JR東日本管轄地域でのアウェーゲームにおいて、団体臨時列車「ジェフ千葉応援号」を運行することがある。これは往復の指定席乗車券と観戦チケットをセットとした旅行商品として販売される。まず千葉市にかけあったが断られたため、JR東日本の関係から仙台市に話を持っていったがまた断られた。そして、習志野市を本拠地にすることを計画し、ホームスタジアムは習志野市秋津公園サッカー場を予定していた。そのためホームタウンが決定する以前の1991年からクラブ事務所と練習場は、距離的にも習志野市に近く、古河電工の事業所が置かれていた浦安市舞浜地区に置いていた。ところが秋津サッカー場周辺の住民が騒音の問題などを危惧してホームタウンとすることに反対したため、習志野市議会の同意を得る事が不可能となり、ホームスタジアム探しは振り出しに戻った。千葉県下において次の候補地となったのが同じく古河電工の事業所が設置されており、古河電工の社宅など関連施設が多く存在していた市原市である。
市原市議会からの賛同を得て、正式にホームタウンとしてJリーグに登録できたのは締め切り直前の1992年5月だった。ホームスタジアムはそれまで市営の陸上競技場としてこじんまりと使用されていた市原臨海競技場を突貫工事で改修して使用することになった。なお、1992年のJリーグカップでは千葉県内での主催は1試合も無く、群馬県の太田市陸上競技場、平塚競技場、及び国立西が丘サッカー場で開催された。2009年シーズンは、J1残留の立役者、ミラー監督の続投が正式に発表され、深井も鹿島から完全移籍で獲得し、他チームへの移籍も噂された巻も残留。新たな戦力として、柏からアレックスを、清水から和田拓三を完全移籍で獲得。さらに、鹿島から中後雅喜を、大分から福元洋平を期限付き移籍で獲得するなど、前年とは違い積極的な補強を行ったが、登録選手数はJ1最少。またクラブ事務所・練習所も市原市から千葉市に完全集約され、前述どおり法人名を「東日本JR古河サッカークラブ」からチーム名と同じ「ジェフユナイテッド」に変更された。
リーグ戦開幕後、勝ち切れない試合が多く、また前述の選手層の薄さと怪我人の続出でベンチメンバーさえ不足したことも。そのため、ブラジルのECヴィトーリアからFWネット・バイアーノ、柏レイソルから太田圭輔をシーズン半ばに獲得・補強した。また、同年7月27日に成績不振を理由にミラー監督を解任。後任には生え抜きの江尻篤彦が就任するとともに、コーチ陣が一新された。しかし、守備が少しずつ改善した半面、攻撃が巻頼みで、期待のFWネットバイアーノも、プレースタイルが巻と重複するという理由でレギュラー起用にはならず、得点力が低下。その後も成績不振が続き、ついに11月8日の川崎戦で敗れてJ2降格が決定し、前身の日本リーグ時代を含めて初となる2部リーグ落ちとなった。なおこの後11月28日に柏がJ2降格となったため、千葉勢はJリーグ創設18年でJ1から姿を消すことになった。同一都道府県のチームが2チーム降格するのはJリーグ史上初である。また、ジェフの降格をもって、丸の内御三家は全てJ2降格を経験することとなった。
2002年のシーズン開幕の直前、クラブは千葉市蘇我地区の川崎製鉄(現・JFEスチール)工場跡地に建設される千葉市総合スポーツ公園球技場(現在のフクダ電子アリーナ)を完成後市原臨海競技場と併用してホームスタジアムとして使用する方針である旨発表した。これには、蘇我地区の目玉となる施設を建設したいためそれを継続して使用してくれる団体を求めていた千葉市と、スタジアム環境の改善を図って観客増を狙いたいジェフユナイテッド市原との間の利害の一致があった。クラブは2003年から「千葉」を加えた新クラブ名のあり方の検討を始めた。この年にサポーターを対象としたアンケートを実施し、その結果、2004年に次のシーズンから新クラブ名を「ジェフユナイテッド市原・千葉」、呼称を「ジェフユナイテッド千葉」とリリースした。一方、新名称が検討されるのに前後して、市原市はホームタウンの軸足が完全に千葉市にシフトされる事を懸念し始めた。市原市も2003年の春頃から市原臨海競技場のサイドスタンド及びバックスタンドの改修工事を検討し始め、そのプランも発表されたが、後にこのプランはバックスタンドのみに縮小された。
市原臨海競技場の改修工事は2003年シーズンの終了直前から始められ、2004年シーズンの1stステージ中盤まで続けられた。しかしこのシーズンの開幕直前に新チーム名の呼称を「ジェフユナイテッド千葉」に変更する意向であることを市原市との事前協議の約束を反故にし、突如通告。市原市はクラブ側のやり方を批判し、クラブへ抗議文書を送付。呼称に「市原・千葉」の併記を要望した。市原市では態度の硬化がはじまり呼称も「ジェフユナイテッド市原・千葉」にするように求めて2万人の署名が集められた。結局、呼称問題についてはJリーグ側からの留保期間が設けられたものの、2004年5月18日に最終的にJリーグ理事会から承認され、新チーム名と呼称については2005年2月1日より使用が開始された。改称後、マスコミ等による呼称に関しては市原市が危惧した通り、専ら「千葉」のみが使われる傾向にある。サポーターが唄う応援ソングの中にも「千葉」とコールするものがある。ホームタウンを構成する市原市と千葉市でもそれぞれで呼称の使い方が異なり、広報資料などでも市原市は「ジェフユナイテッド市原・千葉」の表記で統一しているのに対し、千葉市では「ジェフユナイテッド千葉」で統一している。
KAIENTAI-DOJOとは、プロレスラーのTAKAみちのくがWWF(現:WWE)から凱旋帰国したのを期に千葉県に発足させた日本のプロレス団体、および団体の常設会場である「千葉Blue Field」の旧名称である。道場も兼ねている。主に「K-DOJO」と略記される。KAIENTAI-DOJOの道場兼、常設会場。リングはもちろん音響や照明、映像設備、シャワー室、トイレ、トレーニング装置を完備し、選手寮も兼ねており道場犬大鉄は会場横の犬小屋に住んでいる。一般レンタルも行われており主に他団体の興行等に利用されているが、テレビ番組の撮影やNHKのラジオの収録なども行われたことがある。尚、2008年に同会場で発生した金村キンタローの強制猥褻事件の現場となった影響で、同年から2010年8月1日(FREEDOMS千葉大会)に再開されるまでプロレス他団体への貸出を中止していた。会場へはJR千葉駅下車、東口バスターミナルよりNo.1大宮団地行きもしくはNo.10「成東・中野操車場方面」行きバスに乗車し「旭町」バス停下車。
KAIENTAI-DOJOから徒歩1分の中華料理屋。試合終了後の味方冬樹とトミー茨城の「ときわ苑集会」が行われていた。店内には数多くのプロレスラーのポートレートが貼られており、伝説のレスラー「カウボーイビリー」の貴重なサインを見る為にここを訪れるファンは後を絶たない。TAKAみちのくは五目チャーハンや天津飯が好みである(ラーメンに関しては「マズイ」とコメントしていたが、蝶野正洋と対談した際に蝶野がラーメンを食べていた際には「気に入ってくれてよかった」と発言していた)。同団体パンフレットでも紹介され、KAZMAの専門誌でのインタビューの際は同店前での写真が掲載された。2010年4月19日にJR稲毛海岸駅前にオープンしたKAIENTAI-DOJOプロデュースの飲食店。店長にはマリーンズマスクが就任。主にKAIENTAI-DOJO所属のレスラーがイベントを行うほか、千葉ロッテマリーンズの試合日には関連イベントが開催されることもある。 期間限定営業だったため、現在は閉店。
千葉ジェッツは、2011年より日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)に参加するプロバスケットボールチーム。千葉県初のプロバスケットボールチーム。運営会社は株式会社ASPE(ARENA SPORTS PROMOTION & EDUCATIONの略)である。チーム名の千葉ジェッツ(CHIBA JETS)とは、成田国際空港の象徴とも言えるジェット機に由来しており、世界に向けて飛躍するチームになるという想いも込められている。それまで県内では、千葉エクスドリームスがbjリーグ参入を目指してきたが、今後はジェッツのサテライトチームとして活動する。2010年3月1日、日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)参入を目指して、千葉プロバスケットボールチーム準備委員会を設立。3月31日、bjリーグへ正式に参入申請を行う。その後、リーグの審査を経て、8月26日に2011-12シーズンよりのbjリーグ新規参入が正式決定する。9月17日、チーム運営会社「株式会社ASPE」を設立。11月25日、一般公募により決定したチーム名の「千葉ジェッツ」(命名、鎌ケ谷市の会社員)やチームロゴなどを発表する。