心となっており、夏の大会は例年準々決勝まで当球場を中心に開催されている。また社会人野球でも千葉県予選や南関東地区予選で多用されている他、千葉県大学野球連盟の公式戦も年間数試合程度であるが使用されている。かつてはプロ野球でも使用され、毎年3月にヤクルトスワローズなどがオープン戦を開催していたが千葉マリンスタジアムの開場以降、プロ野球の試合は専ら同球場での開催となっている。ロッテは1972年オフに当時本拠地だった東京スタジアムが閉鎖され、翌1973年から暫定的に県営宮城球場(現・日本製紙クリネックススタジアム宮城)を本拠地とした後、再び首都圏を本拠地とすることを画策した際に当球場を候補に挙げていた。また、1978年に川崎球場に落ち着いてからも同球場の老朽化や設備不備を理由に関東近県に本拠地を移転する事を画策し、この際にも当球場が候補に挙がった。
しかし当球場は夜間照明設備が無いことや収容人員が30,000人に満たないこと、更に当時はまだモノレールも未開通でアクセス条件に難があるなど問題点が多く、いずれも実現には至らなかった。しかし1990年、千葉市が海浜幕張地区に千葉マリンスタジアムを完成させたことで、ロッテの千葉市への本拠地誘致が実現する運びとなった。 1983年には第12回日米大学野球選手権大会の7試合のうち1試合が当球場で開催され、その模様が大学野球としては珍しくテレビ朝日の制作により全国31局ネット(北陸放送・南海放送など、系列外の局も含む)で生中継された。2005年12月3日、NPO千葉ふれあい野球連盟が主催する「プロ野球選手ふれあいチャリティー野球大会」に、ロッテの選手が参加。同連盟と親交がある初芝清の引退試合となった。軟式の草野球の試合だが、初芝はロッテ選抜チームの選手兼監督として出場。三塁手の他に二塁手や中堅手、更には高校時代以来、投手としてもマウンドに上がり、野茂英雄よろしく「トルネード投法」を披露した。
この試合で初芝は9回裏二死満塁の場面でフライを打ち上げ“選手生活”に幕を下ろした。試合はロッテ選抜が敗れた。なお、ロッテは同年のポストシーズンにおいてプレーオフ、日本シリーズ、アジアシリーズと負けなしで乗り切ってアジアNo.1に輝いただけに、初芝は“連勝を止めてしまった”ことに触れて「いい厄払いになったと思います」と話し、場内の笑いを誘った。