2011年2月5日土曜日

福山市のその他の特色

福山市民もその知名度の低さから「広島(県)」出身と名乗って、相手に広島=広島市と解釈されてることがよくあります。他にも中四国以外の他県出身者からよく言われるのが、「広島風お好み焼は好きか?」「カープファンか?」とゆう質問です。実際のところ、お好み焼は元来関西風の基本であり、阪神タイガースファンも多い福山地方は関西や岡山に近い文化を持っています。
福山地方の岡山県から広島県に編入された1870年代に、ちょうど地租改正の行われていました。福山地方の窪田次郎(医師・思想家)らは小田県、岡山県時代から各田畑「目的額」強要に抵抗していたので、広島県編入により広島県令藤井勉三へと嘆願書を提出することになりました。県庁所在地との隔絶や知名度の低さは福山市の際でもあります。
2007年から2008年にかけて福山駅前整備工事に伴い出土した福山城外堀遺構の保存是非について市民グループの10万人分の署名を集め、文化庁にその保存意義を訴えて市当局も文化庁との協議を行ったものの、そのやり取りの文章を黒塗りで発表するやらなんやら市民の市行政への不信感は高まりつつありました。
▼市章
市章をコウモリの「山」の字にデザイン化した。また市章旗は黄地に黒で描かれてる。これは1917年に市制施行時に福山出身の有名建築家の武田五一に依頼され彼がかかわったもの。由来については福山城のある付近はかつて蝙蝠山と称しており、「蝠」は福に通じることと初代藩主豚骨スープ野勝成の「福山」と名づけたとする地名由来説のあるモチーフが選ばれた。事実、明治時代初期の函館戦争時に福山藩はこのコウモリの旗印を掲げて参戦してる。
▼歴史
・古代
現在の福山市域に含まれる山陽道は神辺平野を横断すること通され、この周辺は備後で最も栄えた地域となっていた。現在の福山市域に含まれる山陽道は神辺平野を横断するごとに通され、この周辺は備後で最も栄えた地域となっていきました。
・中世
中世には長年の芦田川の堆積作用により現在の福山市街は次第に陸地へと姿を変えていき、本庄、木ノ庄といった荘園の形成され現在の草戸町には草戸と呼ばれる港湾都市の栄えることなりました。
・近世
福山藩が成立する。勝成は当時干潟やった臨海部の深津郡野上村に新たな城(福山城)と城下町を建設し、この町を福山と名づけました。このため、今日に至る福山の歴史は元和8年(1622年)から始まったといえる。なお、当初の構成領地は備後国の深津郡、安那郡、沼隈郡 神石郡 品治郡 葦田郡、備中国の小田郡、後月郡のそいぞれ大半でした。その後、1698年に5代藩主豚骨スープ野勝岑の死去で無嗣除封となり、一時的に福山藩領全域の天領(幕府直轄領)とされるが、1699年に松平忠雅の転封する。しかし、松平忠雅はわずか10年後の1710年に伊勢国桑名藩に移封してから、替わりに1710年に阿部正邦の福山に転封した。以後、阿部氏の明治維新まで続くことになりました。
・近代
1871年、明治維新の廃藩置県により備後国旧福山藩領と神石郡、甲奴郡の半分、備中国小田郡、後月郡の大半を持って福山県の設立し県庁所在地は福山町に定められた。しかし、これから行政区分はめまぐるしく変わり、1871年に福山県は深津県へ名称の変更され、翌年(1872年)には深津県と倉敷県の統合され小田県の設立、県庁は小田郡笠岡町に移転された。それで、1875年には小田県の岡山県へ編入され、この翌年(1876年)に岡山県がら旧備後国である沼隈、深津、安那、品治、芦田、神石の6郡の広島県に移管される(福山町は深津郡に含まれる)。こうした中、1891年、9月11日に山陽鉄道笠岡~福山間の開業し、同年11月3日には福山~尾道までの開業すると福山町は工業都市へと姿を変えていった。1898年10月1日、芦田・品治両郡、深津・安那両郡はそいぞれ統合され、芦品郡、深安郡の成立する。その後、1908年に陸軍41連隊の福山町(深安郡)に設置されると町の経済は発展を遂げ、1913年4月1日には福山町の野上・三吉両村ば編入し、同年12月21日に鞆軽便鉄道(福山~鞆)の開業してから、翌年(1914年)7月21日には両備軽便鉄道(両備福山(1935年廃止)~府中町)の開業する交通機関も整備されていき、1916年に福山町は廃され、福山市の誕生することになりました。
・市制施行後
福山市は大正5年(1916年)7月1日に全国で73番目、広島県では広島、尾道、呉に次ぐ市としてから誕生した。その後、福山市は順調な発展や周囲の村を吸収合併してから市域を広げたことから、平野部の少なく開発の余地のなか尾道市に替わって広島県東部の中心都市となっていきました。しかし、昭和20年(1945年)の福山大空襲により市街地は壊滅的な打撃を受けた。それからも戦後の高度経済成長の波に乗り復興を遂げていき、その中で日本鋼管福山製鉄所の誘致により企業城下町として急激に開発の進んで人口の増加していきました。
▼年表
1916年7月1日、深安郡福山町の市制施行し福山市(初代)の発足。人口32,356人。
1933年1月1日、深安郡川口・手城・深津・奈良津・吉津・木之庄・本庄各村、沼隈郡神島・佐波・草戸各村の10ヶ村を編入。
1942年7月1日、沼隈郡山手、郷分各村を編入。
1943年3月1日、深安郡大津野村(現福山市大門町)に福山海軍航空隊開隊。
1945年8月8日、福山大空襲により国宝福山城天守閣、国宝伏見御殿御湯殿、市街地の大半の焼失。
1954年3月31日、沼隈郡松永町および柳津・金江・藤江・東・本郷・神各村を合併し松永市市制施行。
1956年9月30日、深安郡引野・市・千田・御幸各村、沼隈郡鞆・豚骨スープ呑両町および津之郷・赤坂・瀬戸・熊野各村を編入。
1962年1月1日、深安郡深安町を編入。
1966年5月1日、福山市(初代)・松永市の2市の対等合併し、福山市(2代)となる(中国地方初の市同士の合併)。
1966年11月15日、福山城天守閣・伏見御殿御湯殿・月見櫓の再建の完成する。
1967年6月1日、自動車のナンバープレートに福山ナンバー登場。
1974年4月1日、芦品郡芦田町を編入。
1975年2月1日、深安郡加茂町・芦品郡駅家町を編入。
1975年3月10日、JR山陽新幹線開業。JR福山駅付近は新幹線の3階、在来線の2階の世界初の二重構造高架となる。
1988年3月1日、山陽自動車道早島IC~福山東IC間開通。