2011年4月17日日曜日

移行期間中は岡崎市から西の愛知県西部では

テレビ愛知アナログ波と重なる為受信不可能であった。その他、浜松中継局の他のデジタル放送も瀬戸デジタルタワーと重なる為、豊川市から東の愛知県内で無いと受信困難。静岡第一テレビ開局のちょうど1年前に開局した静岡朝日テレビ(当時は静岡県民放送)は、東京などでの音声多重試験放送の開始直前に開局したため、モノラル設備での開局となった。開局時期があと半年遅ければ、静岡県民放送が静岡県内で初の音声多重放送実施局になっていたかもしれない。なお、このことから静岡県民放送における音声多重放送の開始は1990年となり、テレビ新広島に次いで遅い開始となってしまった。NHKも含めて在静の放送局では最初の導入例となる。2010年4月現在は在静のNHK・民放全局が静岡ヘリポートを拠点としてハイビジョン対応の取材ヘリコプターを保持している。ただし、局の所有ではなくヘリコプター会社と年間契約を結び、専用機を確保して使用している。1978年7月1日、静岡県内で3局目(アナログUHFでは2局目)の民放テレビ局として開局。

系列新聞は朝日新聞と中日新聞。テレビ朝日をキー局とするANN系列に属する。旧社名は静岡県民放送(SKT・けんみんテレビ)。1993年10月1日に現社名に変更。社名に「○○朝日テレビ」「○○朝日放送」と付くテレビ朝日系列の地方局では、テレビ朝日・朝日放送(ABC)・九州朝日放送(KBC)の基幹局以外は平成新局に多く付けられているが、昭和期に開局したテレビ朝日系列のアナログUHFを親局とする局で「朝日」を冠する放送局では唯一の例である。開局から1年間はANN系列と日本テレビ(NNN)系列のクロスネット局だったが、静岡第一テレビ(SDT・だいいちテレビ)開局以降はANN系列に一本化。わずかながらテレビ東京の番組も番販扱いで放送されている。コールサインはJOSI-DTV。リモコンキーIDは5である。本社は静岡市葵区東町(あずまちょう)。2008年に開局30周年を迎えた。キャッチコピーは「家族の中にあさひテレビ」。1980年に放送が開始された土曜早朝の情報ワイド番組「おはようしずおか」以来、地元密着の情報番組制作に力を入れている。

この流れは2000年に放送を開始した夕方の情報ワイド番組「とびっきり!しずおか」に引き継がれ、現在に至っている。テレビ朝日系列局のない山梨県南巨摩郡でも視聴者が多い。一方で静岡県内でも関東広域圏波を受信可能な熱海市・伊東市や、中京広域圏波を受信可能な湖西市等では本局を含む在静各局を視聴しない世帯も多い。愛知県豊橋市の一部でも受信している家庭もある。1966年以降、朝日新聞社は全国朝日系テレビネットワークを構築すべく、全国各地にUHF新局の開局申請を行い、その結果他系列と相乗り(クロスネット。当時のテレビ朝日系列地方局にはそれが多かった)となる形ながらも、一応全国に朝日系のテレビ局が開局した。しかしながら1970年前後の大量開局時でも静岡県ではとうとう朝日系のテレビ局を開局せず、取り残された者同士の朝日新聞・テレビ朝日陣営と読売新聞・日本テレビ陣営が1975年以降の新局開設申請に動く事となった。朝日は中日新聞や浜松財界などを味方につけ、浜松市に本社を置く新局の開局を目指した。

浜松財界がテレビ局の開局に動いた理由のひとつに、テレビの父と呼ばれる高柳健次郎の出身地であることがあった。一方の読売陣営は地元静岡新聞や県漁協連、林業団体などを味方につけて、静岡市に本社を置く新局の開局を目指した。1973年10月5日にチャンネルプランの修正案に静岡に新しいテレビ局を設置することが盛り込まれてからは、朝日、読売を応援する陣営が次々に開局の申請書を提出するなど、互いに足の引っ張り合いが激しさを増し、出口が見えない「泥仕合」の様相を呈したため、静岡県知事や県議会も介入せざるを得なくなり、結果として朝日陣営が静岡に本社を置き、読売陣営がこれに協力する形をひとまずとる事として、静岡県民放送がクロスネットの形で開局する事となった。(なお、第3局、第4局の開局の経緯は、「静岡朝日テレビ20年史」、「静岡第一テレビ10年史」において詳細が記されている。)しかし、静岡県民放送開局当初から、新設する第4局(静岡第一テレビ)が日本テレビ系列に内定していたことから、結局クロスネットは僅か1年で終了した。

この一件を契機として、まず相乗りで新局を開局させ、その局の経営が軌道に乗った所で別途新局を開局させて袂を分かつ開局手法が、以降開局の長野県のテレビ信州(TSB。現在は日本テレビ系列のフルネット局)をはじめとして、朝日・読売両グループ間で多く行われたが、その発端はこの静岡県民放送開局に至る一連の流れであり、この手法は「静岡方式」とも呼ばれていた。なお、静岡民放第3局の開局に当たっては、中央の意向もあり結局静岡市に本社が置かれたことで、浜松市をはじめとした西部地方ではそれに対する感情的しこり(浜松市に本社を置く新局設置に動いた当事者が朝日だったため「ハシゴを外された」との思いが強かったとされる)がしばらく残ったため、1年後に開局した静岡第一テレビとともに、静岡県民放送は県西部での営業活動にかなり苦労したという。クロージング 夜の静岡市内の空撮(静岡駅周辺と東名高速道路静岡IC周辺)~(アナログ放送はアナログ放送終了のお知らせ)

アナログは途中で中継局紹介のスクロールテロップが入る。クロージングはデジタルとアナログで、映像の色調に若干の違いがある。2010年7月5日のアナログ放送レターボックス化に合わせ本編・アナログ放送終了のお知らせともに、レターボックスで放送するようになった。かつてクロージングの中継局紹介の間、空撮映像は小さな枠の中に収まるようになっていたが、レターボックス化に合わせデジタル放送と同じく背景にフルサイズで表示するようになった。また、空撮映像後半にもデジタル放送同様に冒頭表示したコールサインなどが再度表示するようになった。アナログ放送では2011年7月1日から7月24日まで、オープニングをアナログ放送終了の告知に差し替えた(従前から放送されていたものとは別の映像)。基本的にカスタム表示とセットで時刻表示右に天気ループも表示。地域の表示順は浜松、佐久間、静岡、川根本町、三島、御殿場、網代。(地域+天気+午前/午後降水確率→地域+天気+最高気温)アナログ放送の通常表示は2011年7月24日の終了まで興和フォントを使用していた。

これは既存のマスター(東芝製)をアナログ送出の機能を残したままデジタル放送対応に改修しただけであるため。また、デジタル放送は通常・カスタムともに東芝ゴシックである。以前は日曜日は10時前まで時刻表示がされていた。本社およびスタジオの所在地が在静の民放局(浜松市に本社を構える静岡エフエム放送を除く)においては唯一、JR東海道線の北側にあり、なおかつ政令市移行後は唯一葵区にある。ちなみにNHK静岡放送局も葵区に立地しているが、静岡朝日テレビを除く在静の民放他社はすべて駿河区に本社が立地している。国道1号沿いに本社がある放送局も同局のみである。本社社屋内には、同社メーンスタジオであるAスタジオと、報道専用のNスタジオの2つがある。また、在静民放他局には設置されている社員食堂が、同社に限っては設置されていない。静岡市葵区七間町に存在した旧社屋(本社移転後は「静岡朝日テレビ・青葉ビル」と改称)には、社名変更後にトリックアートを集めた美術館「アーサー美術館」が開館した。

本社移転後もしばらく開館していたが、後に入館者数の伸び悩み等の事情により閉館している。映画「もののけ姫」のプロモーション活動中の宮崎駿監督が来訪したというエピソードも残されている。同ビルにはテナントとしてTSUTAYA等も入居していたが、本社移転理由のひとつに「同ビルの老朽化、耐震性がない」という問題もあったため、ビル解体の方向性が示されていたこともあり、テナントの退去が緩やかに続いた。ビル閉鎖直前にはほとんどのテナントが退去していた。ちなみに新社屋(=現社屋)はテレビ局としての機能のみを持たせていることから、外部のテナントは存在しない。本社の壁面には自社制作番組のロゴやココマルが描かれており、東海道新幹線の車内から見ることができる。かつてはドラえもんが描かれていた。本社が静岡市葵区七間町から移転した際、それを告知するCMを制作したが、そのCMには聖飢魔IIがノーギャラで出演している。