2011年3月14日月曜日

立山連峰の豊富な水資源と水力発電を利用して

産業が発達している。特に電気料金は北陸電力が日本で最も安い電気料金を実現しており、多量の電気を必要とするアルミ精錬とその関連産業が栄えてきた。臨海部を中心として石油精製、重化学工業、各種電気製造が発達している。特定重要港湾伏木富山港では大量の原料の輸入と製品の輸出が行われている。「越中の薬売り」の伝統から医薬品の製造・販売が盛んである。製薬業は景気後退や高齢化の進行に強い。ジェネリックブームの恩恵もあり、平成不況の中にあって高い安定性を誇る。県外への輸出は伝統的に富山の売薬やブリ街道が有名である。古くから北前船で知られる日本海側貿易の中継拠点であったが、現代ではさらに環日本海貿易の拠点として発達し、中古車などの取引拠点となっている。県内商業としては伝統的には総曲輪周辺の中心市街地が栄えていた。近年では車社会化が進行し、幹線道路沿いの郊外店が主流となっている。それにともない大型店舗化が進行している。

富山市と高岡市の商圏は県内のみならず岐阜の北部や新潟県上越地方をも収めるが、隣県の金沢市の商圏と競合関係にある。伝統的に富山平野の中央部にある呉羽丘陵を境に東を呉東、西を呉西と呼んでいた。現在では市町村界によって区切った県東部・県西部という名称も使われている。おおむね呉東・呉西に一致するが、富山市呉羽地区は呉西でありながら県東部に属する。また、富山市婦負地区(旧婦負郡)は、かつて気象庁の地方区分では県西部(西部婦負)に属していたが、行政区分との統一を図るため2006年3月1日より同市他地区と同じ県東部(東部南)へ管轄変更となった。さらに、県東部を富山地区・新川地区、県西部を高岡地区・砺波地区に細分することがある。北日本新聞(1884年創刊の中越新聞より始まる。富山県を代表する言論機関)読売新聞北陸支社(実質的創業者正力松太郎が当県出身)富山新聞(石川県の地方紙である北國新聞が富山県版として発行しているもの)読売新聞以外の全国紙や北陸中日新聞も県内に取材拠点、販売網を有す。

富山県は全国紙の発行本社が東京本社・大阪本社とそれぞれ別になっている。読売新聞の北陸支社は東京本社の管轄で、当県と石川県向けに発行しているが、紙面の内容の大半は東京本社の内容をそのまま掲載している(福井県は大阪本社管轄)なお、読売新聞は2011年3月から富山市の北日本新聞社の工場『創造の森 越中座』に委託しての印刷になっている。朝日新聞は、創刊当初から1989年8月まで大阪本社版が販売されていたが、1989年9月から2011年3月末まで輸送上の問題から東京本社版が販売されていた。しかし、2011年4月から富山・石川両県の同紙を中日新聞社の金沢工場で委託印刷されることに伴い21年半ぶりに大阪本社版に戻した。毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞は元から大阪本社版が販売されている。なお、産経の県域版は掲載されていない。スポーツ新聞は、スポーツニッポン、サンケイスポーツは大阪本社版、日刊スポーツは名古屋本社版(日刊スポーツ新聞西日本管轄)が販売されている。

スポーツ報知は東京本社発行版が販売(富山市で現地印刷)されているが、公営競技など一部の記事は大阪本社で製作されたものを掲載している。他に中日スポーツ(中日新聞北陸本社で発行)も販売されている。なお、富山県にはテレビ朝日系列の放送局がないため、区域外再送信で北陸朝日放送(5ch)を視聴できるケーブルテレビ局が多い。また、同系列の取材拠点として富山市にテレビ朝日富山支局が、高岡市に北陸朝日放送富山支局が設置されている。高岡市、砺波市、小矢部市など県西部では北陸朝日放送など石川県の放送局(魚津市でも受信が可能)、朝日町など県東部では新潟テレビ21(5ch)など新潟県の放送局を、南砺市の五箇山地域と富山市の旧細入村地域(いずれも県境付近のごく限られた地域)ではメ~テレ(6ch)など中京広域圏の放送局と岐阜県の独立UHF局の岐阜放送(ぎふチャン。8ch)を受信している世帯がある。

また、北日本放送(KNB)においてテレビ朝日の平日朝のワイドショー(『モーニングショー』→『スーパーモーニング』)が同時ネット(単発ではFIFAワールドカップ(日本代表戦)やマラソンも)されてきたが、KNBが2011年春の『スーパーモーニング』の終了を機に本来の系列番組で日本テレビ制作『爽快情報バラエティー スッキリ!!』のネットに変更したことに伴い、KNB及び富山の民放局からはテレビ朝日系番組の同時ネット番組は全廃され、富山県に所在する民放局3局でのテレビ朝日系番組の放送は全て時差ネットで放送されることとなった。富山湾に設けられた湾港群。古くより沿岸貿易路の中継拠点であった。現代では環日本海貿易の中経路として、そして北陸工業地帯と世界をアクセスする。 富山湾は黒潮親潮の潮境が生み出す豊穣な漁場であるため、漁港としても重要である。富山市は、北陸地方の富山県の中央部から南東部にかけて位置する市である。富山県の県庁所在地であり、国から中核市の指定を受けている。

また、環境モデル都市として認定されている。富山県の県庁所在地で、同県の中央部に位置する。2005年(平成17年)4月1日、(旧)富山市、上新川郡大沢野町、大山町、婦負郡八尾町、婦中町、山田村、細入村の7市町村による新設合併によって現在の(新)富山市が発足した。合併により、全国の都道府県庁所在地の中では2番目に広い総面積を持つようになった。また、富山県の29.24%の面積を占め、一つの市町村が県に占める面積の割合としては全国一である。広い総面積に対し、可住地面積比率は38.2%で、市域の約6割が林野地となっている。また、市街化区域面積比率は5.8%であり、環境モデル都市の選定を受けてコンパクトシティを目指した都市計画を進めている。合併により、「越中富山の薬売り」で知られる富山藩の城下町として栄えた地域、浄土真宗の古刹聞名寺(八尾)の門前町として発展した地域、立山信仰の登山者たちの宿場町として人々が行きかった地域など、多様な地域が包含された。

地形も変化に富み、水深約3,000mの富山深海長谷から標高2,986mの水晶岳までさまざまな動植物が生息し、ホタルイカや雷鳥などが観光資源化されている。国際会議観光都市にも選定されている。方言は富山弁と呼ばれる。富山県の中部に位置していて、県の面積の3分の1を占める。西部になだらかな呉羽丘陵が横たわるほかは、神通川、常願寺川などの川によって形成された沖積平野の富山平野が広がる。このため、南東部を見渡すと雄大な北アルプス立山連峰を一望できる。北部に目をやると、豊富な魚介類の宝庫である富山湾が広がっている。トヤマの地名は、室町幕府直臣の吉見詮頼が、応永5年5月3日に「越中国外山郷地頭職」を観勝寺に寄せた寄進状が初見である。外山郷は、越中守護所放生津(現・射水市)があった射水郡の東端である御服山(呉羽山)の東麓(射水郡からみて外側)に位置する。この地形から、外山の字が当てられたとする説がある。「富山」字は戦国時代に初見されるが、江戸時代は「富山」「外山」の両方が使用されている。この他には以下のような説がある。