町田市(まちだし)は、東京都の多摩地域に位置する市で、多摩南部に区分される。市域の大部分が多摩丘陵に属し、地形的には同丘陵の北部、相模原台地の北東の縁であり、ほとんどが丘陵地帯である。最高地点は西端にある草戸山(標高364m)。平地は町田駅付近や西および南を流れる境川・ほぼ中央を流れる鶴見川とその支流恩田川近辺など少ない。
▼商業地
東京都区部の南西30~40km圏に位置し、東京都区部郊外のベッドタウンとして発展。町田駅周辺地区は、小田急線沿線および横浜線沿線を代表する繁華街で、百貨店や専門店等が多く林立する一大商業ゾーンとして著しく発展しており、商業都市の一面も持つ。国道16号線や国道246号線により東西方向・南北方向との交通の便もよく、神奈川県北部も含んだ多摩地域南部の商業の中心地である。飲食産業はここ数年で立川市と共に成長している。
市内や近辺には私立大学が多いため、町田駅前繁華街は学生を含む若者の街としても発展している。「西の渋谷」とも呼ばれ、若者向けの店(衣類店・ゲームセンター・漫画専門書店・メイド喫茶など)が多く、メイド喫茶は近隣一帯で唯一[要出典]出店されている。 東部の玉川学園前駅周辺は、幼稚園から大学まで一貫教育の玉川学園を中心に住宅地が広がっており、学園都市とされている。 この他、南部(町田市鶴間)の南町田駅前にはアウトレットモールのグランベリーモールが有り、休日等に賑わう。立川を中心とする多摩地域北部とは多摩丘陵で隔てられていることから、神奈川県との交流関係がある。とくに、相模原の市街地と近接していることから、町田・相模原両市を併せて国の業務核都市に指定されており、業務など諸機能の立地促進が図られている。(逆に相模原市は多摩地域をはじめとした東京都との交流関係がある)
▼ 住宅・道路開発
鎌倉街道沿いの旧宿場町と、近代以降の町田駅近辺など一部地域を除き、開発の歴史が昭和40年代の団地開発以来と浅く、未開発の丘陵や斜面を宅地造成した一戸立て住宅の建売(駅至近では高層マンション)が現在に至るまで盛んである。しかし様々な企業による無計画な宅地開発の為、狭い道路や行き止まりが多く、自動車がこれを避けて鎌倉街道等幹線へ集中するが、拡幅工事が未完了でその未拡幅区間がボトルネックとなり街道への流入車が毎日渋滞を引き起こす。特に県境部分では整備が遅れており、山の両面から開発された場所の道路未接続などや、慢性的に渋滞が発生する道路でもその多くが拡幅未着手となっており、これを迂回した車の流入が幹線道路の混雑に拍車を掛ける場合もみられる。
市内には、都市再生機構の、山崎・藤の台・鶴川・小山田桜台、住宅供給公社の、木曽・境川・高ケ坂・本町田など、大小様々な団地が点在する。団地住民の定住化と共に少子化が進み、それら団地を中心とした学区域の小学校では合併や廃校が目立つ。同時に、政策として「車椅子で歩ける街づくり」を進めるなど社会福祉が充実し、各地から視察団が訪れる。
▼治安
ここ数年、新宿付近地区の風俗規制強化により、この地区で営業していた業者が町田駅前繁華街へ移転する動きがあり、西の歌舞伎町とも呼ばれるようになった。これは周辺に風俗業が多い繁華街が無く、新宿から直通電車で30~40分程度という好立地による。しかし繁華街はこれらを含めた風俗店と他の店舗が混在しており、手当たり次第な客引き等の迷惑行為が社会問題化し、条例による客引き行為の部分規制や住民による自主的なパトロール、さらには民間交番の設置等が行われている。
町田市の急速な人口増加にも関わらず警察署の増設は行われず、警察官1人当たりの市民数は都内平均の2倍。町田駅前繁華街の発展や渋谷・歌舞伎町化に伴う犯罪率の上昇も加わり治安が悪化し、警察官不足は更に深刻化している。これに対応し、市北西部(相原・小山地区)の管轄を2009年4月に新設の南大沢警察署(八王子市南大沢)に移管、町田警察署の負担軽減が図られている。
▼ 田園都市的側面
中心地の町田駅から1~2kmで農地が見られ、北西部や西部の小山田・小野路地区・相原・大戸地区は里山の面影が色濃く残る農業地域で、田畑が随所に有り、畜産業も営まれる。また。七国山等の野山も点在し、近隣の都市と比べ、土地の自然利用率が高く狸等の野生動物もいる。
しかし町田の東京へのアクセスが注目されると、不動産・住宅開発の進出も激しく、旧来の地形を省みない開発や建設がかえって町並みの調和を破壊している。水害時に備える洪水調整池を無理に埋め立てる手法には地元の反発も大きい。
▼歴史
江戸時代まで
1335年、北条時行ら北条氏の残党が中先代の乱を起し、町田村井出の沢で足利直義を撃破し更に鎌倉へ向けて進攻する。 19世紀、武蔵国の町田村の村民が農地拡大のため近隣の原野を開拓し、その地を原町田村として分村した。後に「本村」である町田村は本町田村と村名を変更した。
明治維新から第二次大戦まで
本町田・原町田・森野・南大谷 - 町田村 (旧・町田村とほぼ同じ)
能ヶ谷・金井・小野路・野津田・真光寺・広袴・三輪 - 鶴川
山崎・木曽・上小山田・下小山田・図師・根岸 - 忠生
鶴間・小川・金森・高ヶ坂・成瀬 - 南
相原・小山 - 堺村
1893年、町田市を含む多摩郡域(南多摩郡、北多摩郡、西多摩郡)が、神奈川県から東京府に移管される。
1913年、町田村(旧、本町田村・原町田村)が、町田町になる。(町制施行)
▼第二次大戦後
1954年、町田町と南村が対等合併。
1958年、町田町、鶴川村、忠生村、堺村の1町3村が対等合併、市制施行し、町田市となる。
1973年、多摩市と多摩ニュータウン区域界を境に境界変更。これにより小野路町の一部(現、南野地区)が多摩市に編入され、多摩市南野(多摩市の南+小野路から)となる。
2004年、神奈川県相模原市と境川を境に境界変更し、相模原市上鶴間の一部が町田市に編入される。
2008年、市制施行50周年。