2011年4月27日水曜日

1624年に福井藩第3代藩主松平忠昌によって

「北」の字が「敗北」にあたり不吉であるとして「北ノ庄」のから「福居」に改名され、さらに後に「福井」と改名される。(改名の経緯に関しては諸説有り。)明治中期に松平康荘により、城内に農業試験場(松平農試場)が設立、運営された。現在は外堀は埋められているが、内堀、石垣、天守台などの遺構が残り、本丸跡には福井県庁、県会議事堂、県警察本部などがあり、公園としても整備されている。石垣の一部崩壊に関して、これら施設の重量のせいではないか、と議論されたことがある。本丸御殿の一部は(市内足羽5丁目)瑞源寺本堂及び書院に移築されている。また、天守台のそばには「福の井」という井戸が残っており、この井戸が「福井」の語源由来となったという説がある。この井戸には城外へ通じる抜け道があるとの言い伝えがあり、過去に調査がなされた。福井市足羽5丁目の足羽山麓にある高照山瑞源寺(臨済宗妙心寺派)は、第5代、第7代藩主昌親(吉品)とその母親の高照院の墓所である。

 寺伝に従い平成3年に調査された結果、この寺の本堂と書院が福井城本丸御殿の移築遺構であることが判明した。幕末の万延元年(1860年)「御本丸の御小座敷を以って本堂を再建する」と寺伝にある通り、後世に増改築されてはいるが、『福井城本丸御殿の図』(松平文庫蔵)にみられる天保2年(1831年)に14代斉承が造営した御小座敷(おこざしき)と呼ばれる建物と一致した。 また併設されている書院は、同年同時に作られた、斉承の正妻浅姫(11代将軍家斉の娘)のための御殿「大奥御座之間」であることも建材の墨書などから確認された。1910年(明治43年)8月に福井城址にあった農業試験場(松平農試場)で撲殺されたイヌ科動物が日本最後のニホンオオカミであった」との論文が発表された。だが、この個体は標本が現存していない(福井空襲により焼失。写真のみ現存。)ため、最後の例と認定するには学術的には不確実である。福井弁は、福井県嶺北で話される日本語の方言で、北陸方言の一種である。

同じ福井県内の嶺南地方(敦賀市と旧若狭国)で話される方言(嶺南方言)は福井弁とは大きく異なり、近畿方言に分類される。福井弁には北陸方言特有の間投イントネーションがある。例としては「〜のお」、「〜ざあ」、「〜わあ」、「〜しい」などである。単音節の単語を発音する時は、「目え」「手え」のように、長く伸ばす。これは北陸や関西およびその周辺で見られる特徴である。また、「が」は鼻濁音になることが多い。古い日本語の発音であるシェ・ジェが老年層の福井弁では現在も残っている。「先生」を「しぇんしぇえ」、「千円札」を「しぇんえんさつ」、「全部」を「じぇんぶ」、「全然」を「じぇんじぇん」など。ただし、「臭い→くせ」「遅い→おせ」など、「〜さい・〜ざい」「〜そい・〜ぞい」が変化した「せ」「ぜ」は「しぇ」「じぇ」とは発音されない。奥越では、1円を「いっちぇん」、50円を「ごっじぇん」、100円を「ひゃっけん」と発音することもある。福井市・旧武生市などの嶺北地方中心部は、アクセントで語の区別を行わない無アクセント地帯である(範囲は、さらに広く坂井市・あわら市を含むとも言われる)。

無アクセントは、「箸・橋・端」などの同音異義語を全て同じ高低で発音するもので、北陸地方のなかでは異質なアクセントである。無アクセント地帯を取り囲むようにして、旧三国町などには「三国式アクセント」と呼ばれるアクセントがある。三国式アクセントは、音の下がり目の有無だけを区別するアクセントであり、拍数に関わらずアクセントの型(パターン)が2種類ある二型アクセントである。二拍名詞でいうと、「風」「肩」「雨」などの一・四・五類は下がり目を持ち、助詞なしでは「かぜ」、助詞付きでは「かぜが」(または「かぜが」)になる。また、「川」「花」などの二・三類は下がり目がなく、助詞なしでは「かわ」(または「かわ」)、助詞付きでは「かわが」(または「かわが」「かわが」)になる。ただし、三国式アクセントは型の区別が曖昧で、発音が安定せず揺れのあるアクセントである。福井市内でも三国式アクセントが報告されているが、一方で、福井市・三国町ともに被調査者全員が無アクセントと判定されたこともある。

また旧今庄町付近には、また別体系のアクセントがある。二拍名詞でいうと一・二・三類(風・川・花など)が頭高型(かぜが)、四・五類(肩・雨など)が平板型(あめが)というアクセントである。大野市・勝山市には明瞭な垂井式アクセントが分布し、大野市東部の旧和泉村地区は東京式アクセントである。若者の間では、福井弁よりも共通語を使う傾向が強まっている。加藤和夫らの調査によると、「のくてー(=あほ)」や「だんね(=大丈夫)」や「むだかる(=絡まる)」など、関西弁や共通語で言い換えができる言葉は世代が低くなるにつれて使用が減っており、石川県や富山県よりも共通語化が進んでいるという。一方、しつけで多用される「おちょきん」や、共通語で言い換えられない「かぜねつ」などは根強く使われている。加藤は、福井弁の平板なアクセントは他県の出身者から「訛っている」と指摘されやすく、そのことが方言コンプレックスにつながり、共通語化の一因になっていると分析している。

福井ミラクルエレファンツは、プロ野球独立リーグ・ベースボール・チャレンジ・リーグに所属する福井県のプロ野球チーム。2008年加盟。球団名の由来、地図で見た福井県の形は象の横顔に似ていること、日本で初めて象が渡来したのが福井県であることなどから、「象」(エレファント)を採用。また、「奇跡」を呼び込むチームとなることを願い、「ミラクル」を冠した。福井県内の野球愛好者を通じて藤田平に監督の選考、紹介を依頼したところ「野球界の底辺を広げるベースボール・チャレンジ・リーグのような活動は、本来我々プロ野球OBが行なうべきもので、大いに協力したい」と自らが監督就任を快諾した。チームカラーは黄色(山吹色)、サブカラーは濃紺。福井大学美術教育サブコース西畑敏秀教育地域科学部准教授の協力を得て、ロゴマーク・マスコットキャラクターなどのデザインが決定された。本拠地について。ベースボール・チャレンジ・リーグでは地域密着を目指し、特に本拠地を定めていないが、主にホーム主催球場は福井フェニックススタジアム、福井県営球場、敦賀市総合運動公園野球場、三国運動公園野球場、美浜町民野球場などを使用する。

福井は球団創設以来、スポンサー収入が予測を大幅に下回った上、チームの成績不振もあって入場料収入やファンクラブの会員数も伸び悩むなどし、2009年春になって経営が逼迫する事態に陥った。BCリーグの加盟球団で経営難が公式に表面化したのは初めてのことである。