2011年10月22日土曜日

冬ほどではないが夏の気候も

地域によって多少の差がある。内陸部は日中の気温が上がるが湿度は比較的低く、熱帯夜も少ない。一方、千葉測候所のある沿岸部では日中の気温はそれほど高くならないものの、湿度が非常に高く、ヒートアイランドの影響もあるため夜になっても気温が下がらず熱帯夜の日々が続き、県内の中でも非常に蒸し暑く過ごしにくい地域である。実際、夏季は勝浦や銚子のような涼しい海洋性気候とはならず、千葉市の8月の平均気温・最低気温共に県内の観測地点の中では最も高い。『日本後紀』大同元年正月癸巳(1月28日)条に、「千葉国造(ちはのくにのみやつこ)大私部直(おおきさいべのあたい、直はカバネ)善人」という人物が登場しており、大化改新以前より千葉に国造が置かれていた可能性が高く、律令制成立後も下総国千葉郡と呼ばれる郡が成立した。更に『倭名類聚鈔』には千葉郡にあった7つの郷の1つに「千葉郷」と呼ばれる郷があったことが記されており、同郷は現在の稲毛区穴川・黒砂付近を指していたと考えられている。

平安時代に千葉氏の祖、平常重が千葉郡千葉郷・池田郷一帯に千葉荘を開き、池田郷亥鼻に拠点を築いて千葉介を名乗る。以後子孫が室町時代まで下総国守護職として周辺を支配した。享徳の乱に乗じた原胤房と馬加康胤によって千葉胤宣が討たれ千葉氏宗家が滅びた後は、千葉妙見宮の小さな門前町となり、江戸時代には市域の大半が佐倉藩領(この他に市域に生実・曾我野の2小藩が置かれた)となるが、廃藩置県後木更津県と印旛県が廃止され千葉県が誕生、両県の境である千葉郡千葉町に県庁が設置されたことから、その後千葉県最大の都市となった。市制施行により千葉市が誕生したのは、1921年(大正10年)1月1日のことである。この時点での市域は、現在の中央区の北半分から稲毛区の南東部にわたり、これは1889年(明治22年)に設定された千葉町の町域をそのまま引き継いだものであった。その後、徐々に周辺の町村を合併するとともに、海面の埋め立てを進め、現在の広大な市域が成立した。

戦前、現在の川崎町の埋立地に日立航空機製作所と日立製作所などの軍施設が集中する軍都として発展したが、昭和20年6月10日と7月7日に連合国軍による大規模な空襲(千葉空襲・七夕空襲)に見舞われ、市域の7割が壊滅する甚大な被害を受けた。戦後、宮内三朗市長(名誉市民第1号)の元で大規模な埋め立てと市町村合併が行われ、京葉工業地域の中心都市として再建された。ちなみに現在の緑区のうち、旧土気町であった部分はかつては上総国山辺郡に属していた地域である。2003年2月、隣接する四街道市の住民の発議により、法定合併協議会が設置され、合併方式を千葉市への編入とし、行政区名を「四街道区」とする方針が決まったが、四街道市議会内で合併への賛否が拮抗し、賛成派・反対派双方による発議により2004年5月16日に行われた、合併の是非を問う住民投票の結果、反対意見が賛成を上回った為に合併は白紙となった。1126年(大治元年) - 千葉常重が猪鼻の地に居館を築く。

1455年(享徳4年) - 原胤房に千葉城を急襲され、千田庄(現在の香取郡多古町)に逃れた千葉胤宣が(元号が変わって康正元年)8月12日、原胤房に加担した馬加康胤に討たれ千葉氏宗家が滅亡した。1871年(明治4年)11月13日 - 廃藩置県により、木更津県、印旛県、新治県が設置される。1873年(明治6年)6月15日 - 木更津県と印旛県を廃止。千葉県が誕生。県庁を両県の境となる千葉郡千葉町(現・千葉市中央区本千葉町)に設置。(1874年(明治8年)5月7日 新治県の廃県に伴い、一部が千葉県に分割編入される。現在の千葉県が形成される。)1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、千葉町、寒川村、登戸村、千葉寺村、黒砂村が合併し、千葉郡千葉町が発足。1930年頃(昭和初頭)の千葉市周辺の地図。1921年(大正10年)1月1日 - 千葉町が市制を施行し千葉市となる。全国で66番目・県内初の市制施行。1937年(昭和12年)2月11日 - 千葉郡蘇我町、検見川町、都賀村、都村を編入。

1944年(昭和19年)2月11日 - 千葉郡千城村を編入。1954年(昭和29年)7月1日 - 千葉郡犢橋村を編入。しかし、このとき犢橋村が村内の軍施設を千葉市に報告しなかったため、1979年(昭和54年)に信管付き不発弾が見つかり、騒ぎになる。7月6日 - 千葉郡幕張町を編入。8月1日 - 千葉郡津田沼町が千葉市の一部(旧幕張町北部:実籾、愛宕、安生津、長作、天戸)を編入して習志野町と改称、即日市制を施行して習志野市となる。8月28日 - 習志野市の一部(旧幕張町北部:長作、天戸)を編入。1955年(昭和30年)2月1日 - 千葉郡生浜町、椎名村、誉田村を編入。1959年(昭和34年)2月1日 - 印旛郡四街道町(現・四街道市)大日の飛地を編入。1963年(昭和38年)4月1日 - 千葉郡泉町を編入。1969年(昭和44年)7月15日 - 山武郡土気町を編入。10月1日~1995年(平成7年)10月1日 - 公有水面埋立(海浜ニュータウン他)による編入。1985年 (昭和60年)6月1日 - 佐倉市の一部(下志津原、上志津原、上志津、下志津の各一部)を編入。

1992年 (平成4年) - ロッテオリオンズの本拠地が川崎から千葉へ移転。これを機に千葉ロッテマリーンズへ改称。1992年(平成4年)4月1日 - 政令指定都市に移行し、6区が発足。全国で12番目の移行。2009年(平成21年)4月22日 - 現職市長・鶴岡啓一が収賄容疑で逮捕。2010年(平成22年)5月20日 - 地域の福祉、健康等の増進及び人材の育成に貢献することを目的とし、淑徳大学と相互連携協定を締結。千葉市は農工商のバランスが取れた都市である。臨海部(中央区川崎町、新浜町、蘇我町、美浜区新港を中心とした地域)は千葉港を中心とした京葉工業地域の一角をなし、中央区部分にはJFEスチール東日本製鉄所(旧川崎製鉄千葉製鉄所)、東京電力千葉火力発電所などが所在し、美浜区新港には食品や金属加工関連の事業所が多い。また、北部地域(花見川区千種町、稲毛区六方町を中心とした地域)では、鉄鋼加工や機械工業が盛んである。戦前は旧・省線千葉駅、旧・京成千葉駅、県庁を結ぶ現・栄町通りがメインストリートとなっていたが、戦災を経て戦後の都市整備に伴い両千葉駅が移転したことで新駅周辺に商業集積が移動。

特に国鉄千葉駅前にはそごう千葉店、ニューナラヤ(現・千葉三越)といった大型小売店が店舗を構えたことから、千葉県最大・関東有数の商業拠点として栄えてきたが、平成に入り、幕張新都心や、蘇我地区などの臨海部に商業施設が建設され、また、郊外での大型ショッピングセンターなどが相次いで建設された。以来、中心市街地が衰退する傾向が大きい。概して、幕張新都心は大企業や多国籍企業が多く立地し、中心市街地(JR・千葉都市モノレール千葉駅、JR東千葉駅、JR本千葉駅、亥鼻城周辺)は古くからの地元商店街的な色彩が目立つ。また、一部の企業が支店や支社を千葉市に置いて千葉県と茨城県を管轄下に置いているケースも見られ、小さいながらも広義の東関東の拠点都市としての機能がある。首都圏の近郊農業地。畑作が中心だが、ブドウや梨などの果樹栽培もある。