2011年1月17日月曜日

その他町田に関する事

FC町田ゼルビアは、東京都町田市を本拠地とするサッカーのクラブチーム。将来のJリーグ入りを目指しているクラブ。

概要
多数のプロ選手を輩出するなどの実績をあげたFC町田(1977年設立)のトップチームとして、また市民のための総合型スポーツクラブ創設に向けた一環として1989年にFC町田ゼルビアが誕生。

愛称の「ZELVIA」は町田市の樹・ケヤキ「zelkova」と、花・サルビア「salvia」を合わせた造語。チームマスコットは2009年より誕生した「ゼルビー」。町田市の「市の鳥」であるカワセミをモチーフとしており、4種類のデザイン候補の中から、サポーター投票によって選ばれた。

総合型スポーツクラブを目指す手段として、「アスレチッククラブ町田」とともに「AC町田スポーツスクール」を運営。ゼルビアの選手たちがコーチとして幼稚園児や小学生を始め300人以上の生徒を抱え、週5日のスクールに加えホームでの試合後にそのままサッカー教室を行うなどしている。


歴史
2003年に後援会組織をNPO法人化しAC町田を設立。

2004年よりチーム運営を委託。竹中穣ら町田出身や縁のあるJリーグ経験者を中心に積極的な補強を敢行。

2005年 東京都社会人リーグ1部優勝・関東社会人サッカー大会優勝。

2006年 関東リーグ2部優勝。同1部へ昇格。

2007年からは川添孝一がスーパーバイザーに就任。関東リーグ1部で12勝1敗1分、2位日立栃木に勝点差10の圧倒的な強さで優勝。全国社会人サッカー選手権大会には関東代表として参加し、2回戦で敗退。第87回天皇杯全日本サッカー選手権大会では東京都予選決勝で明治大学と対戦し、敗れた。JFL昇格を目指した第31回全国地域リーグ決勝大会では一次ラウンドで敗退した。

▼町田米軍機墜落事故
町田米軍機墜落事故とは、1964年4月5日に発生した航空事故である。

事故の経緯
同日嘉手納飛行場(嘉手納基地)を発進したアメリカ海軍の戦闘機(F8U-2 クルセイダージェット戦闘機)が厚木基地へ向かう途中で故障を起こし、機体が町田市の中心部である原町田(現・原町田二丁目)に墜落した。墜落地周辺では衝撃及び火災により一般市民4名が死亡、32名の重軽傷者を出した。なお、乗員1名はパラシュートで近くの高ヶ坂団地に着地後、米軍病院に収容された。
墜落地は当時の原町田の繁華街の一部をなしていたにもかかわらず、最小限の被害だけですんだ。要因として以下のようなものが考えられる。
60度という角度で墜落したこと
長距離飛行だったため、燃料が残り少なくなっていたこと
ジェット機の空中分解などがほとんどなかったこと
当時の町田市及び周辺住民が迅速な救助作業を行ったこと
墜落機は南南東の方向から墜落したと推測され、この事故の5ヶ月後におきた大和米軍機墜落事故のように、墜落後2km以上の暴滑走という事態が起こっていれば、町田市の中心部は甚大な被害を受けていただろうとは、当時の青山藤吉郎市長の談である。

事故後の経緯
町田市およびその他行政機関の迅速な作業により、生存者の救出や、現場の保全修復が滞りなく行われた。後年起きた米軍機墜落事故にみられた米軍による情報統制や現場介入といったことは行われなかった。
ジョンソン大統領による弔問の覚書があったほか、厚木海軍航空司令官や厚木基地憲兵隊司令官、岩国基地司令官、在日米軍賠償部長などが即座に訪れ、陳謝を行った。
墜落現場には今もなお、墜落機のエンジンが地中深く埋まっているとされる。墜落現場は事故直後は被災者の仮設住宅が設けられたが、今は月極駐車場となっており、墜落現場であったことを示すものは見当たらない。
墜落現場は、国鉄原町田駅が小田急寄りに移転(1980年)するまでは、名実ともに原町田の繁華街の一角であった。町田天満宮を目の前にし、後年小田急寄りの隣接地にはスーパーダイエーの関東一号店ができるなど(今はホテルエルシー、町田市立中央図書館、日本最大級のザ・ダイソーがある)繁栄を誇っていたが、今は中心部の賑わいからは外れてしまっている。

町田郵便局
町田郵便局は東京都町田市にある郵便局。民営化前の分類では集配普通郵便局であった。

沿革
1872年8月4日(明治5年7月1日) - 原町田郵便取扱所として開設[1]。
1875年(明治8年)1月1日 - 原町田郵便局(五等)となる。
1881年(明治14年)8月 - 貯金預所を設置。
1882年(明治15年)11月16日 - 為替取扱所を設置。
1890年(明治23年)4月1日 - 町田郵便局に改称。
1897年(明治30年)3月21日 - 町田郵便電信局となる。
1903年(明治36年)4月1日 - 通信官署官制の施行に伴い町田郵便局となる。
1949年(昭和24年)4月1日 - 大野分室を相模原分室に改称[2]。
1956年(昭和31年)11月1日 - 当局ならびに相模原分室にて電話通話および和文電報受付事務の取扱を開始。
1959年(昭和34年)2月 - 局舎新築落成。
1960年(昭和35年)6月16日 - 相模原分室を廃止。取扱事務は相模台郵便局に継承。
1972年(昭和47年)9月18日 - 町田市中町一丁目から同市旭町三丁目に移転。
1994年(平成6年)7月1日 - 外国通貨の両替および旅行小切手の売買に関する業務取扱を開始。
2007年(平成19年)10月1日 - 民営化に伴い、併設された郵便事業町田支店、ゆうちょ銀行町田店に一部業務を移管。

東京都道47号八王子町田線
東京都道47号 八王子町田線は、東京都八王子市から町田市に至る主要地方道である。この道路は通称町田街道と呼ばれる。俗に、略して「マチカイ」と呼ばれることがある。ほぼ全区間、東京湾と相模湾の分水界に沿っている。

三塚交差点より八王子方面を望む陸上距離:26.774km
起点:東京都八王子市東浅川町(町田街道入口交差点=国道20号交点)
終点:東京都町田市原町田(三塚交差点)
新道区間:東京都町田市旭町=滝の沢交差点~同市原町田=三塚交差点

交差・接続している道路
国道20号(甲州街道、東京都八王子市)町田街道入口交差点、高尾駅前交差点
東京都道46号八王子あきる野線(高尾街道、東京都八王子市)町田街道入口交差点
東京都道173号上館日野線(北野街道、東京都八王子市)館町交差点
東京都道48号鍛冶谷相模原線(東京都町田市)大戸橋交差点
東京都道506号八王子城山線(東京都町田市)相原十字路交差点
東京都道171号相原停車場線(東京都町田市)相原駅入口交差点
国道16号八王子バイパス相原IC(東京都町田市)
国道16号(東京都町田市)相原交差点
東京都道158号小山乞田線 多摩ニュータウン入口交差点
東京都道503号立川相模原線 小山交差点
東京都道57号相模原大蔵町線 根岸西交差点
東京都道47号八王子町田線 滝の沢交差点
東京都道52号相模原町田線 森野交差点
東京都道3号世田谷町田線 原町田中央通り交差点
東京都道140号川崎町田線
東京都道47号八王子町田線 三塚交差点
東京都道56号目黒町町田線 三塚交差点
東京都道141号辻原町田線 三塚交差点

東京都道56号目黒町町田線
神奈川県道・東京都道56号目黒町町田線は、神奈川県横浜市瀬谷区と東京都町田市を連絡する県道・都道(主要地方道)である。

概要
起点:神奈川県横浜市瀬谷区目黒町 目黒交差点(国道246号)
終点:東京都町田市原町田2丁目1/2/7/8番地の交差点(東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線・神奈川県道・東京都道140号川崎町田線交点)
延長
神奈川県道:
東京都道:3,769m(上位路線との重複区間を除く)
面積
神奈川県道:
東京都道:35,537m
都市計画路線:町田3.4.37
都道認定要件:主要地と主要地とを連絡する道路