2011年3月29日火曜日

新設された併用軌道区間の名称は

富山市都市計画審議会で「富山ライトレール線」とすることが決められた。なお廃止区間のうち富山駅から富山口駅までは、高架化工事期間中の仮線用地に転用された。この区間の経路について下り方向で順に挙げると、起点の富山駅北駅は、JR富山駅北口に隣接しており2面2線構造である。駅を出ると直ちに富山駅北口交差点を横切って、その先で1線に合流してから市道富山駅北線の路肩を北に進み、牛島町交差点に達する。ここで右に曲がって市道綾田北代線に移り、以降は道路の中央を東に進み、インテック本社前駅、牛島新町西交差点、牛島新町交差点、いたち川に架かる八田橋、永楽町交差点を通過する。その後2線に分岐して北向きに曲がりながら市道の東行き車線を横断して、旧線との合流点である奥田中学校前駅に到達する。なお八田橋については、強度の面で従来の橋桁を流用できなかったため、橋桁の中央部分を一旦撤去した後、新たに軌道専用の下路プレートガーダー橋を架設している。軌道の施工に際しては、インファンド (INFUNDO) と呼ばれる技術が導入されている。

これは2列の溝が形成されたコンクリート板を路面に埋設して、この溝の中に樹脂などを介して溝付レールを固定するもので、騒音や振動が従来よりも抑制されている。また積雪対策として、軌道の両側に沿って撒水式の消雪装置が設置されている。富山駅北口交差点と牛島町交差点は、その手前に列車を検知するセンサーが設置されており、交通信号が切り替わる際、専用の信号機で列車だけを通過させる方式になっている。しかし列車が止まることなく通過できる優先信号が設置されている交差点はない。そのため信号待ちが発生することや、右折車が軌道をふさぐことがあり、若干の遅れが出ることがある。特に朝ラッシュ時の10分間隔ダイヤを維持するには、インテック本社前駅での停車を含めて、各列車がこの区間を5分以内に走り抜ける必要があるが、現実には難しく、富山駅北駅周辺のダイヤは乱れやすい。なお列車を検知するセンサーとしては、トロリーコンタクターのほか、左右レールの内側に接するように埋め込む方式の物も使用されており、いずれも場合も、列車の進行方向を検知するため複数個を並べて設置している箇所が多い。

市道綾田北代線は、軌道の敷設によって、当初の4車線から2車線(交差点付近は右折車線を含む3車線)に削減された。そのため一部区間を拡幅する計画があり、併せて八田橋の東側から奥田中学校前駅までの軌道を複線化する予定で、これに備えた分岐器が当初から設置されている。この複線化にあわせて、永楽町交差点付近に新駅を設置する計画が公表されている。なお現状では、永楽町交差点付近での渋滞が激しくなったほか、この周辺で、自動車との接触事故が開業初年度に6件発生するなどの問題が出ている。この対策として2008年3月、ドライバーなどに列車の接近を知らせるため、八田橋の東側と永楽町交差点に計4台の電光掲示板が設置された。列車がトロリーコンタクターで区画された範囲内にあるとき、「電車接近中」と「軌道横断注意」が交互表示される。富山駅北口交差点から牛島町交差点までの区間は、市道富山駅北線の西側の路肩に軌道が設置されており、縁石によって車道と区画されている。

そのため中に自動車が入り込むことはなく、軌道の中央に芝生が敷かれている。また富山駅北駅構内はバラスト軌道に溝付レールという構造になっており、開業当初は枕木が見えていたが、2006年(平成18年)夏頃、全体に芝生が敷き詰められた。両端の駅と一部の交差点には、進行を黄色の矢印で、停止を赤色の×印で示す軌道用の信号機が設置されている。両端駅にある出発信号機には、軌道区間における先行列車(表示:S)または対向列車(表示:T)の存在と、その列車本数(表示:1または2)を知らせる表示装置が併設されている。また富山駅北駅には場内信号機も設置されており、進行の現示と合わせて到着番線が表示される。この区間の施工に際しては海外技術が導入されており、例えば分岐器や、レールボックス(列車検知センサーを軌道内に埋め込むための箱)や、地上と列車との情報伝達装置(両端駅の軌道中央にループコイル状のアンテナが設置されており、車両運転席の左側には操作パネルが埋め込まれている)は、ドイツにある HANNING&KAHL 社の製品が使用されている。

なお同社が公開している情報誌で当線が紹介されている。この区間の最高速度は、法令に従い40km/hとされるが、曲線などによる速度制限が点在しており、また信号による停止のほか、安全確保のため徐行する場合もあり、30km/h程度で頭打ちとなることが多い。なお奥田中学校前駅以北では、駅間距離が長い区間を中心に最高60km/hで運行されている。元々は富岩鉄道が開業した路線で、その後富山電気鉄道を経て富山地方鉄道富岩線となり、私鉄の戦時買収により国鉄富山港線となった。このような経緯から富山駅で接続する北陸本線が交流電化であるのに対し直流電化となっており、七尾線が1991年(平成3年)に直流電化されるまで、長らく北陸地方の国鉄・JR線では唯一のものとなっていた。また、富山港線は国鉄に買収された私鉄路線の中では最後に600Vから1500Vに昇圧された路線でもあった。富岩鉄道時代の1934年(昭和9年)10月時点では、朝に増発され、深夜に1時間間隔となるほかは、ほぼ終日30分間隔の運行であった。

国鉄時代は1967年(昭和42年)の昇圧まで南武・鶴見臨港・宇部・伊那などの買収国電、昇圧後は17m省形を経て72系などの直流用電車で運行され、1985年3月14日国鉄ダイヤ改正からは457系・471系・475系などの交直流電車で運行されていた。JR線時代までを通してすべて線内折り返しの普通列車であった。ちなみに、72系については、富山港線での運用が国鉄の旅客営業列車としての最後の72系の運用となった。