ごく短期間ながら定期急行が2度設定されていた。また臨時特急は線内は京成津田沼と千葉中央以外は無停車であった。1921年(大正10年)に本線の船橋 - 津田沼間と同時に津田沼 - 千葉間が開業した。これは本線の津田沼 - 成田間よりも優先され早い開業となった(京成津田沼駅から京成本線が当線下をくぐり、大きく内陸方へカーブする形で分岐しているのはそのためである)。千葉線は県都である千葉への輸送、東京湾岸への観光客の輸送を目的として設置された。当時の千葉線はみどり台駅の開業時の駅名「浜海岸駅」、西登戸駅の開業時の駅名「千葉海岸駅」が示すとおり現在よりも遥かに海に近く(おおよそ現在の国道14号線が昭和30年代ごろまでの海岸線であると考えて相違ない)、海水浴客や、潮干狩りを楽しむ行楽客でにぎわった。また住環境が良かったため、京成稲毛駅や西登戸駅周辺は別荘地としても賑わいを見せた。1935年(昭和10年)に省線(国鉄)の千葉駅までの電化が完成する前までは、千葉線の方が圧倒的優位に立っていた。
1970年代以降、旧国鉄の「通勤五方面作戦」の一環としての、1972年(昭和47年)の東京駅と津田沼駅を結ぶ総武快速線開通(中央・総武緩行線と合わせ、総武線が津田沼まで複々線化)や1981年(昭和56年)の複々線区間の千葉駅までの延長、さらに1990年には海側に建設された新規路線である京葉線が東京駅まで開通したことで、京成千葉線は東京駅と千葉市を結ぶJRの両路線に挟まれた形となり、千葉線は都心アクセスの上で不利な状況となり、本線直通列車の本数も大幅に削減された。2006年(平成18年)からは松戸・鎌ケ谷方面へのアクセス強化を図るため、1955年(昭和30年)に約4か月ほど実施されただけであった新京成線との直通運転を再開する。新京成車両による片乗り入れで、千原線への直通運転は行わないものの、千葉への新たなアクセスルートが確立した。千葉弁、または房総弁は千葉県で話されている日本語の方言である。房総地域は西関東方言と東関東方言の移行地域であり、北西部では江戸言葉の影響を強く受けているなど、隣接地域と区別されるような特徴はほとんどなく、千葉県で話されている諸方言をまとめて指すときの便宜的な用法という面が強い。
千葉県の方言は文法も音韻も西関東方言と東関東方言の中間地帯である。地域ごとに差異も大きく、隣接する他方言と連続している。北西部の東京通勤圏では首都圏方言が広がって伝統的な方言は姿を消している。千葉弁は西関東方言とされることが多いが、実際は両者の中間地帯であり、東関東方言の影響の方が強い地域もある。千葉県で話されている方言は、茨城弁と連続する野田弁(埼玉県東部で話される葛飾方言に含まれることもある)、房総半島で話されている房州弁、房州弁と茨城弁の中間的な東総弁などがあり、方言の地域的なまとまりは薄い。銚子や浦安などの漁師町では、漁師たちが西日本から移住してきたため、方言に西日本方言の影響があった。アクセントは野田市付近が特殊アクセント~無アクセント、北東部と南部はは中輪東京式アクセント、中部は中輪東京式アクセントの変種である。北部ではイ段・ウ段の中舌母音、イとエの統合、カ行・タ行の濁音化等東北方言的特徴が見られる。
概ね西関東方言と共通するが、東関東方言(茨城弁)に共通する要素も多い。例えば推量は北西部を除き「だんべぇ」ではなく「だっぺ」や「だべ」を用いるほか、北東部では方向を表す「~へ」に「~さ」を用いることがあるなど東北方言~東関東方言と共通する。千葉市動物公園は、千葉県千葉市若葉区源町280番地にある動物公園である。遊園地の「ドリームワールド」を併設する。千葉市都市局公園緑地部が運営する。開園当初から、世界の霊長類の飼育、特に絶滅が危惧される希少種の繁殖に力を入れ、また、猛獣を避け、小動物・草食動物・鳥類などの動物を飼育する傾向にある。レッサーパンダの風太(後述)を飼育する。2006年放送のテレビドラマ『僕の歩く道』(関西テレビ)でロケに使われた。千葉市昭和の森公園は、千葉県千葉市緑区にある総合公園である。約100haの敷地は千葉市内の公園としては最大の規模で、ユースホステル、キャンプ場、野球場、テニスコート、サイクリングコース、ウォーキングコース、遊び場、自然公園などの施設がある。
公園の一部は県立九十九里自然公園に指定されている。日本の都市公園100選に選定されている。千葉県立富津公園は、千葉県富津市の富津岬内にある千葉県立公園。富津岬の先端部に位置する「明治百年記念展望塔」は、関東の富士見百景やちば眺望百景に選ばれており、「中の島公園展望塔」は、ヘリテージング100選に選ばれている。園内には東京湾要塞を構成した富津元洲堡塁砲台の遺構が残っている。かつては沖にある第一海堡まで干潮の時、陸続きとなった。千葉県野球場は、千葉県千葉市稲毛区天台町の千葉県総合スポーツセンター内にある野球場。所在地から県営天台球場という通称でも呼ばれる。施設は千葉県が所有し、千葉県体育協会・まちづくり公社グループが指定管理者として運営管理を行っている。1968年7月完成。1973年に千葉県で開催された第28回国民体育大会(千葉若潮国体)に合わせて整備された総合スポーツセンター内にある。1990年代中盤まで、夏の甲子園千葉県大会のメインスタジアムとして使用されたが、その後千葉マリンスタジアム(2011年3月より「QVCマリンフィールド」)で準々決勝以上の試合を行うようになった他、現在では開会式も同球場で行われており、県内の中心的な役割の野球場は既に千葉マリンスタジアムに譲った格好になっている。
但し千葉マリンスタジアムの開催日程はあくまでも千葉ロッテマリーンズの公式戦が中心となっており、夏の大会は例年準々決勝まで当球場を中心に開催されている。また社会人野球でも千葉県予選や南関東地区予選で多用されている他、千葉県大学野球連盟の公式戦も年間数試合程度であるが使用されている。かつてはプロ野球でも使用され、毎年3月にヤクルトスワローズなどがオープン戦を開催していたが千葉マリンスタジアムの開場以降、プロ野球の試合は専ら同球場での開催となっている。ロッテは1972年オフに当時本拠地だった東京スタジアムが閉鎖され、翌1973年から暫定的に県営宮城球場(現・日本製紙クリネックススタジアム宮城)を本拠地とした後、再び首都圏を本拠地とすることを画策した際に当球場を候補に挙げていた。また、1978年に川崎球場に落ち着いてからも同球場の老朽化や設備不備を理由に関東近県に本拠地を移転する事を画策し、この際にも当球場が候補に挙がった。
しかし当球場は夜間照明設備が無いことや収容人員が30,000人に満たないこと、更に当時はまだモノレールも未開通でアクセス条件に難があるなど問題点が多く、いずれも実現には至らなかった。しかし1990年、千葉市が海浜幕張地区に千葉マリンスタジアムを完成させたことで、ロッテの千葉市への本拠地誘致が実現する運びとなった。 1983年には第12回日米大学野球選手権大会の7試合のうち1試合が当球場で開催され、その模様が大学野球としては珍しくテレビ朝日の制作により全国31局ネット(北陸放送・南海放送など、系列外の局も含む)で生中継された。2005年12月3日、NPO千葉ふれあい野球連盟が主催する「プロ野球選手ふれあいチャリティー野球大会」に、ロッテの選手が参加。同連盟と親交がある初芝清の引退試合となった。軟式の草野球の試合だが、初芝はロッテ選抜チームの選手兼監督として出場。三塁手の他に二塁手や中堅手、更には高校時代以来、投手としてもマウンドに上がり、野茂英雄よろしく「トルネード投法」を披露した。
この試合で初芝は9回裏二死満塁の場面でフライを打ち上げ“選手生活”に幕を下ろした。試合はロッテ選抜が敗れた。なお、ロッテは同年のポストシーズンにおいてプレーオフ、日本シリーズ、アジアシリーズと負けなしで乗り切ってアジアNo.1に輝いただけに、初芝は“連勝を止めてしまった”ことに触れて「いい厄払いになったと思います」と話し、場内の笑いを誘った。
日本を歩こう。
2011年10月31日月曜日
2011年10月30日日曜日
こうしたいわゆる役人の論理とは
異なる学問の論理に基づく博物館建設は、日本の行政機構上は困難であるというのが当時の常識であったが、当時の千葉県知事が日本の生態学界や千葉県の自然保護に関して大きな力を持っていた沼田眞の実弟沼田武であったという奇貨ともいえる組み合わせにより、当時としては常識はずれのこの事業が可能になったと言われている。これにより千葉県内では「沼田記念館」などと揶揄されている。ただし、実際には沼田眞が1948年に設立し、彼自身が40年間に渡り会長を勤めて育て上げた千葉県生物学会の研究活動がこの博物館建設の前史としてあり、この学会から1965年以来千葉県当局に出されてきた自然史博物館建設の要望と、会員による研究活動、資料収集活動が四半世紀近くの地道な活動を経て結実したものであることが、この博物館の設立の根底にあることを見逃してはならない。こうした、初動体制から実績ある学界の主導的立場にある学者を権限ある館長職に迎えて統率をとらせ、先端部分で注目されている若手研究者を大量採用して実働部隊とする手法は、豊富な研究成果と活発な社会教育活動につながり、先進事例として1980年代末から1990年代前半にかけて日本の各県で建設された多くの大型県立博物館に踏襲された。
こうした例は、兵庫県立人と自然の博物館と霊長類学の河合雅雄館長、滋賀県立琵琶湖博物館と動物生態学の川那部浩哉館長の組み合わせに、その典型例を見ることができる。しかし、バブル経済の崩壊とともに千葉県の財政が極度に悪化し、また沼田眞(植物生態学・1989年-1998年)、千原光雄(海藻学・1998年-2002年)といった初期の個性的な学者館長の時代が終わったこともあり、1990年代末から運営資金の大幅な削減やそれによる業績出版活動の停止、2004年からの常設展示の有料化およびそれに伴う来館者数の大幅な落ち込みなど、大きな転換点に立たされている。総合博物館ではあるものの、常設展示は設立の前史の経緯もあり、自然史的展示の比重が大きい。ナウマンゾウや鯨の骨格標本、清澄山の照葉樹林や東京湾の干潟のジオラマ、などが目立った展示物であるが、景観生態学的観点に立った谷津田の生態系や伝統的な農村生活の展示、千葉県産の主要な昆虫の標本を収めた標本箱を壁一面にはめ込むなど、膨大な主要分類群の標本を一室に集めた生物の分類展示などにこの館の特色を見出せる。
純人文分野の展示では千葉県の通史が解説されており、重要文化財の銚子市常灯寺の木造薬師如来座像の複製など各地で現地管理されている県内主要文化財のレプリカが多く展示されている。第65回国民体育大会は2010年(平成22年)に千葉県を中心に開催された国民体育大会である。千葉県開催分の愛称はゆめ半島千葉国体であり、マスコットキャラクターはチーバくんである。2年前の2008年に開催された「チャレンジ!おおいた国体」時にも台風15号により影響が出たが、ゆめ半島千葉国体においても、開催時期が秋雨時期による影響が発生した。屋外で行われるソフトボール、ゴルフ、ボート、高校野球(硬式野球、軟式野球)の開催に影響が出た。これは、主催者の協議により「大会の競技期間の短縮(例・4日間を3日間に短縮)は可能だが、期間延長(例・3日間を4日間に延長)は原則不可とする」という取り決めがあったためである。具体的には以下の措置が取られた。ソフトボール(成年男子、成年女子、少年男子、少年女子) - 1回戦(9月26日)のみ実施、9月27日・28日は中止。
準々決勝以降を打ち切り、ベスト8に進出したチーム全てを第1位とし、1回戦シードとなっていたチームは1戦も戦わずして第1位となった。ゴルフ(成年男子団体、成年男子個人、女子団体、女子個人、少年男子団体、少年男子個人) - 9月22日のみ実施し、23日は中止。そのため全競技2日間予定のところを、22日実施の1日間だけのラウンドで結果を決めることになった。ボート(成年男子、成年女子、少年男子、少年女子) - 9月26日は台風12号の影響で全競技中止。そのため、全区分で敗者復活戦は中止された。高校野球(軟式) - 1回戦(9月26日)及び準々決勝(9月26日・29日)のみ実施、9月27日・28日は中止。準決勝、決勝を打ち切り、ベスト4に進出したチーム全てを第1位とした。なお、29日の関西高校(岡山県)対作新学院高校(栃木県)の試合は引き分けで両校ベスト4となり、結果5校が第1位となった。高校野球(硬式) - 1回戦(9月26日・29日)及び準々決勝(9月29日)のみ実施、9月27日・28日・30日は中止。2回戦の一部試合と準決勝、決勝を打ち切った。
硬式については、ベスト4が出揃わなかったため、規定により2回戦を勝利したベスト4の高校2校は第1位とはならなかった。この年は興南高校(沖縄県)が春のセンバツ・夏の甲子園を制しており、国体も制すれば3冠達成と注目された大会でもあったが、天候に泣いた形となった。なお、高校野球については、公開競技であるため、天皇杯・皇后杯得点への影響は無かった。千葉県立図書館は、千葉県が運営する公共図書館である。千葉県内に3施設ある。2010年に千葉大学附属図書館と相互協力協定を締結し、同図書館の資料も利用可能となっている。隣接地域の公共図書館に比較し休館日が多いので(年間84日)、利用する際には開館日を確認する必要がある(参考:都立図書館の年間休館日は30日)。千葉県警察は。千葉県公安委員会の管理の下、千葉県が設置した警察行政機関。千葉県警と略称し、給与支払者は千葉県知事である。関東管区警察局管内。県庁に近接する千葉市中央区長洲1丁目9番1号に位置する。
旧本部庁舎老朽化に伴い、2009年6月1日に、隣接する旧千葉県庁南庁舎跡地に新築された庁舎に移転した。庁舎新築にあたっては、PFI方式が採用された。110番通報を受理する通信司令室や交通管制センターは、千葉みなと駅近くの本部分庁舎に入庁していたが、新本部庁舎落成に伴い、移転した。なお、千葉県警察出先機関、県内の各警察署庁舎は、狭隘及び老朽化が著しく、優先順の高い物から順次、整備建て替えが行われている。管内には成田国際空港、警察庁関連施設、観光地などが所在し、東京と隣接している首都圏警察であることから、警視庁との合同捜査も頻繁に行われる。 過去には、成田空港を抱える特殊事情から、新規採用されて警察学校を卒業した警察官は全員が機動隊にまず配属されていた時期があった。千葉線とは、千葉県習志野市の京成津田沼駅と千葉市中央区の千葉中央駅を結ぶ、京成電鉄の鉄道路線。京成津田沼駅で京成本線から分岐する路線で、同駅で本線・新京成電鉄新京成線、千葉中央駅で千原線と接続、直通運転を行っている。
東日本旅客鉄道(JR東日本)総武本線と京葉線の中間地帯の総武本線寄りを走り、京成千葉駅より南ではJR外房線と並走している。各駅に停車する普通のみの運行で、日中は京成津田沼 - ちはら台間の千原線直通列車と、松戸 - 千葉中央間の新京成線直通列車がそれぞれ20分間隔で運行されている。両列車が交互に運転するため、京成千葉線内は10分間隔の運行である。朝夜の一部に本線の京成上野まで直通する列車があるが、全区間が各駅停車の普通のみの設定である。朝は上り(京成津田沼方面)は日中と同じ10分間隔、下り(千葉中央方面)は幕張新都心への通勤利用が多いことを考慮して、6 - 10分間隔で設定されている。新京成線との直通運転においては、現在のところ新京成電鉄の6両編成の車両(8900形と800形を除く)のみが乗り入れている。新京成線内では「普通」の表示を出さない新京成車両も千葉線では「普通」の表示を出して運行している。表示の切り替えは京成津田沼駅で行われる。
千原線ちはら台行きの列車の方向幕・行き先表示は「(千葉)ちはら台」(ちはら台の前に改行)となっている。なお、運転実績はないが土曜・休日の夕方に1往復不定期特急の設定があり、試運転列車などでこのダイヤを使用していたこともあった。千葉線内の停車駅は京成稲毛と京成千葉のみである。このため千葉線内の速度標識には特急の速度表示も示してある。また、これとは別に1968年(昭和43年)6月より1974年(昭和49年)12月までは線内に通過駅がある快速が存在した。停車駅は、幕張・稲毛・黒砂(現・みどり台)・国鉄千葉駅前(現・京成千葉)。なお国鉄千葉駅前の停車は1968年(昭和43年)11月改正からである。
こうした例は、兵庫県立人と自然の博物館と霊長類学の河合雅雄館長、滋賀県立琵琶湖博物館と動物生態学の川那部浩哉館長の組み合わせに、その典型例を見ることができる。しかし、バブル経済の崩壊とともに千葉県の財政が極度に悪化し、また沼田眞(植物生態学・1989年-1998年)、千原光雄(海藻学・1998年-2002年)といった初期の個性的な学者館長の時代が終わったこともあり、1990年代末から運営資金の大幅な削減やそれによる業績出版活動の停止、2004年からの常設展示の有料化およびそれに伴う来館者数の大幅な落ち込みなど、大きな転換点に立たされている。総合博物館ではあるものの、常設展示は設立の前史の経緯もあり、自然史的展示の比重が大きい。ナウマンゾウや鯨の骨格標本、清澄山の照葉樹林や東京湾の干潟のジオラマ、などが目立った展示物であるが、景観生態学的観点に立った谷津田の生態系や伝統的な農村生活の展示、千葉県産の主要な昆虫の標本を収めた標本箱を壁一面にはめ込むなど、膨大な主要分類群の標本を一室に集めた生物の分類展示などにこの館の特色を見出せる。
純人文分野の展示では千葉県の通史が解説されており、重要文化財の銚子市常灯寺の木造薬師如来座像の複製など各地で現地管理されている県内主要文化財のレプリカが多く展示されている。第65回国民体育大会は2010年(平成22年)に千葉県を中心に開催された国民体育大会である。千葉県開催分の愛称はゆめ半島千葉国体であり、マスコットキャラクターはチーバくんである。2年前の2008年に開催された「チャレンジ!おおいた国体」時にも台風15号により影響が出たが、ゆめ半島千葉国体においても、開催時期が秋雨時期による影響が発生した。屋外で行われるソフトボール、ゴルフ、ボート、高校野球(硬式野球、軟式野球)の開催に影響が出た。これは、主催者の協議により「大会の競技期間の短縮(例・4日間を3日間に短縮)は可能だが、期間延長(例・3日間を4日間に延長)は原則不可とする」という取り決めがあったためである。具体的には以下の措置が取られた。ソフトボール(成年男子、成年女子、少年男子、少年女子) - 1回戦(9月26日)のみ実施、9月27日・28日は中止。
準々決勝以降を打ち切り、ベスト8に進出したチーム全てを第1位とし、1回戦シードとなっていたチームは1戦も戦わずして第1位となった。ゴルフ(成年男子団体、成年男子個人、女子団体、女子個人、少年男子団体、少年男子個人) - 9月22日のみ実施し、23日は中止。そのため全競技2日間予定のところを、22日実施の1日間だけのラウンドで結果を決めることになった。ボート(成年男子、成年女子、少年男子、少年女子) - 9月26日は台風12号の影響で全競技中止。そのため、全区分で敗者復活戦は中止された。高校野球(軟式) - 1回戦(9月26日)及び準々決勝(9月26日・29日)のみ実施、9月27日・28日は中止。準決勝、決勝を打ち切り、ベスト4に進出したチーム全てを第1位とした。なお、29日の関西高校(岡山県)対作新学院高校(栃木県)の試合は引き分けで両校ベスト4となり、結果5校が第1位となった。高校野球(硬式) - 1回戦(9月26日・29日)及び準々決勝(9月29日)のみ実施、9月27日・28日・30日は中止。2回戦の一部試合と準決勝、決勝を打ち切った。
硬式については、ベスト4が出揃わなかったため、規定により2回戦を勝利したベスト4の高校2校は第1位とはならなかった。この年は興南高校(沖縄県)が春のセンバツ・夏の甲子園を制しており、国体も制すれば3冠達成と注目された大会でもあったが、天候に泣いた形となった。なお、高校野球については、公開競技であるため、天皇杯・皇后杯得点への影響は無かった。千葉県立図書館は、千葉県が運営する公共図書館である。千葉県内に3施設ある。2010年に千葉大学附属図書館と相互協力協定を締結し、同図書館の資料も利用可能となっている。隣接地域の公共図書館に比較し休館日が多いので(年間84日)、利用する際には開館日を確認する必要がある(参考:都立図書館の年間休館日は30日)。千葉県警察は。千葉県公安委員会の管理の下、千葉県が設置した警察行政機関。千葉県警と略称し、給与支払者は千葉県知事である。関東管区警察局管内。県庁に近接する千葉市中央区長洲1丁目9番1号に位置する。
旧本部庁舎老朽化に伴い、2009年6月1日に、隣接する旧千葉県庁南庁舎跡地に新築された庁舎に移転した。庁舎新築にあたっては、PFI方式が採用された。110番通報を受理する通信司令室や交通管制センターは、千葉みなと駅近くの本部分庁舎に入庁していたが、新本部庁舎落成に伴い、移転した。なお、千葉県警察出先機関、県内の各警察署庁舎は、狭隘及び老朽化が著しく、優先順の高い物から順次、整備建て替えが行われている。管内には成田国際空港、警察庁関連施設、観光地などが所在し、東京と隣接している首都圏警察であることから、警視庁との合同捜査も頻繁に行われる。 過去には、成田空港を抱える特殊事情から、新規採用されて警察学校を卒業した警察官は全員が機動隊にまず配属されていた時期があった。千葉線とは、千葉県習志野市の京成津田沼駅と千葉市中央区の千葉中央駅を結ぶ、京成電鉄の鉄道路線。京成津田沼駅で京成本線から分岐する路線で、同駅で本線・新京成電鉄新京成線、千葉中央駅で千原線と接続、直通運転を行っている。
東日本旅客鉄道(JR東日本)総武本線と京葉線の中間地帯の総武本線寄りを走り、京成千葉駅より南ではJR外房線と並走している。各駅に停車する普通のみの運行で、日中は京成津田沼 - ちはら台間の千原線直通列車と、松戸 - 千葉中央間の新京成線直通列車がそれぞれ20分間隔で運行されている。両列車が交互に運転するため、京成千葉線内は10分間隔の運行である。朝夜の一部に本線の京成上野まで直通する列車があるが、全区間が各駅停車の普通のみの設定である。朝は上り(京成津田沼方面)は日中と同じ10分間隔、下り(千葉中央方面)は幕張新都心への通勤利用が多いことを考慮して、6 - 10分間隔で設定されている。新京成線との直通運転においては、現在のところ新京成電鉄の6両編成の車両(8900形と800形を除く)のみが乗り入れている。新京成線内では「普通」の表示を出さない新京成車両も千葉線では「普通」の表示を出して運行している。表示の切り替えは京成津田沼駅で行われる。
千原線ちはら台行きの列車の方向幕・行き先表示は「(千葉)ちはら台」(ちはら台の前に改行)となっている。なお、運転実績はないが土曜・休日の夕方に1往復不定期特急の設定があり、試運転列車などでこのダイヤを使用していたこともあった。千葉線内の停車駅は京成稲毛と京成千葉のみである。このため千葉線内の速度標識には特急の速度表示も示してある。また、これとは別に1968年(昭和43年)6月より1974年(昭和49年)12月までは線内に通過駅がある快速が存在した。停車駅は、幕張・稲毛・黒砂(現・みどり台)・国鉄千葉駅前(現・京成千葉)。なお国鉄千葉駅前の停車は1968年(昭和43年)11月改正からである。
2011年10月29日土曜日
千葉ポートタワーは
日本国千葉県千葉市中央区に建つ塔(展望施設)である。高さ125.1m。千葉県民500万人を突破したことを記念して1984年6月に着工し、1986年(昭和61年)6月15日にオープンした。タワーは1階から4階からなる。来場者は、まずエレベータにより最初に最上階の4階の展望室にあがる。回覧順序としては、その後、階段を下りて(エレベータで降りることも可能)、3階の展望喫茶室でお茶を楽しんだり、さらに降りて、2階の展望室・アクアファンタジーを見ることになる。2階から1階にはまたエレベータで降りる。1階には売店があり、ポートタワーの記念品の他、千葉県の名産品を購入することができる。展望室からは、全面360度を見渡すことができる。北には幕張新都心や千葉マリンスタジアム。東には千葉市中心部。南にはJFEスチールの東日本製鉄所。西には、タンカーなどの船が行きかう海が見える。海の向うには、東京タワーや高層ビル群が見える。天気の良い日には富士山も見える。タワー下には千葉ポートタワー建設の碑がある。
この碑には「この「千葉ポートタワー」は、昭和58年9月に県民が500万人を突破したことを記念し、建設したものです。」と書かれている。毎秋の11月に国際都市・千葉を舞台に開催されるのが≪駅伝・世界一決定戦≫の青木半治杯・国際千葉駅伝。コース全体の初めと終わり辺りの急激な坂と中盤の海沿いの道路から吹く海風等とバラエティーに富んだ難しさが有る為に各国から「世界最強の駅伝コース」と言われておりこのレースを制したら≪駅伝・世界一≫と言う称号が付く。千葉ポートタワーは1回目の折り返し地点として本タワーの前のロータリーを一周する。千葉県東方沖地震は、1987年12月17日午前11時8分17秒に千葉県房総半島、九十九里浜付近を震源として発生した地震である。関東地方南部の地殻構造は、表層の北アメリカプレートに対し、相模湾(相模トラフ)からもぐりこむフィリピン海プレート、日本海溝からもぐりこむ太平洋プレートの3層からなる複雑なものであるが、この地震は2層目のフィリピン海プレートの内部で断層運動が発生したスラブ内地震であった。
震源の千葉県東方沖は、周期的な群発地震の発生源としても知られ、「地震の巣」でもある。千葉県の広範囲で震度5を記録し、死者2名、負傷者161名、建物全壊10棟、半壊93棟、一部破損6万3692棟を出した。被害の中心は千葉県であった。関東地方の比較的広い範囲で大きな被害が発生した地震としては1923年の関東地震およびその余震である1924年の丹沢地震以来であり、その点でも当時、注目を集めた地震である。道路の陥没や傾斜地の崩壊、屋根瓦の崩落やブロック塀の倒壊などの住宅被害が、千葉県九十九里浜沿岸地域を中心に発生。また、九十九里浜沿岸や東京湾沿岸、利根川流域沿岸などでは液状化現象により被害が発生した。当時は、各市町村に自動計測機器(計測震度計)が設置されていなかった為、最大震度5とされているが、震源地に近い自治体では、被害状況から、現在の震度階級で震度6弱以上の揺れを観測していたと思われる。NHKニュースでの発表によると、千葉市と成田市に設置された東京ガスの震度計では震度7を記録したと報じられ、この日に千葉県文化会館で予定されていたTM NETWORKのライブが機材と舞台の破損で翌年2月に延期された逸話がある。
2号線は、千葉県千葉市中央区の千葉駅から同市若葉区の千城台駅までを結ぶ千葉都市モノレールの鉄道路線である。千葉公園駅 - 穴川駅手前までは国道16号線に走行軌道が設置され、JR総武線とは500~800mほどの距離を置きながら並走する形態となる。密集した市街地の中を走行し、沿線には千葉競輪場がある千葉公園や、千葉大学・千葉経済大学・敬愛大学などの文教地区がある。しかしながら千葉競輪場へは千葉駅からの無料バスの利用が圧倒的で、文教地区の各大学はJR総武線西千葉駅・稲毛駅からの利用が主体となっており、モノレールによる利用者は非常に少ない。またこの区間の地域は西千葉・稲毛の各駅から路線バスが頻発しており、乗降の負担が圧倒的に少なく(ノンステップバスの普及がさらに後押しとなった)、東京方面のアクセスにおいてはモノレール利用では迂回となって遠回りとなるが、バスは短絡的に総武線の駅にアクセスするため、路線バスが有利な状況となっている。田畑が点在する宅地エリアで、広々とした土地空間を利用した千葉県総合スポーツセンターや千葉市動物公園などの公共施設が点在し、それらの施設名称を駅名に冠するものの、利用者は非常に少ない。
千葉駅及びJR総武線から距離があるエリアだが、稲毛駅からの路線バスが多数発着するため、モノレール利用者が伸びない要因となっている。千葉都市モノレールの路線の中で、利用率が高いエリアである。千葉中心部・東京都心部へ向かう際は、都賀駅でJR総武本線に乗り換えるのが主体となっている。沿線は新興住宅地が密集しているほか、東京情報大学のキャンパス(千城台駅からバス利用)があり、モノレール利用者獲得に恩恵をもたらしている。ほとんどの列車が、1号線の千葉みなと駅まで直通運転され、千葉みなと - 千葉 - 千城台間の運行である。日中は12分間隔で1時間あたり5本運転で、朝や夜間には車両基地所在駅である動物公園駅始発・終着の列車も設定されている。千葉県立中央博物館は、千葉県千葉市中央区の県立青葉の森公園内にある房総の自然誌と歴史に関する総合博物館である。1989年(平成元年)に開館した。常設展示のテーマは、「房総の自然と人間」である。房総の代表的な自然を再現した生態園が隣接しており、様々な動植物を身近に観察することができる。
分館として勝浦市に海の博物館が建設され、同様に山の分館も計画されたが、千葉県の財政悪化などもあり建設は延期されるに至った。また千葉県の県立博物館の再編によって2006年には大多喜町の千葉県立総南博物館が大多喜城分館に改組された。この館は、それまでに建設されていた千葉県の県立博物館群の中枢的機関として構築された。また、日本の植物生態学の草分け的学者であった千葉大学理学部名誉教授沼田眞を準備室段階から初代館長として迎え、当時日本の生態学や分類学の分野で際立った研究をしていた大学院博士課程や修士課程を修了直後の若手研究者を、学芸員や技師としてそれまでの公立博物館からは考えられない規模で大人数採用してしまい、その後一自治体としては経営維持困難な体制を作り上げてしまった。
この碑には「この「千葉ポートタワー」は、昭和58年9月に県民が500万人を突破したことを記念し、建設したものです。」と書かれている。毎秋の11月に国際都市・千葉を舞台に開催されるのが≪駅伝・世界一決定戦≫の青木半治杯・国際千葉駅伝。コース全体の初めと終わり辺りの急激な坂と中盤の海沿いの道路から吹く海風等とバラエティーに富んだ難しさが有る為に各国から「世界最強の駅伝コース」と言われておりこのレースを制したら≪駅伝・世界一≫と言う称号が付く。千葉ポートタワーは1回目の折り返し地点として本タワーの前のロータリーを一周する。千葉県東方沖地震は、1987年12月17日午前11時8分17秒に千葉県房総半島、九十九里浜付近を震源として発生した地震である。関東地方南部の地殻構造は、表層の北アメリカプレートに対し、相模湾(相模トラフ)からもぐりこむフィリピン海プレート、日本海溝からもぐりこむ太平洋プレートの3層からなる複雑なものであるが、この地震は2層目のフィリピン海プレートの内部で断層運動が発生したスラブ内地震であった。
震源の千葉県東方沖は、周期的な群発地震の発生源としても知られ、「地震の巣」でもある。千葉県の広範囲で震度5を記録し、死者2名、負傷者161名、建物全壊10棟、半壊93棟、一部破損6万3692棟を出した。被害の中心は千葉県であった。関東地方の比較的広い範囲で大きな被害が発生した地震としては1923年の関東地震およびその余震である1924年の丹沢地震以来であり、その点でも当時、注目を集めた地震である。道路の陥没や傾斜地の崩壊、屋根瓦の崩落やブロック塀の倒壊などの住宅被害が、千葉県九十九里浜沿岸地域を中心に発生。また、九十九里浜沿岸や東京湾沿岸、利根川流域沿岸などでは液状化現象により被害が発生した。当時は、各市町村に自動計測機器(計測震度計)が設置されていなかった為、最大震度5とされているが、震源地に近い自治体では、被害状況から、現在の震度階級で震度6弱以上の揺れを観測していたと思われる。NHKニュースでの発表によると、千葉市と成田市に設置された東京ガスの震度計では震度7を記録したと報じられ、この日に千葉県文化会館で予定されていたTM NETWORKのライブが機材と舞台の破損で翌年2月に延期された逸話がある。
2号線は、千葉県千葉市中央区の千葉駅から同市若葉区の千城台駅までを結ぶ千葉都市モノレールの鉄道路線である。千葉公園駅 - 穴川駅手前までは国道16号線に走行軌道が設置され、JR総武線とは500~800mほどの距離を置きながら並走する形態となる。密集した市街地の中を走行し、沿線には千葉競輪場がある千葉公園や、千葉大学・千葉経済大学・敬愛大学などの文教地区がある。しかしながら千葉競輪場へは千葉駅からの無料バスの利用が圧倒的で、文教地区の各大学はJR総武線西千葉駅・稲毛駅からの利用が主体となっており、モノレールによる利用者は非常に少ない。またこの区間の地域は西千葉・稲毛の各駅から路線バスが頻発しており、乗降の負担が圧倒的に少なく(ノンステップバスの普及がさらに後押しとなった)、東京方面のアクセスにおいてはモノレール利用では迂回となって遠回りとなるが、バスは短絡的に総武線の駅にアクセスするため、路線バスが有利な状況となっている。田畑が点在する宅地エリアで、広々とした土地空間を利用した千葉県総合スポーツセンターや千葉市動物公園などの公共施設が点在し、それらの施設名称を駅名に冠するものの、利用者は非常に少ない。
千葉駅及びJR総武線から距離があるエリアだが、稲毛駅からの路線バスが多数発着するため、モノレール利用者が伸びない要因となっている。千葉都市モノレールの路線の中で、利用率が高いエリアである。千葉中心部・東京都心部へ向かう際は、都賀駅でJR総武本線に乗り換えるのが主体となっている。沿線は新興住宅地が密集しているほか、東京情報大学のキャンパス(千城台駅からバス利用)があり、モノレール利用者獲得に恩恵をもたらしている。ほとんどの列車が、1号線の千葉みなと駅まで直通運転され、千葉みなと - 千葉 - 千城台間の運行である。日中は12分間隔で1時間あたり5本運転で、朝や夜間には車両基地所在駅である動物公園駅始発・終着の列車も設定されている。千葉県立中央博物館は、千葉県千葉市中央区の県立青葉の森公園内にある房総の自然誌と歴史に関する総合博物館である。1989年(平成元年)に開館した。常設展示のテーマは、「房総の自然と人間」である。房総の代表的な自然を再現した生態園が隣接しており、様々な動植物を身近に観察することができる。
分館として勝浦市に海の博物館が建設され、同様に山の分館も計画されたが、千葉県の財政悪化などもあり建設は延期されるに至った。また千葉県の県立博物館の再編によって2006年には大多喜町の千葉県立総南博物館が大多喜城分館に改組された。この館は、それまでに建設されていた千葉県の県立博物館群の中枢的機関として構築された。また、日本の植物生態学の草分け的学者であった千葉大学理学部名誉教授沼田眞を準備室段階から初代館長として迎え、当時日本の生態学や分類学の分野で際立った研究をしていた大学院博士課程や修士課程を修了直後の若手研究者を、学芸員や技師としてそれまでの公立博物館からは考えられない規模で大人数採用してしまい、その後一自治体としては経営維持困難な体制を作り上げてしまった。
2011年10月28日金曜日
2010年1月15日を締切に千葉市は
再公募を始め、締切日までに2社からの応募があった。しかし、2009年度より始まる予定だった再開発事業は当初予定より大幅に遅れる見込みである。JR東日本は駅ビル「ペリエ」の建て替えを検討していることが、千葉市の平成19年第1回定例会で明らかになった。JR側も2009年12月の定例社長会見(12月8日)で駅舎・駅ビルの立て替えを表明し、2015年度に駅舎を、2016 - 2017年度にかけて駅ビル・駅ナカを開業させる予定であることを明らかにした。千葉県営鉄道とは、千葉県がかつて運営した鉄道、および建設を予定していた鉄道である。運営されていた路線についてはいずれも戦前に建設され運営されていた。一時は千葉県各所に路線があり運営されていたが、その後いずれも他の鉄道事業者に引き継がれた。また、戦後に千葉ニュータウンの開発に伴って新線が計画されたが、現在は千葉県単独による建設は断念されている。有吉忠一第11代千葉県知事は、県下の道路事情の悪さおよび他県に比べて鉄道の敷設が著しく遅れていることから、地域開発のために県内各所を連絡する必要があるとして建設を推進した。
資金は国から借り県債を起こし、また建設には陸軍鉄道連隊を使い費用を抑えた。有吉は後に宮崎県知事となり、宮崎県営鉄道妻線・飫肥線(ともに後に国有化)を建設する。上記の運営された各線とは沿革が異なる路線として、戦後にも千葉県によって計画された鉄道路線があった。千葉ニュータウン開発のため計画された路線で北千葉線という名であったが、現在は方針転換され、名称も「東京10号線延伸新線」と変更されている。都営地下鉄新宿線本八幡駅(市川市)から延伸し、新鎌ヶ谷(鎌ケ谷市)・印旛松虫(印旛村、現在の印西市・印旛日本医大駅)にいたる路線として計画され、1972年(昭和47年)3月に都市交通審議会に答申、翌年10月に同区間の免許が交付された。また、当初は印旛松虫から成田ニュータウンを通り成田駅方面まで延伸する計画もあった。このうち第1期線として小室駅 - 千葉ニュータウン中央駅間は北総開発鉄道の第1期線(北初富駅 - 小室駅間)と接続及び同時開業することで当面の旅客輸送ルートを確保する関係から単線(軌間・1435mm)で先行して建設。
第2期線を建設するとともに、第1期線の残る一線に本来の軌間(1372mm)を敷設した上で全線開業(この時点で北総線との直通を中止)し、そののち先行開業区間を改軌して完成とする計画としていた。企業庁により一部区間で用地買収が行われたものの、千葉ニュータウンの事業計画が縮小された事もあり、1978年には事業が凍結された。また小室 - 印旛松虫間の免許は宅地開発公団へ譲渡され、この区間は後に住宅・都市整備公団により北総鉄道北総線の延長として建設された(現在、公団は都市再生機構へ承継され、鉄道事業財産は京成電鉄が新たに設立した千葉ニュータウン鉄道へ有償譲渡)。残区間は1985年(昭和60年)には運輸政策審議会答申第7号から削除され、1992年(平成4年)には本八幡 - 新鎌ヶ谷間を第三セクターによって将来事業化する方向で決定し、方針転換した。その後2000年(平成12年)には鉄道事業の廃止を運輸大臣に届出、鉄道建設は白紙に戻されたものの、翌年県議会において「東京10号線延伸新線」の名称で第三セクターによって将来事業化する方向で調査検討をする旨が表明されている。
しかし、本八幡 - 新鎌ヶ谷間は新線の需要が少ないこと、競合路線となる北総鉄道の利用者が伸び悩んでいること、また千葉ニュータウンの事業計画縮小などにより、今後の実現の可能性は薄い。株式会社千葉銀行は、千葉県千葉市中央区に本店を置く、千葉県内最大手、単独の地銀としては総資産で横浜銀行に次ぐ、第2位の地方銀行。略称はちばぎん。千葉県で栽培されるヒマワリをシンボルマークにしている。以前はチバの「チ」を図案化したものだった。千葉県、千葉市をはじめ千葉県内の多くの市町村の指定金融機関である。日経平均株価の銘柄の1つであり、地銀でありながら、ニューヨーク・ロンドン・香港に支店を、上海に駐在員事務所を持つ。成田空港では外貨両替と送金をメインに行う1支店・3出張所を保有する。また、Jリーグ2部(J2)に所属するジェフユナイテッド市原・千葉のオフィシャルスポンサーである。近年はリテール部門の強化を図っており、投資信託残高及び年金保険の販売額累計が地銀ではトップを誇る。
また東京23区東部や埼玉県東部(武蔵野線・東武野田線沿線)・茨城県南部(つくばエクスプレス沿線)、茨城県鹿行地域に支店や法人営業所を相次いで開設しており、新規開拓の動きが目立つ。前身の一つ総武銀行→千葉合同銀行は、旧川崎財閥系であり第百銀行と提携関係にあった。その経緯から現在でも、第百銀行を吸収合併した旧三菱銀行の後継銀行である三菱東京UFJ銀行は千葉銀行株を約5%保有しており、旧三菱銀行の地銀親睦会である火曜会結成当初からの会員である。だがほとんど営業面での提携は、旧三菱銀行系のDCカード以外無く、ATMの相互利用も当初から行っておらず経営面でも役員派遣等は無く独自色を出している。コンビニATMについては開始当初から積極的で、特にセブン銀行とはATMを共同管理するだけでなくセブン銀行のインストアブランチにて千葉銀行の口座開設等ができる銀行代理業務契約を結んでいる。(現在はイトーヨーカ堂蘇我店、八千代店、葛西店各出張所で実施)。
ただし、公式サイトからの口座開設申込書のメールオーダー請求の送付先は千葉県外では市区町村単位で限定されている。2007年5月7日より、横浜銀行と共同でJR東日本のビューアルッテと提携を開始した。千葉銀行のATMでは、常陽銀行・筑波銀行・武蔵野銀行・東京都民銀行・横浜銀行・イオン銀行のキャッシュカードは自行扱いとなる(ただしちばぎんのキャッシュカードをイオン銀行ATMにて利用した場合には、※にある条件に該当する場合を除き手数料がかかる)。ちなみに常陽・筑波相互間では無料にならない。 コンビニATM(セブン銀行・イーネット・ローソンATM)において、千葉銀行のキャッシュカードでの入出金が行えるが手数料が必要。※(注意・・・東京スター銀行は一部の時間帯が手数料0円であり、その他の時間帯は手数料105円である。) ゆうちょ銀行ATMにおいては、千葉銀行のキャッシュカードでの利用残高照会および出金のみが可能であり、入金については不可能である(2010年8月現在)。この点注意が必要。
JR東日本主要駅に設置のVIEW ALTTEのATMから出金が可能だが、手数料がかかる(ただし2010年7月31日までの間は手数料優遇期間中につき、一律105円ずつ割引されている(このため、平日8:45~18:00の間に出金した場合は引出手数料が無料で利用できる))。日本全国コンビニATM手数料無料でできる地方銀行は千葉銀行のみであり、すべての条件を満たした場合は三菱東京UFJ銀行やみずほ銀行並みに優遇される。いずれの場合も、ちばぎんスーパーカード(ICキャッシュ&クレジット一体型カード)に入会かつ利用代金決済口座に指定している場合や、ポイントサービス「ひまわり宣言」に加入している場合は、条件によっては完全無料または提携ATM手数料のみが無料となる場合がある。
資金は国から借り県債を起こし、また建設には陸軍鉄道連隊を使い費用を抑えた。有吉は後に宮崎県知事となり、宮崎県営鉄道妻線・飫肥線(ともに後に国有化)を建設する。上記の運営された各線とは沿革が異なる路線として、戦後にも千葉県によって計画された鉄道路線があった。千葉ニュータウン開発のため計画された路線で北千葉線という名であったが、現在は方針転換され、名称も「東京10号線延伸新線」と変更されている。都営地下鉄新宿線本八幡駅(市川市)から延伸し、新鎌ヶ谷(鎌ケ谷市)・印旛松虫(印旛村、現在の印西市・印旛日本医大駅)にいたる路線として計画され、1972年(昭和47年)3月に都市交通審議会に答申、翌年10月に同区間の免許が交付された。また、当初は印旛松虫から成田ニュータウンを通り成田駅方面まで延伸する計画もあった。このうち第1期線として小室駅 - 千葉ニュータウン中央駅間は北総開発鉄道の第1期線(北初富駅 - 小室駅間)と接続及び同時開業することで当面の旅客輸送ルートを確保する関係から単線(軌間・1435mm)で先行して建設。
第2期線を建設するとともに、第1期線の残る一線に本来の軌間(1372mm)を敷設した上で全線開業(この時点で北総線との直通を中止)し、そののち先行開業区間を改軌して完成とする計画としていた。企業庁により一部区間で用地買収が行われたものの、千葉ニュータウンの事業計画が縮小された事もあり、1978年には事業が凍結された。また小室 - 印旛松虫間の免許は宅地開発公団へ譲渡され、この区間は後に住宅・都市整備公団により北総鉄道北総線の延長として建設された(現在、公団は都市再生機構へ承継され、鉄道事業財産は京成電鉄が新たに設立した千葉ニュータウン鉄道へ有償譲渡)。残区間は1985年(昭和60年)には運輸政策審議会答申第7号から削除され、1992年(平成4年)には本八幡 - 新鎌ヶ谷間を第三セクターによって将来事業化する方向で決定し、方針転換した。その後2000年(平成12年)には鉄道事業の廃止を運輸大臣に届出、鉄道建設は白紙に戻されたものの、翌年県議会において「東京10号線延伸新線」の名称で第三セクターによって将来事業化する方向で調査検討をする旨が表明されている。
しかし、本八幡 - 新鎌ヶ谷間は新線の需要が少ないこと、競合路線となる北総鉄道の利用者が伸び悩んでいること、また千葉ニュータウンの事業計画縮小などにより、今後の実現の可能性は薄い。株式会社千葉銀行は、千葉県千葉市中央区に本店を置く、千葉県内最大手、単独の地銀としては総資産で横浜銀行に次ぐ、第2位の地方銀行。略称はちばぎん。千葉県で栽培されるヒマワリをシンボルマークにしている。以前はチバの「チ」を図案化したものだった。千葉県、千葉市をはじめ千葉県内の多くの市町村の指定金融機関である。日経平均株価の銘柄の1つであり、地銀でありながら、ニューヨーク・ロンドン・香港に支店を、上海に駐在員事務所を持つ。成田空港では外貨両替と送金をメインに行う1支店・3出張所を保有する。また、Jリーグ2部(J2)に所属するジェフユナイテッド市原・千葉のオフィシャルスポンサーである。近年はリテール部門の強化を図っており、投資信託残高及び年金保険の販売額累計が地銀ではトップを誇る。
また東京23区東部や埼玉県東部(武蔵野線・東武野田線沿線)・茨城県南部(つくばエクスプレス沿線)、茨城県鹿行地域に支店や法人営業所を相次いで開設しており、新規開拓の動きが目立つ。前身の一つ総武銀行→千葉合同銀行は、旧川崎財閥系であり第百銀行と提携関係にあった。その経緯から現在でも、第百銀行を吸収合併した旧三菱銀行の後継銀行である三菱東京UFJ銀行は千葉銀行株を約5%保有しており、旧三菱銀行の地銀親睦会である火曜会結成当初からの会員である。だがほとんど営業面での提携は、旧三菱銀行系のDCカード以外無く、ATMの相互利用も当初から行っておらず経営面でも役員派遣等は無く独自色を出している。コンビニATMについては開始当初から積極的で、特にセブン銀行とはATMを共同管理するだけでなくセブン銀行のインストアブランチにて千葉銀行の口座開設等ができる銀行代理業務契約を結んでいる。(現在はイトーヨーカ堂蘇我店、八千代店、葛西店各出張所で実施)。
ただし、公式サイトからの口座開設申込書のメールオーダー請求の送付先は千葉県外では市区町村単位で限定されている。2007年5月7日より、横浜銀行と共同でJR東日本のビューアルッテと提携を開始した。千葉銀行のATMでは、常陽銀行・筑波銀行・武蔵野銀行・東京都民銀行・横浜銀行・イオン銀行のキャッシュカードは自行扱いとなる(ただしちばぎんのキャッシュカードをイオン銀行ATMにて利用した場合には、※にある条件に該当する場合を除き手数料がかかる)。ちなみに常陽・筑波相互間では無料にならない。 コンビニATM(セブン銀行・イーネット・ローソンATM)において、千葉銀行のキャッシュカードでの入出金が行えるが手数料が必要。※(注意・・・東京スター銀行は一部の時間帯が手数料0円であり、その他の時間帯は手数料105円である。) ゆうちょ銀行ATMにおいては、千葉銀行のキャッシュカードでの利用残高照会および出金のみが可能であり、入金については不可能である(2010年8月現在)。この点注意が必要。
JR東日本主要駅に設置のVIEW ALTTEのATMから出金が可能だが、手数料がかかる(ただし2010年7月31日までの間は手数料優遇期間中につき、一律105円ずつ割引されている(このため、平日8:45~18:00の間に出金した場合は引出手数料が無料で利用できる))。日本全国コンビニATM手数料無料でできる地方銀行は千葉銀行のみであり、すべての条件を満たした場合は三菱東京UFJ銀行やみずほ銀行並みに優遇される。いずれの場合も、ちばぎんスーパーカード(ICキャッシュ&クレジット一体型カード)に入会かつ利用代金決済口座に指定している場合や、ポイントサービス「ひまわり宣言」に加入している場合は、条件によっては完全無料または提携ATM手数料のみが無料となる場合がある。
2011年10月27日木曜日
埼玉県域の郡は
足立・新座・入間・高麗・比企・横見・埼玉・大里・男衾・幡羅・榛沢・那珂・児玉・賀美・秩父郡である。また郷の数は県域で75郷である(『和名類聚抄』)。県域内の郡衙所在地は不明なところが多い。769年(神護景雲3年)9月17日に正倉4倉が焼失し、穀類や人に死傷者が出ている。雷火による天災か神火(じんか)による人災か不明である。1590年(天正18年)には豊臣秀吉の天下統一における小田原の役において後北条氏は滅亡する。後北条氏の滅亡に際して東海五カ国を支配していた徳川家康が関東へ転封され、武蔵を含む関東地域には徳川氏の家臣団が配置された。関ヶ原の合戦を経て江戸幕府による支配が確立すると、埼玉県域には「武蔵三藩」と呼ばれる川越藩や忍藩・岩槻藩(それに武蔵国には知行地をほとんど持たなかった岡部藩など)が立藩。江戸に近く親藩・譜代の重臣が配されたが、川越藩を除き城下町の形成は小規模であった。川越は江戸北方の防衛拠点として、また武蔵国の商工業の中心地として「小江戸」と呼ばれ繁栄した。
江戸幕府により江戸を起点とした五街道の整備が進められ、埼玉県内には中山道に9つの宿場(蕨宿、浦和宿、大宮宿、上尾宿、桶川宿、鴻巣宿、熊谷宿、深谷宿、本庄宿)、日光街道(奥州街道)に6つの宿場(草加宿、越ヶ谷宿、粕壁宿、杉戸宿、幸手宿、栗橋宿)が置かれた。五街道に準ずる脇往還は、県内では川越往還、川越・児玉往還、千人同心街道、日光御成街道、関宿往還、秩父往還、秩父甲州往還が整備された。1868年(慶応4年) - 6月19日、旧幕府領を管轄する旧幕府代官の山田政則が武蔵知県事に就任。1869年(明治2年) - 1月10日、山田政則知県事が宮原忠英に交代。1月13日、宮原知県事の管轄地域に大宮県を設置。9月29日、大宮県が県庁の移転により浦和県に改称。1871年(明治4年) - 7月14日、廃藩置県を受けて藩領に川越県・忍県・岩槻県の3県が誕生。11月14日、忍県・岩槻県・浦和県の3県が合併して埼玉県が誕生(足立郡・埼玉郡・葛飾郡の一部。現在の東部地域に相当)。同日、川越県は品川県の一部を吸収して入間県となる(現在の西部地域・北部地域・秩父地域に相当)。
埼玉県の県庁所在地は埼玉郡岩槻町(現さいたま市岩槻区)とされたが、旧浦和県庁を流用する形で足立郡浦和宿(現さいたま市浦和区)を仮県庁とした。入間県の県庁は川越城に置かれた。1873年(明治6年) - 入間県が群馬県と合併し熊谷県となる。熊谷県の県庁は熊谷駅(現熊谷市)に置かれた。1876年(明治9年) - 熊谷県は解消され旧入間県の地域は埼玉県と合併、現在の埼玉県が成立。地元出身の渋沢栄一、福澤桃介、大川平三郎などが活躍、日本の近代化に貢献する。1883年(明治16年)7月28日 - 日本初の私鉄「日本鉄道」(東北本線・高崎線上野駅-熊谷駅間)が開業。1883年から1885年にかけて、秩父地方で松方財政の不況の中借金に苦しむ負債農民が困民党を結成して秩父事件とよばれる騒擾を起す。1922年(大正11年)12月1日 - 埼玉県で初めての市として川越市が市制施行。1934年(昭和9年)2月11日 - 県庁所在地・浦和市が市制施行。全国の都道府県庁所在地の中では最も遅く、県内でも川越市、熊谷市、川口市に次ぐ4番目の市制施行である。埼玉県には、39の市、23の町、1つの村がある。
市の数39は日本の都道府県で最多、市町村数63は北海道、長野県に次いで日本国内第3位である。なお、町はいずれも「まち」、村は「むら」と読む。埼玉県内では、区分が行われた時期や施策分野、広域行政の実績等に応じて、様々な地域区分の設定がなされている。この項では、そのうち代表的なものを記載し、うち最も区分数の少ない5地域ごとに、地域の概要を記述する。埼玉県には1896年以来、以下の9つの郡がおかれている。郡に含まれる地域は、市制施行や市町村合併に伴い次第に縮小しているが、現在属する郡、および過去に属していた郡による地域区分が、「○○地方」「○○地区」といった名称で、教育行政等の分野で用いられることがある。従来、埼玉県庁などにおいて広く用いられていた地域区分。「彩の国5か年計画21」(計画期間:2002年度-2006年度)など、数次にわたる5か年計画に用いられ、埼玉県庁のホームページ上でもこの地域区分が紹介されていた。また、2008年までは5地域それぞれに「地域創造センター」が置かれていた。
東部複合都市圏とも称する。おおむね、北埼玉郡、南埼玉郡、北葛飾郡およびこの3郡に属していた地域が該当する。東部地域創造センターは春日部市にあり、行田市に行田支所が置かれていた。旧日光街道の沿線を中心とする地域であり、中央地域と同様、南北に細長い地域である。江戸川・中川などの河川が南北に流れ、流域は低地となっておりその立地を生かした米を中心とした農業が盛んな地域である。そのような立地条件から東京との近接性の割に宅地化は遅れ気味であったが、高度経済成長期以降東武伊勢崎線沿線を中心に、草加市・越谷市・春日部市・久喜市などで急速な宅地化が進んだ。上記の5地域区分をより細分化する形で設けられていた地域区分。過去の「埼玉県中期計画」(計画期間:1982年度-1986年度、1987年度-1991年度)などに用いられており、広域行政圏もこの9地域を単位として設定されていた。また2010年3月までの二次保健医療圏も同じ名称で、一部を除きこの9地域区分を単位に設定されていた。
利根地域 - 東部地域の北側。おおむね、北埼玉郡および同郡に属していた地域と、南埼玉郡・北葛飾郡およびこの2郡に属していた地域の北部が該当。東部地域 -(5地域区分上での)東部地域の南側。南埼玉郡・北葛飾郡およびこの2郡に属していた地域の南部が該当。二次保健医療圏においては、利根地域の蓮田市が含まれる。埼玉県の指定金融機関は「サイギン」の通称で埼玉県民から愛されてきた旧埼玉銀行の伝統を継承する埼玉りそな銀行である。さいたま市など、埼玉県内の市町村のほぼ全ての指定金融機関は埼玉りそな銀行である。その他の埼玉県内に本店がある金融機関としては、「ぶぎん」の通称で県民から親しまれている武蔵野銀行、、「さいしん」の通称で県民から親しまれている埼玉縣信用金庫などがある。埼玉県はインターネット放送を通して知事記者会見、県議会中継などを映像配信し、県政の広報に務めている。
1908年(明治41年)の国語調査委員会報告以来、関東地方において京阪式アクセントに似たアクセントの使用地域(主として旧葛飾郡域にて。実態は東京式アクセントの一段階変化形特殊アクセントであった)として注目を集めたが、退潮著しく、高年層の発話に聞かれるだけになっている。他はほぼ全域にわたって東京式アクセントによる東部方言の西関東方言が用いられる。東京に近い上に県外からの転入者が多いことから共通語の影響が強く、西関東方言も衰退し、いわゆる「首都圏方言」が使われているところも多い。放送区域は関東広域圏に属する。テレビ埼玉のほかに、NHK放送センター(総合テレビ・教育テレビ)と在京キー局5局(日本テレビ・テレビ朝日・TBSテレビ・テレビ東京・フジテレビ)が県内全域で、またTOKYO MXテレビが県内東部の大抵の地域で映る。NHK・キー局ともに東京タワー波からの受信のみならず、秩父・児玉地域を中心に中継局を置いている。埼玉県内に本社があるAMラジオ局はないが、埼玉県内に送信所がある(後述)NHKラジオ(第1・第2)、TBSラジオ、文化放送を県内のほぼ全域で良好に受信できる。
さらに、主として南部ではニッポン放送を受信することができ、また他局よりは聴きにくいもののアール・エフ・ラジオ日本を受信できる地域もある。
江戸幕府により江戸を起点とした五街道の整備が進められ、埼玉県内には中山道に9つの宿場(蕨宿、浦和宿、大宮宿、上尾宿、桶川宿、鴻巣宿、熊谷宿、深谷宿、本庄宿)、日光街道(奥州街道)に6つの宿場(草加宿、越ヶ谷宿、粕壁宿、杉戸宿、幸手宿、栗橋宿)が置かれた。五街道に準ずる脇往還は、県内では川越往還、川越・児玉往還、千人同心街道、日光御成街道、関宿往還、秩父往還、秩父甲州往還が整備された。1868年(慶応4年) - 6月19日、旧幕府領を管轄する旧幕府代官の山田政則が武蔵知県事に就任。1869年(明治2年) - 1月10日、山田政則知県事が宮原忠英に交代。1月13日、宮原知県事の管轄地域に大宮県を設置。9月29日、大宮県が県庁の移転により浦和県に改称。1871年(明治4年) - 7月14日、廃藩置県を受けて藩領に川越県・忍県・岩槻県の3県が誕生。11月14日、忍県・岩槻県・浦和県の3県が合併して埼玉県が誕生(足立郡・埼玉郡・葛飾郡の一部。現在の東部地域に相当)。同日、川越県は品川県の一部を吸収して入間県となる(現在の西部地域・北部地域・秩父地域に相当)。
埼玉県の県庁所在地は埼玉郡岩槻町(現さいたま市岩槻区)とされたが、旧浦和県庁を流用する形で足立郡浦和宿(現さいたま市浦和区)を仮県庁とした。入間県の県庁は川越城に置かれた。1873年(明治6年) - 入間県が群馬県と合併し熊谷県となる。熊谷県の県庁は熊谷駅(現熊谷市)に置かれた。1876年(明治9年) - 熊谷県は解消され旧入間県の地域は埼玉県と合併、現在の埼玉県が成立。地元出身の渋沢栄一、福澤桃介、大川平三郎などが活躍、日本の近代化に貢献する。1883年(明治16年)7月28日 - 日本初の私鉄「日本鉄道」(東北本線・高崎線上野駅-熊谷駅間)が開業。1883年から1885年にかけて、秩父地方で松方財政の不況の中借金に苦しむ負債農民が困民党を結成して秩父事件とよばれる騒擾を起す。1922年(大正11年)12月1日 - 埼玉県で初めての市として川越市が市制施行。1934年(昭和9年)2月11日 - 県庁所在地・浦和市が市制施行。全国の都道府県庁所在地の中では最も遅く、県内でも川越市、熊谷市、川口市に次ぐ4番目の市制施行である。埼玉県には、39の市、23の町、1つの村がある。
市の数39は日本の都道府県で最多、市町村数63は北海道、長野県に次いで日本国内第3位である。なお、町はいずれも「まち」、村は「むら」と読む。埼玉県内では、区分が行われた時期や施策分野、広域行政の実績等に応じて、様々な地域区分の設定がなされている。この項では、そのうち代表的なものを記載し、うち最も区分数の少ない5地域ごとに、地域の概要を記述する。埼玉県には1896年以来、以下の9つの郡がおかれている。郡に含まれる地域は、市制施行や市町村合併に伴い次第に縮小しているが、現在属する郡、および過去に属していた郡による地域区分が、「○○地方」「○○地区」といった名称で、教育行政等の分野で用いられることがある。従来、埼玉県庁などにおいて広く用いられていた地域区分。「彩の国5か年計画21」(計画期間:2002年度-2006年度)など、数次にわたる5か年計画に用いられ、埼玉県庁のホームページ上でもこの地域区分が紹介されていた。また、2008年までは5地域それぞれに「地域創造センター」が置かれていた。
東部複合都市圏とも称する。おおむね、北埼玉郡、南埼玉郡、北葛飾郡およびこの3郡に属していた地域が該当する。東部地域創造センターは春日部市にあり、行田市に行田支所が置かれていた。旧日光街道の沿線を中心とする地域であり、中央地域と同様、南北に細長い地域である。江戸川・中川などの河川が南北に流れ、流域は低地となっておりその立地を生かした米を中心とした農業が盛んな地域である。そのような立地条件から東京との近接性の割に宅地化は遅れ気味であったが、高度経済成長期以降東武伊勢崎線沿線を中心に、草加市・越谷市・春日部市・久喜市などで急速な宅地化が進んだ。上記の5地域区分をより細分化する形で設けられていた地域区分。過去の「埼玉県中期計画」(計画期間:1982年度-1986年度、1987年度-1991年度)などに用いられており、広域行政圏もこの9地域を単位として設定されていた。また2010年3月までの二次保健医療圏も同じ名称で、一部を除きこの9地域区分を単位に設定されていた。
利根地域 - 東部地域の北側。おおむね、北埼玉郡および同郡に属していた地域と、南埼玉郡・北葛飾郡およびこの2郡に属していた地域の北部が該当。東部地域 -(5地域区分上での)東部地域の南側。南埼玉郡・北葛飾郡およびこの2郡に属していた地域の南部が該当。二次保健医療圏においては、利根地域の蓮田市が含まれる。埼玉県の指定金融機関は「サイギン」の通称で埼玉県民から愛されてきた旧埼玉銀行の伝統を継承する埼玉りそな銀行である。さいたま市など、埼玉県内の市町村のほぼ全ての指定金融機関は埼玉りそな銀行である。その他の埼玉県内に本店がある金融機関としては、「ぶぎん」の通称で県民から親しまれている武蔵野銀行、、「さいしん」の通称で県民から親しまれている埼玉縣信用金庫などがある。埼玉県はインターネット放送を通して知事記者会見、県議会中継などを映像配信し、県政の広報に務めている。
1908年(明治41年)の国語調査委員会報告以来、関東地方において京阪式アクセントに似たアクセントの使用地域(主として旧葛飾郡域にて。実態は東京式アクセントの一段階変化形特殊アクセントであった)として注目を集めたが、退潮著しく、高年層の発話に聞かれるだけになっている。他はほぼ全域にわたって東京式アクセントによる東部方言の西関東方言が用いられる。東京に近い上に県外からの転入者が多いことから共通語の影響が強く、西関東方言も衰退し、いわゆる「首都圏方言」が使われているところも多い。放送区域は関東広域圏に属する。テレビ埼玉のほかに、NHK放送センター(総合テレビ・教育テレビ)と在京キー局5局(日本テレビ・テレビ朝日・TBSテレビ・テレビ東京・フジテレビ)が県内全域で、またTOKYO MXテレビが県内東部の大抵の地域で映る。NHK・キー局ともに東京タワー波からの受信のみならず、秩父・児玉地域を中心に中継局を置いている。埼玉県内に本社があるAMラジオ局はないが、埼玉県内に送信所がある(後述)NHKラジオ(第1・第2)、TBSラジオ、文化放送を県内のほぼ全域で良好に受信できる。
さらに、主として南部ではニッポン放送を受信することができ、また他局よりは聴きにくいもののアール・エフ・ラジオ日本を受信できる地域もある。
2011年10月26日水曜日
千葉県立千葉中学校・高等学校は、
千葉県千葉市中央区葛城一丁目にある県立中学校・高等学校。併設型中高一貫制共学校。通称は「千葉中」、「千葉高」、「県千葉」。かつて千葉一高だった名残で「一高」と呼ぶ者もいる。千葉県立船橋高等学校、東葛飾高等学校と共に、「千葉県公立御三家」の一つで、2008年度には県内唯一の県立中学校が併設された。隣接県特例により、茨城県や群馬県など、他県からも一部の地域に在住している者に限り受験可能。高校の教育方針は、受験にとらわれない「重厚な教養主義」・「真の学問の追求」である。授業は内容を深めたレベルの高いものとなっており、3年次には理系・文系に分かれるものの、例えば文系においても数学IIIを履修するなどと、幅広い教養を身につけるカリキュラムとなっている。文理比は例年5:4程度で理系の方が多い。芸術科(美術・書道・音楽・工芸)の充実も、出身者の活躍によってよく証しされている。伝統的に「自主的精神」を大切にしており、旧制中学校時代以来の自由闊達・質実剛健な校風が生み出されて来た。
また、学生運動が盛んなころに、生徒達が図書館に立て篭り、県警機動隊が投入されるという事態になったことなどが原因で生徒会が解散させられ、今なお生徒会が存在しないのも本校の特徴である。入学試験(特色化選抜)では難度の高い独自の試験問題(5教科・応用)も利用されている。2006年度より普通教室に冷房設備が設置された。2008年度から私立中高一貫校と同様のカリキュラムで教育が行われる千葉県立千葉中学校が開校した(2学級80名)。中学受験に於ける人気・倍率とも高い。中学校の教育方針は、「互いに高め合う、系統化された一貫教育で豊かな人間力を培う。伝統、実績、真の学びで揺るぎない学力を育む」で、ただ授業の進度を速める「先取り」ではなく、必要に応じて発展的な学習を取り入れる「スパイラル学習」を行っている。 また、独自の教科「学びのリテラシー」や千葉高の卒業生などの講演を聞く「社会人講演会」など、総合学習にも力を入れている。
定時制は2007年度から募集停止となり、3部制定時制を設置している県立生浜高校に2008年統合された。大学進学者数のマスコミ公表はしていない。千葉縣師範學校構内(現NHK千葉支局敷地)に千葉中學校と称して創立。修業年限3ヶ年。千葉縣師範學校女子部の校舎(現教育会館敷地)に移転する。千葉縣尋常中學校と改称。千葉縣千葉中學校と改称、同年7月現在地に校舎を新築移転。同年11月1日新築落成式を挙行(創立記念日の由来)。木更津分校(現千葉県立木更津高等学校)を設置。松戸分校(1906年廃止)を現千葉大学園芸学部敷地に設置。千葉縣立千葉中學校と改称。千葉市立商業學校夜間部を本校第二部(3年制、旧制中学校)として移管設置する。新学制の実施に伴い、第4・第5学年生徒は千葉縣立千葉中學校の生徒、第2・第3学年生徒は千葉縣立千葉中學校併設中學校の生徒とし、第1学年の生徒募集を停止する。第二部は4年制の中学課程とする。学校教育法による高等学校となり、千葉県立千葉高等学校となる。
全日制修業年限3ヶ年生徒定員1,040名、定時制修業年限4ヶ年、生徒定員320名とする。男女共学制を実施する。千葉県立千葉第一高等学校と改称。千葉県立千葉高等学校と改称。新入学生から学校群制度を実施。千葉女子、千葉東、千葉南、千葉市立と第1学校群を組む。単独選抜制に改められる。千葉県内のほとんどの市町村に通学区域拡大。特色ある入学者選抜(学校独自問題)を開始。創立125周年記念事業 トレーニングルーム、ビオトープ、校歌碑、記念館改修竣工。千葉県立千葉中学校を併設。中高一貫校になる。生徒会が学生運動により廃止されているため、文化祭実行委員会が中心となる。まずは、当年度に文化祭を実施するかどうかから採決をとる。否決されれば文化祭自体行われない。文化祭の名称は毎年文実が行う生徒へのアンケートによって決定する。ここ数年文化祭の名称は「千秋祭(せんしゅうさい)」となっている。文化祭の収益は全額ユニセフへ募金される。また、DRP(Dish Return Project:食品販売の際に使用した皿を洗って再使用する。
アンケートで実施するか否か採決を取る)と呼ばれる企画が行われていた。(2009年から廃止) 他の行事と違って、中学と合同で行われる。総合で各自が調べた内容を発表する。中学校と高校で別々に行われている。 高校では、各自が入学後に決めたテーマで約2年間研究を行い、優れた研究には「千葉高ノーベル賞」として賞が与えられている。 中学では、何種類かある「ゼミ」に所属し、そのゼミのテーマに沿った個人テーマを設定して半年間研究を行い、その成果を年2回の総合発表会で発表する。基本として男子は黒色の学生服。前を5個の校章入り金ボタンで留める。男子の襟は中・高ともに詰襟とラウンドカラーとのどちらでもよく最近は多くの生徒がラウンドカラーを着用している。女子は明るい紺色のブレザーで中高ともに校章バッジを装着し中学生は襟元にリボンも着用する。高校ではリボンを着けないよう指導されているが大半の女子生徒が自主的にリボンを購入し着用している。
男子に校章バッジはなく旧制中学以来の伝統として学生服の向かって左襟にローマ数字の学年章、右襟にアルファベットの組章の、大きな襟文字バッジをそれぞれ装着するのが特徴である。襟文字の色は中学が黒色の七宝、高校が金色で区別してある。中学ではこれに加え男女とも胸にプラスチック製の名札を装着する。しかし高校では学年章、組章をはずしたままにしたり稀に制服を着用しないか変形学生服かで通学する生徒もいる。ただし男子は夏季、女子は通年、学年・組章の装着義務がない。高校の男子が制帽をかぶる場合にはいわゆる学帽に白の横一本線が入る。しかし現在ではかぶっている生徒は殆どいない。千葉駅は、千葉県千葉市中央区新千葉一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・千葉都市モノレールの駅である。千葉県の県庁所在地・千葉市の中心駅である。東京都心方面からの緩急分離運転区間の終点であり、千葉県内各地へ向かう各路線が集結するジャンクションでもある。
千葉市内を走る千葉都市モノレールも乗り入れており、千葉県内最大のターミナル駅となっている。JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は総武本線と外房線の2路線であり、このうち総武本線を当駅の所属線とし、外房線は当駅を起点としている。一方、当駅に乗り入れる運転系統は多岐にわたる。総武本線は当駅から東京方面は錦糸町駅までが複々線となっており、快速線を走行する総武快速線、緩行線を走行する中央・総武線各駅停車がそれぞれ運転されている。総武快速線は一部列車が後述の各線へ直通しているが、中央・総武線各駅停車は当駅を運転系統の起終点としている。房総地区各地への路線は次の4系統が発着する。成田駅経由で銚子まで伸びる。正式には当駅 - 佐倉駅間と松岸駅 - 銚子駅間は総武本線への乗り入れ区間。成田駅から成田空港駅へ向かう列車、香取駅から鹿島線へ直通する列車も発着する。千葉都市モノレールの駅は1号線と、当駅を起点とする2号線の乗換駅となっている。
モノレール同士の乗換駅は日本国内では当駅と大阪モノレールの万博記念公園駅のみである。島式ホームが5面10線と、貨物用の線路が1線(0番線、2009年3月14日ダイヤ改正より使用停止)ある。1 - 6番線と7 - 10番線は、東側で駅ビル(駅本屋を兼ね、デパート「ペリエ」ファッション館が入っている)に裂かれる様に分かれている。そのため、東側では5・6番線ホームと7・8番線ホームの距離が離れている。台地の斜面に位置しているため、西千葉駅・稲毛駅方向では地上であるが、本千葉駅・東千葉駅方向は高架となっている。
また、学生運動が盛んなころに、生徒達が図書館に立て篭り、県警機動隊が投入されるという事態になったことなどが原因で生徒会が解散させられ、今なお生徒会が存在しないのも本校の特徴である。入学試験(特色化選抜)では難度の高い独自の試験問題(5教科・応用)も利用されている。2006年度より普通教室に冷房設備が設置された。2008年度から私立中高一貫校と同様のカリキュラムで教育が行われる千葉県立千葉中学校が開校した(2学級80名)。中学受験に於ける人気・倍率とも高い。中学校の教育方針は、「互いに高め合う、系統化された一貫教育で豊かな人間力を培う。伝統、実績、真の学びで揺るぎない学力を育む」で、ただ授業の進度を速める「先取り」ではなく、必要に応じて発展的な学習を取り入れる「スパイラル学習」を行っている。 また、独自の教科「学びのリテラシー」や千葉高の卒業生などの講演を聞く「社会人講演会」など、総合学習にも力を入れている。
定時制は2007年度から募集停止となり、3部制定時制を設置している県立生浜高校に2008年統合された。大学進学者数のマスコミ公表はしていない。千葉縣師範學校構内(現NHK千葉支局敷地)に千葉中學校と称して創立。修業年限3ヶ年。千葉縣師範學校女子部の校舎(現教育会館敷地)に移転する。千葉縣尋常中學校と改称。千葉縣千葉中學校と改称、同年7月現在地に校舎を新築移転。同年11月1日新築落成式を挙行(創立記念日の由来)。木更津分校(現千葉県立木更津高等学校)を設置。松戸分校(1906年廃止)を現千葉大学園芸学部敷地に設置。千葉縣立千葉中學校と改称。千葉市立商業學校夜間部を本校第二部(3年制、旧制中学校)として移管設置する。新学制の実施に伴い、第4・第5学年生徒は千葉縣立千葉中學校の生徒、第2・第3学年生徒は千葉縣立千葉中學校併設中學校の生徒とし、第1学年の生徒募集を停止する。第二部は4年制の中学課程とする。学校教育法による高等学校となり、千葉県立千葉高等学校となる。
全日制修業年限3ヶ年生徒定員1,040名、定時制修業年限4ヶ年、生徒定員320名とする。男女共学制を実施する。千葉県立千葉第一高等学校と改称。千葉県立千葉高等学校と改称。新入学生から学校群制度を実施。千葉女子、千葉東、千葉南、千葉市立と第1学校群を組む。単独選抜制に改められる。千葉県内のほとんどの市町村に通学区域拡大。特色ある入学者選抜(学校独自問題)を開始。創立125周年記念事業 トレーニングルーム、ビオトープ、校歌碑、記念館改修竣工。千葉県立千葉中学校を併設。中高一貫校になる。生徒会が学生運動により廃止されているため、文化祭実行委員会が中心となる。まずは、当年度に文化祭を実施するかどうかから採決をとる。否決されれば文化祭自体行われない。文化祭の名称は毎年文実が行う生徒へのアンケートによって決定する。ここ数年文化祭の名称は「千秋祭(せんしゅうさい)」となっている。文化祭の収益は全額ユニセフへ募金される。また、DRP(Dish Return Project:食品販売の際に使用した皿を洗って再使用する。
アンケートで実施するか否か採決を取る)と呼ばれる企画が行われていた。(2009年から廃止) 他の行事と違って、中学と合同で行われる。総合で各自が調べた内容を発表する。中学校と高校で別々に行われている。 高校では、各自が入学後に決めたテーマで約2年間研究を行い、優れた研究には「千葉高ノーベル賞」として賞が与えられている。 中学では、何種類かある「ゼミ」に所属し、そのゼミのテーマに沿った個人テーマを設定して半年間研究を行い、その成果を年2回の総合発表会で発表する。基本として男子は黒色の学生服。前を5個の校章入り金ボタンで留める。男子の襟は中・高ともに詰襟とラウンドカラーとのどちらでもよく最近は多くの生徒がラウンドカラーを着用している。女子は明るい紺色のブレザーで中高ともに校章バッジを装着し中学生は襟元にリボンも着用する。高校ではリボンを着けないよう指導されているが大半の女子生徒が自主的にリボンを購入し着用している。
男子に校章バッジはなく旧制中学以来の伝統として学生服の向かって左襟にローマ数字の学年章、右襟にアルファベットの組章の、大きな襟文字バッジをそれぞれ装着するのが特徴である。襟文字の色は中学が黒色の七宝、高校が金色で区別してある。中学ではこれに加え男女とも胸にプラスチック製の名札を装着する。しかし高校では学年章、組章をはずしたままにしたり稀に制服を着用しないか変形学生服かで通学する生徒もいる。ただし男子は夏季、女子は通年、学年・組章の装着義務がない。高校の男子が制帽をかぶる場合にはいわゆる学帽に白の横一本線が入る。しかし現在ではかぶっている生徒は殆どいない。千葉駅は、千葉県千葉市中央区新千葉一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・千葉都市モノレールの駅である。千葉県の県庁所在地・千葉市の中心駅である。東京都心方面からの緩急分離運転区間の終点であり、千葉県内各地へ向かう各路線が集結するジャンクションでもある。
千葉市内を走る千葉都市モノレールも乗り入れており、千葉県内最大のターミナル駅となっている。JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は総武本線と外房線の2路線であり、このうち総武本線を当駅の所属線とし、外房線は当駅を起点としている。一方、当駅に乗り入れる運転系統は多岐にわたる。総武本線は当駅から東京方面は錦糸町駅までが複々線となっており、快速線を走行する総武快速線、緩行線を走行する中央・総武線各駅停車がそれぞれ運転されている。総武快速線は一部列車が後述の各線へ直通しているが、中央・総武線各駅停車は当駅を運転系統の起終点としている。房総地区各地への路線は次の4系統が発着する。成田駅経由で銚子まで伸びる。正式には当駅 - 佐倉駅間と松岸駅 - 銚子駅間は総武本線への乗り入れ区間。成田駅から成田空港駅へ向かう列車、香取駅から鹿島線へ直通する列車も発着する。千葉都市モノレールの駅は1号線と、当駅を起点とする2号線の乗換駅となっている。
モノレール同士の乗換駅は日本国内では当駅と大阪モノレールの万博記念公園駅のみである。島式ホームが5面10線と、貨物用の線路が1線(0番線、2009年3月14日ダイヤ改正より使用停止)ある。1 - 6番線と7 - 10番線は、東側で駅ビル(駅本屋を兼ね、デパート「ペリエ」ファッション館が入っている)に裂かれる様に分かれている。そのため、東側では5・6番線ホームと7・8番線ホームの距離が離れている。台地の斜面に位置しているため、西千葉駅・稲毛駅方向では地上であるが、本千葉駅・東千葉駅方向は高架となっている。
2011年10月25日火曜日
1979年に街開きが行われ
同時に駅が開業。計画面積199ha、計画戸数6,250戸、計画人口、19,000人。3つの住区で構成されている。千葉ニュータウンで最初に開発され、最も街として成熟されており、街開き当初より日本中央競馬会競馬学校が隣接する場所に立地する。駅前にはマルエツ西白井店がある。1979年、西白井エリア街開きから5か月後、街開きが行われた。計画面積197ha、計画戸数5,500戸、計画人口16,300人。2つの住区で構成されている。白井エリアには、白井市役所や運動公園、文化センターなど、白井市の行政が集中するエリアでもある。駅南側にはマルエツ白井店や、北側にはホームセンターなどが立地する。駅前には集合住宅が林立する。1979年に街開きが行われた。計画面積90ha、計画戸数2,190戸、計画人口8,500人。1つの住区で構成されている。小室エリアは、国道16号と国道464号が十字のように街を交差している。同地区では唯一駅前スーパーが存在しない(かつては小室ソシアルビルにマルエツなどが存在していた)。
1984年に街開きが行われた。計画面積764ha、計画戸数20,250戸、計画人口61,900人。8つの住区で構成される。千葉ニュータウン最大のエリアで、都市景観100選に選定されている。駅北側には、北総地区最大級のショッピングセンター「イオンモール千葉ニュータウン」や社会保険大学校、竹中技術研究所や三井住友海上などのオフィスビル群が林立し、ゴミ焼却処理施設の余熱を利用した温水センターなどがある。また、中央駅周辺では、ゴミ空気輸送システムを運用している。空気の力でゴミを輸送し、常時捨てられゴミ収集前のカラスや猫によるゴミのまき散らしや臭いなども発生しないのが利点のインフラ施設で、国と住宅・都市整備公団(現・UR都市機構)が約100億円を投じて建設した。しかし、収集量が当初予想を大幅に下回り、赤字改善は難しいとの判断から主要設備の耐用年数を迎える2010年3月31日をもって事業を中止した。駅南側には、東京電機大学千葉ニュータウンキャンパスや、東京基督教大学、計画面積50haの県立北総花の丘公園などがあり、大学などの文教施設と自然豊かな住環境が整備されている。
1995年に街開きが行われた。計画面積579ha、計画戸数13,110戸、計画人口40,700人。5つの住区から構成されている。千葉ニュータウンで1990年代に入って街開きが行われたエリア。近年、「ビッグホップガーデンモール印西」をはじめとする大型商業施設の進出が目覚ましいエリアでもあり、千葉県下においては東京ディズニーリゾートに匹敵する年間2,800万人が訪れる。また、ヒュンダイモータージャパンR&Dセンターや、マブチモーターの研究所なども立地する。今後は2011年の街びらきを目指し、駅北側のエリア(21住区)の開発が行われる予定である。なお、街の開発にあたっては国土交通省や環境省と連携し、低炭素推進事業のモデル地区として街づくりが行われている。2000年に街開きが行われた。旧・印旛村にあたる地域であり、いには野(イニワノ)地区と呼ばれている。計画面積104ha、計画戸数2,190戸、計画人口6,600人。1つの住区で構成されている。千葉ニュータウンで最後に街開きが行われたエリアである。
駅の名の由来でもある日本医科大学千葉北総病院が立地する。この病院は北総エリア最大の基幹病院であり、ドクターヘリの基地病院でもある。また、千葉ニュータウン周辺の国道464号、国道296号、千葉県道65号佐倉印西線において、信号機制御で交差点を優先的に通過させるFAST(現場急行支援システム)と、救急車の救急走行時の通過地点を医療機関に伝えるMOCS(車両通行管理システム)を統合したM-MOCS(救急搬送支援システム)が導入されている。また、2010年7月17日には京成成田スカイアクセス線が開業した。2010年代目途で並行する北千葉道路も開通する予定である。現在4線が乗り入れ、同じくUR千葉ニュータウン事業本部により開発されている新鎌ケ谷地区については千葉ニュータウンには含まれないが、千葉ニュータウンおよび新鎌ケ谷地区を含めたエリアの総称として「東京⇔成田 SKYGATEシティ」という名称のもとPRが行われている。千葉ニュータウン地区には、長らく高等学校が県立白井高等学校の1校だけだけだったが、高校配置の適正化として「千葉ニュータウン地区高校整備事業」が進められ、印西市木下地区にある県立印旛高等学校が印西牧の原地区へ移転し、2010年(平成22年)4月より県立印旛明誠高校として開校し、千葉ニュータウン地区内の高等学校は2校となった。
北総線経由で都心と成田空港を最速36分で結ぶ「成田スカイアクセス」が2010年(平成22年)7月17日開業。開業後はスカイライナーおよび空港アクセス列車も北総線を経由し、千葉ニュータウン中央駅にスカイライナーを除く空港アクセス列車が停車する。後述の北千葉道路とあわせ、中間地点に位置する千葉ニュータウンは大きな転機を迎えることになる。本来の計画では、北総線は京成高砂 - 小室のみで、北総線に平行して都営新宿線の延長となる千葉県営鉄道北千葉線(本八幡 - 新鎌ヶ谷 - 小室 - 印旛松虫)も建設予定であり、新鎌ケ谷 - 小室間は北総線の南側に沿う形で用地も確保されているが、その後のニュータウンの計画縮小もあり建設中止(未成線)となっている。県営北千葉線の当初の計画では、谷田(小室‐千葉ニュータウン中央間)、印西天王前(千葉ニュータウン中央‐印西牧の原間)、の2駅も予定されていた。1970年代には当時の国鉄により成田新幹線(東京 - 千葉ニュータウン - 成田空港)が計画されるも、都内の沿線住民の反対運動により建設中止となっている。
千葉ニュータウン中央駅 - 印旛日本医大間においては北総線の線路の北側に平行してこの新幹線用に確保された用地が残る。千葉県では、多極分散型国土形成促進法に基づく、成田・千葉ニュータウン業務核都市基本構想を作成し、2004年3月23日主務大臣(国土交通省、総務省、経済産業省、厚生労働省)の同意を得て、同年4月6日県報に告示した。今後は、本基本構想に基づき、成田地域(成田市、富里市(一部))と千葉ニュータウンの中央部・東部の地域(印西市(一部)、白井市(一部))を一体の業務核都市として国、県、地元市町村等と連携を図りながら、積極的に育成整備を推進していくことになる。北総線の運賃の高さ、近年の郊外型大型店舗の進出による交通渋滞、新住民と旧住民とのコミュニティー不足による不調和、また、近隣の谷津や里山などにおけるゴミの不法投棄など、街の拡大と時代の変化による問題が山積している。北総線の運賃問題は、1999年 - 2000年に国会で審議された。
当時の運輸省は「これ以上の値上げは長期間しない」との約束をし、「仮に値上げの申請があっても十分慎重に対応したい」との答弁をした。今後、成田空港への延伸により利用者が増え、北総鉄道の収入が増加し負債が減少すれば、将来値下げが行われる可能性もある。 国道464号線沿道に、ロードサイド型の大型ショッピングセンターが相次いでオープンしていることもあり、土曜・休日になると慢性的な渋滞が発生している。なお、これら渋滞緩和を目的とし、464号線の一部区間でバイパス道路を建設中である。
1984年に街開きが行われた。計画面積764ha、計画戸数20,250戸、計画人口61,900人。8つの住区で構成される。千葉ニュータウン最大のエリアで、都市景観100選に選定されている。駅北側には、北総地区最大級のショッピングセンター「イオンモール千葉ニュータウン」や社会保険大学校、竹中技術研究所や三井住友海上などのオフィスビル群が林立し、ゴミ焼却処理施設の余熱を利用した温水センターなどがある。また、中央駅周辺では、ゴミ空気輸送システムを運用している。空気の力でゴミを輸送し、常時捨てられゴミ収集前のカラスや猫によるゴミのまき散らしや臭いなども発生しないのが利点のインフラ施設で、国と住宅・都市整備公団(現・UR都市機構)が約100億円を投じて建設した。しかし、収集量が当初予想を大幅に下回り、赤字改善は難しいとの判断から主要設備の耐用年数を迎える2010年3月31日をもって事業を中止した。駅南側には、東京電機大学千葉ニュータウンキャンパスや、東京基督教大学、計画面積50haの県立北総花の丘公園などがあり、大学などの文教施設と自然豊かな住環境が整備されている。
1995年に街開きが行われた。計画面積579ha、計画戸数13,110戸、計画人口40,700人。5つの住区から構成されている。千葉ニュータウンで1990年代に入って街開きが行われたエリア。近年、「ビッグホップガーデンモール印西」をはじめとする大型商業施設の進出が目覚ましいエリアでもあり、千葉県下においては東京ディズニーリゾートに匹敵する年間2,800万人が訪れる。また、ヒュンダイモータージャパンR&Dセンターや、マブチモーターの研究所なども立地する。今後は2011年の街びらきを目指し、駅北側のエリア(21住区)の開発が行われる予定である。なお、街の開発にあたっては国土交通省や環境省と連携し、低炭素推進事業のモデル地区として街づくりが行われている。2000年に街開きが行われた。旧・印旛村にあたる地域であり、いには野(イニワノ)地区と呼ばれている。計画面積104ha、計画戸数2,190戸、計画人口6,600人。1つの住区で構成されている。千葉ニュータウンで最後に街開きが行われたエリアである。
駅の名の由来でもある日本医科大学千葉北総病院が立地する。この病院は北総エリア最大の基幹病院であり、ドクターヘリの基地病院でもある。また、千葉ニュータウン周辺の国道464号、国道296号、千葉県道65号佐倉印西線において、信号機制御で交差点を優先的に通過させるFAST(現場急行支援システム)と、救急車の救急走行時の通過地点を医療機関に伝えるMOCS(車両通行管理システム)を統合したM-MOCS(救急搬送支援システム)が導入されている。また、2010年7月17日には京成成田スカイアクセス線が開業した。2010年代目途で並行する北千葉道路も開通する予定である。現在4線が乗り入れ、同じくUR千葉ニュータウン事業本部により開発されている新鎌ケ谷地区については千葉ニュータウンには含まれないが、千葉ニュータウンおよび新鎌ケ谷地区を含めたエリアの総称として「東京⇔成田 SKYGATEシティ」という名称のもとPRが行われている。千葉ニュータウン地区には、長らく高等学校が県立白井高等学校の1校だけだけだったが、高校配置の適正化として「千葉ニュータウン地区高校整備事業」が進められ、印西市木下地区にある県立印旛高等学校が印西牧の原地区へ移転し、2010年(平成22年)4月より県立印旛明誠高校として開校し、千葉ニュータウン地区内の高等学校は2校となった。
北総線経由で都心と成田空港を最速36分で結ぶ「成田スカイアクセス」が2010年(平成22年)7月17日開業。開業後はスカイライナーおよび空港アクセス列車も北総線を経由し、千葉ニュータウン中央駅にスカイライナーを除く空港アクセス列車が停車する。後述の北千葉道路とあわせ、中間地点に位置する千葉ニュータウンは大きな転機を迎えることになる。本来の計画では、北総線は京成高砂 - 小室のみで、北総線に平行して都営新宿線の延長となる千葉県営鉄道北千葉線(本八幡 - 新鎌ヶ谷 - 小室 - 印旛松虫)も建設予定であり、新鎌ケ谷 - 小室間は北総線の南側に沿う形で用地も確保されているが、その後のニュータウンの計画縮小もあり建設中止(未成線)となっている。県営北千葉線の当初の計画では、谷田(小室‐千葉ニュータウン中央間)、印西天王前(千葉ニュータウン中央‐印西牧の原間)、の2駅も予定されていた。1970年代には当時の国鉄により成田新幹線(東京 - 千葉ニュータウン - 成田空港)が計画されるも、都内の沿線住民の反対運動により建設中止となっている。
千葉ニュータウン中央駅 - 印旛日本医大間においては北総線の線路の北側に平行してこの新幹線用に確保された用地が残る。千葉県では、多極分散型国土形成促進法に基づく、成田・千葉ニュータウン業務核都市基本構想を作成し、2004年3月23日主務大臣(国土交通省、総務省、経済産業省、厚生労働省)の同意を得て、同年4月6日県報に告示した。今後は、本基本構想に基づき、成田地域(成田市、富里市(一部))と千葉ニュータウンの中央部・東部の地域(印西市(一部)、白井市(一部))を一体の業務核都市として国、県、地元市町村等と連携を図りながら、積極的に育成整備を推進していくことになる。北総線の運賃の高さ、近年の郊外型大型店舗の進出による交通渋滞、新住民と旧住民とのコミュニティー不足による不調和、また、近隣の谷津や里山などにおけるゴミの不法投棄など、街の拡大と時代の変化による問題が山積している。北総線の運賃問題は、1999年 - 2000年に国会で審議された。
当時の運輸省は「これ以上の値上げは長期間しない」との約束をし、「仮に値上げの申請があっても十分慎重に対応したい」との答弁をした。今後、成田空港への延伸により利用者が増え、北総鉄道の収入が増加し負債が減少すれば、将来値下げが行われる可能性もある。 国道464号線沿道に、ロードサイド型の大型ショッピングセンターが相次いでオープンしていることもあり、土曜・休日になると慢性的な渋滞が発生している。なお、これら渋滞緩和を目的とし、464号線の一部区間でバイパス道路を建設中である。
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