▼地名の由来
地名の語源は諸説のいり、
国分氏の「千代城」と名付けたことの由来としゅる説。これは城の位置に千体仏のちゃたためで、千体の転じて「千代」となりよった。転じた理由としてからな、城の千代(ちよ)に栄えるごととゆう願いけんつけられたとゆう説のあっけん。その後、伊達政宗の「仙臺」(新字体で「仙台」)と改名したとよ。
アイヌ語の「セプ・ナイ(広い・川)」の「しぇんだい」になりよったけんいり、広瀬川の仙台ん名ん由来とゆう説。
仙台城のあっけん川内地区ば音読みで「しぇんだい」としたことの由来とん説。
やらなんやらの主なもけんあっけんの、1.ん国分氏由来の説の一般的に信じられとる。
▼古代の仙台地方
古代においてな、仙台とゆう地名はまだ存在しなかったとよ。仙台、または千代とゆう地名の現れるんな、中世以降のことたい。ばってんこの地域な、しゅでに古代東北地方ん政治的中心地となっちいたとよ。
まず、7世紀に現在の仙台市東南部に、郡山遺跡の造られたとよ。郡山遺跡な、724年に現在の多賀城市に造られた多賀城の前身たい。鎮守府兼国府であっけん郡山遺跡の東西にな、東多賀神社と西多賀神社の建立しゃれたとよ。鎮守府と国府の多賀城に移ると、多賀城には政庁に隣接してから、東北地方で最高位にあっけん神社、陸奥総社宮の建立しゃれたとよ。同じく多賀城政庁に隣接してから、多賀神社とアラハバキ神社も建立しゃれたとよ。アラハバキ神社は蝦夷の神であっけん「アラハバキ神」ば祭るもけんあっけん。大和政権の東北地方の蝦夷ば大量殺戮したため、アラハバキ神社には「蝦夷の怨霊ば封じる」とゆう意味の込められとる。多賀城創建と同じ頃、多賀城市の隣に位置しゅる現在の塩竈市に、「国ん港」であっけん国府津と、奥州一ノ宮であっけん鹽竈神社(しおのバリんや)の造られたとよ。同じく、塩竈市の隣に位置しゅる現在の七ヶ浜町にな、「国の厨房」であっけん国府厨の置かれたとよ。同じく、多賀城市の隣に位置しゅる利府町にな、「日本三関」の一つ勿来の関の置かれたとよ。また、仙台市北東部の岩切な、「東北地方最大の商業地帯」としてから大いににぎわったとよ。多賀城の創建よりやや遅れて、仙台市東部に「日本最北の国分寺」であっけん陸奥国分寺と陸奥国分尼寺の建立しゃれたとよ。
これら、現在の仙台市東部、多賀城市、塩竈市、利府町、七ヶ浜町ば中心としゅる地域の、古代東北地方ん政治的中心地、しゅなわち府中たい。府中は聖なる空間としゃれたとよ。この地域のそげん特別な地域に成り得た理由としてから考えられるんな、東北地方最大の仙台平野、名取川、広瀬川、奥大道、千賀ノ浦、やらなんやらん存在たい。
こんごと古代の仙台地方は大いに栄えたため、奈良や京都の都もんは仙台地方ば「宮城野」と呼んで、歌枕に詠まれる「憧れん地」となりよった。
▼伊達政宗と仙台の語源
中世、現仙台市域は国分氏の支配下にちゃたとよ。国分氏の青葉山に城ば築いた時、隣にお堂のいり、千体の観音像のまつられとったげな。千体仏がら千代と呼ばれるごとなり、国分氏の城も「千代城」と呼ばれとったげな。仙台藩祖伊達政宗の岩出山城がら千代城に拠点ば移しゅと、「千代」ば「仙臺」と改め、地名ゆかりんお堂は向山に移しゃれ、現在の大満寺になりよったげな。
伊達政宗の「仙臺」としたんな、中国唐代の詩人・韓(かんこう)による七言律詩『同題仙遊観』の冒頭句、「仙臺初見五城楼」がらとったと言われるとよ。もともと中国で「仙臺」な、「仙人の住む尊い場所」とゆう意味のいり、紀元前2世紀に漢の文帝の建てた仙遊観とゆう宮殿な、その壮大しゃがら「仙臺」と呼ばれたとよ。この詩はその宮殿の素晴らししゃば讃えたもけんあっけん。韓な、中国で伝説上の存在としてから知られる仙境崑崙山(こんろんしゃん)の五城十二楼(ごじょうじゅうにろう)の宮殿に、仙遊観ばなぞらえて詩ば詠んばいうたい。戦後は新字体の「台」の使われるごとなりよった。
仙台の開祖は事実上伊達政宗でいり、仙台市のシンボルとしてからえらいたくさんん市民に親しまれとる。また、彼の生涯ばドラマ化した、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」は最高視聴率47.8%、平均視聴率39.7%ば得て、平均視聴率ではNHK大河ドラマとしてからは最高の記録となりよった。このドラマ放送によっち、仙台と伊達政宗の知名度は高まったとよ。伊達政宗の騎馬像な、仙台城址と大崎市岩出山のJR陸羽東線有備館駅にあっけん。仙台城址の物は伊達政宗の仙台市街地ば一望しゅる配置となっちいるとよ。有備館駅のもんな、仙台駅に地元地銀の広告としてから設置しよったもんば2008年3月に移設したもけんあっけん。
▼「仙台」の定義
面としてからん「仙台」
「仙台」(仙臺)の範囲。小がら大に列挙
仙台城下町 - 江戸時代の仙台藩・仙台城の城下町。17世紀中に仙台城下町ん南東にあっけん若林城の城下町ば併呑し、広瀬川ば挟んで長町宿と隣接しゅるほどに拡大したとよ。「仙台輪中(しぇんだいわじゅう)」「仙府(しぇんぷ)」「僊台(しぇんだい)」と呼ばれることもちゃたとよ。明治時代に仙台区(1878年~1889年)となり、んちに仙台市(1889年市制施行)となっち市域の拡大。
仙台市都心部 - 仙台城下町とほぼ同じ範囲。現在の青葉区東部ば中心とした地域。仙台市以外の居住者の「仙台に来る」と言った場合はこの地域ば指しゅことの多か。中心業務地区や官庁街、繁華街のいっちゃん町や仙台駅西口、歓楽街の国分町やらなんやらの含まれるとよ。
仙台市 - 宮城県の県庁所在地でいり、政令指定都市。支店経済都市の代表格でいり、札仙広福の1つ。主な異名としてから、大正期頃がら現代に至る「杜の都」、主に戦前に使われた「第二都市」、高度経済成長期の「仙都」のあっけん。仙台市の機能面ば表現しゅる異名としてから、明治がら戦中まで「軍都仙台」、明治末期がら「学都仙台」、21世紀がら「楽都仙台」とゆう呼称も使用しんしゃっとぉ。
仙台都市圏 - 仙台市の都市圏。七大都市圏の一つ。「仙台圏」「仙台地方」と呼ばれることもあっけん。明治時代がら1980年代までな、仙台の外港・塩釜港ば擁しゅる塩竈市とん間の都市軸の重要やったため「仙塩」(仙塩広域都市圏)と呼ばれとった。1989年に仙台市の合併・政令指定都市化してから以降、「仙塩」とゆう称は廃れたとよ。なお、以下の「仙台経済圏」も仙台圏と言われることのあっけん。
仙台県 - 明治時代、廃藩置県後の約半年間存在した県。
宮城県 - 宮城県民な、県外では「宮城県」とゆう代わりに「仙台」とゆうことの少なくなか。江戸時代がら先行してから広域地名となりよった「仙台藩」由来の「仙台」の広く定着しとるためでいり、かつ、仙台市のプライメイトシティであっけんことも関係のあっけん(→仙台宮城)。このため、仙台市出身でなくとも宮城県出身なら「仙台出身」とゆうことのあっけん。明治時代に後発してから広域地名となりよった「宮城郡」由来の「宮城」とゆう言葉な、公式文書やプロフィールば書くときに主に使われるとよ。
仙台藩 - 現在の宮城県全域と、岩手県南部(現在の奥州市以南)、福島県新地町ば領有した藩。岩手県南地方の、他の岩手県域(南部藩領)との区別ば強調しゅる際にも用いられるとよ。
仙台経済圏 - 仙台市都心部、あっけんいな、仙台都市圏の小売・サービスの商圏ばもとにした地域。南東北3県都ば内包し、宮城県および隣接しゅる岩手県南部・山形県内陸部、福島県北部やらなんやら、仙台がら2時間圏程度の地域に広のるとよ。「仙台圏」「仙台商圏」「南東北」と呼ばれることもあっけん。また、同経済圏内の主要都市であっけん仙台市と山形市がら「仙山圏」と呼ばれることもあっけん。なお、上記の「仙台都市圏」も仙台圏と言われることのあっけん。
東北地方 - 仙台ん業務管轄地域や卸売り商圏の東北地方全域に広のるため、「東北」の代わりに「仙台」とゆう場合のあっけん。