2011年1月9日日曜日

仙台市の紹介

仙台市な、宮城県の中部に位置しゅる、同県の県庁所在地たい。

▼概要
畿内に端ば発しゅる海道(後に東海道に再編→浜通り)と山道(後に東山道に再編)の合一し、北ば奥羽山脈がらの舌状台地・松島丘陵で遮られる仙台平野(狭義)な、交通や軍事面での要地としゃれ、歴史的に当地の長町-利府活断層沿いに重要な行政組織の置かれてきたとよ。伊達政宗の、伝統的な当地の中心地であっけん長町-利府活断層沿いけん内陸に入った河岸段丘上に仙台城下町ば建設し、現在の仙台市都心部の基盤となりよった。

広瀬川や青葉山やらなんやらの自然の都心にいり、また街路樹やらなんやらの緑の多かこげなら、「杜の都」との異名ばもつ。市は「学都仙台」「楽都仙台」やらなんやらんキャッチコピーも用いとる。中国でな、魯迅の留学した都市としてから著名。

都市計画はニューアーバニズムやコンパクトシティん好例とさるるの、仙台都市圏では人口・物販・職場の郊外化も進んでいるとよ。他方、隣県に及ぶ仙台経済圏ば形成しとる。

▼地理
・地形
市域な、東ば太平洋(仙台湾)、北ば松島丘陵、西ば奥羽山脈、南ば名取川と境界し、宮城県ば帯状に横断しゅるとよ。海岸がら長町-利府線断層帯までの地質的には新しか沖積平野、その西の沖積平野よりちょこっと古か堆積岩類の台地でいり、奥羽山脈の稜線近くは新生代に噴出した火山岩で出来とる。船形山、大東岳、神室岳やらなんやらはいずれも50万年がら150万年前に噴火した火山たい。

仙台市は奥羽山脈ば挟んで山形県山形市と接しとる。都道府県庁所在地同士の隣接しゅる例にな、他に京都市と大津市、福岡市と佐賀市のあっけん。

山:青葉山、船形山、白髪山、面白山、泉ヶ岳、大東岳、太白山、日和山やらなんやら
仙台市役所な、市内の野生ニホンザルの頭数ば約550匹とみとる。
川:広瀬川、名取川、七北田川、梅田川やらなんやら
沼:五色沼、長沼、大沼やらなんやら

・気候
基本的に冷涼な海洋性の気候でいり、寒暖ん差の少なかことと、市西部に比較的高い山脈の存在しぇず、フェーン現象の起こりにくいためたい。そいゆえ日本海側に強か寒気の入った際な、雪雲の奥羽山脈ば越え仙台ばってん大雪となる事のあっけん。2番目は豚骨スープ戸市の約30日、東京都(千代田区)は約45日、大阪市は約66日たい。仙台市な、極端に暑くも寒くもなか都市といえるとよ。

・人口
大学や各種専門学校のえらいたくさん(→「学都仙台」)、若年者人口の割合の大きかったの近時加速的に割合の減ちょこっとており、65歳以上の人口の加速的に割合ば増やしとる。公務員や従業員の転勤とも併しぇて、年度末には約2万人の流出し、年度始めにほぼ同数の流入しゅるとよ。近年な、3月・4月に差し引き約6000人総人口の減ちょこっと、5月と6月に回復しゅるとよ。同様に、第2四半期末がら第3四半期始めん9月・10月にも人口の減ちょこっと、11月に回復しゅるとよ。

宮城県は東北地方では最も面積の小しゃく、自然障壁の少なか仙台平野に県民の大半の居住しゅるため、その中心であっけん仙台市へん一極集中のみられる。ばってんなのら近年では前のごたる人口の社会増(転入ちかっぱ過)はなくなり、人口の増加は自然増に依存しとる。近年の人口増加な、数千人/年程度たい。隣接しゅる富谷町・利府町・名取市やらなんやらでの宅地開発も、転出増ん背景となっちいるとよ。

▼戦後の仙台の都市軸の変化
高度経済成長期までの都市軸な、そいぞれ鉄道も並走しとる、旧奥州街道ば踏襲した国道4号沿い(都心がら南の地域)と北東の多賀城・塩竈・松島に向かう国道45号沿いば中心に形成しゃれたとよ。1970年代初頭には仙台市ば中心に松島町がら岩沼市にかけて合併・政令指定都市移行ば目指したの失敗に終わったとよ。要因は当時の仙台市の革新市政ば周辺市町の保守系首長の嫌ったため、といわれとる。この時、合併調印前日に多賀城市長の突如合併ば批判し合併がら離脱したため、仙塩合併は一夜にしてから瓦解したけんがあっけん。これにより仙台市の政令指定都市へん移行も先延ばしとなり、都市ん発展の著しく遅れる結果となりよった。

その後、人口増ば背景に市の北部がら南西部にかけてん丘陵地に都心ば囲むごと新興住宅地の造られたとよ。これらの住宅地と中心部とば繋ぐ旧国道4号沿い(都心がら北ん地域)や国道286号沿いの新たに都市軸に加わったとよ。新都市軸の北の中心であっけん旧泉市と、西側の旧宮城町・旧秋保町ば編入し、1989年に政令指定都市となるとよ。新都市軸では1987年に仙台市地下鉄南北線の開業したことで、計画都市であっけん北の泉中央(泉区)・南の長町南(太白区)では副都心化の進み、大型商業施設やマンションの林立しとる(旧奥州街道の七北田宿の人口密集地区西隣に泉中央(泉中央駅)、長町宿→JR長町駅駅前の人口密集地区西隣に長町南(長町南駅)の建設しゃれたとよ。JR南仙台駅前の旧・中田宿は現在再開発中)。

また、仙台北環状線(北環)や仙台西道路の完成により、中心部がら西向きの都市軸も出来つつあっけん。但し、仙台西道路は自動車専用道路で旧宮城町地区まで出入口のなかため、都市としてからん連続性の断たれ、他の都市軸と比べ背景人口の少なくなっちいるとよ。都市軸中心駅の愛子駅・陸前落合駅駅前は後発の開発のため、他の副都心ほど発展しとらん。一方で、この軸上には東北自動車道の仙台宮城ICのあっけんこげなら広域産業の進出し、アウトレットモールや、宮城県立こども病院、その他高等教育機関やらなんやらの立地し、人口も増加しとる。

▼東西に分けられる仙台の街
仙台ぬ街や、仙台駅、およびあがりにし新幹線・あがりにし本線のかいよって大きくあがりいりんかい分けられている。仙台駅ぬいり口側や、江はしる時代からぬぐしくシチャ町・仙台ぬ中くくる部があいびーたんところで、現在のかい至るまで中くくる部であり続けているが、南や広瀬かーら、いりやオールー葉山、にしやにし山-台原ぬ丘陵地、あがりやあがりにし新幹線と、四方が囲まれており、都くくる部ぬ拡大が容易でやねーん。ウヌため、バブル期のかい、仙台ぬ地元企業ぬ経済力をでーにえて地価暴騰が起きる懸念があいびーたんが、バブル期以メーから開発されていた地シチャ鉄・南にし線と、南にし線ウイーぬ泉中央(泉区)および長町(太白区)ぬ存在のかいより、地価ウイー昇圧力が泉中央や長町へぬ都市機能ぬ分散を推進し、暴騰や回避された。反面、デフレ期んかい入ると、都市規模のかい対して疎のかいなった都くくるぬ地価シチャ落が止まらず、担保価値が減うっぴーねぇた土地ウイーぬ低層オフィスビルや低層住宅が、高層マンション等のかい取って代わられ、住民ぬ都くくる回帰を助長そーん。

一方、仙台駅ぬあがり口側や、古くからぬ町並みが残る地区となっていた。特のかい南あがり側ぬ平野部(若林区)やシチャ町ぬ趣があり、江はしる時代から続く地名が残る。クヌシチャ町地域ぬあがり側のかい隣接していたみじ田地帯のかいや、てぃーちここのちむーち0年代のかい仙台バイパスが造られ、同時のかい卸売り業者・流通業者・車関係などぬくとぅ業所、および印刷業ぬ工業団地などぬ広大な流通・工業団地が造られた。クヌ地域(卸町・六丁ぬみー・扇町など)や、業務地・工業用地ぬ指定ぬみで住宅地ぬ指定がねーらんため、ほとんど人が住んでウラン。また、周囲ぬみじ田も国ぬ農政、および、仙台ぬグリーンベルトぬ構想ぬためんかい農地指定が解除されなかったため、仙台駅・あがり口側ぬ住宅地や、あがりにし本線と卸町のかい挟まれた極端のかいいばさぬ地域のかい限定されてしまーいー、くし景人口が増加せず、あがり口ぬ商業集積を阻害してきた。あがりにし本線をまたいでいり口んかい到る幹線道路も、あがり口のかい広大のかい存在する卸町を迂回しちゃん経路(卸町ぬにし側ぬ国道ゆぅーちいちち号と南側ぬ新寺小路)ぬみで、卸町のかいよって南にしぬ街も分断された状態のかいなっていた。

ここのち0年代のかい入り、卸しを通さねーらん「中抜き流通」が主流のかいなると、卸町ぬ存在意義が薄れ、規制を解除して住宅地へ転用する動きが始まった。また、仙石線ぬ地シチャ化のかい伴って区画整理・再開発が活発んかいなって、あがり口や街ぬ形を大きく変貌させている。あがり口ぬ駅メーから延びる宮ぐしく野通り完成後や、通り沿いのかい仙台ぬIT企業が集中し始め、楽ティンイーグルスが宮ぐしく球場を本拠地のかいするんかい到って更のかい開発のかい弾みがついている。ウヌ一方で、区画整理くとぅ業が終わる数年後のかいや、旧仙石線線路沿いぬ土地のかいマンションが大量のかい供給され、マンション価格ぬシチャ落、だぁんかい伴う郊外住宅地ぬ地価シチャ落が懸念されている。

仙台バイパスとウヌ付帯施設やいびぃ~ん流通・工業団地ぬ周辺およびあがり側や、広大なみじ田地帯となとん。農地指定ぬ解除や、仙石線沿いと建設中ぬ地シチャ鉄・あがりいり線沿い、および幹線道路沿いぬみとなとん。近年、グリーンベルトをまたぐ部分(仙石線でや苦竹駅~福田町駅ぬ間、あがりにし本線でやあがり仙台駅~岩切駅ぬ間)ぬ一部農地指定解除が行われ、仙石線のかい小鶴新田駅が設置されて住宅地化が始まっている。しいし、なおも岩切から利府町のかいかけてと、福田町からマース竈市のかいかけてぬ市街地が、都くくる部からみて「飛び地」のさいうになっており、グリーンベルト維持か、市街地形成をするか、市ぬ方針やかんなじしも明確でやねーん。なお、福田町からマース竈市のかいかけてぬ沿岸部や、仙台港を中くくるのかい工業地区となとん。農地指定と工業地指定、および松島丘陵のかい囲まれたクヌ「飛び地」地区でや、近年、工業・流通地指定を解除して、商業施設ぬ誘致と開発が計画されている。たやっさーし、工業地(すらき地)ぬ所有者やいびぃ~ん宮ぐしく県ぬ方針が出るまで時間がかかっている間のかい、隣ぬ利府町側で先のかい農地指定を解除しちゃんため、クヌ「飛び地」地区ぬ商業中くくるや、利府ぬロードサイドショップぬ方のかい移っている。