ドイツ・ルネサンス様式の鉄骨レンガ造2階建の東京市役所が完成する。同地は現在の千代田区丸の内三丁目に当たる。このときの建物は戦災で焼失し、戦後に新庁舎に建て替えられ、現在はさらに東京国際フォーラムに建て替えられている。1898年(明治31年)10月1日、東京・大阪両市有志同盟の請願が結実し「市制特例撤廃法」が成立、東京市に一般市制が施行され、東京府庁内に市役所が開かれた。府知事の市長兼務は廃止されて東京市長は官選となり、初代市長には松田秀雄が任命された。1926年(大正15年)からは市議の互選により市長が選出されるようになった。大正期に入ると東京市への人口流入はさらに進み、1920年(大正9年)の人口は370万人になった。また、大正年間に入る頃から大東京という表現が見られるようになった。多くの場合それは従来の東京市(15区)と隣接5郡82町村(荏原郡・豊多摩郡・北豊島郡・南足立郡・南葛飾郡の各全域)に、しばしば北多摩郡砧村・千歳村を加えた地域を指していた。
これは現在の東京都区部(東京23区)の区域に相当する。1922年(大正11年)4月24日には旧都市計画法に基づき、東京市と上記6郡84町村が「東京都市計画区域」として定められた。1923年(大正12年)9月1日、東京市は関東大震災にみまわれ、特に下町が大打撃を受けた。この影響で1928年(昭和3年)から1932年(昭和7年)の近隣町村編入までの間、大阪市に人口規模で抜かれることになった(→都道府県庁所在地と政令指定都市の人口順位)。1932年(昭和7年)10月1日、近隣の5郡82町村(荏原郡・豊多摩郡・北豊島郡・南足立郡・南葛飾郡の各全域)を編入して新たに20区を置き東京35区となった。1936年(昭和11年)10月1日、北多摩郡砧村・千歳村を世田谷区に編入し現在の東京都区部の範囲が確定した。第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)7月1日に内務省主導で東京都制が施行され、地方自治体としての東京市と東京府は廃止されて東京都が設置された。それまでの東京市役所の機能は、以後は東京都庁に移された。
旧東京市35区は従来どおり議会(区会)をもつ自治体としての性格を保ちながらも東京都の直轄下の区とされ、従来東京市の吏員が任命されていた区長には官吏が任命されることとなり、東京都長官の指揮監督を通じて内務省による統制が強化された。35区は1947年(昭和22年)3月15日に東京22区に再編され、同年5月3日の地方自治法施行により同法の定める特別区となった。同年8月1日、旧練馬町ほか4村の区域が板橋区から分離して練馬区となって東京23区となり、現在に至っている。東京都章及び東京都旗は旧東京市章を継承したものである。ただし、現在では1989年(平成元年)に制定されたTの字を図案化したシンボルマークの方がよく使われる。「都民の日」に当たる10月1日は、一般市制による東京市発足の日に因んでいる。東京都知事は、日本の首都とされる東京都の首長である。東京都は第二次世界大戦中の1943年に行政の効率化を図るために東京府と東京市の統合によって設置され、現在も市町村の事務の一部を管掌している。
東京都は千代田区を管轄に含んでおり、なおかつその立場から日本の首都であるとされる。そのため地方自治体の首長の中でも注目度が高く、知事選挙の時も特に注目される。かつては、東京都制(1943年~1947年)による東京都の首長は官選の東京都長官(親任官)であり、閣議に出席することもできた。現在でもその名残があり、知事の給与は国務大臣とほぼ同額である(ただし石原慎太郎の知事就任時から10%カット中)。東京府は大阪府、京都府と同格であったが東京都はカナダの旧自治領であるトロント・ドミニオン(Toronto Dominion)に倣って制定され、地方自治法上は他の県と同格でありつつも制度の運用面において特別な扱いを講じた自治体である。首府の東京市の行政区は東京都の発足とともに東京都の行政区となるが、1947年に22区、さらに23区に再編され、同年の地方自治法の施行により特別地方公共団体である東京特別区(通称:"東京23区")となった。これにより制度上は東京という名称で一体として統治される都市は消滅し、都市としての自治権は各区へ移管・委譲されたことになる。
現在の東京都はそのような歴史的経緯から、“東京県”としての性質と自治的都市の連合体としての性質を併せ持ち、旧神奈川県域である東京都下にはユニークな市町村が多い。中でも随一の繁華街吉祥寺を擁する武蔵野市や、都市公団(旧:住宅都市整備公団)による郊外住宅街開発により成立した多摩ニュータウンの中心である多摩市、八王子市などは全国的にみても優良な自治体である。最近の東京都知事は鈴木俊一(無所属)、青島幸男(無所属)、石原慎太郎(無所属)で、1991年以降政党の推薦を受けた知事は誕生していない。東京都の自治体としての性質から、他の道府県知事に比較すると、パフォーマンス能力にも長けた人選がなされる傾向もみられる。また、公選になって以降は「東京の顔」にふさわしい人物が東京都知事に就任していると評されている。東京都は東京府と東京市が合わさって成立したため、旧東京市地域を管轄する地方自治体として公的に位置づけられる性格もあり、オリンピックの招致活動などでは東京都知事が東京の市長として扱われる。
これはロンドン(グレーター・ロンドン)と似た構造となっている。これは前述の東京都区部と同じ範囲である。東京都は、府県制時代の東京府の性格も有している。したがって、東京都は日本の47都道府県のひとつでもある。東京府の行政区域を受け継いだため、多摩地域や伊豆諸島・小笠原諸島までの広大な海域・島嶼も含まれる。府県制から都制へ移行した1943年(昭和18年)まで、東京府には東京市・八王子市・立川市の3市があったが、都制施行と共に東京市が23区へ解体されたため、東京都下の市は八王子市と立川市の2市に減った。その後、新憲法施行に伴い地方自治法が施行され、東京都三多摩地区には2市以外にも多くの市が誕生した。東京圏は、東京都区部を中心とする都市圏である。法令上は、東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県及び茨城県の都県域のうち、東京都区部及びこれと社会的経済的に一体である「多極分散型国土形成促進法施行令」第6条で定める広域をいう。
ここでは様々な法令が引用されているため難解であるが、まとめると次の区域となる。一般的には、東京都心から50kmから70km程度の圏内を首都圏とみなす定義、あるいは、利根川以南の島嶼部を除く南関東1都3県(東京都・埼玉県・神奈川県・千葉県)を首都圏とみなす定義が多く見られる。近年は新幹線などの交通網の発達により首都圏の範囲は広がっているととらえて、北関東や甲信越地方、静岡県、福島県浜通り・中通りなどを含める論議もある。ただし定義によっては、市街地の連続性や交通網の発達度などの要素が見落とされていたり、科学的かつ厳密なものとは言い切れない場合もある。