2011年4月11日月曜日

山梨県早川町新倉には

糸魚川静岡構造線の逆断層の露頭があり、2001年に「新倉の糸魚川-静岡構造線」として国の天然記念物に指定された。また、2007年には、糸魚川と早川の糸魚川静岡構造線が日本の地質百選に選定された(「糸魚川-静岡構造線(糸魚川)」と「糸魚川-静岡構造線(早川)」)。1918年に、東北帝国大学(現東北大学)の地質学者・古生物学者である矢部長克(1878年〜1969年)によって提唱された。しばしばフォッサマグナと混同されるが、糸魚川静岡構造線は「フォッサマグナの西辺」であって、「フォッサマグナ」ではない。フォッサマグナは、糸静線から東に大きく広がる地溝帯、すなわち「線」ではなく「面」である。糸魚川静岡構造線に沿って日本アルプスが造られており、飛騨山脈や赤石山脈の高山が沿線に連なり、天険を形成する。生態系は、糸静線を境にして大きく異なり、東半分を東北日本、西半分を西南日本という。糸静線沿線の主な山や高地には、白馬岳、乗鞍岳、上高地、赤石岳、身延山などが連なる。日本海側の東西境界線は新潟県と富山県の境に位置する親不知であり、内陸側の東西境界線は諏訪湖である。

ただし、太平洋側については、「糸魚川・静岡」の字義通りだと安倍川であるが、由比とする見方もある。これは、親不知に匹敵する大断層が由比に切り立っているためである。静岡県労働金庫は、静岡県静岡市葵区に本店を置く労働金庫。これまで、静岡県労金では従来の自前のシステムを採用していたが、2003年より稼動を開始した「新ユニティシステム(ろうきん新統合オンラインサービス)」に長らくの間は接続していなかったため、静岡県労金の顧客に対しては他地域のろうきん(新潟県ろうきんを除く)窓口・ATMによる取引に一部制限があった(詳細は労働金庫#窓口・ATMでの取引を参照)。システム移行後以降は他地域の労金の窓口・ATMでも取引ができるようになったが、システム移行以前に発行された通帳についてはATMを含め全て利用できなくなったため、口座を開設した静岡県ろうきんの本支店の窓口にて強制切替となる。2007年7月2日より、インターネットバンキング定期預金口座専用支店である、インターネット静岡支店が開業した。

駿府藩は、駿府城(現在の静岡県静岡市葵区)を中心に静岡県の駿河・遠江・愛知県の三河・山梨県の甲斐の地域に江戸時代初期に存在した藩である。駿河府中藩若しくは府中藩とも呼ばれる。尚、明治2年8月7日(1869年9月12日)に成立した藩は静岡藩と呼ぶ。慶応3年(1867年)の大政奉還により、江戸幕府は滅亡した。慶応4年(1868年)1月の戊辰戦争で徳川氏は明治新政府に敗れ、第15代将軍・徳川慶喜は朝敵となる。しかし閏4月29日、新政府の中核の1人である三条実美は徳川氏の存続に尽力し、慶喜に代わって田安亀之助(徳川家達)を徳川氏の相続者とし、5月24日には駿河・遠江・陸奥等で70万石を与えたのである。こうして、静岡藩が立藩された。因みに、陸奥の領地は9月4日に三河に変更されている。明治2年(1869年)6月、府中(駿府)は、朝廷(維新政府・明治政府)や天皇に対し、「不忠」に通じるとして、静岡と改名し、藩名も静岡藩となった。直後の6月17日、家達は版籍奉還により静岡藩知事に任じられた。

明治4年(1871年)7月14日、廃藩置県で静岡藩は廃藩となった。家達時代の静岡藩の職制は、江戸幕府の役職をそのまま名前だけ変えて踏襲した物が大半だった。また、家達が幼少の為、準中老に大久保一翁、幹事役に勝海舟や山岡鉄舟らが任じられ、政務が行なわれている。因みに政府との交渉は、新政府寄りである勝海舟によって行なわれた。しかし、江戸時代の幕府天領・旗本領の総計約700万石と比べて十分の一の石高での立藩であり、新たな俸禄で生活可能な人数を超える旧幕臣や郎党が移住した為、その生活扶助の為に藩の財政は早くも悪化した。その為、旧幕臣の渋沢栄一が起用され財政再建が行われた。静岡茶は、静岡県で生産されているお茶(緑茶)であり、そのブランド名である。牧之原台地とその周辺地域がその最大の生産地であり、生産量は国内第一位である。また、東海道新幹線や東名高速道路などを利用して東京から名古屋、大阪などに移動する場合、静岡県内の茶産地を通過することになり、周囲を茶畑に囲まれた光景に出会うことになる。

首都圏に近い茶産地であることからも、関東地方に住む人にとっては静岡県といえばお茶、というイメージが強い。宇治茶と並び「日本2大茶」と称されることもある(「日本3大茶」として狭山茶を含める場合がある)。社団法人静岡県茶業会議所と社団法人日本茶業中央会により、以下の厳格な表示基準が規定されている。基準を満たさないものは静岡茶の表示を行うことができない。静岡茶 - 静岡県内産茶葉を100%使用したもの。静岡茶ブレンド - 最終加工地が静岡県で、静岡県内産茶葉を50%以上100%未満使用したもの(配合比率を表示すること)。他県産、海外産の茶葉も使用される。静岡空港は静岡県島田市と牧之原市に跨る地方管理空港である。富士山静岡空港という愛称がつけられているが、富士山は静岡県を代表する名所として名づけられた愛称であり、当空港から富士山への近さや利便性を示すわけではない。1987年、静岡県知事斉藤滋与史により島田市、旧榛原郡榛原町(牧之原市)への空港建設が決定された。

1996年の運輸大臣亀井善之による設置許可を得て、整備が開始された。2009年3月開港予定だったが、空港近隣にある伐採対象外の樹木が航空法の制限(制限表面)に抵触する問題があることが2008年9月に判明し翌10月、暫定的に滑走路を短くする工事を行うことが決まった。そのため延期されることが県より公式に発表され、2009年6月4日に開港。なお、2,500メートルへの延長工事は8月27日に完成した。総事業費は約1,900億円、そのうち空港本体の事業費は約490億円。空港整備特別会計からの国庫補助金は約245億円であり、約1,655億円が静岡県の支出となる。国が離島以外の地方空港新設を抑制する方針を打ち出していることから、マスコミなどから「最後の地方空港」と呼ばれている。静岡県はJAL福岡便について、搭乗率が70%未満の場合運航支援金を支払う覚書を締結した。JALの福岡便は、搭乗率が64.6%のまま、2010年3月末で運休となった。このため、2010年5月にJALは、覚書に基づいて静岡県に対して運航支援金1億5,300万円の請求を行った。

しかし、静岡県は、JALが一方的に静岡空港から撤退したにも拘らず支援金の請求をすることは信義に反するものとして、支援金の支払いを拒んだため、JALは、2010年11月10日に東京地方裁判所に、静岡県を被告として1億5,300万円の支援金の支払いを求める訴えを提起した。