2011年10月27日木曜日

埼玉県域の郡は

足立・新座・入間・高麗・比企・横見・埼玉・大里・男衾・幡羅・榛沢・那珂・児玉・賀美・秩父郡である。また郷の数は県域で75郷である(『和名類聚抄』)。県域内の郡衙所在地は不明なところが多い。769年(神護景雲3年)9月17日に正倉4倉が焼失し、穀類や人に死傷者が出ている。雷火による天災か神火(じんか)による人災か不明である。1590年(天正18年)には豊臣秀吉の天下統一における小田原の役において後北条氏は滅亡する。後北条氏の滅亡に際して東海五カ国を支配していた徳川家康が関東へ転封され、武蔵を含む関東地域には徳川氏の家臣団が配置された。関ヶ原の合戦を経て江戸幕府による支配が確立すると、埼玉県域には「武蔵三藩」と呼ばれる川越藩や忍藩・岩槻藩(それに武蔵国には知行地をほとんど持たなかった岡部藩など)が立藩。江戸に近く親藩・譜代の重臣が配されたが、川越藩を除き城下町の形成は小規模であった。川越は江戸北方の防衛拠点として、また武蔵国の商工業の中心地として「小江戸」と呼ばれ繁栄した。

江戸幕府により江戸を起点とした五街道の整備が進められ、埼玉県内には中山道に9つの宿場(蕨宿、浦和宿、大宮宿、上尾宿、桶川宿、鴻巣宿、熊谷宿、深谷宿、本庄宿)、日光街道(奥州街道)に6つの宿場(草加宿、越ヶ谷宿、粕壁宿、杉戸宿、幸手宿、栗橋宿)が置かれた。五街道に準ずる脇往還は、県内では川越往還、川越・児玉往還、千人同心街道、日光御成街道、関宿往還、秩父往還、秩父甲州往還が整備された。1868年(慶応4年) - 6月19日、旧幕府領を管轄する旧幕府代官の山田政則が武蔵知県事に就任。1869年(明治2年) - 1月10日、山田政則知県事が宮原忠英に交代。1月13日、宮原知県事の管轄地域に大宮県を設置。9月29日、大宮県が県庁の移転により浦和県に改称。1871年(明治4年) - 7月14日、廃藩置県を受けて藩領に川越県・忍県・岩槻県の3県が誕生。11月14日、忍県・岩槻県・浦和県の3県が合併して埼玉県が誕生(足立郡・埼玉郡・葛飾郡の一部。現在の東部地域に相当)。同日、川越県は品川県の一部を吸収して入間県となる(現在の西部地域・北部地域・秩父地域に相当)。

埼玉県の県庁所在地は埼玉郡岩槻町(現さいたま市岩槻区)とされたが、旧浦和県庁を流用する形で足立郡浦和宿(現さいたま市浦和区)を仮県庁とした。入間県の県庁は川越城に置かれた。1873年(明治6年) - 入間県が群馬県と合併し熊谷県となる。熊谷県の県庁は熊谷駅(現熊谷市)に置かれた。1876年(明治9年) - 熊谷県は解消され旧入間県の地域は埼玉県と合併、現在の埼玉県が成立。地元出身の渋沢栄一、福澤桃介、大川平三郎などが活躍、日本の近代化に貢献する。1883年(明治16年)7月28日 - 日本初の私鉄「日本鉄道」(東北本線・高崎線上野駅-熊谷駅間)が開業。1883年から1885年にかけて、秩父地方で松方財政の不況の中借金に苦しむ負債農民が困民党を結成して秩父事件とよばれる騒擾を起す。1922年(大正11年)12月1日 - 埼玉県で初めての市として川越市が市制施行。1934年(昭和9年)2月11日 - 県庁所在地・浦和市が市制施行。全国の都道府県庁所在地の中では最も遅く、県内でも川越市、熊谷市、川口市に次ぐ4番目の市制施行である。埼玉県には、39の市、23の町、1つの村がある。

市の数39は日本の都道府県で最多、市町村数63は北海道、長野県に次いで日本国内第3位である。なお、町はいずれも「まち」、村は「むら」と読む。埼玉県内では、区分が行われた時期や施策分野、広域行政の実績等に応じて、様々な地域区分の設定がなされている。この項では、そのうち代表的なものを記載し、うち最も区分数の少ない5地域ごとに、地域の概要を記述する。埼玉県には1896年以来、以下の9つの郡がおかれている。郡に含まれる地域は、市制施行や市町村合併に伴い次第に縮小しているが、現在属する郡、および過去に属していた郡による地域区分が、「○○地方」「○○地区」といった名称で、教育行政等の分野で用いられることがある。従来、埼玉県庁などにおいて広く用いられていた地域区分。「彩の国5か年計画21」(計画期間:2002年度-2006年度)など、数次にわたる5か年計画に用いられ、埼玉県庁のホームページ上でもこの地域区分が紹介されていた。また、2008年までは5地域それぞれに「地域創造センター」が置かれていた。

東部複合都市圏とも称する。おおむね、北埼玉郡、南埼玉郡、北葛飾郡およびこの3郡に属していた地域が該当する。東部地域創造センターは春日部市にあり、行田市に行田支所が置かれていた。旧日光街道の沿線を中心とする地域であり、中央地域と同様、南北に細長い地域である。江戸川・中川などの河川が南北に流れ、流域は低地となっておりその立地を生かした米を中心とした農業が盛んな地域である。そのような立地条件から東京との近接性の割に宅地化は遅れ気味であったが、高度経済成長期以降東武伊勢崎線沿線を中心に、草加市・越谷市・春日部市・久喜市などで急速な宅地化が進んだ。上記の5地域区分をより細分化する形で設けられていた地域区分。過去の「埼玉県中期計画」(計画期間:1982年度-1986年度、1987年度-1991年度)などに用いられており、広域行政圏もこの9地域を単位として設定されていた。また2010年3月までの二次保健医療圏も同じ名称で、一部を除きこの9地域区分を単位に設定されていた。

利根地域 - 東部地域の北側。おおむね、北埼玉郡および同郡に属していた地域と、南埼玉郡・北葛飾郡およびこの2郡に属していた地域の北部が該当。東部地域 -(5地域区分上での)東部地域の南側。南埼玉郡・北葛飾郡およびこの2郡に属していた地域の南部が該当。二次保健医療圏においては、利根地域の蓮田市が含まれる。埼玉県の指定金融機関は「サイギン」の通称で埼玉県民から愛されてきた旧埼玉銀行の伝統を継承する埼玉りそな銀行である。さいたま市など、埼玉県内の市町村のほぼ全ての指定金融機関は埼玉りそな銀行である。その他の埼玉県内に本店がある金融機関としては、「ぶぎん」の通称で県民から親しまれている武蔵野銀行、、「さいしん」の通称で県民から親しまれている埼玉縣信用金庫などがある。埼玉県はインターネット放送を通して知事記者会見、県議会中継などを映像配信し、県政の広報に務めている。

1908年(明治41年)の国語調査委員会報告以来、関東地方において京阪式アクセントに似たアクセントの使用地域(主として旧葛飾郡域にて。実態は東京式アクセントの一段階変化形特殊アクセントであった)として注目を集めたが、退潮著しく、高年層の発話に聞かれるだけになっている。他はほぼ全域にわたって東京式アクセントによる東部方言の西関東方言が用いられる。東京に近い上に県外からの転入者が多いことから共通語の影響が強く、西関東方言も衰退し、いわゆる「首都圏方言」が使われているところも多い。放送区域は関東広域圏に属する。テレビ埼玉のほかに、NHK放送センター(総合テレビ・教育テレビ)と在京キー局5局(日本テレビ・テレビ朝日・TBSテレビ・テレビ東京・フジテレビ)が県内全域で、またTOKYO MXテレビが県内東部の大抵の地域で映る。NHK・キー局ともに東京タワー波からの受信のみならず、秩父・児玉地域を中心に中継局を置いている。埼玉県内に本社があるAMラジオ局はないが、埼玉県内に送信所がある(後述)NHKラジオ(第1・第2)、TBSラジオ、文化放送を県内のほぼ全域で良好に受信できる。

さらに、主として南部ではニッポン放送を受信することができ、また他局よりは聴きにくいもののアール・エフ・ラジオ日本を受信できる地域もある。