2011年3月30日水曜日

72系は、富山向きのクモハ73形と

岩瀬浜向きのクハ79形の2両編成を運行の基本としていた。したがって当時は現状とは逆に、編成の富山方にパンタグラフが搭載されていた。末期は5編成計10両が配置されており、朝夕は2編成を連結した4連が2本組成され、おおむね30分間隔で運行されていた。なお、1984年2月1日国鉄ダイヤ改正で最大運用車両数が4連2本から4連・2連各1本に減り、72系2両が廃車されている。配置車のうち1編成は予備車であり、連結を外されて城川原駅の2本の側線に留置されていた。なお予備車としては昭和50年代半ば頃まで、両運転台のクモハ40形が配置されており、富山方と岩瀬浜方の両方向の先頭車として使用されていた。その後に導入された457系・471系・475系は、基本ユニットを構成する3連での運用になった。しかし朝ラッシュ時に使用される2編成のうちの1本は、以前と同等の輸送力を確保するため、富山方にクハ455形が並ぶ変則的な4連となっていた。この運用は後に近郊形である413系の3連に置きかえられたが、最終的にはこのような限定運用はなくなった。そしてJRとしての運営末期にあたる2005年秋からは、記念イベントとして475系の2編成が交直流急行色に塗装され、当線限定で運用されていた。

なお、これ以前にも475系導入後、いわゆる北陸色への塗り替えが進むまでの間も、交直流急行色で運行されていた。また、それ以前の72系は、かつての京浜東北線などと同様、全体がスカイブルー(青22号)に塗られていたが、例外的に茶色(ぶどう色2号)の車両が使用されることもあった。475系の導入に際しては、富山駅と富山口駅との間にあった北陸本線との渡り線にデッドセクションが設置された。また城川原駅の車両基地が廃止されたが、朝夕の2編成での運行に備えて一時的に車両を留置するため、富山駅構内に1本の電留線が整備された。この電留線は、奥田駅につながっていた貨物支線の敷地を利用しており、当線が発着していた当時の6番線の北東に位置していた。JR移管後については、1987年(昭和62年)5月に富山口駅が移転している。これは当時、富山口駅の西側を通っていた県道の地下道化工事に伴うもので、駅周辺の線路が南側に付け替えられ、北陸本線と隣接するようになった。

この地下道(東田地方地下道)の完成によって、県道は当線のほか北陸本線と富山地方鉄道本線の計5本の線路の下を通過するようになり、開かずの踏切が解消された。その後、富山駅の当線専用ホームが南西側に移転しており、単式の6番線から島式の6、7番線に切り替わっている。新しいホームは二編成を収容できるため、それまでの単式ホームのほか、その北東側の電留線も不要になり、これらの敷地は駐車場などに転用された。なお6、7番線はその後、西ホーム(当時の3番線西端の切欠きホーム)が3番線に改称されたことに伴い、7、8番線となった。富山市中心部や沿線の工場等への通勤・通学路線の役目を担ってきたが、閑散時間帯の合理化のため、2001年(平成13年)からレールバス(キハ120形)を導入して高山本線と共通運用にし、朝と夕方の列車を電車で、昼間と夜の列車をレールバスで運行していた。JR末期にあたる2005年(平成17年)7月時点では、富山 - 岩瀬浜間は朝夕をのぞいておおむね1時間間隔の運転であったが2時間ほど運転間隔が開く時間帯もあった。

全20往復(土休日は18本)のうち、475系は朝と夜のみの運用で、日中を中心に10往復がキハ120形の単行での運転となっていた。なお、廃線直前の2006年(平成18年)2月11日からは同線運用の交直流急行色に塗装変更された475系2編成の先頭車の前面に「ありがとう富山港線」と表記されたヘッドマークを掲出し、同年2月25日から最終日の28日までは終日全列車475系で運転された。このヘッドマークは、富山市出身の書家である森大衛が揮ごうしている。国土交通省公式サイト内の「国土情報ウェブマッピングシステム」では、昭和50年度(1975年度)に富山市などを撮影した空中写真(縮尺1/8000)が公開されており、また国土地理院公式サイト内の「国土変遷アーカイブ 空中写真閲覧システム」では、1946年(昭和21年)7月に米軍が撮影した空中写真(縮尺1/10000)及び2000年に国土地理院が撮影した空中写真(縮尺1/30000)が公開されている。縮尺や解像度による違いはあるが、貨物線を含む当時の線形の概要を把握できる。

2003年(平成15年)にJR西日本が富山港線と吉備線について路面電車 (LRT) 化を検討していると発表した。駅の増設・列車の増発・既存の軌道線との直通運転などにより利便性を高めるというものである。富山港線については、富山市を中心とする第三セクター会社が経営主体となって引き継ぐことが決定し、2004年(平成16年)4月21日に富山ライトレール株式会社が設立された。計画では、富山駅北 - 下奥井駅間の一部(富山駅北 - 奥田中学校前踏切間)に併用軌道を新設し、既存のルートは廃止する(富山口駅は廃止、新ルートに新駅を設置)こととされ、また、駅間600mを目安とし4か所の新駅を設置することとされた。2014年度に予定される北陸新幹線の富山乗り入れに合わせて2006年(平成18年)に富山駅北 - 岩瀬浜駅間をLRT化し、富山駅付近の高架化が完成した後に富山地方鉄道富山市内軌道線と接続し直通運転を行う予定となっている。直流600Vの富山地方鉄道富山市内軌道線への将来的な乗り入れも視野に入れ、き電設備・架線電圧が直流1500Vから600Vに降圧された。

そのため従来の変電所は使用できず、城川原駅と奥田中学校前駅に変電所が新設された。また、市内軌道線に合わせて車両がLRVに切り替わることから、従来のホームは転用できず、新たに低床ホームが設置された。なおJR西日本時代までに使用されていた駅舎は、休憩所として利用されることが決まっていた東岩瀬駅と、建物が比較的新しい競輪場前駅をのぞいて開業までに解体され、旧ホームについても東岩瀬駅の一部区間をのぞいて開業までに解体された。