2011年9月14日水曜日

1998年のオリンピック開催にはほかに

旭川や盛岡、山形が名乗りを上げていた。1988年6月1日、JOC総会で他候補地を破って長野が候補地に内定した。森の守り神であり、知恵者の代名詞でもあるフクロウを抽象的にデザインした物で、「スノーレッツ (SNOWLETS)」という名前の由来は冬季オリンピックをイメージした「SNOW」、「フクロウの子供たち」という意味の「OWLETS」、「さあ、一緒に!」と元気よく呼びかけることば「LET'S」を掛け合わせた造語と言われている。また1羽ずつそれぞれに、スッキー、ノッキー、レッキー、ツッキーという名前もつけられていた。4羽はスッキーとノッキーが男の子、レッキーとツッキーが女の子という位置づけがなされ、それぞれが火の中、水の中、風の中、土の中から生まれたと設定された。また4羽の中でも人気、不人気のキャラクターが分かれ、最も不人気だったスッキーについてはNHKが「なぜスッキーは人気が出ないのか?」というインタビュー番組を制作するほどだったが、当初は斜めを向いていたスッキーの顔のデザインをオリンピック直前になって正面から見たデザインに“整形”するなどてこ入れがなされた甲斐もあって、オリンピック本番では4羽とも大人気だった。

スノーレッツは長野オリンピック開催前年の1997年の第48回NHK紅白歌合戦にも出場している。ギリシャから日本に着いた聖火は三手に分かれ、全都道府県を巡ったのちに長野県内の全ての市町村をリレーされて長野市に集結した。聖火リレーの最中に火が消えるハプニングが相次ぎ、ニュースでも話題になった。これはトーチの欠陥により、トーチを傾けすぎると燃料供給が途絶えてしまうことによる。後に改良され、消えることはなくなった。国際的イベントと市民との融和、そして一過性ではなく継続的な「国際理解・親善」につなげる工夫として「一校一国運動」「一店一国運動」が展開された。「一校一国運動」は、広島アジア大会の際に行われた地区公民館単位での活動を参考に考案され、市内の小中学校各校が長野オリンピック参加の特定一国について深い研究・国際交流を図る形で展開され、市民と参加各国、そしてオリンピックというイベントを強く結びつけ、大会運営にも市民文化活動にも好影響を与えた運動。

その後のオリンピックの際にも導入され、今ではIOCのプログラムに取り込まれている。一店一国運動は同じような活動を商店に置き換えたもので、長野市街地を訪れる選手や観戦客に対してのホスピタリティを意識した運動で好評を持って迎え入れられた。屋外競技場が長野県内各地に拡散していたことから、ベースシティである長野市の中心市街地にあるセントラルスクゥエアに「市街地表彰式場」を設け、競技場まで足を運べなかった市民や観戦客への配慮を行った。これも市民とオリンピックを結びつける仕掛けとして有効で、日本選手の活躍が目立った開催期間後半においては屋内競技でも目立った成績を残した選手を改めて表彰した。長野市が行っていた一校一国運動・一店一国運動とも相まって長野大会の「付加価値」、そして「NAGANO CITY」の評価を高めたものである。長野パラリンピックとは、1998年3月5日~14日に行われた第7回冬季パラリンピックである。アジアで初めて開催された冬季パラリンピックでもあった。

今大会は長野オリンピックの後に、長野県長野市を主会場として開催された。知的障害者が初めてノルディックスキー距離競技に参加を認められた。しかし次期の夏季大会(シドニー)においてスペインが知的障害者のバスケットボールチームに健常の選手を潜り込ませて金メダルをさらったことが露見した。銀メダルのロシアチームにも不正が認められたため、以後は障害者のスポーツ祭典であるパラリンピックから知的障害者は再び排除されてしまうこととなった。また聴覚障害者、精神障害者についてもパラリンピックの埒外におかれたままになっている。1996年に行われたアトランタパラリンピックでは、日本のメディアの扱いが小さかった。しかし、長野パラリンピックは、メディアが積極的に報道したパラリンピックだった。競技の様子は、新聞では社会面などではなくスポーツ面報道でされるようになり、NHKは閉会式も生放送で放送した。そして、長野パラリンピック以降ではパラリンピックが積極的に報道されるようになった。

また、オリンピック選手団並びにパラリンピック選手団が着用する日本選手団の公式ユニフォームが統一デザインとなったのは、1998年の長野オリンピック及び長野パラリンピックからである。長野県議会は、長野県に設置されている地方議会である。長野県は就業率が高く、2005年度の国勢調査では(全)就業率 (61.3%) と高齢者就業率 (29.9%) がともに全国一であり、女性就業率 (51.1%) も全国第2位である。県内総生産は2005年度時点で名目が8兆1,992億円、実質(連鎖方式)が9兆4,066億円。精密機械(かつては時計や光学機器が主体であったが、1980年代以降情報通信機械器具、電子部品・デバイスなどに変化している。) 諏訪地域を中心に精密機械や電子産業が盛んであり、高地で気候が類似し、高級ブランド時計の本場であるスイスになぞらえ、「東洋のスイス」の異名を取ったこともある。法令系の企業が集積し、地方としては出版、印刷が多いことも特徴である。日本酒、ワインや味噌の醸造、飲料をはじめとする食料品製造業、農業では、高原野菜の栽培が盛んである。全域が中部電力のエリアになっている。

中部電力を初め、東京電力、東北電力、関西電力、電源開発などの水力発電所がある。60Hzの電源周波数の区域が大半であるが、小諸市高峰高原、大町市の一部、小谷村の一部、松本市奈川、松本市安曇の一部、安曇野市穂高の中房温泉、飯山市の一部、栄村の一部などでは50Hzの区域もある。県企業局による発電事業として14の発電所があり、伊那市に南信発電管理事務所、長野市に北信発電管理事務所が設置されている。長野県内の都市ガス事業はこれまで長野県営によるものと、東京ガスによるものが規模の大きなものとされてきたが、2006年に長野県営のガス事業(長野県企業局)が民営化され、新たに設立された長野都市ガスに事業が移管された。その後2006年7月1日をもって、東京ガスが長野県内で行っていた事業(同社長野支社の業務も含む)がすべて長野都市ガスに統合された。ちなみに、長野都市ガスは東京ガスグループに属している。平成の市町村大合併は、他県ほど進捗せず、中小自治体が乱立する状況に変わりない。

ただし、広域連合制度が県内全市町村で活用されており、一部事務組合による広域行政も活発で、長野県においては特に合併推進をすべき事由はない。2005年には長野県から岐阜県へ越県合併の事例もあった。