2011年3月13日日曜日

富山県は

日本海に面する日本の北陸地方の県の一つ。令制国の越中国に相当する。県庁所在地は富山市。富山県は、四方を海と山脈で区切られた越中国と領域を同じくする。東の新潟県との県境は難所親不知として知られる。西部は倶利伽羅峠を挟んで石川県と接しており、戦国末期には両国の前田利長と佐々成政が争った。その後羽柴秀吉により、越中は前田利長に与えられ、江戸時代の越中は加賀藩とその支藩である富山藩に統治されていた。廃藩置県では一時的に新川県が成立するも、歴史的経緯と人口過小とみなされ、石川県に併合されてしまう。しかし石川県議会では越中の水害復旧が放置されるなど越中軽視の姿勢が目立ったことから(予算の98%を石川県側が握っていた)、分県運動が起こり、全越中が分離独立する形で富山県が成立した。南には飛騨山脈(日本アルプス)が控え、山間部には「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として世界文化遺産に登録されている五箇山、立山信仰などの山岳信仰で有名な立山連峰、山岳観光ルートの立山黒部アルペンルートなどがあり、日本唯一の氷河が発見されている。

隣接する岐阜県飛騨地方は山々にさえぎられる形で、太平洋側との交通の便が悪く、富山県との結びつきが強い。北は富山湾(日本海)に面している。特定重要港湾の伏木富山港は北陸工業地帯や環日本海貿易の拠点として発達した伏木港、富山港、富山新港の総称である。また魚津、滑川、氷見などでは豊富な海産物が水揚げされる。うち魚津から滑川にかけてはホタルイカの群遊海面、蜃気楼の見える海岸で有名である。加賀藩の支配を脱した明治から産業の発展が続き、北陸工業地帯を形成。YKKや三協立山アルミなど発祥の地として知られる。北陸銀行や北陸電力などの本拠地でもあり北陸経済の中心と言っても過言ではない。2009年現在、「近世高岡の文化遺産群」と「立山・黒部 ~防災大国日本のモデル -信仰・砂防・発電- ~」を世界文化遺産に登録することを目指している。もし登録が実現すれば、1つの県に3つの世界文化遺産を保有する県となる。また、立山連峰や黒部峡谷などを世界自然遺産に登録することを目指す動きもあり、立山・黒部地域はいわゆる世界複合遺産としての登録を目指す可能性もある。

方言としては富山弁があり、地域によって呉東方言、呉西方言、魚津弁などに分かれる。富山弁は北陸方言に属し、特に能登弁と類似性がある。「新鮮」を意味する「きときと」をはじめ、『広辞苑』に収められている言葉もある。前述の「きときと」と表現される魚介類に加え、名水百選、平成の名水百選にそれぞれ県内から4か所が選ばれるなど、名水の産地として知名度が高い。貯蓄率は高く、「越中の一つ残し」と言われるほどである。自分の家を持って一人前という風潮があり持ち家率は全国最高である。さらに家の大きさ(延べ床面積)も全国一大きい。子弟の教育にも熱心な傾向があり全国学力調査など教育関係の統計で、上位に位置することが多い。大家族傾向があるため、世帯収入が全国最高水準である。逆に生活保護家庭の割合は極端に低く、全国最低である。乳幼児を祖父母等に預けることが比較的容易なこともあって共働き率が全国最高水準である。石川の「嫁は越中から貰え」という格言は、富山の女性は働き者とされるところからきている。

この勤倹克己を地で行くような県民性は、安田善次郎のような経済的成功者を多く生み出してきた。海産物を好む食文化を持っており魚介類の消費額が全国一大きい。特にコンブ、ブリ、イカの消費額が群を抜いて大きい。北陸地方は一向一揆で知られる浄土真宗が盛んで、越中の価値観にも強い影響を与えてきた。たとえば堕胎・間引きを忌んだことから、江戸時代から人口増加率が特に高く、全国に移住者を出していた。北海道開拓においても、富山県出身者が有意に多く、北方領土からの引揚者も北海道に次ぎ2番目に多い。また、県内全域から見られる立山連峰は、山岳信仰の舞台になっていた。富山県では旧石器時代の遺跡は140以上も確認されている。それらの大半は3万年前までの後期旧石器時代のものである。そして、約2万2000年前ごろまでの前半期には東日本に分布する立つ野ヶ原型ナイフ形石器と呼ばれる石器群が、後半期には国府型ナイフ形石器と呼ばれる瀬戸内系石器群が出土している。

本県では、東西の石器文化の影響を受けたことがわかる。また、これらの石器の材料は本県の西部の頁岩系石材とともに、瀬戸内系安山岩であり、当時の人々の広範囲な活動や交流が認められる。縄文時代 氷見市の大境洞窟で新石器時代の遺物発見。大和時代 五畿七道のうち北陸道の一つとして存在する。北陸地方は、越国(高志国)であったが、645年 大化の改新の後、越前(こしのみちのくち)、越中(こしのみちのなか)、越後(こしのみちのしり)に三分割され、大宝二(702)年越中国となり、ほぼ今の富山県域と一致し、時により加減はあったが砺波(となみ)・射水(いみつ)・婦負(ねひ)・新川(にひかわ)の四群から構成された。701年 越中国の国司である佐伯有若の子、佐伯有頼によって立山が開山し、雄山神社が開かれる。特筆すべき資源として豊富な水資源とそれを利用した水力発電がある。 そのため越中は古来より米所であった。富山県は明治から昭和にかけてこの電力を生かして第一次産業から第二次産業、つまり日本海側屈指の工業地域(北陸工業地域)へと産業転換を果たした。

ただ第三次産業への転換は首都圏一極集中の流れから、遅れがちである。そのため情報処理業はインテックなど企業向けが中心である。一方で地方としては珍しいアニメスタジオ(ピーエーワークス)がある。農地は減少傾向にあるが、耕作地における水田率は全国1位 (95.9%)。砺波地区においては明治時代から続くチューリップの栽培が盛んであり、異彩を放っている。北部に占める富山湾の恩恵により、漁業も盛んであったが、近年定置網漁を除く、その他の漁業は衰退の傾向にある。しかし、国民のグルメ指向と輸送時間の短縮化により、従来は移送が不可能であったシロエビなど、今まで売れなかった商品が注目されている。農業:米、砺波のチューリップ、福光の干し柿、入善のジャンボ西瓜。豊かな漁場である富山湾を有し発達している。他県に無い特色としては伝統的なブリ定置網漁、日本唯一の群泳海域を持つホタルイカ漁、保存技術の発達で可能になったシロエビ漁など。山の大半が国立公園のため、あまり盛んではない。