2011年4月29日金曜日

滋賀県は

琵琶湖を擁する日本国近畿地方北東部の内陸県。本庁舎は大津市に所在する。令制国の近江国(江州)と完全に一致する。県名は大津が属していた郡名「滋賀郡」から採用された。「滋賀」自体の語源については滋賀郡を参照。「滋賀」の発音は、共通語では「し」にアクセントを置く頭高型アクセントであるが、地元では「が」にアクセントを置く尾高型アクセントである(「滋賀県」とする場合は共通語も地元方言も同じアクセント)。「近江」が「近つ淡海」に由来し、現在も滋賀県が「湖国」と呼ばれるように、琵琶湖は県のシンボルである。産業用水、近隣府県約1,400万人の飲用水の源、観光資源としてその存在は大きく、地域性も琵琶湖を挟んで異なる(後述「#地域」参照)。琵琶湖があるために内陸県で唯一漁港を持ち、その数も20港と、海に面する5府県より多い。水運交易が盛んだった中世や近世には若狭湾と京・大坂をつなぐ中継地として、大津や堅田など内水系の重要港湾が数多く発展した。東海道・東山道(中山道)・北陸道が合流する陸上交通の要衝でもあり、「近江を制する者は天下を制す」として度々戦乱の舞台となった。

交通利便のよさは人材の流出をもたらし、戦前まで滋賀県は流入人口よりも流出人口の方が多かった。中世から近代にかけては多くの出身者が近江商人として全国各地に進出し、「琵琶湖の鮎は外に出て大きくなる」という諺まで生まれた。太平洋戦争後、高速道路の整備やトラック流通の興隆に伴って交通利便のよさが再認識され、流通拠点や工場が相次いで進出、近年はJR西日本のアーバンネットワーク拡大に伴って京阪神のベッドタウンとしても注目されるようになり、首都圏以外の地方では数少ない人口増加県へと転じた。ただし開発が進むのは京阪神に近い南部であり、以前からあった北部との経済格差が広がる事態となっている。滋賀県は近畿地方に分類され、文化的・経済的に京都・大阪との結びつきが強いが、中部地方との交流も盛んである。近畿圏整備法で定める「近畿圏」と中部圏開発整備法で定める「中部圏」の両方に含まれ、滋賀県知事は近畿ブロック知事会と中部圏知事会議の両方に出席している(福井県と三重県も同様)。

また福井県・岐阜県・三重県とともに「日本まんなか共和国」を設立し、知事サミットや文化交流事業などを行っている。愛知万博で中部8県とともに「中部千年共生村」を共同出展した。北部は近畿・中京・北陸の交点であり、工場や物流センターの設置計画も進むなど、中部圏の一角としての発展も期待されている。滋賀県はその地理的特性から、奈良・京・大坂への物資や人材の供給源および中継地、あるいは畿内と東国・北国とを結ぶ要衝として発展し、日本の中央史に大きく関わっている。白洲正子は随筆『近江山河抄』のなかで「近江は日本の楽屋裏」と述べている。国造が分立した時代には、滋賀県はヤマト王権の領土に入っていた。飛鳥時代には近江大津宮、奈良時代には紫香楽宮や保良宮が置かれた。壬申の乱や藤原仲麻呂の乱といった戦乱の舞台となることも度々あった。平安中期より佐々木氏が近江に起こった。佐々木氏は源頼朝が関東地方で勃興するとこれに積極的に加わり、近江一国の守護職を得た。

以降、六角氏や京極氏に分かれながら、佐々木一族は戦国時代に至るまで近江国を支配した。南北朝期にはばさら大名で有名な佐々木道誉(高氏)が出て京極家の勢威を伸ばした。明治維新により幕府領・旗本領に大津県が設置された後、廃藩置県によって各藩は県に移行し、1871年11月22日、大津県(滋賀郡・蒲生郡以南)と長浜県(高島郡・神崎郡以北)に統合された。翌1872年、1月19日、大津県が滋賀県に、2月27日に長浜県が犬上県にそれぞれ改称され、9月28日に両県が合併し、近江国と領域を同じくする滋賀県が改めて成立した。本庁舎は大津に置かれたが、西に偏在しているため、近江国最大の城下町である彦根も候補に上がった。1891年と1936年の2度、大津から彦根への本庁舎移転運動が起こったことがある。なお1876年8月21日から1881年2月7日までの4年半には、現在の福井県嶺南地方を編入し、滋賀県が若狭湾に面していた時期もあった。以下の13市3郡6町がある。(町はすべて「ちょう」と読む)

江戸時代には江南(現在の湖南)・江西(現在の湖西)・江東(現在の湖東・湖北)に3区分されていたが、明治時代以降、琵琶湖を中心に湖南・湖東・湖北・湖西に4区分するのが一般的となった。この4区分以外に区分される場合もあり、例えば滋賀県では7地域に細分化している。各々に属する自治体は以下の通り。なお郡は、1878年の浅井郡の東西分割と1897年の西浅井郡の伊香郡編入以外は、大宝律令以来の郡名・区画が昭和の大合併期までほぼ踏襲されていた。京阪に近い交通の要衝であり(大津市中心部と京都市中心部は10kmほどの距離で、JR西日本大津駅-京都駅間は所要9分である)、平野部も多いため古くから開発が進んだ。京阪とのつながりが強く、現在は通勤圏として「滋賀府民」の多い地域となっている。甲賀は忍者と製薬、信楽焼の里として有名。京都・大阪の文化圏に属し、滋賀県で話される方言(近江弁)も京言葉との共通点が多い。岐阜県関ケ原から滋賀県にかけては東西文化の境界線をなす(アホかタワケか、雑煮が丸餅か角餅か、など)。

湖北地方などは北陸や東海の文化との緩衝地帯でもあり、例えば中京地方のブロック紙である中日新聞は滋賀県でも配達されており、特に米原市では6割強のシェアを占める。県民性としては、『角川日本地名大辞典』では「温和で、一徹ではなく、計数に明るく利害に敏感で、蓄財に長じている。文にたけるが武はそれほどでもない。」「地味で着実、おとなしく粘り強く努力する。」としている。社寺(浄土真宗が多い)を中心とする伝統的な地縁社会であることから、保守的・閉鎖的であるとの指摘もある。祖父江孝男は、滋賀県の県民性イメージは近江商人に関するステレオタイプから生み出された部分が大きいとしている。滋賀県では1件の世界文化遺産、55件の国宝、806件の重要文化財が指定されており、国宝の指定件数は京都府・東京都・奈良県・大阪府に次ぐ5位、重要文化財の指定件数は東京都・京都府・奈良県に次ぐ4位である(2009年7月1日時点)。多くの大学が集まる京阪神に隣接するため、かつては大学の少ない県であった。

しかし県が活発に大学を誘致した結果、2009年時点で10大学3短期大学が立地している。小学校では京都府とともにランリック(ランリュック)がよく普及している。また児童の交通安全のための飛び出し坊やの設置が多く、飛び出し坊や愛好家のみうらじゅんからも注目されている。滋賀県独自の教育事業として、小学校5年生などを対象に琵琶湖上で行われる滋賀県立びわ湖フローティングスクールがある。