2011年4月8日金曜日

中央から派遣された国司が

政務を司る政庁は、国府に置かれ、国衙と呼ばれた。まず、遠江国府は磐田市御殿二宮遺跡が、駿河国府が静岡市駿府城東南地区が候補地としてあがっているが、伊豆国府は三島市内に候補地を見出していない。その土地の国造や新興の有力者が就任した郡司の郡衙は郡家とも呼ばれた。官衙遺跡では、浜松市の伊場遺跡・城山遺跡・梶子遺跡・梶子北遺跡が発掘されている。これらの遺跡は敷智郡家および関連官衙(館・厨)や栗原馬家など地方官衙が複合する遺跡と考えられている。また、これらの遺跡は、出土する木簡から天武朝に溯る事が分かり、柱立建物が13~14棟、絵馬・墨書土器が検出されている。このほか、藤枝市御子ヶ谷遺跡(国指定遺跡)と秋合遺跡は駿河国志郡家遺跡と考えられ、袋井市坂尻遺跡(佐野郡家ヵ)、藤枝市郡(こおり)遺跡などの郡衙遺跡の存在が明らかになってきている。律令制で中央集権国家が形成されるに従って、現在の静岡県内に有った国造は、伊豆国、駿河国、遠江国という3つの令制国に合併・再編された。

律令制下には、遠江国には白輪官牧(しろわのかんまき)があり、その後荘園化し白羽荘と称した。故地は御前崎西方の砂丘地帯から北方の牧之原台地におよぶと推定される。駿河国には岡野(大野)・蘇弥奈の2官牧がある。前者は愛鷹山の東南麓、現沼津市の大岡・金岡・愛鷹を中心とする地域に存在し、後に大岡牧、あるいは大岡荘と呼ばれる荘園になった。後者の位置は明確でないが、現静岡市街地の西北、安倍川と藁科川とに囲まれた牧ヶ谷から美和の内牧に至る一帯の山地と思われる。伊豆国では、官牧の存在が明確ではないが、現伊豆市修善寺町に牧之郷という地名がある。後にこれらの地域に武士団が簇生した。伊豆国は畿内から遠いために、流刑地の一つとされていた。一方で、駿河国には藤原南家の末裔(まつえい)の多くが住み着き、土着したようである。遠江国の国分僧寺は磐田市中央町に、国分尼寺はその北にあったことが確かめられている。駿河国分僧寺は静岡市大谷の片山廃寺がその有力候補とされており、国分尼寺は不明である。

伊豆国分僧寺は三島市泉町に、国分尼寺は三島市南町にあった。江戸幕府が倒されて明治維新が起こると、1868年5月には、駿河国の天領・沼津藩・田中藩・小島藩・交代寄合の榊原家の久能陣屋、諸旗本領、遠江国の相良藩・横須賀藩・掛川藩・浜松藩・交代寄合の近藤家の気賀陣屋、諸旗本領が合併されて、静岡藩(70万石)が設置され、徳川将軍家の徳川慶喜が入った。同年6月、伊豆国(旧韮山代官領)の地域に韮山県が成立した。同年9月、旧堀江陣屋(5600石、申告1万6石。今の浜松市舘山寺地区)が堀江藩に昇格した。そして、1869年には、駿府は静岡に改名された。1871年8月29日の廃藩置県では、静岡藩は静岡県に置き換わり、堀江藩が堀江県に置き換わった。同年12月31日には、当時の静岡県は分割され、駿河国部分が静岡県となり、遠江国部分は浜松県となった。堀江県は浜松県に編入された。韮山県は、荻野山中県や小田原県と合併して、足柄県となった。

しかし、1876年4月18日には足柄県が分割され、相模国部分は神奈川県に編入され、伊豆国部分は静岡県に編入された。そして、同年8月21日になると、浜松県が廃止されて静岡県に編入された。1878年には、伊豆諸島が東京府(現在の東京都)に編入された。このように、伊豆国、駿河国、遠江国の3国が、1876年に行われた県の合併によって、現在の静岡県となった。静岡県は、「住んでよし、働いてよし、訪れてよし」の「富国有徳の日本の理想郷」を創るための施策に取り組んでいる。「富国有徳」は、前知事石川嘉延の県政キャッチコピー「富国有徳――しずおかの挑戦」にも現れるが、これは現知事川勝平太の著した『富国有徳論』(1995)の思想に賛同したもの。静岡県は、富士川と大井川を境として、東部、中部、西部の3地域に区分される。東部はさらに狭義の東部と伊豆に分けることもある。ただ富士川より西にあり中部であった旧富士川町が2008年11月の富士市に編入されたことで富士川による境は実質なくなってしまい、県庁による地域区分でも必ずしも川が境界線とは限らない場合がある。

静岡県内には以下の23市5郡12町がある。村は旧龍山村が浜松市と合併したことにより2005年6月30日をもって消滅した。「町」の読み方は、森町のみ「まち」で、それ以外は「ちょう」。旧駿河国のうち富士川以西と、旧遠江国のうち牧之原台地以東に相当する。市外局番は054または054Cであり、郵便番号は42から始まる。自動車のナンバープレートは「静岡」である。静岡県内を主な購読地域とする地方紙。静岡県内一円に取材拠点を置いており、静岡県内情報や茶業情報については最も詳しい。系列テレビ・ラジオ局を有し、県内に一大メディアグループを築いており県内各界への影響力も大きい。囲碁の碁聖戦主催紙の一つでもある。静岡市で印刷している。特定の系列販売店はないので、県内の大半の新聞販売店で購入が可能である。 全国紙は基本的に東京都もしくは神奈川県、愛知県の工場で印刷して静岡県に輸送している物が多い。いずれの新聞も、紙面のうち1~2面程度の広さを静岡県内記事(静岡県版)に割いている。

静岡県版は、静岡県東部版、静岡県中部版、遠州版の3つに分けられているが、支局の表示は3つとも同じである。読売新聞は、静岡県向けの朝・夕刊は神奈川県横浜市瀬谷区の横浜工場で印刷され、大井川以西の同夕刊及び浜松市向けの朝刊は愛知県清須市の清須工場で印刷されている。朝日新聞は、天竜川以西に限り、名古屋市の名古屋本社(北名古屋市の西春工場で印刷)で編集・発行となっている。毎日新聞は、静岡県向けの朝・夕刊は神奈川県海老名市の毎日新聞首都圏センター海老名工場で印刷されたものが販売されているが、大井川以西の夕刊は名古屋市中区の毎日新聞名古屋センターで印刷されたものが販売されている。日本経済新聞は、東京本社が編集し、紙面印刷を静岡新聞社に委託している。このため、静岡県内向けには静岡市から各販売所に配送されている。