2011年9月2日金曜日

売却先の公募には締切日までに

4社が応募した。市は応募企業名を非公表としたが、球場近隣の美浜区・幕張新都心に本社を置きファッション通販サイト「ZOZOTOWN」を運営するスタートトゥデイは11月17日、公募に申し込んだ旨を自ら公表し、同日から11月23日に掛けて同社サイトで取得に向けた署名活動を実施し15,977名の署名を集めた他、署名と同時に募集した命名案では「ZOZOマリンスタジアム」が664件と最も多かった。市は応募した4社について審査した結果、テレビ通販業「QVC」の日本法人で、幕張新都心に本社を置くQVCジャパンを交渉先に選定した旨を12月7日に発表した。同社は契約期間10年と、新名称の一部に「マリン」を残したものを提案したのに加え、社員の幕張周辺への在住支援やイベントの実施などといった地域貢献策も提示した。選定理由について、熊谷市長は定例記者会見で「金額面を一番重視した。地元への貢献など様々な提案があったが、大きな差はなかった。命名権を持つオーナー企業として、幕張全体の活性化をリードする役割も市と一緒に担って頂きたい」と述べた。

応募した4社はいずれも、市の提示条件をクリアしていたといい「いろんな要素が絡み合って、予想していたよりも遥かにいい条件で応募してもらった。何よりロッテが(リーグ3位から日本シリーズ制覇などで)頑張ってくれた」と安堵した表情を見せた。優先交渉権獲得に対し、QVCジャパンのクリス・ホロビンCEOは「命名権は日本や千葉へのQVCの長期的コミットメントを強化するきっかけとなるでしょう」とコメントした。選定から漏れたスタートトゥデイの前澤友作代表取締役は結果に関し「当社、僕自身の地元愛がなんら揺らぐことはございません」と引き続き地域貢献策を進めるとし、選定が決まったQVCジャパンに対しては「一緒に幕張を盛り上げましょうね」と共闘を誓い、その上で前掲の「千葉マリンスタジアム基金」にふるさと納税制度を利用して寄付した旨を表明した。市および千葉ロッテ球団はQVCジャパンとの間で交渉を進めた結果、12月24日までに基本合意に達し、3者は12月27日にマリンスタジアムで合同記者会見を行った。

契約金額は年額2億7500万円の10年間契約で総額27億5000万円と、日本のプロ野球本拠地球場の施設命名権としては過去最長の契約期間となった。呼称は「QVCマリンフィールド」とすることも決定した。QVCジャパンの佐々木迅社長は契約期間について「海浜幕張地区と共に歩み、末永く根を下ろしてやっていくという決意の表れ」と話し、呼称については同年「和」をスローガンに日本シリーズを制した千葉ロッテと、映画『フィールド・オブ・ドリームス』をイメージしたと述べた上で「日本のプロ本拠地で『フィールド』が付く球場は初めて。闘いの場、夢を育む場という意味で敢えて使うことにした」と説明した。熊谷市長は呼称に対し「県民の9割が『マリン』を残してほしいと言っていた心情に配慮してくれた。一ファンとしても嬉しい」と評価した。その後3者は更に交渉を進め、契約内容の細部調整を図った上で2011年2月28日付で正式契約を締結し、新名称は3月1日から採用された。QVCジャパンは今後10年間、市と千葉ロッテ球団に対し契約額のそれぞれ半額となる年額1億3750万円ずつを支払う予定で、収益の一部は前述の人工芝張り替えなどの施設改修に充当される。

千葉市の条例上の施設名称や、スタジアムを運営する第三セクターの商号などは「千葉マリンスタジアム」のまま変更しない。東京ヤクルトスワローズ主催のセ・リーグ公式戦は1991年に始まり、ロッテが本拠地を置いてからも2005年まで主に5月下旬の週末に年間1カード2、3試合行われていた。この時期にはヤクルトが本拠地としている明治神宮野球場で東京六大学野球春季リーグの最終節である早慶戦があり、多くの来場者が見込まれ同日に共用した場合には周辺の混雑や観客の入れ替え時の混乱が予想される為、それらを避けるという意味で行われていた。当時、ヤクルトが首都圏で開催する唯一のデーゲームによる公式戦だったが、2005年は5月上旬から6月中旬にかけてセ・パ交流戦が行われるのに伴い、必ずもし早慶戦を考慮する必要が少なくなったことから千葉マリンでの主催公式戦は開催時期を7月にずらして行った。2006年からは大学野球側との調整の結果、神宮でもデーゲーム開催が可能となったことなどからヤクルト主催では千葉マリンの公式戦を開催していない。

交流戦ではビジターで対ロッテ戦があるため、ヤクルト戦そのものは現在も年間2試合が開催されている。海浜幕張駅にあるプレナ幕張からは、千葉ロッテマリーンズ主催試合時に限り京成バスによる直通バスや連節バスが運行される(運賃は現金で大人100円後払い。車内では選手によるマナー喚起等の車内放送が流される)。試合終了時には海浜幕張駅、幕張本郷駅行、稲毛駅行(検見川浜駅、稲毛海岸駅経由)のバスが京成バス・千葉海浜交通によってそれぞれ運行される。このうち海浜幕張駅行と幕張本郷駅発着便にはノンストップ便もある(幕張本郷駅発着便は、幕張新都心地区を通らず、免許センター交差点からメッセ大橋交差点に出て県道千葉船橋海浜線を経由して幕張海浜公園交差点に出る順路)。2007年7月の千葉シーサイドバスダイヤ改正により花島公園 - JR幕張駅 - 千葉マリンスタジアムが開通した。千葉ロッテマリーンズは、日本のプロ野球球団でパシフィック・リーグの球団のひとつ。千葉県を保護地域とし、同県千葉市美浜区にあるQVCマリンフィールドを専用球場(本拠地)としている。

なお、二軍(イースタン・リーグ)の本拠地はさいたま市南区にあるロッテ浦和球場である。1991年9月4日、翌1992年から保護地域を千葉県、専用球場を千葉県千葉市美浜区の千葉マリンスタジアムに変更することが承認された。球団名は一般公募により改称されることになり、同年11月21日、新名称は千葉ロッテマリーンズ(英語で海兵隊)に決定した。1992年、千葉移転初年度は最下位に沈んだ。それでも移転景気に恵まれ、観客動員が130万人をマークするなど順調な滑り出しを思わせた。しかし1993年も5位に終わると移転景気も潰え、観客動員も93万人に激減。千葉県民の目も徐々に冷ややかになっていった。こうして、川崎時代から続く「12球団最低レベルの観客動員数」という大きな問題点には千葉移転後も苛まれることとなる。1994年、当時の原野和夫パ・リーグ会長は、ロッテのチーム力の低下と観客動員数の低迷を強く懸念。重光オーナー代行に対し「もっと努力してほしい」と注意を行った。

2005年は今江敏晃、西岡剛の台頭もあり好スタートをきる。上位から下位までどこからでも点を取る打線は、「マリンガン打線」と呼ばれた。3月26日の千葉マリンでの開幕戦では、新球団東北楽天ゴールデンイーグルスと対戦し3-1で敗れ、楽天の公式戦初試合初勝利を献上したが、翌日には2リーグ制以降最多得点差となる26-0で楽天に圧勝している。この年から導入されたセ・パ交流戦)では初代チャンピオンとなる(毎日時代の初代パ・リーグ優勝、初代日本一に続いて3つ目の初代王者の称号を得た)。この交流戦で獲得した賞金の一部は公約どおりファンに還元され、スタジアムへの送迎バス(京成バス)のラッピング(ユニフォームと同一のカラーリングに“ファン”を表す背番号26のマーキングを施し、「栄光が俺たちを必要としている」「集え! 26番目の戦士たち」「俺たちと伝説を作らないか!」「No magic! そう、俺たちは強い」のフレーズ入り)などに使われた。このアジアシリーズも初回大会ということで毎日時代のパ・リーグ、日本シリーズ、ロッテ時代のセ・パ交流戦、アジアシリーズと4つの初代王者の称号を手に入れた事になる。

11月20日に千葉市中心部と幕張地区の2カ所で行われた優勝パレードでは合計27万人を動員し、阪神の18万人を上回る盛り上がりを見せた。この年のボビー政権は、変則的に打線が入れ替わる日替わり打線などを駆使していた。また、その采配がしばしば成功するので、ボビーマジックと言われた。