2011年9月1日木曜日

東北地方太平洋沖地震による影響で

スタジアム自体には大きな被害はなかったが駐車場や海浜幕張駅との間で液状化が発生、観客の安全に配慮して同月15日、16日のオープン戦が中止となった。サッカーコートが収まる大きさにしていたがスライド式可動席を採用しなかったため、同クラスのフェアグラウンドを持つ野球場よりかなりファウルグラウンドが大きくなっている。千葉ロッテが本拠地としてからフィールドウイングシートが増設されるまで、NPBの球団が一軍本拠地とする球場の中でグラウンド面積が最も広かった(公式発表では阪神甲子園球場がより広かったが訂正されている)。フィールドウイングシート設置後のグラウンド面積は公表されていない。アメリカンフットボールはフィールドシート増設後でも使用可能で、社会人リーグであるXリーグの公式戦も行われている(オービックシーガルズが本拠地のように表現している)。使われるのは外野部分で、その際にはライト側とレフト側にゴールポストが設置される。グラウンドは全面人工芝で、2003年初めにアストロ製のショートパイル人工芝「ネクストターフ」(パイル長30mm)に張り替えられた。

張替え当時はいわゆる「ハイテク人工芝」と称された高機能型であった。2009年頃からパイル硬化などの劣化が指摘され、千葉ロッテは同年オフ、千葉市に対し人工芝の張替えを求める要望書を提出した。千葉市は慢性的な財政難のため、張替え費用を捻出することが困難としたため、約5億円の工費は千葉ロッテ球団が立て替え、市が2011年度から6か年かけて返済する形で費用を工面することが決定した。2010年オフから張替えに着手し、同年末に着工して2011年2月下旬に竣工。アストロ製のショートパイル型「アストロステージMJ〔マリンヴァージョン〕」(パイル長32mm)が採用された。基本は西武ドームなどに敷設されているものと同品種だが、マリンスタジアムでは千葉ロッテ選手会の要望などを踏まえ、芝の下に敷設するアンダーパッドの下部に緩衝材を敷き、足腰への衝撃を軽減する工夫が施されている。パイル一本一本には芯が入っており、より天然芝の感触に近付けて仕上げている。

施工したアストロの関係者は「選手の要望にいかに応えられるかが醍醐味。選手が最高のプレーをして、勝ってくれるのが一番嬉しい」と話している。市はこの人工芝張り替えに関する問題を契機に、築20年を経過して老朽化が進んでいる球場全体の施設改修などを計画的に進めるため、市民をはじめ全国のファンから寄せられた募金・寄付金や「ふるさと納税制度」を活用して広く協力を求める「千葉マリンスタジアム基金」を創設し、2010年9月1日から受付を開始している。開場当初、スコア表示部は白色電光式で、千葉ロッテの本拠地となった1992年に高輝度放電管の大型映像装置を増設した(松下電器産業製 アストロビジョン、H 7.844 × W 9.911 m)。老朽化のため2002年に全面改修を行った際はスコア表示部にLEDを採用した。さらに2008年の改修において映像装置が従来よりやや大きな三菱電機製のLED式オーロラビジョンに更新された。映像装置には1992年の設置当初から「マリンビジョン」の愛称が付いている。

ライト側に風速表示、レフト側にサッカー用と思われる45分計とアメフト用と思われる経過時間計がある。風速表示の真上に風車型風速計が設けられている。2011年からボールカウントの表示方式を、従来の「SBO(上からストライク・ボール・アウト)」順から、国際ルールに則った「BSO」順に変更している。また球場命名権の設置に伴い、マリンビジョン上部の電光表示広告を、前年までの「LOTTERIA」に代えて「QVCマリンフィールド」に電光表示を変更、下部の「JR東海」の看板広告に変えて、「CHIBA LOTTE MARINES」の看板を掲げるようにした。2006年にオープンした「マリーンズ・ミュージアム」では、千葉ロッテにまつわる様々な資料が展示されている。支配下登録選手一覧、写真パネルで見る優勝パレード、2005年に日本一を含めた6冠となった際に贈られた4つのトロフィーの受賞者保存用レプリカ。実際に使用されていたミニカーを使ったリリーフカー。球場で実際に使われているダッグアウトや芝および照明灯、ファウルポール周辺部分の実物大外野フェンス、実際に操作出来るボールカウント表示器。

2010年9月から11年7月までストライクのカウントは作動するがボールは壊れて反応しなかった。四球を出すとバレンタイン監督の喝が飛ぶ仕組み。切り出した形でのマウンドとホームベースエリアの再現。ロッカールームの再現。選手から寄贈を受けた使用済みのスパイクやグローブ、バット他が置かれており、里崎智也がワールド・ベースボール・クラシックに出場した際に着用した日本代表ユニフォーム、成瀬善久が北京オリンピック野球日本代表として出場した際に着用したベースボールキャップとグラウンドコートも飾られている。前身「毎日オリオンズ」以来の千葉ロッテマリーンズの歴史。入り口すぐ脇の屋外にマリンスタジアム竣工当時に敷かれていた初代の人工芝のマット。1994年6月には、当時未開発であった周辺地域から大量の赤トンボが襲来。6月28日の西武戦は公式には雨天のため中止されたのだが、一部で今なお「トンボ中止事件」として語り継がれている。翌29日の試合はトンボの飛び交う中で開催された。

2005年10月22日に行われた日本シリーズ第1戦(千葉ロッテ対阪神)では濃霧により7回裏途中(一死無走者)でコールドゲームになるという珍事もあった。日本シリーズ史上初の出来事である。千葉マリンスタジアムを所有・管理する市・マリンスタジアム社・千葉ロッテ球団の3者は2005年から、マリンスタジアムに対する施設命名権(ネーミングライツ)の売却について検討を開始。数社から買収に関する問い合わせがあったものの、正式契約には至らなかった。2006年2月には、同年4月から千葉ロッテ球団が施設の指定管理者になるのに合わせ、命名権をロッテ本社が買収した上で、球団がファンの背番号として「26」を欠番にしているのに因み、呼称を「ロッテ26スタジアム」とする構想が一部で報道されたものの、当時ロッテ本社が命名権の売却・取得ともに消極的だったこともあって、実現には至らなかった。施設全体への命名権売却は見送られたものの、前述の3者はゲートや座席など球場内の設備に対する命名権売却を引き続き検討した。

座席については2009年シーズン前、内野スタンド1層三塁側上段のグループ向け個室「ボールパークルーム」を千葉ロッテと東日本電信電話(NTT東日本)千葉支社との共同事業で改修し「フレッツ光 バルコニースイート」と改称した例がある他、イベントスペースにスポンサー名を冠する等の試みも行われている。市の財政難はこの間にも悪化の一途をたどり、2009年秋には2010年度の予算編成において約270億円の収支不足が見込まれたため、千葉市の熊谷俊人市長が10月21日付で「『脱・財政危機』宣言」を発出し、収支バランスの安定化に向けて施策の方針転換が図られることになった。一環として、施設命名権導入の是非が長らく棚上げされていた千葉マリンスタジアムについても、市はロッテ側に対しスタジアムの施設全体の命名権売却を強く要望し続け、2010年10月、市と千葉ロッテ球団は2011年シーズンから命名権を導入することで合意し、これを受けて市は売却先の募集要項を11月4日に発表した。

11月5日から11月25日にかけて売却先の公募を実施し、売却条件は原則として契約期間3年以上、年額2億円以上に設定し、地域貢献に関する提案などを考慮して優先交渉権を決定した上で、12月上旬を目途に売却先を選定、2011年1月に新呼称を公表し、同年シーズン開幕時から採用する旨が発表された。市の担当者は「マリンスタジアムの名前は浸透しているし、思い入れがある方も多い。相手先の自由だが、残してもらえるとありがたい」と新呼称に対する意向を話した。