2011年4月18日月曜日

石川県は

日本の北陸地方の県。県域は令制国の加賀国と能登国にまたがる。県庁所在地は金沢市。日本海のほぼ中央部に位置しており、石川県の多くを形成している能登半島の北端から白山周辺の南端まで南北約200kmの細長い県土を持つ。南東部の岐阜県境には白山があり、福井県境を含めた両白山地・加越山地を構成する。白山から富山県境には倶利伽羅峠、宝達山、医王山などが連なる。河川は手取川、梯川、大聖寺川、犀川、浅野川などが流れている。特に、手取川は県内大半の上水道の水源となっており、県北部の能登半島までパイプによって給水されている。明治維新後、廃藩置県で1871年(明治4年)7月14日、第1次府県統合により金沢県(第1次)と大聖寺県が成立した。同年11月20日に両県を廃止し、旧金沢県より射水郡以外の越中国新川郡、婦負郡、礪波郡を分けて新川県(当時は新川郡魚津が県庁所在地)を設置、能登国と越中国射水郡に七尾県を、加賀地方に金沢県(第2次)を置いた。

明けて1872年(明治5年)2月2日、金沢県庁を石川郡美川町(現・白山市美川南町)に移し、この郡名より石川県と改称した。現在の県名はこれに由来する。なお、石川は古くから氾濫を繰り返し、石ころ河原だった手取川の別名という説がある。県庁の移設は、旧加賀藩の影響力を弱めるための時の政府の方策等諸説あるが、公式には金沢では県域の北に寄りすぎであるためという理由であった。同年9月25日に射水郡を除く七尾県を石川県に併合(射水郡は新川県に併合)、11月に足羽県より白山麓18か村を併合し、現在の石川県と同じ県域となった。これにより、先の県庁移転の根拠が消滅し、翌1873年に再び県庁は金沢に移転したが、県名はその後も石川県のままとされた。その後、1876年(明治9年)8月21日、第2次府県統合により、当時の新川県(現在の富山県にほぼ相当)、敦賀県(現・福井県)の嶺北地域を編入し、富山と福井に支庁を置いた(現在の石川県と区別する意味で「大石川県」と呼ぶことがある)。

しかし、1881年(明治13年)2月7日に福井県が、1883年(明治15年)5月9日に富山県が、それぞれ分離して現在の県域となる。石川県の企業はニッチ市場で活躍する製造業が多いのが特色である。金沢市内に本社を置く津田駒工業は織機で世界シェア1位、澁谷工業はボトリングシステムで国内シェア1位、石野製作所も回転寿司用コンベアの国内シェアの大半を生産している。また、加賀市の大同工業は二輪車用チェーン、月星製作所は二輪車用スポークで、いずれも国内シェアの大部分を占める。電気機器分野では白山市のナナオはコンピュータ用ディスプレイ、金沢市のアイ・オー・データ機器はコンピュータの周辺機器の生産を行っている。かほく市に本社を置くPFUは富士通の完全子会社であり、イメージスキャナの生産では世界トップシェアである。また、金沢村田製作所など村田製作所の関連企業も多く、電子部品の生産も盛んである。2008年発表統計データでは、石川県の商業年間商品販売額は4兆1,576億円であり、北陸3県では最も大きい。

金沢市は比較的大きな商圏をもつ商業都市であり、百貨店やファッションビル、大型ショッピングセンターが集中している。県内一の繁華街である香林坊、片町では路面店や飲食店といった商業施設の集積がみられる。石川県内の市町では、小字の地番にイロハや甲乙丙などを組み合わせたものが使用されている(白山市の旧松任市区域および野々市町を除く)。これは明治時代に行われた土地区画整理事業の名残で、石川県の多くの地域では現在も使用されている。このため、住居表示制度が隣県の富山県や福井県よりも導入されている割合が低い。石川県は、隣接する富山、石川、福井3県の中で唯一4系列の民放テレビ局がある。そのためなのか、石川県のケーブルテレビ局は3県で一番少ない。また、区域外再送信を行っているケーブルテレビ局も非常に少ない。また、民放が4局ある地域の中で一番人口が少ない県でもある。加賀市の一部では福井放送、福井テレビを、金沢市周辺の一部世帯では北日本放送を、能登半島の地域では北日本放送に加えて富山テレビやチューリップテレビ、新潟県の放送を受信している世帯がある。

石川郡は、石川県の郡。郡としての人口密度は全国2位である。なお、2010年に実施された国勢調査で、野々市町の人口が5万人を突破した。これに伴い、野々市町は2011年11月に市制移行に向けた準備に入る予定。野々市町の市制移行に伴い、石川郡は消滅する予定である。石川県警察は、石川県が設置した警察組織。石川県全域を管轄区域とする警察組織で、石川県警と略称する。警察法上、石川県公安委員会の管理を受けるが、給与支払権者は石川県知事である。中部管区警察局管内。本部所在地は金沢市鞍月1-1。平成の大合併後も警察署の名称は金沢市内の3署と能登警察署を除き、石川県警察が発足してから一度も改称していない(なお、他県では名称変更が通例となっている)。1991年2月、金沢市内で石川県警察交通機動隊の巡査が、交通事故を起こした車に乗っていた建設作業員の当時40歳の男に事情聴取をした後、その男の膝を蹴って死亡させた。遺族が起こした民事裁判で、石川県に多額の損害賠償の支払いを命じる判決が出された。

2006年8月、石川県警察の警察官8人が白山市内の男性からの依頼で定期預金口座の名義貸しをしていたことを発表。同年3月から4月にかけて警部2人を本部長注意、他の6人を所属長注意の処分にした。2007年5月23日朝、金沢市鞍月のアパートで警部補(当時44歳)が男にナイフで刺された殺人未遂事件が発生。通報の内容や証言では「部屋を訪ねてきた見知らぬ男に突然刺された。」と証言した。しかし、周辺の住民証言や目撃情報が少なく警部補に問いただしたところ、自作自演であることを証言した。警部補は同年3月の人事異動で配属が変わり能登半島地震での警備等を担当し、「担当が変わり仕事に行きたくなかった。」と証言した。2008年12月、松任警察署地域課の巡査部長(当時52歳)が2000年4月から2008年8月にかけて、別居中の妻子と同居しているように賃貸契約書を偽造し、住居手当約280万円を騙し取った疑いで書類送検(詐欺罪および有印私文書偽造・行使罪)した。同時に巡査部長を懲戒免職処分とした。

 裏金問題。2003年から2008年にかけての経理で不正が判明。2011年2月、当時の警察本部長歴代4人を始め131人懲戒処分。