読売新聞東京本社内と上毛新聞本社とをISDN回線で結んだ専用回線でデータが送られ、群馬テレビ側に設置された端末(マッキントッシュ(PC))でデータから画像を生成して放送していた。独立UHF局としては唯一、高校野球選手権大会群馬県代表の地元校応援実況を実施している。県内の公立高校の入学試験合格者発表日に朝10時から夕方まで、全合格者名(手書き文字)を放送していた。その時の音声は各高校の校歌であった。開局は1971年4月で、関東圏の独立UHF局で最も早い。これは、60年代に民放AMラジオの開局を断念した経緯から、テレビ周波数割当て及び免許申請の一本化に際して県政財界が一丸となって働きかけを行ったことが影響している。資金面では群馬銀行の果たした役割が大きく、会社設立後まもなくの増資(第1回1億4,100万円・第2回2億5,900万円)は会社設立~開局まで初代社長を務めた諸田幸一(第8代群馬銀行頭取・第6代全国地方銀行協会会長)の功績によるところが大きい。
開局当初は埼玉県北部の視聴促進も行っており、テレビ埼玉開局までは「本庄市政ガイド」の制作、「本庄まつり」の録画中継も行っていた。埼玉県北部から群馬県東部へ延びる超高圧送電線(新岡部線など)の敷設工事が1978~79年ごろ始まる関係で、FM波やVHF(特に1ch〜3ch)の影響が出るため本庄、上里、岡部地域などでVHF(東京タワー)からUHF(榛名山の前橋中継局=群馬県)へ切り替える大規模なアンテナ切り替え工事(費用は東京電力負担)が1978年にあり、同地域のほとんどの世帯に榛名向けUHFアンテナが敷設された。このため同地域では結果的に群馬テレビの視聴の促進がなされたことになり、当該工事終了後「テレビ埼玉は映りが悪いが群馬テレビはきれいに映る」世帯がほとんどとなった。当時は陣見山の児玉中継局にはテレビ埼玉のみ中継局が予定され、在京局の中継局設置予定がなかったことが災いし、このときテレビ埼玉受信は考慮されなかった。
このことが2009年現在でも同地域で群馬テレビを見る世帯が多い原因でもある(ちなみにテレビ埼玉の開局が1979年と遅かった事もあるだろう。また、地上波デジタル放送の関係によるエリア是正が行われる可能性もあったが、デジタル放送では在京局の前橋中継局も群馬テレビとほぼ同じ出力になっていることもあり行われていない)。 逆に群馬県太田市の一部地域では埼玉の児玉中継局のみにアンテナを向けて群馬テレビを見ていない(見られない)世帯もある。前橋中継局(榛名山)や桐生中継局(茶臼山)が太田金山や唐沢山に阻まれ受信できないため。2007年10月31日に公式サイトが全面リニューアルされた。株式会社エフエム群馬は、群馬県を放送対象地域とするFMラジオ放送局である。1985年10月1日開局。JFN系列局。コールサインはJORU-FM。FM文字多重放送「見えるラジオ」(JORU-FCM)実施局。関東地方では、1970年にエフエム東京が開局して以来の民間放送FM局(ただし、群馬県にFM局を作るという構想は1961年からあった)。
群馬県では唯一の県域ラジオ局であるため、FM局にありがちな音楽一辺倒の放送ではなく、バラエティ豊かな編成が特徴。開局当初は予算の制約が大きく、聴取エリアも系列のTOKYO FMと重複しており、地方向けのBラインネットが多いために苦戦を強いられたが、近年は、在京局と遜色のない自主制作番組が放送出来るようになった。CM出稿も増加傾向にある。経験豊かなスタッフが増え、県域エフエム局には珍しい報道部も設置されるなど組織も充実している。またAM局がないため、毎年夏に開かれる全国高等学校野球選手権大会群馬県大会実況中継がJFN系列で唯一放送され、さらにインターネットでサッカー・Jリーグ2部ザスパ草津の主催試合実況中継も放送されている。送信所は高崎市吉井町の牛伏山にある前橋局(エフエム群馬ではこの周波数をメイン周波数としている)である。その他、山間部をカバーするために多くの中継局がある。エリアは、人口の多くを占めるほぼ関東平野にある群馬県南部地域では県外局(NACK5、TOKYO FM、J-WAVEなど)の聴取が可能な地域が多い反面、人口は少ないが多くの面積を占める北部や山間部では、県外局の難聴取地域が多い。どちらの地域をメインターゲットとするか難しい舵取りを迫られているとも言える。
なお他県では、埼玉県の面積43%、栃木県の面積34%、民放FMのない茨城県の面積13%にあたる地域も良好聴取エリアとなっている。また、千葉県・東京都の一部でも聴取可能である。現在では1994年開局のRADIO BERRYと、両毛地域などでエリアが重複している。また、同局開局前はNHKFM宇都宮放送局の周波数割当の影響で受信困難であったTOKYO FMの受け皿として受信を試みる聴取者もいた。 開局10周年の1995年頃、ステーションネーム(エフエム栃木における「RADIO BERRY」のようなもの)を制定するという計画があったが、立ち消えになった。FM群馬の新聞ラジオ欄における番組表表記は掲載する新聞によって 『FM群馬』『エフエム群馬』『FMぐんま』『FM GUNMA』と異なっている(いずれも群馬県及び関東一部の新聞ラジオ欄)。CLUB AIRは通常9:00-19:30まで開いている。
しかし、19:30以降まで放送する公開生放送時は、閉場時間が延長される。また、TFMやJFNの番組がエフエム群馬に出張放送する場合では、通常時間外でもCLUB AIRが開いていることもある。1日1ガッツキャンペーンがスタートした直後にラジアンリミテッドDXがエフエム群馬へ出張放送した際に、コーナー仕切りのジングル代わりとしてエフエム群馬の1日1ガッツのジングル(ガッツ石松出演)が全国ネットで流れた。開局当初から十数年は、営業部と放送部だけであり、情報源として新聞社配信のニュースとJFN、ボランタリーネットワーク(事前に契約を結んだ特定視聴者による無償情報提供)に頼っていたが、現在は報道部があり県内の話題を中心に独自の取材も積極的に行われている。他の県域FM局には先発のAM局が報道部を持っていることを考慮した経営効率により報道部を持っていない場合が多い。しかし、群馬県には県域中波放送が無いため群馬県内のニュースに関する同報性、速報性をという面で報道部の設置が必要であったと考えられる。なお、埼玉県にあるNACK5にも報道部(報道情報センター)がある。
報道部があるため、他のローカルFM局よりもニュース、情報番組が多めということもこの局の特徴で、毎時55分(深夜を除く)~数分程度FM群馬ニュースを流すことでも有名。近年、TOKYO FMが選挙特番を積極的に放送しているため、エフエム群馬は21時台に通常番組から切り替えて選挙特番を放送する。全国ネットの選挙特番が23:30で終了する場合も独自に放送する。自局の報道記者が全国ネットの選挙特番にも出演している。県域ラジオ局としては珍しくラジオショッピングがない。