2011年1月3日月曜日

広島に行くと言う表現

西日本の方言で、「広島へ行く」「ヒロシマにゆく」という表現が、「死ぬ」を婉曲に表す忌み言葉として使われることがある。この広島が都市の広島を指すかどうかについては不明だが、1741年の『夏山雑談』に記述があり、起源は近世以前までさかのぼる。

柳田國男は『廣島へ煙草買ひに』という著作の中で、「ヒロシマ」は「会津檜枝岐などの狩詞で人里のことであった」、「ヒロシマへユク」は「壱岐では死ぬの隠語に代用して居ることが最近刊行せられた山口君の続方言集[2]に見えて居る、ヒロシマといふ語にもし斯ういふ感覚が伴なふことを知って居たら、藝州の殿様も是を御城下の名にはしなかったかも知れない。」と記し、さらに「タバコ」を「関西地方は殆ど一般に、休息の同義語に用いられている」とし、「廣島へ煙草買ひに行く」というのは、伊予の内海側では「死ぬ」という代わりに時々使われる気のきいた忌み言葉になっている、と説明している。

広島市には海に関連する由来の地名が多い。

商業…紙屋町、十日市町
神社・寺院…住吉町,国泰寺町、袋町藩政関連…基町、幟町,大手町、京橋町その他…堀越

毛利元就が中国地方一円の戦国大名となった時、小盆地である吉田は手狭であり、交通の便も悪かった。そこで、山陽道が通り、太田川や瀬戸内海の水運を利用できる、太田川下流デルタの寒村・五箇庄に注目した。元就の死後、毛利輝元によってその着想を現実化し、広島の開発が始まった。
1589年:毛利輝元が、五箇庄の箱島を中心とした干拓と、広島城の築城とを命じる。
1591年:毛利輝元が、未完成ながらも広島城へ入府し、地名を「広島」と命名する。
1599年:広島城完成。
1600年:関ヶ原の合戦で敗北し、長門国・萩に移封された毛利氏の替わりに福島正則が城主となる。
山陽道が、福島正則によって城下町を通るように南よりに付け替えられる。また、同時期に出雲街道や石見街道も整備される。干拓により新開地も増え続け、江波や草津が港として整備される。
1619年:広島城石垣の無届け改修を理由として福島正則が改易となり、浅野長晟が城主となる。以降、浅野氏の広島藩が明治維新まで続く。

1871年8月29日:廃藩置県により、旧広島藩領は全域「廣島縣」となる。
1871年10月12日:「鎮西鎮台第一文営」が広島城に設置される。徴兵制が始まっていないので旧藩兵からなる部隊であった。
1873年1月9日:「第五軍管広島鎮台」が第一文営跡に設置される。
1884年9月:千田貞暁県令(知事)により広島県営として宇品港の建設に着工。
1888年5月14日:第五軍管広島鎮台が第五師団司令部に昇格する。
1889年4月1日:開府300周年。市制施行により広島市となり、広島県の県庁所在地とされた。
1889年11月:宇品築港及び干拓工事の終了。当初の計画では氏族殖産補助金、氏族殖産金と埋め立てによりできる新開地を担保とした。災害と計画変更により、更に二回に渡り国庫の補助を受けて私財も投じたため、千田県令は工事の完成を見ず新潟県に左遷されてしまう。漁民に抵抗を受け、県民に負担をかけ、当時の広島には不釣合いな大規模港湾であり県令の功名心による土木工事であるとの批判も受けた。しかし、日清戦争において臨時の首都となった要因は、前線に近い点だけでなく、鉄道が開通しており、近代港湾を持ち、物資の生産・集積・貯蔵に必要な十分な土地を持つという理由であり、宇品港と宇品干拓と共に、近代における広島の発展の原動力となった千田県令は、後に再評価されて勲三等旭日章を受け、男爵に叙せられ、千田廟公園が建てられた。
1893年5月:広島電燈株式会社設立。
1894年6月10日:山陽鉄道が広島まで開通。
1894年8月4日:陸軍省の山陽鉄道への依頼により、広島駅から宇品港への宇品線の建設着工、2週間の突貫工事により同月20日完成。
1894年9月15日:日清戦争に伴い、大本営や帝国議会が臨時に広島に移る。以来、広島は軍都として発展する。
1894年10月:市内に電灯がともる。
1899年1月1日:広島市内で上水道の給水開始。
1903年12月27日:海田市駅から呉軍港を結ぶ呉線、官設により開通。
1905年2月:府中煙草製造所が煙草製造開始。
1909年10月:広島瓦斯株式会社創立。
1909年12月19日:大日本軌道広島支社が横川-祇園を開業。
1910年10月1日:市内にガス供給開始。
1911年:広島城の外堀が埋められる。
1912年:西堂川が埋め立てられる。これが御幸橋方面への市内電車通りとなる。
1912年11月:広島電気軌道による市内電車の運転始まる、広島駅-紙屋町-御幸橋、八丁堀-白島など4路線。
1915年4月28日:芸備鉄道が東廣島-志和地間を開業。
1915年6月1日:芸備鉄道志和地-三次間が開業。
1920年7月15日:芸備鉄道広島-東広島間が開業。国鉄廣島駅へ乗り入れ。
1922年8月22日:広島電気軌道宮島線が開業。
1925年7月15日:宮島線廿日市-地御前間が開業。
1926年7月15日:宮島線地御前-新宮島間が開業。
1931年2月1日:宮島線新宮島-電車宮島間が開業し、宮島線全通。
1932年:太田川の山手川と福島川の改修工事が帝国議会で決定。工事は第二次世界大戦で一次中断。
1944年11月18日:広島市で第一次建物疎開が実施される。原爆投下まで計6回実施される。
1945年2月:造幣局廣島支局の仮工場が完成。貨幣の製造を開始。
1945年4月3日:広島市で学童疎開が始まる。
1945年6月: 廣島文理科大学内に中国地方総監府が設置される。
1945年8月6日:アメリカ軍により世界初の核攻撃。原子爆弾が市中心部に投下された。

1945年9月17日:枕崎台風により被害を受ける。広島県内で死者・行方不明者2012人。
1949年:市制60周年、開府360周年。特別法である広島平和記念都市建設法が国会で可決され、住民投票を経て公布される。
1951年:プロ野球セントラルリーグ広島カープが創設される。
1955年:平田屋川が埋め立てられる。
1961年:広島空港(現広島西飛行場)開港。
1962年5月12日:三原-広島間が電化。 同年10月1日広島-横川間電化。
1964年7月25日:横川-小郡間が電化され、山陽本線全線電化開通。
1966年:国道2号線通称広島バイパス(現在の旧市内国道2号線)海田市大正から仁保・鷹野橋を経由し西区まで開通。
1967年:太田川放水路完成。
1969年3月1日:貨・東広島駅(現在の広島貨物ターミナル駅)開業。
1974年4月:西広島バイパス庚午北-観音本町間開通。
1975年10月:広島東洋カープが初優勝を遂げる。
1975年3月10日:山陽新幹線広島駅開業。
1979年11月:広島東洋カープが初の日本一達成。
1985年3月20日:広島自動車道開通。
1989年:平成元年 '89 海と島の博覧会・ひろしま 開催。(海と島の博覧会)
1994年:アジア競技大会開催。それに併せて広島高速交通広島新交通1号線も開業
1997年12月10日:山陽自動車道全通。