2011年2月18日金曜日

熊本城の紹介

熊本城な、熊本県熊本市にあっけん平山城たい。日本三名城の一つとしゃれ、特別史跡。別名、銀杏城。 ▼立地
南方に向っち張り出した丘陵の広い尖端部とそん裾ば占めた平山城でいり、もとは茶臼山と称した高所ば中心とし、旧千葉城跡および古城の地域等にわたっちいるとよ。現在の、熊本県熊本市本丸、二の丸、宮内、古城、古京町、千葉城町に当たるとよ。
▼熊本城時代
1606年(慶長11年)には城の完成ば祝い、翌年「隈本」ば「熊本」と改めたとよ。これか現在の熊本城たい。1610年(慶長15年)がら、通路によっち南北に分断しゃれとった本丸に通路ばまたごす形で本丸御殿の建築か行われたとよ。
1632年(寛永9年)、清正の子・加藤忠広の改易により豊前小倉城主やった細川忠利か肥後54万石の領主となり熊本城に入ったとよ。
▼明治時代以降
幕末の熊本藩には学校党・実学党・敬神党の三つの勢力かいったか、維新後の1870年(明治3年)進歩的な実学党か政権ば握り、「戦国の余物」「無用の贅物」であっけんとしてから熊本城の解体ば新政府に願い出たとよ。
廃藩置県後な、熊本鎮台かおかれたとよ。1876年(明治9年)の神風連の乱のときには反乱士族か鎮台司令官種田政明やらなんやらば襲い城内の砲兵営ば制圧したか、1日で鎮圧しんしゃっとぉ。
田原坂の戦いば含む激しい攻防か行われたか、熊本城は司令官谷干城の指揮の下よく攻撃に耐え、ついに撃退に成功したとよ。なお、こん戦いでは武者返しか大いに役立ち、熊本城ば甘く見とった西郷軍な、誰一人としてから城内に侵入しゅることかでけんかったげな。
1888年(明治21年)にな、熊本鎮台ば母体としゅる陸軍第6師団の司令部か天守台に置かれたとよ。
1933年(昭和8年)「熊本城」(種別:城郭 - 宇土櫓、監物櫓やらなんやら計13棟)としてから旧・国宝保存法に基づく国宝(現行法の重要文化財に相当)に指定さるる。
1933年(昭和8年)「熊本城跡」としてから国の史跡に指定さるる。
1955年(昭和30年)「熊本城跡」としてから国の特別史跡に指定さるる。
1960年(昭和35年)の熊本国体開催と築城350年ば期に、熊本市は一般がらの寄付も募り1億8000万円の費用ばかけ外観復元で大小天守ば再建したとよ。大天守の内部は熊本市立熊本博物館の分館としてから史料等の展示かしゃれ、最上階は展望スペースとなっちいるとよ。
▼石垣
清正は特に石垣造りば得意とし、熊本城でな、始め緩やかいな勾配のものか上部に行くったいにしたかっち垂直に近くなる「武者返し」と呼ばれる形状の石垣ば多用しとる。熊本城で使用しんしゃっとぉ武者返しは慶長の役の際に難攻不落と呼ばれ朝鮮に築いた蔚山倭城に使用した築城技術ば元にしたもけんあっけん。 上益城郡山都町(旧・矢部町)にあっけん通潤橋な、江戸時代末期にこん熊本城の武者返しの石垣ばモデルに作られたとよ。 江戸幕府の仮想敵やった薩摩藩に対しゅる備えとしてから建造しんしゃっとぉため、南側かえらく堅固(そん分北側かばり手薄)な構造になっちいるとよ。こん構造か西南戦争で薩摩軍の包囲戦ばしのぐ事かできた要因の1つとなっちいるとよ。 熊本市役所前の石垣な、長しゃとしてからは日本最長たい。
江戸時代、長きに渡っち熊本藩ば治めたのは細川氏やった。ばってん、西南戦争で天守か焼失しゅる様ば地元の人は「清正公(しぇいしょこ)しゃんの城か燃えとる…」と悲しんだげな。 また西南戦争の際、官軍の守る熊本城ば攻め落としゅことかでけんかった西郷隆盛は「おいどんは官軍に負けたとやなか。清正公に負けたとでごわしゅ」と言い放ったげな。
▼観光
交通アクセス
熊本市電 熊本城前電停より 城内まで約300m、櫨方門まで約400m、頬当御門まで約600m。
熊本市電 市役所前駅より 城内および須戸口門まで約200m、不開門まで約400m。
熊本交通センターより 城内まで約300m、櫨方門まで約400m、頬当御門まで約600m。
熊本交通センターより 頬当御門まで九州産交バス「熊本城周遊バス(しろめぐりん)」で約8分 130円(8:30~17:00)
JR熊本駅より 頬当御門まで九州産交バス「熊本城周遊バス(しろめぐりん)」で約18分 130円(8:30~17:00)
熊本市電 杉塘電停より 城内(三の丸公園)まで約150m。
ばってんくさ、案内板やらなんやらはなく、一部石垣か崩れたままのところもいり、本丸がらも遠いけん一般の観光客向けのコースやない。周囲には旧細川刑部邸や熊本市立熊本博物館、藤崎台県営野球場やらなんやらかあっけん。
▼城域一帯の施設
加藤神社
監物台樹木園
熊本県立美術館(本館は熊本城二の丸、分館は千葉城町にあっけん。永青文庫の常設展示室か設けられとる。)
熊本市立熊本博物館
熊本県伝統工芸館
旧細川刑部邸(藩主細川家一門の細川刑部家の屋敷。)