航空自衛隊浜松基地は、静岡県浜松市西区西山町無番地にある航空自衛隊の基地。浜松飛行場を中心としている。
▼歴史
1925年(大正14年) - 陸軍飛行第7連隊新設
1933年(昭和8年) - 浜松陸軍飛行学校設立
1945年(昭和20年) - 米空軍不時着飛行場として使用
1952年(昭和27年) - 保安隊航空学校設立
1954年(昭和29年) - 航空自衛隊操縦学校、整備学校、通信学校設立
1955年(昭和30年) - 臨時教材整備隊設立,航空団設立
1957年(昭和32年) - 浜松管制分遣隊、浜松気象分遣隊設立
1958年(昭和33年) - 南・北基地が分立し、北基地に第1航空団、浜松管制隊、浜松気象隊が移駐
1960年(昭和35年) - ブルーインパルス編成(北基地)
1962年(昭和37年) - 術科教育本部設立(南基地)
1965年(昭和40年) - 飛行教育集団司令部、宇都宮から移駐(北基地)
1969年(昭和44年) - 教導高射隊設立(南基地)
1971年(昭和46年) - 浜松救難隊設立(南基地)
1976年(昭和51年) - 中部航空音楽隊設立(南基地)
1981年(昭和56年) - ブルーインパルス、松島基地へ移動
1982年(昭和57年) - 航空祭中にブルーインパルスが墜落事故
1985年(昭和60年) - 第6移動警戒隊設立(南基地)
1988年(昭和63年) - T-33AからT-4への機種更新開始
1989年(平成元年) - 南・北基地統合「浜松基地」となる
1998年(平成10年) - 高射教導隊発足。早期警戒管制機(E-767)実用試験隊発足
1999年(平成11年) - 警戒航空隊、第601飛行隊第2飛行班及び早期警戒管制部隊を発足、司令部を三沢基地から移動。航空自衛隊浜松広報館開館。
2000年(平成12年) - 警戒航空隊、早期警戒管制機(E-767)の正式運用を開始。
2004年(平成16年) - 第6移動警戒隊を廃止、解散。
10月3日に開催された航空祭に、「航空自衛隊創設50周年」を記念してアメリカ空軍曲技飛行チーム『サンダーバーズ』が飛来。
2005年(平成17年) - 警戒航空隊、空中警戒管制隊から飛行警戒管制隊へと改編する。
2008年(平成20年)5月:ペトリオットミサイル(PAC-3)の配備を開始
▼浜松広報館
航空自衛隊浜松広報館は、1999年4月に開館した航空自衛隊の広報施設である。愛称は「エアパーク」。航空自衛隊の任務の紹介、使用された各種航空機や現用・過去の各種装備品の展示、全天周シアターなどがある。
▼交通アクセス
浜松駅からの直通バスは1日1便しかなく、多くは自家用車か観光バス(無料駐車場)、あるいは路線バス泉高丘線「泉4丁目」バス停で下車し徒歩10分(約700m)で来場する。
▼航空祭
毎年秋に航空祭を実施しており、「エアフェスタ浜松○○○○」(○には西暦の年号が入る)と称している。ブルーインパルスの展示飛行の他に、航空自衛隊で使用している航空機や米軍から借用した機体などの展示、ブルーインパルスの地上職員による「ジュニア」の演技、各種航空機の展示飛行などのイベントが催される。入場無料。
1982年11月14日の航空祭では「T-2ブルーインパルス」が「下向き空中開花」演技中4番機が墜落、パイロット1名が殉職、周辺住民12名の負傷者を出す事故を起こした。以後浜松基地の航空祭では「宙返り飛行系演技」と「背面飛行系演技」が全面禁止され、「浜松スペシャル」と題した「水平飛行系演技」のみとされた。「T-4ブルーインパルス」に機種改編後も「浜松スペシャル」が続けられていたが、1999年11月14日の航空祭より「宙返り飛行系演技」と「背面飛行系演技」が解禁され、18年ぶりに第一区分の展示飛行を実施した。
夏には「浜松基地納涼祭」(浜松基地 納涼の夕べ)を毎年実施する。当日は南基地の一部を開放し、盆踊り等により地域住民との交流を図っている。入場・参加無料。
▼浜松TACAN
浜松TACANとは、航空自衛隊浜松基地管轄の航空保安無線施設である。基地周辺には、国土交通省管轄の浜松V/Dがある。
■■■浜松・東三河フェニックス■■■
浜松・東三河フェニックスは、2008年より日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)に所属するプロバスケットボールチームである。
浜松市と東三河地区のダブルホームタウン制を採用している。ただし、bjリーグでの慣例から、略称は自治体名の「浜松」となる。旧チーム名は「オーエスジーフェニックス東三河」。bj転籍に伴い浜松市と豊橋市を含む愛知県東三河地区とのダブルフランチャイズとなるため、チーム名は「浜松・東三河フェニックス」に変更となる。ホームアリーナは豊橋市総合体育館のみから静岡県浜松市の浜松アリーナと浜北総合体育館、愛知県東三河の豊橋市総合体育館、豊川市総合体育館に増加する。チーム運営会社は株式会社フェニックスコミュニケーションズとなり、オーエスジー本社は出資企業のひとつとしてチーム運営を継続する他、浜松・東三河地区の企業の出資も仰ぐ。シーズン終了後、オーエスジーフェニックス東三河に所属していた選手は全員移籍選手リストに提示され、川村卓也、朝山正悟といった日本代表級選手がJBLの他チームに移籍し、大口真洋、太田敦也、岡田慎吾、堀田剛司といった選手が浜松・東三河フェニックスに残留した。bjリーグ開幕に先立ち、10月に浜松アリーナでの東京アパッチ戦と、ロシアの強豪でユーロリーグ出場歴のあるMBCディナモ・モスクワとのプレシーズンを敢行した。
▼2種類のアリーナ
浜松・東三河フェニックスは、2種類のコートを使い分けており、浜松地区で開催される場合は浜松フェニックスと書かれたコートを、東三河地区で開催される場合は、東三河フェニックスと書かれたコート使い分けている。なお、旭川で開催された時は東三河フェニックスと書かれたコートを使用した。また、アリーナMCも、浜松地区では高橋正純が担当し東三河地区は加藤昌志が担当している。
■■■浜松商業高校■■■
静岡県立浜松商業高等学校は静岡県浜松市中区にある公立の商業高等学校である。
▼沿革
1899年4月12日 - 乙種程度をもって浜松市元城町齢松寺境内に開設
1901年4月 - 組織を変更して甲・乙両種商業科を設置
1911年9月7日 - 浜松市立商業学校と改称認可
1922年4月1日 - 県立に移管、静岡県立浜松商業学校と改称
1929年4月1日 - 静岡県立浜松第二商業学校(夜学)を併設
1944年3月31日 - 静岡県立浜松第二工業学校に転換、機械科・金属工業科・電気通信科を設置
1946年3月22日 - 静岡県立浜松第二工業学校廃止、静岡県立浜松商業学校に復帰
1947年4月1日 - 新制中学校を併設
1948年4月1日 - 静岡県立浜松商業高等学校と改称、商業科の全日制・定時制課程を設置
1968年4月1日 - 全日制課程に貿易科設置
1971年4月1日 - 全日制課程に経理科と事務管理科を設置
1973年4月1日 - 事務管理科を情報処理科に変更
1978年4月5日 - 硬式野球部が第50回選抜高等学校野球大会で優勝
1990年4月1日 - 貿易科を国際経済科に変更
1994年4月1日 - 全日制課程学科改編(経理科・会計科・情報処理科・国際経済科)
1998年4月1日 - 会計科を廃止
2006年4月1日 - 定時制生徒募集停止