2011年2月3日木曜日

浜松市の近過去では

1948年 - 浜松市営球場が完成。
1948年 - 浜松事件が勃発。小野組と在日朝鮮人の戦闘で、死者数人・負傷者300人を出した。
1949年 - 浜名郡可美村の一部、入野村の一部を編入。
1949年 - 東海道本線浜松駅・静岡駅間が電化。
1950年 - 浜松こども博覧会が現在の浜松城公園で開催、その後、市営動物園として開園、市営元城プールが完成。
1950年 - 市立図書館が松城町16番地に移転開館。
1951年 - 浜名郡新津村、五島村、河輪村を編入。
1952年 - 警察予備隊が保安隊へ・浜松に航空基地を配置。
1952年 - 市役所新庁舎が完成し、市教育委員会が発足。
1953年 - 東海道本線浜松駅・名古屋駅間が電化。
1954年 - 浜名郡笠井町、長上村、和田村、中ノ町村、芳川村、飯田村、吉野村、三方原村を編入。
1955年 - 引佐郡都田村、浜名郡神久呂村を編入。
1956年 - 浜松オートレース場が完成。
1957年 - 浜名郡湖東村の一部、入野村、積志村を編入。
1958年 - 浜松城の天守閣が再建。
1959年 - NHK浜松放送局がテレビ放送を開始。
1960年 - 浜名郡湖東村を編入。
1961年 - 浜名郡篠原村を編入。
1961年 - 浜松市民会館が完成。
1964年10月1日 - 東海道新幹線浜松駅開業。
1964年 - 遠州鉄道奥山線が廃線。
1965年 - 浜名郡庄内村を編入。
1969年 - 国道1号浜松バイパスが開通。
1970年 - 温水プール、浜松市フラワーパークが完成。
1971年 - 市制60周年。浜松市立美術館が完成。
1974年 - 国立浜松医科大学開校。
1978年 - 浜松商業高校野球部、春の選抜高校野球大会で優勝。
1979年 - 浜松市博物館が完成。
1979年 - 東海道線の高架工事が完成。
1981年 - 浜松地域テクノポリス建設構想調査地域の指定を受諾。
1982年 - 人口50万人突破。
1982年 - 浜松駅の北口広場にバスターミナルが完成。
1985年 - 浜松まつり会館が完成。
1986年3月31日 - 浜松市営バスが廃止。
1988年 - 浜松文芸館、浜松復興記念館、クリエート浜松が開館。
1988年 - 常葉学園浜松大学(現・浜松大学)開学。 ▼平成
1989年4月1日 - 静岡県浜松総合庁舎が完成。
1990年5月1日 - 浜松アリーナが完成。
1991年5月1日 - 浜名郡可美村を編入。
1991年4月1日 - 第一回浜松国際ピアノコンクールが開催。
1994年5月1日 - アクトシティ浜松が完成。
1995年10月1日 - 浜松市楽器博物館が完成。
1996年4月1日 - 中核市へ移行。
1996年6月1日 - フルーツパーク開園。
1997年1月1日 - 浜松市内でごみの分別収集が開始
2007年7月1日 - 浜松市歌(作詩:林望、作曲:伊藤康英)を制定。
▼地区構成
中央地区・東地区
(浜松城・浜松駅北)
浜松駅に隣接した北東には、浜松のランドマークタワーともいえるアクトタワーが立ち、駅から北西は繁華街となっている。また、浜松駅北の東地区の再開発事業が近年行われており、マンションやホテルが建設されている。しかし、近年では郊外型ショッピングセンターが多く建設されているため、松菱デパートの倒産に象徴されるように、中心市街地の集約力低下が見られる。
曳馬地区・上島地区
(曳馬、上島、早出町)
中心部から近く、また遠州鉄道線沿いの曳馬・上島地区は、浜松の市内の中でも住宅街が多い地区となっている。電車やバスなど交通の利便性に優れ、マンションも建設されている。
佐鳴湖周辺
(佐鳴台、富塚町など)
広沢、蜆塚、山手町は、浜松市の中でも高級な住宅街といわれる。
高台地区
(幸・萩丘・小豆餅など)
高台地区は古くから住宅街として整備され、浜松市中心部のベットタウン的な意味合いの強い地域である。
高丘地区
浜松駅から北西へ行った東名浜松西I.C.周辺に広がる地域。航空自衛隊浜松基地の北側に位置する。特に高丘地区は都市計画に基づいて整備された地区で、ホンダ、ローランドなどの大企業の工場と新興住宅が集まっている。
東部(区内中南部)
(和田、市野、中田など)
国道1号沿いにある和田自動車街と、笠井街道を中心として発展してきた地域。天竜川駅がある。近年、紡績工場を中心に撤退や廃業が相次ぎ、その跡地には浜松プラザやイオン浜松市野ショッピングセンターが開業しており、商業集積地となっている。
浜名湖周辺(区内中心部)
(志都呂、雄踏など)
かつての長閑な養鰻場が広がる風景が一変、2004年の浜名湖花博に伴う雄踏街道や県道浜松環状線などの大規模な道路の整備により、モータリゼーションが進んでいる。イオンモール浜松志都呂をはじめとして、郊外型ショッピングセンターが多く進出している。
南東部(北浜地区の南側)
(貴布祢、沼、小松、美薗{みその}、横須賀など)
遠州鉄道西鹿島線沿いの旧浜北市中心街。遠州鉄道浜北駅周辺には、なゆた・浜北や浜松市浜北文化センター、浜北区役所などの公共施設の他に、飲食店や商店、住宅が多い。
南西部(浜名地区)
(内野、内野台、平口など)
豊かな田園地帯と三方原台地の自然で構成されていた地域だが、1960年代に新興住宅地として内野台が開発され、2000年に入ると内野、平口地区をまたぐ形で浜松環状線から県道細江浜北線までの地域が染地台として整備された。また、平口地区に浜松市立浜北総合体育館が設置され、西友浜北店を核とするサンストリート浜北が開業した。
▼工業
浜松市は工業都市として有名であり、製造品出荷額は2兆円を超える。浜松の工業の大半は小規模工場で、その多くは繊維、楽器、自動車・オートバイに関連する大企業の下請け工場である。近年、ホンダやスズキなどの工場再編計画で下請け企業にとって厳しい状況である。一時の全国的な景気の悪化から脱却し、好調な輸送機械産業とともに浜松の工業は再び上昇傾向にある。また工場の海外進出に伴う空洞化傾向も一息ついた感がある。しかしながら国内に残る工場は、価格競争力維持のために、外国人労働者に頼らざるを得ない現状がある。
▼工業の歴史
繊維産業
浜松は江戸時代から綿織物の産地として栄え、明治時代には現在の笠井を中心として綿織物の大生産地となった。

楽器工業
明治後半に山葉寅楠がオルガンを製作したことから始まった楽器工業は、昭和に入ってヤマハと河合楽器の二大メーカーとなり、1960年代の高度経済成長とともに浜松の楽器産業は飛躍的に発展し世界的な楽器の生産地となった。
輸送機器
戦後に本田宗一郎が、不要になった軍用無線機の発電用エンジンを改良して自転車に取り付けたことから浜松のオートバイ産業は始まった。一時は40社に達するほどであったが、現在は大手3社だけが生産を行っている。
▼主要産業
楽器
浜松は「日本の楽都」と呼ばれるほど、楽器産業が盛んな都市である。特にピアノは全国シェアの100%を占める独占産業である。市内には、首位のヤマハや河合楽器製作所、2005年からはローランドの本社もあるので日本の三大楽器メーカーが浜松に存在することになる。ピアノの他にも浜松では、電子オルガンや電子ピアノ、シンセサイザーや管楽器、ギターなど、さまざまな楽器の生産が行われている。メロディオン、ピアニカ、ハーモニカなどの生産も多い。
輸送機器
本田技研工業創業の地で、現在もオートバイ(中型・大型二輪車)の主要工場があるが、2009年内に二輪車の生産を熊本工場に集約することが発表された。また、スズキの本社工場もあるがエンジンの生産のみで、完成車は生産していない。浜松のヤマハ(厳密には隣の磐田市)、スズキ、ホンダの3社が、日本はおろか世界のオートバイ産業をリードしているといっても過言ではない。現在の浜松のオートバイ産業は、全国の60%以上を占めている。さらに軽自動車は、1955年に日本で初めて浜松地域で製造されて以来、全国の30%以上を生産している(実際には湖西市で生産されている)。小型四輪自動車も、浜松は全国有数の生産地域となっている(実際は湖西市と磐田市)。

繊維産業
浜松には多くの繊維工場が存在し、特に浴衣の生産では全国有数の生産地域となっている。

光電子技術産業
浜松高等工業学校(現静岡大学工学部)助教授(後に教授)の高柳健次郎が、テレビジョンを発明した。高柳の教え子らが創業した浜松ホトニクスの本社と主要工場がある。