2011年9月17日土曜日

長野新幹線は

高崎駅から長野駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の高速鉄道路線の通称およびその列車(新幹線)である。正式には北陸新幹線の一部ではあるが、正式名称の「北陸新幹線」では旅客案内上の混乱を招く可能性があったため便宜的に開業当初は「長野行新幹線」、後に「長野新幹線」と案内するようにした。東京 - 大宮間は東北新幹線、大宮 - 高崎間は上越新幹線が正式な路線名となるが、利用者に対しては列車の運行区間に応じた路線名で案内されるため、東京 - 長野間を走行する列車については「長野新幹線」と呼称されている。1997年10月1日、北陸新幹線の高崎駅 - 長野駅間 (117.4km) を先行開業。1998年2月の長野オリンピックの開催に合わせて開業したことで、アクセス輸送機関としての役割も担った。1985年の工事実施計画認可申請および1987年の閣議決定においては北陸新幹線の高崎 - 小松間をフル規格で先行建設する計画であったが、1988年に建設費の節減を目的として当時の運輸省によって発表された、いわゆる「運輸省案」では長野以南を優先し、碓氷峠の急勾配区間を含む高崎 - 軽井沢間のみフル規格、軽井沢 - 長野間はミニ新幹線とする計画に変更となった。

1989年に、まず高崎 - 軽井沢間が着工されたが、1991年に1998年の長野オリンピックの開催が決定したことから、軽井沢 - 長野間も当初の計画通りフル規格にて着工されることに変更となった。なお、フル規格への変更については、1982年に公表された基本ルートで「佐久駅」(当時の仮称。現在の佐久平駅)が設置されることになっていた佐久市は積極的であったのに対し、在来線特急の停車駅を擁しており、かつフル規格新幹線では停車駅から外れることになる小諸市が強硬に反対していた(佐久平駅の名称紛争はこれに端を発する)。また、北陸新幹線として長野駅以遠も延長することや、周波数変更装置が小型化・軽量化されたことにより、必ずしも地上側で周波数を統一する必要が無くなったことから、工事費用の削減も兼ねて、軽井沢駅 - 佐久平駅間(軽井沢駅から約5kmの地点)に新幹線として初めて異周波数の電源を突き合わせたき電区分所(切替セクション)を設け、50Hz(東京電力)/60Hz(中部電力)の周波数切換を行っている。

開業と同時に並行在来線にあたる信越本線は、急勾配のため特殊な運転方式をとっていた横川駅 - 軽井沢駅が廃止、軽井沢駅 - 篠ノ井駅間が第三セクターのしなの鉄道に転換され、並行在来線経営分離の最初の例となった。この新幹線の開業により、軽井沢駅や佐久平駅周辺の商業施設の集積が進んだ一方、小諸駅は新幹線ルートから外れたことにより、近辺の大規模商業施設が相次いで閉鎖され、地元商店街もシャッター通り化するなど、大きく明暗を分ける結果となった。長野市においても、以前は宿泊が必要な旅程の出張者・旅行者が日帰り可能となった一方、松本市に代わって、白馬・大町方面への玄関口として機能しており、地元経済に対しては功罪相半ばする形となった。交通需要について国土交通省が2000年に調査した都道府県間鉄道旅客流動データによると、東京都から鉄道で他道府県に移動した年間旅客のうち、長野新幹線沿線各県(長野県のみ)への年間旅客数は294.0万人であった。

さらに東京圏(東京都+神奈川県+埼玉県+千葉県)から長野県への年間旅客数は499.7万人であった。また、沿線各都県間を流動する出発鉄道旅客数は、長野県出発客が334.3万人と最も多く、次いで東京都の294.0万人であり、同じく目的地旅客数は、長野県を目的地とする客が363.6万人、東京都が267.4万人であった。沿線各都県間の旅客流動状況(2000年)は以下のとおり。東海道・山陽新幹線が全線にわたり高需要が期待され、また東北新幹線は栃木・宮城という東京 - 仙台間に高需要が期待される一方、長野新幹線の場合は東京 - 高崎間で並行運行する上越新幹線と同様、全線にわたって平坦な需要となっている。行き先が長野であるため、正式名称の「北陸新幹線」を名乗ることは、乗客の混乱を招く恐れもあることから、目的地が長野であることを表現することになった。しかし、延伸事業計画が不確定であった北陸地域の人々に対して、長野までで建設が打ち切られるという印象を与えないために、JR東日本では、駅構内の掲示や案内放送などで下り列車を「長野行新幹線」(「行」は小書き)と呼ぶことに決定した。

東京行上り列車については、単に「新幹線」と案内することとされたが、東京駅に同居する東海旅客鉄道(JR東海)の東海道新幹線ホームにあった構内掲示は「長野新幹線」とされるなど、グループ社間で呼称が異なるという状態になった。しかし、上り列車と下り列車で案内上の呼称が違うことは紛らわしく、「長野行新幹線」という呼称も定着しなかったため、次第に「長野新幹線」という呼称が一般的になっていった。その後、北陸新幹線が新潟県上越地方ならびに富山・金沢方面への延伸が正式に決定したことで抵抗感も無くなったことから、この呼称が通称として定着し、長野新幹線の車内放送でも全面的に「長野新幹線」の表現が使われるようになった。マスコミでは開業当日から「長野新幹線」の名称を使っている。「長野行新幹線」表記の残る高崎駅新幹線ホーム(2007年7月21日撮影)交通新聞社(当時は弘済出版社)の『JR時刻表』、JTBパブリッシング(当時は日本交通公社出版事業局)『JTB時刻表』では、1998年6月号よりそれまでの「長野行新幹線」から「長野新幹線」の表記へ切り替わっている。

しかし、東海道新幹線東京駅の乗り換え案内の看板や、八高線のワンマン列車が高崎駅到着時に行う自動車内アナウンスなど、「長野行新幹線」と案内している例が一部ではまだ残っている(八高線の場合、放送のテープの更新時期がまだ来ていないため)。なお2014年度に北陸新幹線が金沢まで延伸開業した時点で、全区間の呼称を「北陸新幹線」で統一するか、JR東日本管内のみで引き続き「長野新幹線」という通称を継続使用するかについて、2008年時点では公式の発表はなされていない。長野県の商工団体などは「長野新幹線という呼称は利用客に浸透しており、名称を変えれば利用者が混乱する」などとして、全線開通後は「長野北陸新幹線」という名称にするようJR東日本に要望し、長野県の村井仁知事も記者会見で「長野県の気持ちというのをご理解いただけるよう一所懸命努力したい」と述べて、「長野」の維持に意欲を見せている。