浜松は、天竜川の西、浜名湖の東に位置する都市。またその市街地を中心とする地域。もともと濱津に由来し、中世には濱松と呼ばれるようになった。この地域以外にも東京都港区をはじめ日本各地に浜松という地名や人名が存在する。 ▼概要
浜松市街地
浜松城の城下町を中心とした、浜松市の市街地。浜松駅から北西は、企業や商業施設が密集する古くからの繁華街である。浜松駅に隣接した北東には、浜松のランドマークである超高層ビルのアクトタワーがある。
浜松市
静岡県西部に位置する市。100万人規模の浜松都市圏の中心市であり、政令指定都市である。楽器生産やオートバイ生産などが盛んな工業都市で、特にピアノの生産は全国シェアの100%を占める。
その他の「浜松」
浜松駅 - JR東海の東海道新幹線、東海道本線の駅。県内では静岡駅の次に利用者が多い。隣接の遠州鉄道も利用できる。
浜松宿 - 東海道五十三次のひとつで、駿遠両国を通じて最大の宿場だった。現在の浜松市街地にあたる。
自動車のナンバープレートに表記される国土交通省運輸局記号。静岡県浜松市東区に所在する「中部運輸局静岡運輸支局浜松自動車検査登録事務所」を示す。エリアは、浜松市、御前崎市、菊川市、掛川市、袋井市、磐田市、湖西市、周智郡、浜名郡。
東京都港区の浜松町については、土地いったいの名主が遠州浜松出身であったため名付けられた。 北海道根室市、北海道二海郡八雲町、青森県つがる市木造菰槌、青森県つがる市木造蓮川、愛知県豊田市大平町、愛知県豊田市大沼町にも浜松という地名が存在する。
■■浜松城■■
浜松城(はままつじょう)は静岡県浜松市中区にある城。野面積みの石垣で有名。「出世城」という別名がある。
▼歴史
浜松城(武家時代の名称は濱松城・一般的には新字体が用いられる。)は、前身は曳馬城(引馬城)と呼ばれる。築城者については諸説あるが、瀬名姫の先祖である今川貞相が初めて築城したという。
▼家康時代
元亀元年(1570年)に家康は、武田信玄の侵攻に備える為、本拠地を岡崎城から浜松城へ移した。岡崎城は嫡男・信康に譲られた。当初は、天竜川を渡った見付(磐田市)に新たに築城をするつもりであったが、籠城戦に持ち込まれた際、天竜川の存在そのものが「背水の陣」となることから、曳馬城を西南方向に拡張した。曳馬という名称は「馬を引く」、つまり敗北につながり縁起が悪いため、かつて「浜松荘」と呼ばれる荘園であったことから、城名・地名ともども「浜松」と改めた。挑発された家康は浜松城から打って出たが、当時、戦国時代最強ともいわれた武田軍の巧妙な反撃に遭って大敗北を喫している。家康は浜松城から駿府城に本拠を移した。
▼家康以後
浜松城は明治維新後に廃城となり破壊された。城址は1950年に「浜松城公園」となり、1958年に鉄筋コンクリート製の昭和の模擬天守閣が再建された。1959年には浜松市の史跡として指定された。
▼出世城
出世城」という呼び名に関しては、一般的には数々の浜松城主が幕府の重役に出世した例が多く、このことから出世城とも呼ばれたとされる。一方で井上正甫のように不祥事を起こし左遷された例もある。忠邦を浜松へ移した。忠邦は寺社奉行に出世し、更に文政11年(1828年)には老中となった。浜松は水野忠精に代わって井上正甫の長男・正春が治めることになった。
▼交通
JR浜松駅より徒歩約20分
JR浜松駅より遠鉄バスで浜松市役所前下車。乗車約10分 + 徒歩約5分
■■浜松市■■
浜松市(はままつし)は、静岡県西部にある都市。2007年4月1日に政令指定都市となった。古くから遠江の代表都市であり、戦国時代には城下町、江戸時代には宿場町として栄えた。また、浜松県の県庁所在地でもあった。
▼地名の由来
古代にあった浜名湖東岸の浜津郷から。また、中世に浜松と呼称されるようになったことが、史書にもある。引馬(ひくま)という地名も浜松を指していた。徳川家康が浜松城を本拠として引馬(曳馬)を浜松と改めたことで、以後、浜松として定着する。
▼遠過去
1551年 - 日吉丸(後の豊臣秀吉)が頭陀寺城主松下嘉兵衛に仕える。
1570年 - 徳川家康が浜松城に入る。
1572年 - 武田信玄が遠江国に侵入し、三方原の合戦で家康の軍を破る。
1579年 - 浜松城が修築される。
1586年 - 徳川家康が浜松城から駿府城に移る。
1590年 - 堀尾吉晴が浜松城に入る。
1601年 - 堀尾義晴が浜松城から松江城に移る。
1601年 - 徳川家康家臣伊奈忠次が須倍神社に社領七石を黒印を以て寄進
1603年 - 浜松藩の城下町、浜松宿の宿場町となる。
1604年 - 東海道に一里塚が置かれる。
1648年 - 徳川家光が都田須倍神社へ家康寄進の社領を朱印に改めて寄進。
1657年 - 馬込川の土橋が板橋に改められる。
1703年 - 浜松町奉行が浜松宿勢を調査する。総戸数1,386戸、人口4,336人。
1707年 - 東海地震(宝永地震)があり、今切渡船による交通が途絶えた。
1817年 - 水野忠邦が浜松藩主となる。
1846年 - 浜松藩校克明館が建てられる。
1854年 - 東海地震(安政大地震)により被災。
1869年 - 浜松奉行所が開設される。
1871年12月 - 廃藩置県により、浜松県の県庁所在地となった。
1872年 - 浜松県裁判所が設置される。
1873年 - 第一番小学校(現在の元城小学校)が開校する。
1873年 - 浜松城が廃城になる。
1876年8月21日 - 浜松県が廃止され、静岡県と合併した。支庁が置かれる。
1882年 - 浜松に測候所が開設する。
1887年 - 日本楽器製造(現在のヤマハ)の創立者、山葉寅楠が初めてオルガンを製造する。
1889年2月1日 - 東海道本線浜松駅開業。
1889年4月1日 - 町制施行。敷知郡浜松町が成立した(当時の人口13,630人)。
1894年 - 浜松中学校開校(のち旧制浜松一中、現在の静岡県立浜松北高等学校)。
1896年 - 敷知郡が浜名郡に編入し、浜名郡浜松町となった。
1900年 - 日本楽器製造でピアノの製造を開始する。
1901年 - 浜松高等女学校開校。
1904年 - 浜名郡白脇村の一部を編入。
1906年 - 静岡工業試験場浜松分場が設立された。
1907年 - 歩兵第六十七連隊が浜松に設置される。
1908年 - 浜名郡浅場村の一部を編入。
1908年 - 電話が開通する。
1909年 - 浜松・二俣(旧天竜市、現天竜区二俣町)間に軽便鉄道が開通する。
1909年 - 鉄道院(旧国鉄)工場誘致の運動が起こる。
1910年 - 浜松ガス会社が設立された。
1911年7月1日 - 市制施行により浜松市となる(当時の人口36,782人)。
1912年 - 浜名郡富塚村の一部を編入。
1912年 - 鉄道院浜松工場(現東海旅客鉄道浜松工場)操業開始。
1914年 - 浜松~金指(旧引佐町、現北区引佐町)間に軽便鉄道が開通する。
1915年 - 浜松師範学校、浜松工業学校が開校する。
1915年 - 浜松市立病院が開院する。
1916年 - 浜名郡曳馬村の一部、天神町村の一部を編入。
1918年 - 米価などの高騰により、浜松で米騒動が起こる。
1920年 - 遠州地方の織物業が不況により、2ヶ月の総休業を行う。
1920年 - 市立図書館が紺屋町97番地に開館する。
1921年 - 浜名郡天神町村を編入。
1925年 - 歩兵第六十七連隊が廃止される。
1926年 - 陸軍飛行第七連隊(現航空自衛隊浜松基地)が置かれる。軍需産業が盛んになる。
1926年 - 日本楽器製造でストライキが起きる。
1926年 - 市会議員の選挙が行われる。
1926年 - 松城幼稚園が開園。
1928年 - 高射砲第一連隊が浜松に設置される。
1930年 - 昭和天皇の行幸が行われる。
1931年 - 上水道が完成し通水式が行われる。
1931年 - 全国産業博覧会が開催される。
1933年 - 浜松陸軍飛行学校が開校する。
1936年 - 浜名郡曳馬町、富塚村を編入。
1936年 - 浜松市営バスが運行を開始する。
1939年 - 浜名郡白脇村、蒲村を編入。
1939年 - 浜松保健所が設立される。
1942年 - 戦時体制下で、金属資源の回収が始まる。塩や衣料などの配給制度が実施される。
1944年12月7日 - 東南海地震が起こり、大きな被害を受ける。
1945年 - 6月の浜松空襲や、その前後の艦砲射撃により、市街地の大半を焼失する。